第三編・その2 夜と外套が似合うハンサム
例によって、ヒカルは参加者オプションの空間転移を利用し、霊獣が潜む現場付近へとやって来た。
ビル街だった。割と間近にライトアップされた東京タワーがあり、風からは海の香りがする。
「……さて、見つけるとするか」
ヒカルは目を閉じ、神経を尖らせる。そして霊獣の気配を感じ取ろうとした。
「あれ、おかしいな」
ヒカルは異変を感じた。
決して気配がないわけではなかった。ただその気配の形が以前霊獣が現れた時とは違った。
例えると、今までの気配が1つの容器から溢れる臭いだとするなら、今回のは小さな破片がいくつもあって、それぞれが臭いを発しているような感じだった。
そのせいで場所がわからない。おそらく今までと違って、適当に走っても霊獣の下へは辿り着けない、そうヒカルは感じた。
しかし幸いなのはまだ騒ぎ立てる人がいないこと、都心なだけあって人は多いが、通りを行く人はみんな至って平常通りだ。
「……とりあえずしらみつぶしに当たるか。でもこうも人が多いと思い通りには動けないだろうな」
そんなことを思いながら通りを見ていた時、通りを歩く人の中からチラホラと上空を指差す人が現れ出した。
つられてヒカルも空を見上げた。
「! あれは!」
それを見た者で驚かない者はいない。
「鳥か!?」
鳥を見た。ヒカルは夜のビル街を縫うように飛ぶ鳥を見た。
しかしそのサイズが明らかにおかしい。遠目に見ているのに、サイズが道路に設置された行き先標識の看板とさほど変わらない。おそらく近くで見たら、人間くらいには大きいとではないか。
そんな鳥は知らない。何しろ、空の王者である大鷹だって、サイズは60センチがいいところなんだから。メートル越えの鳥で飛べる奴なんて今いるはずがないのだ。
そして大きさに見合わず飛行速度も結構速かった。あっという間にそれは、ヒカルが今いる歩道の向かい側にあるビル影へと消えていった。
「あ、待て!」
ヒカルはビル影に消えた巨鳥を追おうとするも、道路を走る車がそれを阻む。
仕方なく道なりに進むも、今度は人の波が邪魔で中々進めない。
やっとのことで反対の歩道に渡り終えた時には、空を見上げても巨鳥はどこにもなかった。
しかし代わりに意外なモノを見つけた。
「あれっ、テツリか?」
「あ、ヒカル君」
ヒカルが声をかけるとその男は振り返った。
東京には似つかわしくない青のジャージで上下を揃え、まるで体育教師のような格好をしているのに実は生前は社会科教師をやっていたという癖の強い男。
ヒカルと同じくゲーム参加者の1人、上里テツリであった。
「お前も来てたのか」
「ええ、気配を察したので」
「……そうか。唐突だが聞きたいことがある」
「鳥ですか」
「! あぁ、そうだ」
テツリは首を横に振った。
「見失いました、残念ですけど」
「どっちに飛んでった」
ヒカルが尋ねると、テツリは考える人のポーズを取った。
「確か東京タワーがあって……その東の方へ」
「なるほど海の方か……」
一瞬、「よっしゃ」と思ったのも束の間。
それが分かった途端、ヒカルの中ではとてつもない嫌な予感が生まれた。
「確かあっちの方は、駅が密集してる地域だ。この時間帯だと……」
「……ちょうど、帰宅ラッシュですね」
「……そんなとこに、もし霊獣が現れたら」
顔を見合わせるなり、2人は駆け出した。
大惨事だ。万が一霊獣が帰宅ラッシュで人の溢れ返る駅に現れたら、そこは阿鼻叫喚の事態が繰り広げられるだろう。それだけはなんとしても阻止しなければならない。
「どうするんです、ヒカル君! まだ正確な場所が分かったわけじゃありませんよ!」
「今はとにかく駅の方へ! そっちに(鳥が)行ったのは確かなんだろ!? 多分行けば何かしら分かる、急ごう!」
ヒカルは人の波を乱暴にかき分けながら駅の方へ進む。
「邪魔だ、どけ! どいてくれ!」
ヒカルの怒号がこだまする。その時—
ズゥゥゥンッッ
轟音と地鳴りが響いた。
「ヒカル君、今の」
「あぁ」
前方から来た。すなわち目指してる方からだ。
「急ぐぞ」
「は、はい」
呆気にとられる大衆をよそに、2人だけは確固たる意思のもと走り続ける。
「今のはなんだったんでしょう」
「多分、爆発だろう」
「爆発ですか。でも—」
「あぁ、まだ気配が消えていない。嫌な予感がする」
その予感は悪いことに的中した。
2人が走り続けている間、何度も同じように轟音と地鳴りは響いた。
そして2人がついに現場にたどり着いた時、そこはすでに阿鼻叫喚すら超えて、地獄絵図だった。
