第八編・その1 災厄の置き土産
「やれやれ……終わっちゃえば、思ったよりあっけないもんだね。ま、死ぬ時なんてだいたいいつもこんなんか」
カオルとの闘争に終止符を打った後、未だ屋上に佇むリョウキはそう独りごちると、ハッと切れ味のあるため息をついた。
ナメクジのように纏わり付き、蜘蛛のように策略を巡す難敵を退けた今、彼の憂いはだいぶ消えた……。けれどその場を立ち去る気にはなれなかった。
「しかしどうもすっきりしないねぇ……」
憂鬱というほど大層ではないが、リョウキはどこかモヤモヤしていた。
理由は彼自身分からない。
罪悪感……なのだろうか?
もしそうだったなら、今まで生きてきた中でそんな感情抱いたことはなく新鮮な心地だ。
けれどそれを前提に考えると何となく筋が通る気がする。
自分の取った仕打ちを簡単に整理すると、一生懸命、綿密に計算して勝てる算段を立ててきた相手を、今まで見せなかった手で闇討ちしたのだから。
「さすがにちょっと卑怯がすぎたのかね?? けど別に今ままでだって色々やったしなぁ。今回が特別ってわけでもなし……う~ん……」
自分の疑問は自分に尋ねたところで、たとえ何人集まろうが答えは出ず、首を傾げるばかりだった。
とは言え確かな事実が1つある。
「まぁこれで面倒なのは片付けたし……いっか!」
疑問は忘れることにしよう、そうしよう……と、リョウキは結論づけた。
「ん~、しかしなんか……なんか物足りないな」
手を指と指で組み合わせて背中を伸ばすストレッチをするリョウキはそう呟いた。
「後半はッ……自分だけど他人任せだったからねぇっ……疲れも半人前ってか」
このくすぐったさの残る疲労は身体を動かしても解消されなかった。もう少し、もう少しだけ運動できれば……このムズかゆさも解消されるだろうにと、リョウキは諦念の底で思っていた。
しかしこれが彼の天運か、はたまた1つの必然か。彼の欲求を満たすにもってこいの存在が引き寄せられる。
「……む」
リョウキはストレッチの途中、身体を右に傾けた状態でピタリと動きを止める。
波紋で得物を察知するアメンボのように、さざ波を感じ取ったのだ。
だが迫り来る本波は百年、千年に一度の……未曾有の波高であった。
そしてリョウキは猛烈な頭痛に襲われ、頭を両手で抱える。
「この痛み…………なるほど……フフ」
吸い寄せられて 見ていた。それは本能である。
この壁の向こうには疼きを抑えるものがあると、リョウキは嗤った。
⭐︎
そして同じ頃、リョウキも感じた激痛を、ヒカル、テツリ、ハレトの3名が同じく感じ取っていた。
「ぐぁっ?!」
「うぐぅ?!」
満身創痍、瀕死のヒカルとテツリは、共に宇宙から来たローカルヒーロー・ブリリアンの姿で、重なるように倒れ込み、
「あがぁぁああ!!」
痛みに耐性のないハレトは頭を抑え、ひっくり返った虫のように独りビルの屋上でのたうち回る。
「お二方?! 突然どうしたんです」
そして突如として苦しみだしたヒカルたちの側にいたミウは丸い驚きの眼差しを向け、スカートを風になびかせながら走り寄った。全く状況が分からないミウはひたすら心配一心で、膝を着く2人に目配せする。
「大丈夫ですか? 無理なさらないでください」
「ゴメンありがとう。大丈夫、大丈夫だけどこの頭痛……霊獣か」
ヒカルはテツリに同意を求めて視線を送り、テツリも頷き返した。
「間違い、ないですね……でもこれは――」
今まで何度となく戦ってきた2人には分かる、この頭痛が霊獣出現を知らせる予兆であることは。しかし同時に、仮面の奥にある2人の顔は今まで以上に険しさを増していた。
「……なんか、ヤバい感じですか」
ミウもまた、割れた仮面から露出するテツリの鋭い目つきから事態を察し、喉を鳴らす。
そしてとある高層ビルの屋上では……
「く……痛ェ……なんだよこの痛み……」
ハレトはまだ項垂れていて、額を抑えていた。波高の高い痛みがもたらした害は、引き潮となってもまだ収まらず、頭の内がズキズキ痛んでいた。今日、霊獣出現の予兆が起きたのは2度目だが、最初にあった予兆と比べても今の衝撃は計り知れないものだった。
しかしハレトの顔が苦痛に歪めば背中をさすってくれるであろうマイの姿はここにない。彼女は箒にまたがって、空を飛んでいた。
言いつけ通りヒカルを捕縛し、テツリを殺すために刺客として送り込まれた彼女ももうすぐ現場に駆けつけ、他の魔法少女たちに合流する。……がしかし、彼女自身も「そろそろですかね」と眼下を見て口をつく頃、彼女もまた、ハレトらとは違う形で予兆を悟る。
「む?」
何やら唐突に吹き込む向かい風に、マイは腕で顔を守る。竜巻かと錯覚するも、幸いにして風はすぐに止む。と……ついにその時だ――
ピシピシピシィィィ!!!
