第九篇・その2 悪運を諦めろと?
ヒカルがミウを守り抜く手立てを求め空間転移した先は、さっきまでいた病院とは違う別の病院であった。名は大和谷病院――外科、内科、小児科、何でも備える病院の、この8階の一室に用はあった。
きっと今もいるはずだ。
少なくとも、今抱えているとある情報を彼が知り得ない以上、そう時間はかからず会えるはずだと、ヒカルは静寂な廊下を歩んでいく。
その確信と焦りのあまり、目的の部屋を見つけると無配慮にノックもせず病室の扉を開け、病室に飛び込むよう入室したヒカルは、喉元にチクリと軽微な痛みを覚えた。顔は動かせず、視線だけ下げると、尖った円錐の刃を突きつけられていた。目的の人物――藤川ツバサに、最悪の出足である。
「なんだお前か、無駄に驚かせやがって」
侵入者の顔を確認すると、ツバサはため息交じりに腕を降ろした。戦う必要もないと、腕の刃の変身も解いて。
「そ、そりゃお互い様ってことで……」
うかつに指1本動かせない状態から解放されたヒカルはどっと疲れてしまって、肩を落とした。まぁ非はほぼ全面的に自分にあると分かっていたので文句は言えなかった。
この病室ではツバサ最愛の妹、アオイが穏やかな顔で、いつ醒めるかも分からない眠りについているのだから。
「それで何の用だ……」
刃は納めても、ツバサの目はまだ鋭かった。おまけに目の下にくっきりとしたクマができていたのが、元々悪い目つきを余計に悪くしている。けれど気後れする暇もなく、ヒカルは開口一番に言った。
「……カオルが死んだらしい」
聞くなりツバサの目がピクリと動いた。
しばらく沈黙が続く。その後にツバサは腕を力なく垂らすと、ベットの脇の椅子にもたれかかった。
「そうか……。ついにくたばったか」
ツバサは首元を緩め、肺の中の空気を一気に吐き出した。そのまま試合を終えたボクサーのようにうなだれた。
「…………」
我ながら……人の死を利用しているなんて……と。ヒカルは自己嫌悪に陥りかけていたが、その時ツバサが座ったまま顔をやった。
「で、用件は? 他に何かあるんだろう。わざわざそんなことを教えるためなら、そんな血相変える必要ないもんな」
「……」
「どうした、あるならさっさと言え。ないならさっさと出てけ」
ヒカルはフゥと息を吹く。
まだためらいはある。けれど天秤が振り切れば、もう止まらなかった。
「頼む! 俺たちと一緒に戦ってくれ!!」
ヒカルは額を地面に擦りつけた。
流石のツバサも、脈絡なくいきなり土下座から入られたため、困惑して引いていた。
「はぁ? 一体どういう――」
「今、ピンチな女の子がいるんだ! 確かお前も1回ぐらい会ってるよな、あの炎を使う魔法少女の子だ」
そして頷き返す暇さえ与えず、ヒカルは続ける。
「あの子が今、あの子を魔法少女にした奴に、また魔法少女にされそうになってるんだ!! だからそうならないよう、お前に協力して欲しい!!」
「何言ってんだお前?」
感情の先行したしゃべりに、ツバサは眉をひそめた。
「俺にも分かんねぇよ!! けどとにかく、今その子がピンチで、守るのにも俺とテツリだけじゃどうにもならない! だからお前も一緒に戦って欲しいんだ!! 場所は笹原総合病院! 頼む! お前だけが頼りなんだ!!」
相変わらず、なんとも要領を得ない話し方ではあったが、小さくなるヒカルの姿にツバサも事態の重さは切実に伝わっていた。そして長考の後、ツバサは口を開く。
「それで俺のところに来た、と? もっと他に、頼るべき奴はいないのか?」
「お前しかいない! お前が最後の希望だ!!」
「……なんで俺が、お前たちのためだけに戦わなきゃならない?」
「俺たちのためじゃなくていい!! その子を助けると思って戦ってくれ!!」
「……俺はお前やテツリとは違う、ヒーローになるつもりはない」
「そこをなんとか。ダークヒーローでもいいから」
「くどい!」
そう一括すると、ツバサは立ち上がった。
「大体俺がそんな要望、聞くはずもないだろ。下らない頼み事するくらいなら、もっと有効に頭を使ったらどうだ?」
足音が去って行く。
正直、ヒカルも協力を得るのは難しいだろうとは思っていた。けれど今、たった1つきりの人生が懸かっている。だから引き下がれなかった。
「じゃあ運が悪かったから、人生を投げ捨てろって言うのか……」
その言葉に、ツバサは動きを止めた。背後からヒカルは声を荒らげ続けた。
「君はたまたま選ばれた、だから残念だけど人生を棒にふるって貰う。そんなのが許されて良いって言うのかよ!?」
「…………」
「確かにお前が協力しても、メリットなんて何1つない! けど、お前は何の罪のない子が理不尽に未来を奪われるのを、見過ごせるのか?!」
言い終えたところで、ツバサは歩み寄った。というより、不機嫌な顔を下げて詰め寄っていた。
「……1つ言い忘れていた」
と、ツバサの手がヒカルの肩に伸びた。
「ここで騒ぐな馬鹿!!」
気づいた時、ヒカルは病室の外に放り出されていた。そして直後に、扉も跳ねるよう閉ざされた。
「痛ってぇッ!!!! クソ、アテにしてたんだけどなぁ……」
壁にぶつけた頭をヒカルはさする。もはや目の前の扉は、地獄の門に見えた。
けれど唯一の頼みの綱に手痛く断られた以上、肩を落としトボトボ帰るしかない。病院の廊下は、無性に静かであった。