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亡者よ、明日をつかめ  作者: イシハラブルー
3章 揺れる絆と変わらない思い
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第七編・その6 揺れる炎




 同じ頃。

 のされて地面を舐めるように倒れていたテツリ、目覚めは遙か遠くかと思われていたが案外タフだったようで、その指先が微かに動いた。


「ううん……うっ…………ハッ!?」


 そして意識を取り戻したテツリは飛び起きかけたが、頭の芯まで響く激痛に不意打ちされ、地面に突っ伏した。

 どうにか腕をたぐり寄せ、少しずつ1歩1歩フラつきながら立ち上がると、体に積もっていた砂が流れ落ちる。零れた砂の中には砂金のように輝いていた物も一部あったが、あいにくの滴る血が砂を濡らした。

 右目の上に嫌な違和感があったテツリが指先で触れてみると、指の付け根まで真っ赤に染まった。案の定出血していた訳だがテツリはさして驚かず、むしろ驚きとは全く対極の冷めた表情で血のついた指をじっと眺めていた。


「……ん?」


 ふとあることが気になった。

 確か自分は金色のヒーロー、ブリリアンに変身していたはずだ。実際視界に入る自身の体を見る限り、変身は維持されている。それなのにどうして生身の肉体から流れる血に触われるのだろうか?

 疑問が浮かんだテツリは、今度は手全体で覆うように右目あたりを抑えてみる。

 それで何となく分かった。

 まるで穴を塞いでいるような、感触が無い感触。


「……割れてる」


 指でなぞってみれば、目で見えなくとも明らかだった。

 どうやら魔法少女たちの猛攻でヒーローとしてのボディが損傷したらしい。

 顔を覆うマスクも右目周りが砕かれ、血が垂れた目元が覗いているのだ。


「ッ……あぁ」


 立っているだけで苦痛だったテツリは手を膝につき、肩を大きく揺らして息をする。

 今まで一度も砕かれることなく霊獣の攻撃からテツリを守ってきた、いわば鎧代わりのボディを砕かれた。多少ダメージが軽減されたとして、中の人のテツリが無事でいられるはずがないのだから、この醜態も仕方がない。

 けれどテツリの瞳には、手の届くみんなを救いたいという思いを種にした闘志の炎がまだ点っている。その炎が燃える限り、テツリは顔を上げられた。

 もっともその炎、本来消されたはずの炎だった。


「チッ、あと少しだったってのに復活しやがった!! あと少しでトドメを刺せたのに!!」


 ビルの屋上から水晶玉を介して動向を見守っていたハレトは歯ぎしりした。

 もし目力で人を殺せるとしたなら、今のハレトなら致命傷を与えるくらいはできただろう。


「全く残念でしたね。邪魔さえなければ決着もついたでしょうに」


 人差し指を頬に添え、マイが言った。いきり立つ彼女の主とは対照的に、彼女自身はため息が出そうなほど落ち着いている。


「ホントだよ! マジなんなんカオルの野郎、1番肝心なタイミングで邪魔しやがって。アイツらさえ邪魔しなければ、上里テツリを処して、佐野ヒカルも抑えて、それで諸々の問題も一挙解決だったのに!!」


 本当ならばテツリは死んでいた。それは確かな事実だった。

 骨まで焼くなり、心臓を剣で貫くなり、頭を潰すなり、気分に応じた好きな殺し方を選べるほどの圧差がハレトたちにはあった。

 だが、そんな窮地に追い立てられていたテツリをカオルと、ついでにリョウキは救った。

 彼らが乱入し、興じた死闘が魔法少女たちに危害を及ぼしかけたため、彼女たちは一旦引き下がらずを得ず、結果的にテツリに回復する猶予を与えてしまったのだ。

 おまけにカオルに関しては諸々前科ありだ。それで憤るなと言うのも酷だろう。


「殺意で仲間を怯ませるとか聞いてねぇよ。ほんと何だってアイツは、一応味方のボクたちばっかり邪魔すんだよ。こういうの……なんて言うんだっけ。ホラ、なんちゃらの白馬?」