まるでガラスの割れるような音が響き渡る。だがその光景にマイは目を疑った。
「!? 空が、割れた?」
眼前の空間にヒビが入ったのだ、まるで外観を映す窓ガラスがそこにあったかのように。その空間に打たれたヒビは同心円状に広がっていき、やがて向こう側からマゼンタ色の瘴気が漏れ出し始めた。
「これは……」
流石のマイでも目の前の現象は理解の範疇を超えており、困惑するばかりだった。が、肌で嫌な予感を感じ、考えるより先に距離を取って、安全圏に脱しようとしていた。
「ヒカル君、あれ!」
そして空間のヒビ割れは、ヒカルたちの場所からも見上げられ、それに気づいたテツリが指さした。
「なんだ……あれ……」
彼らも未知の事象に眉を寄せたが、考える間もなく……彼らは望みもしない答えがやって来る。
ピシパシピシパシッッ!!
徐々に徐々に空間の欠片が剥がれ落ちていく、そして
パシッピシピシピシピシッッッ………………
バリンッッッッッッッッ!!!!!!
粉々に砕け散った!!!!
「?! 何か来るぞ!!」
空に空いた穴から白い何かが飛び出してくるのを目にしたヒカルは叫んだ。
降下する物体は地面に迫るほど加速し――
ドォォォオンッ!!
轟音と土煙を醸し、大地を震撼させた。
「…………う………あれ?」
煙が晴れ、目を開けたテツリは降り立ったソレを見つめた。恐怖ではなく、困惑の心で。
「アレって確か……」
その白い物体を、その四足歩行の霊獣のことを、テツリは知っていた。
爛々と赤い目、噛みしめる口元から覗く鋭利な牙の列、籠手を巻いたようにたくましく太い前足は忘れない。そして白からグレーのグラデーションの、艶やかで高貴な雪のような毛並みは忘れられない。
「この化け物のこと知ってるんですか? 2人とも」
態度から察したミウが尋ねると、テツリが答える。
「まぁね、前に1度戦ったことがあるんだ、ヒカル君もそうだよ。それと一応君も……」
「え? そうなんですか?」
「まぁ覚えてないのも無理ないよ……。その時、君の意思は無かったろうし」
「で、その時は最終的にカオルっていう俺たちの知り合いが倒したんだけど……コイツはそれと全く同じだ」
「へぇ……」
改めてミウも、現れた霊獣と相対する。正気で向き合うのはこれが初めてだ。
正直震えるほど、お花畑に水を注いでしまいそうなほど怖いが、両脇から苦しげな息遣いが聞こえては、勇気を振り絞らずにはいられない。
だって助けて貰ったんだから、今度は助ける番だから、と。剣に力を込める。
「ここは私が!」
「待て!!」
だがヒカルが水平に腕を伸ばし、飛び出そうとしたミウを制止する。
「……何か変だ」
そのヒカルの懸念は正しかった。
鎮座する霊獣の身体からは暗黒の稲妻が迸り、激しく痙攣する。
「ッ、このエネルギーは……」
「今まで俺たちが戦ってきた……どの霊獣よりも、凄まじいッ」
そして雄叫びを天にまで轟かせたかと思えば、その巨体が持ち上がった。
「?! た、立ったぁ?!」
なんと霊獣は立ち上がった。
太い2本の後ろ脚で大地を踏みしめ、前脚は鉄を切り裂く爪を持つ手へと変わり、全身の筋肉は風船のように膨らむ。だが変化はそれに留まらず……首の付け根あたり、白い体毛が何やら寄生虫が蠢くようにボコンボコンと盛り上がりだし……薄ピンク色の双頭が突き破った。
衝撃的な光景にミウは口を覆い、ヒカルとテツリは肩を揺らす。
新たに生まれた2つの頭も空気に触れ、3つの頭は白に移ろい、猛々しく嘶く。
「これは……進化、したのか……?!」
テツリは喉の奥が急速に乾いていくのを感じた。ふと横をみれば、ミウもそんな顔をしていた。そしてヒカルは身体を強張らせ、臨戦態勢を取っているようだ。
なんせおぞましい姿だった。
しの姿は……まるで――
「まるで地獄の番犬――ケルベロス……」
物陰から伺うマイは呟く。
だが知る由もない。彼らがこれから見る地獄が、どれほど凄惨かなど。