「トロイの木馬ですか?」


「そうそれ! っったく、安易に身内に引き入れなきゃ良かったぁ!!」


 間延びした声で不満が飛ぶ。

 とっととテツリを始末しておきたかったハレトとしては当然面白くない。オマケにあと一歩のところまでこぎつけ期待を上げられていた分、落胆への落差も大きい。

 そして水を差した、特にカオルに対する不満は、もはや仮に彼が世界を救ってみせたとしても挽回不能なほどとなっていた。


「まぁまぁカオルの件に関しては戦力以前に、屋敷に自由に出入りできる敵対者を支配下に置く必要がありましたし、幾分仕方ありませんよ」


 そう言ってなだめようとしたのはマイだった。


「そう気を悪くせずとも、どのみち私たちの状況は変わっていませんよ。確かに絶好のチャンスは逃してしまいましたが、1対4ではあちらに勝ち目が無いことはもう分かったことですし、少し休んだからと言って何になるのです。確かに彼は間の良さで延命こそしましたが、本当にそれだけのこと。こちらの優位は鉄板、踏み外すことの無い事実ですよ。ご覧なさい、テツリの姿を」


 彼女が手のひらを空に向け指し示す水晶の中のテツリは浅い息を繰り返し、足下もフラフラであった。変身したヒーローのボディもあちこちがヒビ割れ、欠け落ち……。誰がどう見たって、まともに戦える状況で無いことが明白の痛ましい姿だ。


「んなもんボクだってわかってるさ! ……それはそうなんだけど、今まで散々優位を覆されたからなぁ……。素直に飲み込めねぇんだよ」


 と、ハレトは無粋な顔でいつになく懐疑的であった。口調こそ強くとも、自信なさげだ。


「また随分と不安そうですね」


「流石にな。こう何度も何度も上手くいかんと、やっぱり不安がよぎるわけよ。いい加減ボクも学習したわ、優位じゃああくまで途中経過だって。優位じゃまだ、フワフワしてるんだなっとさ」


 確かに今回の優位は今までと比べても別格だ。だが今までだってその都度ごとに勝ったと確信し、そして無情に裏切られてきた。

 優位とは曖昧。優位なだけではどうにも不安が拭えない……。


「……そう考えるとアイツ、ホントにやらかしてくれたな」


 それだけにやはり邪魔が入ったのが本当にもどかしい。邪魔さえなければ優位を勝利という事実に昇華できていたであろうに……。

 ハレトは大きな息をつく。ただ一つ分かっていることがあった。


「…………まぁでも、やるっきゃねぇよなぁ。ハァ、時を戻せる魔法少女がいるなら別だけど。起こっちまったモンはもう仕方ない。過去を嘆くより、今の優位を活かそう」


「戻せない時を嘆いていても仕方がない。成功を信じて進む、私たちにできるのはそれだけ……ですか。格好イイですネ」


「わざとらしいくらい棒読みじゃねぇか、せめてもっと心込めろ。もし今回も失敗したら発狂してやる」


「ではその場合お世話は私がしましょう、何から何まで何なりと」


「ハッ、そうならないことを祈るよ。さて……ネジを巻き直そうか」


 覚悟を決めたハレトが深呼吸する。そして吸った息を一気に吐き出し、人差し指を突き出して叫んだ。「やれお前らッッ!!」と。


「!?」


 そして、決してその声が聞こえていた訳ではない。ないのだが、何となく第六感が騒いだテツリは顔を上げた。

 見上げた空一面に広がっている灰色の雲。そこからハレトの手下の魔法少女たちが突き破るよう降下してきた。

 豆粒にしか見えなかった影は加速して、あっという間に人の形を取り、空と地面の二手に分かれ、テツリと向かい合った。


「……予感……的中……か」


 こうなることは分かりきっていた。

 否応なしに相対させられたテツリはファイティングポーズを取る。


「どこからでも……かかってこい……」


 なるべく呼吸を落ち着かせ、細心の注意を4人の魔法少女たちの些細な仕草に配る。

 その時――

 宙を舞う氷の魔法少女――フィオナが空気をも凍てつかせる氷剣を光らせた!! 

 そして振り下ろされた冷気を帯びる銀の剣から、圧縮された霧の塊が放たれる。


「しまっ……」


 内から爆発的に広がった白い霧があたりを包む。たちまち5メートル先も見えない濃霧、テツリは目を見開いたまま、その場で立ちすくんでしまった。


「何も見えない…………!?」


 見渡せど見渡せど、白い景色が広がっている。そこはもはや別世界。

 だが、ふと視界内でボンヤリと赤い明かりが照り出す。

 まるで太陽のようだ。

 だが空気を歪ます熱波を放つその火球は瞬きする内に迫り、テツリの眼前に着弾し炸裂した。


「う゛わっ!!」


 テツリは悲鳴を上げて、背中から頭を地面で打った。

 傷口に染みる熱風は、霧も一挙に晴らす

 そして燃えるように真っ赤な髪を持つ魔法少女が剣に灯る残り火を払った。


「フ……フラム……さん」


 テツリが伸ばした震える手は赤い髪の魔法少女、その名はフラムに向けられていた。


「……」


 フラムは相変わらず物言わず、濁り、光の無い目でずっとテツリを見つめている。

 哀れを誘い、心に来る目だった。

 魔法少女たちは誰も皆、同じ目をしている。


「……ク…………こんなとこで……僕が倒れるわけには……。僕が倒れたら……誰がこの子たちを……」


 この子たちを助けたい……!!

 純粋なテツリの思いはずっと変わらない。その思いが力になってくれることもあった。今もそうだ。おかげでまだ立ち上がれた。

 だが無情にも3人の魔法少女たちが、フラムが立ち尽くす中でテツリに牙を剥く。

 多勢に無勢。

 やがて魔法少女の1人、イシダテが岩をも穿つモーニングスターでテツリの腹をフルスイングでかっ飛ばした。

 テツリの体は弓のようにしなって、そして轟音を鳴らして氷塊に叩きつけられた。

 氷塊にできたクレーターが、衝撃の激しさを物語っている。その中心でテツリが呻く。


「うっ…………くっ?!」


 だがそんな猶予すら無い。

 追い打ちの鉄砲水が降り注ぎ、テツリは腕を顔の前でクロスする。

 ガードするが、分厚い氷も打ち抜く水砲は防ぎきれない。噴き上がる水柱が虹を架けたが、むしろ不吉の象徴だった。

 テツリは地面にずり落ちて、両手をついて嘆く。


「……駄目だ。ボクじゃ……力不足なんだ……」


 もはや体力だけでなく、気概までもが奪われかけている。


「どうして……どうして……」


 思いだけで人は救えない……。現実は甘くない……。そんなこと重々分かっている。だからこそ今ここにいる。力を求め、戦いを重ね、確かに強くなった。だが――


「まだ、足りないのかッ……。クソッ、畜生……!!」


 無力で弱い自分への怒りにまかせ、テツリは地面を殴る。


「どうしてだ……どうして僕はこんなにも弱い……」


 テツリはただただ無念だった。いつまで経っても1人じゃ何もできない、誰も救えない自分が何よりも腹立たしく、殺したくなる程もどかしかった。


「僕1人じゃ……誰も守れない!!」


 怒りにまかせ両手を地面に叩きつける。

 その時――

 拳と一緒に、振動でこぼれ落ちた氷の欠片を見やった時、テツリは固まった。

 もうこれしかない……。頭の中で電流が走った。

 この窮地をせめて五分に巻き返せるかもしれない名案が浮かび上がった。


「ハハッ……、ハハハハハ!!」


 しかしテツリは狂ったように高笑いし出す。


「なんだコイツ、追い込まれすぎてヤケになったか?」


 唐突で奇怪な行動に、ハレトすら首を捻った。

 高笑いはサイレンのように続いたが、やがてピタリと止まる。そしてテツリは一言


「情けない……」


 と、そう静かに、冷たく言って立ち上がると、力の限り拳を握った。

 これが正しい選択だ。少なくともどうしようにも弱いのだから仕方のないことだと、テツリは自分に言い聞かせた。

 透き通った氷塊はガラスのように姿を映す。

 そして鏡像の自分を砕くようテツリは拳を叩きつけ!! 堅牢な氷の檻の表層に稲妻のようなヒビが走った。


「コイツッ!! 佐野ヒカルを解放する気か!?」


 ハレトが驚きの声を上げた。


「まだそんな力があったか。止めさせろ! 今すぐに!!」


 焦ったハレトの命令に従い、魔法少女たちは競い合うようにテツリとの間合いを詰めていく。


「斬れ! 斬れ斬れ斬れ!!」


「ぐっっっ!! う……う、ぁぁぁ……」


 背中に刻まれた傷は三条の真一文字であった。

 凶刃を背中に受けて、光の飛沫を散らして、それでもテツリは止まらなかった。


「まだだぁぁぁあああッッッ!!!!」


 そして静寂に包まれていた街には、狂乱する男の咆哮が轟く。


「せめて!! 僕の命でみんなを救う!! それが……それが僕に課せられた使命だッ!!」


 命と引き換えにしてでもヒカルを救う。それがテツリの決意。

 そうすればきっと、ヒカルならきっとこの逆境も乗り越えてくれるだろうと。自分とは違って……。

 そう考えテツリはがむしゃらに、氷の欠片を浴びながら、延々殴り続ける。が、それを阻む者。

 無防備な背中に鈍痛を覚え、テツリの振りかぶった右腕はついにダラリと垂れる。


「ここまでだ上里テツリ!」


「!?」


 魔法少女の口を借りて伝えられるハレトの言葉、テツリは肩口から振り返る。


「動くなよ……、動いたら即死だ」


 魔法少女たちの得物がテツリの命を狙っていた。


「お前の狙いは悪くなかった。少々焦りもしたが残念ながら力不足だ。今のお前の力じゃ、このドデカい氷の檻を破ることはできない。わかるだろ」


「……」


 無言で握った拳を見つめるテツリ。

 背後にある氷塊は傷付きこそすれ、不動に鎮座したままの姿だった。


「耳が痛そうだな?」


「ハハ…………痛いのは……心さ」


 テツリは怒りに声色を震わせた。


「お前のような卑怯者から、守るべき人たちを守れない……。無念さ、無念でしょうがないッ……」


「そうかそうか。じゃあどうでもいいが最期に言い残すことはあるか?」


「…………何も」


 と言った途端、テツリは跳び上がった。

 これが意思表示。

 最後まで諦めず、意思を貫く。

 そんな思いを込めた一撃、ブリリアン最大の必殺技サンシャインスパーク!!

 炎を纏った超威力のキックが氷塊を……砕くことは無かった。


「もう見飽きたよ、その攻撃」


 必殺技なだけあって威力は侮れないが、いかんせん隙が大きい。

 テツリ決死の一撃は、予備動作のうちに潰され、あっけなく地面へ。落下の衝撃で砂が舞い散り、そして発される今にも消えそうな呻き声。

 ゆっくりと魔法少女たちは迫るが、もはやテツリに抵抗する力は残されていなかった。


「使命を……僕の使命……」


 テツリはうわごとのようにしきりに呟いていた。もっとも声になっていなかったが。


「……ヒカル君…………フラムさん…………マサ…………。約束も守れない、何も守れない弱い僕のことを…………、許さないでくれ……」


 伸ばした手も地に付き、テツリは目を閉じた。


「……死んだか?」


 言いながらハレトが水晶を貸すと、マイは見地を下す。


「いえ……微かですがまだ息がありますね。命は絶てていません」


「しぶとい野郎だ。ゴキブリみたいだな」


 苛立ちながらも、その声にはどこか余裕が生まれていた。


「……殺しますか?」


 念のため尋ねたマイに、ハレトはへの字に曲がった笑みを返す。


「当然だろう。見逃す理由が無い。今更どうした、コイツに同情でもするか?」


「いえ別に。聞いてみたかっただけですので、お気になさらず」


「ダラダラと時間はかけたくない。とっとと始めるぞ、処刑の時間だ」


 意識を失ったテツリは両脇から抱えられた。

 力なく、稲穂のように垂れた頭は首を刎ねるのにおあつらえ向きだ。そしてフィオナが首切り執行人として控える。

 首筋に冷剣が触れ、処刑の準備は整った。

 始めの合図のためにハレトが右手を掲げれば、離れた場所で銀の剣も同じく振り上げられる。

 太陽の光を受け、剣身が乱れ輝いた。

 一瞬が永遠に感じられるほど空気が張り詰める中、そよ風が肌を撫でるよう吹いた。


「…………やれ!」


 ハレトが右手を振り下ろす。

 呼応して剣も、止まっていた時間が流れ出したかのようにゆらり揺れ……鋭く振り下ろされた。


 ガキィィン!!


 だが奏でられた音は、肉を切る音ではない。奏でられたのは、硬い剣と剣がぶつかり合った時の重たい金属音だった。


「?! なに……」


 振り下ろされた冷剣を受け止めたのは、無防備な首筋ではなかった。

 必然的にテツリはまだ生きている。

 だがハレトの注目はそんなことではなかった。この陽炎が揺蕩う光景には、彼にとって他の全てをどうでもいい事象に変える衝撃がある。


「なんで……なんでだよ!! お前はボクの手駒だろうが!! フラム!!」


 水晶の向こう側、手の届かない向こう側で、炎を帯びた剣身で持って剣を受け止めたフラムにハレトの感情は荒ぶる。その剣幕ときたら、普段はハレトがどれだけ機嫌を損ねてもあっけらかんと振る舞えるマイにすら一瞬身をすくめさせ、さりげなく距離を取らせるほどだった。


「なんでボクの思いを裏切る!! そいつを助ける!! そんな、調子の良い理想ほざいてるだけの男……」


 怒りの一辺倒から、声色に別な感情がにじみ出す。

 しかし、その声はフラムの脳内に直接届いているが彼女からの返答は無い。たとえ言葉は届いていても、思いは心までは届いていない。なんと言われようがフラムは決して剣を除けやしない。

 もはや彼女の意思は催眠や魔術なんかで曲げることはできない。

 だから大嫌いな男を、自身1番のお気に入りが救う光景は長々と繰り広げられる。

 それはハレトにとってこれ以上ない程屈辱で、悲壮で、腹立たしい光景だった。




⭐︎




 まどろむフラムは固く、重く閉ざされていたまぶたをゆっくりと開いた。

 私は何者なんだろう……と、虚ろな意思が僅かに残るばかりの彼女が見据える先には、深い暗闇だけがどこどこまでも広がっている。振り返って周りを見ても、闇に囲われたこの世界には黒しかなく、それはどこまで行っても同じだった。

 しかしこの彼女にとって不自由な世界こそが、炎の魔法少女フラム、かつての星崎ミウだった者の心を投影する心象世界だった。

 夢も希望も無い、退廃したつまらない虚無世界。それが今、彼女の心が生き、囚われている世界。だからこそ彼女の心は少しずつ死に向かって飛翔している。

 どうしてこんな目になったのか、それさえ今のミウは忘れてしまっただろう。

 フラム――炎の意を持つ、5分で考えついたようなふざけた名前を与えられたその日から、ミウは長い長い夜に誘われてしまったのだ。

 スポットライトに照らされて、熱気の花が手向けられた道ステージを走っていく。笑顔を振りまき、その笑顔がみんなを笑顔にする。

 震えるほどに嬉しかったはずの、かつての在るべき姿を、彼女は邪な欲求の介入により無残にも忘れ去ってしまった。

 理想も自由も無くし、まるで水底に沈んでいるような重たい感覚。

 苦しくて、冷たくて、自分の道へ帰ろうと抵抗していたこともあったが、そうしていた自分も儚く溶けて消え、今のミウはもはや人間であることも忘れた操り人形に成り下がっていた。そして、今の彼女は時折流れ込んでくる暗い感情に流されるままに動いている。

 だが……そんな彼女にも唯一の希望、救いがあった。


「……この声」


 そう呟いたミウの瞳は、感情の色を取り戻していた。

 時々あるのだ。

 何も無いはずの暗闇のどこかから、声が聞こえて来ることが。

 そして、その声だけが封じられた星崎ミウの心を呼び起こし、人間である実感を与えてくれた。


「また……あの人の声だ……」


 聞こえてくる声はいつも同じ、優しい男の声だ。

 かつて聞いた歓声と感情の区分けこそ違えど、同じ熱さを持った声。誰かを思う気持ちで満ちた人情のある声。

 彼女にとってその優しくて温かい声は、いわば水底に差す導だった。

 その声が聞こえた時だけ、暗闇にも一筋の光が差した。

 星の明かりのように朧で、手を伸ばせば揺らめいて消えてしまう灯でも構わなかった。確かにそこに光があり、失ったはずのモノを取り戻させてくれる。かけがえのない希望にするには充分だった。


「………………」


 その声が今も聞こえた……。前よりもずっと強く、もっと近くで。

 おかげで自然と顔はほころんでいたが、ふと気づく。


「……いつもと違う?」


 唇を真っ直ぐに結び、耳を澄ました彼女は、浮遊感のある頭の中で確信に至る。

 この瞬間聞こえていた声は、いつもと同じでもいつもとは違った。

 声質自体に違いはないが、受け取る感情が違う。

 そしてその感情は、彼女に自分自身を抱かせた。


「痛み……悲しみ……無念…………苦しんでいる……?」


 優しさ満天だった声からは、今はどういう訳か負い目ばかりが伝わる……。差し込む光も禍々しい瘴気に犯され淀んでいる……。


「これは…………一体……」


 何が起こったんだろうと、ミウは不安げな表情で光を見つめていた……。が、やがて断末魔のような呻き声が上がった……かと思えば光も掠れ、そのまま遠いどこかへ消えゆくように、小さくなっていく……。


「何が起きてるの……」


 彼女に答えは知り得ない。だが、ミウは握った拳を胸に押しつけた。


「……待って!! …………消えちゃ駄目!! 消えちゃ……」


 消えゆく光を直視したミウは、その光に向け走り出す。

 ある予感があった……。

 つまりこれで最後なのかもしれないと……。自分に感情を届けてくれる希望が、絶えようとしているのだと……。

 そう感じた彼女は、失ったはずの信念に一直線に突き動かされ、光に今一度手を伸ばした。


「あなたの声が、私に希望をくれた! あなたの思いが、私に安らぎをくれた! だから待って! 私も……私も!」


 1度は目を閉ざした暗闇の中を、ミウはただ薄れ行く光だけを見てただひたすらに走る。

 届け、届け!!

 一心不乱の思いはミウに不死鳥の羽を与え、彼女は暗闇を跳んだ。


「届いて!! 私の気持ち!!」


 瞳は煌めきを取り戻していた。夢を追っていたあの頃のように。笑顔のために日々を生きていたあの頃のように。そして限界まで伸ばした指先はかろうじて光を掠めた。

 光との接触を引き金に、ミウの心には炎のように熱い思いがこみ上げていた。

 同時にガラスが砕け散るように、彼女の世界を覆っていた闇は光へと変換される。




⭐︎




 忘れていた自分を取り戻したフラム改めミウだったが、あいにく感傷に浸る時間は1秒足りとてなかった。

 眼前には振り上げられた剣と、差し出されている首筋だ。猶予があるはずない、考える時間だって無に等しい。

 だがミウは考えるより先に動いていた。

 自分が右手に剣を握っていることに気づいたのも動いてからだ。それからは体が勝手に動いてくれた。

 おかげでミウが伸ばした剣は、振り下ろされた剣をすんでのところで受け止めるに至った。


「……ハァ!! トリャ!!」


 可愛らしさはない勇ましいかけ声と共に、ミウは剣をかち上げ、剣をはね除けた。

 そして脇目を振ると、自然にテツリを両脇から抱える2人の魔法少女と目があった。

 職業柄ニッコリ微笑むと、ミウは炎が(たぎ)る剣を空へ掲げる。

 赤から青へ、青から白へ。

 猛る炎はますます熱量と、眩しさを増していって


「ホワイトアウト!!」


 の詠唱で閃光が弾けた。


「グ……」


「アアッ……」


 直視してしまって悶える2人は必然的に目を覆う。

 そして、支えを失い顔面から地面へと吸い寄せられるテツリのことを、ミウはミニスカートで膝を舗装された道につくことも(いと)わずに全身で受け止めた。

 そのままテツリを抱えたミウは、剣の力によって緩やかな円弧を描いて飛ぶ。間合いから外れ、着地した先でようやく彼女はホッする間を手に入れ、肺の中の酸素を全て吐くような息をついた。


「何とかなるもんだね、エヘヘ」


 だが問題はまだ彼女の膝の上に転がっている。

 ミウは割れた仮面から血に塗れた顔が覗くテツリの体を揺すぶった。


「しっかり。しっかりしてください」


 そんな心からの呼びかけが功を奏したのか、テツリは薄ら目を開けた。


「!? やった! よかった……生きてたんですね」


 ミウは噛みしめるように呟き、安堵の笑みを浮かべる。

 だがザザザザ……と砂嵐のような音が聞こえ、彼女の顔は歪んだ。


『お前ふざけんなよ!! 勝手な真似は大概にしろ!!』


 次いで脳内に直接話しかけてきたハレトに対し、ミウはつい片耳を手で覆う。


「あれぇ……えぇと……何の用でしょうか……」


『とぼけてんじゃねぇ!! お前自分が何したか分かってんだろうな?!』


「そ、そちらこそ自分が何してるか分かってるんですか! 人が1人死ぬところだったんですよ!?」


 頭が割れそうな大声に辟易しながらも、ミウは自分が思ったことを真っ直ぐ言ってのけた。声量も怒れるハレトに負けてないほど強い。


『はぁ?! 何口答えしてるんだ貴様! お前はボクの言うとおりにしていれば良いんだ!! 【今すぐソイツを殺せ!! その剣で首を叩っ切れ!!】』


「…………嫌だッッッ!!」


 吸った息丸ごと、頑として言い放ったミウは膝の上のテツリを守るよう抱きしめる。


「あなたの望みを私は望まない!! 私は……1人でも多くの人を笑顔にしたくてアイドルになった。だからその笑顔を摘みやしない!! 私は、自分の笑顔のためだけに生きるあなたには従えないッ!!」


『なッ?!』


 もはや指令すらミウは受け付けやしない。

 その事実に愕然としたハレトだったが、次第に体は小刻みに震え、強張った。


「ありゃりゃ、完全に正気を取り戻しちゃってますね。まさか私の催眠を強引に解くなんて、大した精神力」


「呑気に感心なんかしてんな!! せっかくボクのもっゴホッゲホ!!」


 怒りのボルテージがうなぎ登りのハレトは怒鳴り過ぎでとうとう喉が枯れてしまった。


「どにかくッッッ!! フラムはボクのものなんだ! 絶対取り戻す!! 取り戻さなきゃいけない!」


 そしてハレトは鬼の形相でマイに向き直る。


「マイ、今すぐ現場行って、フラムに催眠かけてこい。ガチンガチンの奴だ、二度と逆らえないよう厳重にかけてこい!!」


「今ですか?」


「そうだ!! いいからグズグズしてねぇで行ってこい!! 早くしろ!」


「ふぅむ……些か冷静さに欠けるとは思いますが……」


 とは言え、果たして上手いこと言いくるめられるのかと言えば……まぁ無理だろう。

 そう判断したマイは一礼し、手に持つ長ホウキにまたがって飛んでいった。

 独りぼっちになったハレト。

 すると彼は再びミウに語りかける。


「いいかフラムよく聞け! お前と、ボクとの契約はまだ切れていない。ボクとの契約がある限り、お前は常に監視下にある!! これで終わったと思うなよ!! 逃げても無駄だ、必ず迎えに行くから!!」


 半ば……否、完全に脅迫めいた宣言にミウは口をつぐんだ。どうにも返す言葉が無い。

 とその時、視界の端で何か動くのに気づいた彼女は目尻を上げる。

 彼女の顔の側で金色のボディ纏った手が動いていた。


「フラム……さん?」


 しっかりと意識を取り戻したテツリがか細い声で尋ねたのだ。


「あ! この声……。やっぱりあなただったのね。何となくそうなんじゃないかって思ってた」


 そしてその声こそ、彼女が暗闇の中で聞き続けていた声に違いない。ミウはテツリのその手を両手で取った。


「ありがとう……ありがとうございます! あなたの思いが、私の心に炎を燃やしてくれた。おかげで帰ってこられたんです」


「そう……よく分からないけど…………元に戻れたんだね。自分の意思で歩く……人間に」


「はい! これが本当の私です! 改めまして、星崎ミウです」


 ミウは満面の笑みを浮かべた。

 そしてテツリは、ようやっと取り戻した彼女の笑顔を見て、「良かった」と心の底から口に出したのだった。


「エヘヘ…………。あ、そうだ! 早いとこ逃げましょう! 体はしんどいでしょうけど、今は時間が無いんでした!!」


 自分が置かれている境遇を思い出したミウは、テツリに肩を貸して逃げだそうと。


「ま、待ってください……」


 だがテツリが立ち止まる。


「どうかしたんですか……」


「……僕は、ヒカル君を……助けないと」


「ヒカル君?」


「僕には助けなきゃならない友達がいるんだ……。だから、君は先に行きなさい」


「ええと、そのお友達とやらはいずこに?」


 尋ねられるとテツリはつい氷塊を指さす。

 ミウも氷塊自体は一目で分かった。そして氷塊の中に誰かが閉じ込められていることを知るのに、時間はそうかからなかった。


「ヒドい……氷の中に閉じ込めるなんて……死んじゃうよ」


「ヒカル君には迷惑もかけたし、何度も助けて貰った……。だから今度は、僕が助けないと……」


 しかし勇ましいのは言葉だけで、体は全くと言って良いほどついて行ってない。


「それなら私の熱気で氷を溶かしてあげる!!」


 そんな姿を見るに見かねたのだろう、ミウは返答も待たずに剣をホウキの柄にしまって振り回しだした。

 空気との摩擦で生み出される青い炎。

 両端から放たれ、双頭の蛇のように地面を這い、2つの口で食らいつくかのように着弾し、空に昇る青龍のように吹き上がる!!


「どう? すごいでしょ」


 テツリは口をあんぐりと開けた。


「よくもまぁ……こんなあっさりと……」


 自分の苦労はなんだったのかと……一瞬脳裏をよぎりはしたものの、すぐさま蒸発で白い蒸気が立ちこめる中にミウと共に突っ込んだ。

 捜索は難航するかと思われたが、意外にも金色に輝くブリリアンの体が好都合で、テツリたちは真っ直ぐ駆け寄ることができた。


「ヒカル君!!」


 駆けつけた時、ヒカルは片膝をついて、うなだれていた。

 呼吸も荒く苦しそうだったけれど、不幸中の幸いでテツリたちは、ヒカルの確かな生を実感することできた。

 そしてテツリが背中をさすれば、ヒカルはその存在に気づいた。


「無事……なんでしょうか?」


「……おおテツリか。ありがとう」


 だがテツリは首を横に振る。


「助けたのは僕じゃありません……。助けたのはこの子です」


 そう言って転校生のように紹介されたマイはペコリと会釈した。


「!! 君は……」


 白い霧の中でも、彼女の赤い髪は良く映える。

 ただヒカルは事態を飲み込み切れず、瞬きするほかフリーズした。

 けれどミウがにこりと笑ってみせたことで、その笑顔だけでヒカルは全て察した。


「……やったなテツリ」


「痛っった!!!!」


 ペシペシを通り越してバシバシと散々痛めつけられた体を叩かれたテツリが呻いた。


「ああごめん。つい嬉しくて。お前がずっと悩んでたの知ってたからさ」


「だからって痛いですよぉ……」


「フフフ……」


 と、ヒカルとテツリは笑うミウの方を向いた。


「あ、ごめんなさい。笑い事じゃ無いですよね」


「いやいいんだよ、なぁ」


 ヒカルが尋ねるとテツリは「はい」と深く頷く。

 仮面から除く目は憑きものが落ち、実に穏やかであった。


「……本当に良かったな、テツリ」


 和やかに話すテツリとミウを見て、ヒカルもまたホッとした表情を見せた。が……


「?! 危ない!!」


 突如ヒカルが叫ぶ。


 ズダダダダッッ!!


 まだ戦いは終わってはいなかった。

 降り注いだのは敵意の礫だ。


「……大丈夫ですか?!」


「ああありがとう」


 声に反応したミウが咄嗟に展開させた炎のカーテンは石礫を防いだ。


「まだ3人もか……」


 立ち並ぶ魔法少女にヒカルも流石に辟易としてきている。


「彼女たちも、被害者なんだ……。救いましょう、なんとしても……」


 そう言ったのはテツリだった。

 しかし、ここに至るまでに十分と言って良いほど致命傷を負ってきたヒカルとテツリは、2人肩を寄せ合い互いの杖となっている状態である。


「お二方はそこで見ててください」


 故にミウは気遣ったのだが、2人が思わず「え?」と反射してしまったのは言うまでも無い


「もう2人とも充分に戦ったでしょ。ボロボロのヒーローに代わって、私が解決してきます」


 そうと決めると迷いない。

 背後からの「おい、待て」を置き去りに、ミウは単身3人に立ち向かっていく。


「どうする? テツリ」


 小さくなっていく背中から目を逸らさずヒカルは聞けば、テツリも同じく目を逸らさず答える。


「……僕たちが見てるだけじゃいけませんよ。彼女1人に行かせるなんてありえません。大人としても、1人の人間としても、今は歯を食いしばらきゃです!!」


「やっぱそうだよな。行くぞ……」


 後は言葉なんていらない。

 テツリが駆け出して、ヒカルもほぼ同時に駆け出す。

 そんな気配はミウも感じていた。


「やっぱりこうなるんだね。逃げるのが賢いだろうになぁ……。でもきっとだから、私がここにいる」


 心強い、頼りになる、心通わせられる人が側にいる。

 そんなの負ける気がしなくてミウは笑っていた。


「待っててみんな。きっと、奪われた心を取り戻すから!!」




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