コゲ臭い匂いがプンプンと漂い、あたり一面に割れたガラスが散乱していた。
道に停車したままの車の渋滞はほとんど黒焦げになり、酷い物だとひっくり返っていた。
人の気配がしない。あちらこちらにそれらしきモノはゴロゴロ転がっているのに。
「……う」
「……大丈夫か」
「……すいません。気分がちょっと」
テツリは口を手で封じる。まるで資料で見た戦争の世界を目の当たりにしているような気持ちだった。
「……爆発はかなり広範囲で起こったようだ。それも相当な回数。
……流石にこれは爆弾じゃないと思う。今、日本にある爆弾を全部集めて、一斉に爆破してもここまではならないと思う」
「……それに仮に、あったとしても……重くて運べないと思います。
何人かで、協力したとしたら分かりませんが、そんなことあったら僕たちの耳にも届くくらいの騒ぎになるでしェう……オエ」
ヒカルはテツリの背中をさすってあげた。
「す、すいません。僕はちょっと、人が死ぬ光景がちょっとダメ過ぎて」
そう言ってテツリは地面にうずくまる。
「休んでもいい。多分もう今更急いでも……しょうがないから」
ヒカルは変わり果てた街を見渡す。もはや守れるモノなんて、ここにはなかった。
「……」
ズゥゥンッッ
また爆発が起きた。
気になる。気になるが、テツリを置いていくわけにもいかないので、ヒカルはただ爆発が起きた方向を睨むだけであった。
「ヒカル君、行きましょう」
ヒカルがそう考えていた時、テツリはよろめきながら言った。
「無理をするな、休め。無茶したってロクなことにならない」
「でも、助けられる命がないなんて、まだ分からない。僕がちょっと我慢すれば助かるかもしれない!
見殺しなんて絶対嫌だ!」
テツリが語気を強めた。決意に満ちた、本気の目をしていた。
「はぁ」
ヒカルはため息をついた。そんな目をされたら断りにくい。
だから仕方ないなとヒカルは思った。
「もし、お前に何かあっても……俺が助けられる保証はないぞ。
……出来る限りは助けるけどな、っと」
ヒカルはテツリの脇に腕を通し、ふらつくテツリの体を支えた。
「そういう人だと思ってました」
「俺も、守れるんなら守りたいからな」
2人はあたりを巡った。
「むごいな」
ヒカルは生前から何度かこの街に来たことがあったから、今の変わりようはその思い出が壊されたようで悲しかった。
どこもかしこも黒焦げだ。しかしどうすればこんな酷いことが出来るのだろうと、ヒカルは考えていた。
「大丈夫か?」
しばらく歩いた後、ヒカルはテツリに尋ねた。
「ええ、おかげさまでちょっと楽になってきました」
「……そうか」
その言葉にヒカルも少しばかり安心した。
その時、また爆発が起きた。しかも今度はかなり近かった。
「……!」
突然、ヒカルはテツリを引っ張って物陰に身を隠した。
「どうしました?」
突然のことにテツリは驚いたが、ヒカルはその口の前に人差し指を立てた。
「シッ! ……何か聞こえる」
そう言ってヒカルは物陰から外の様子をこっそり覗き見た。
「……! 風切音」
風の流れが変わった。と、その時—
「……鳥だ」
巨大な飛行体が近づいて来る。そしてそれはヒカルたちが隠れる物陰に面する道を飛んで行った。
しかし違和感があった。
「あの鳥、さっき見たのと違う?」
ヒカルは呟いた。
そもそも、直前まで鳥を追っていたので思わず鳥と言ってしまったが、よくよく見るとあれは鳥ではなく蝶とか蛾の類だった。色合い的には蛾の方が近いか。
「じゃあ、さっきの鳥は……」
ヒカルがそれについて思いを馳せた、まさにその時だった。
「……風切音、しかも今度は」
風が口笛のような音を立て始めた。
「! 速い!」
ヒカルが風切り音に気づいた時には、それはヒカルの前を通り過ぎていた。
「! あの鳥だ! さっき見た、アイツだ!」
そしてヒカルはあることに気づく。
「あの鳥、蝶を追ってる!」
鳥は蝶が飛んだルートを辿って飛ぶ。蝶が右へ旋回すれば、鳥も右へ旋回する。浮上すれば浮上を、そうして鳥は執拗に蝶を追う。
みるみるうちにその距離はゼロに近づいていった。
すると2つの飛行体が重なりかけた瞬間、空中では1・2・3と爆発が起きた。
「この爆発、もしかしてあの蝶がやったのか」
爆煙を突き抜けて、1つの飛影が降下する。
見れば鳥が蝶に組みつき、地面は突き落とそうとしているようだ。抵抗も虚しく、蝶は捕らえられたようだ。
そしてそれは、みるみるうちにヒカルたちの方へと落ちて来た。
ズゥゥンッッ—
目の前で起きた爆発にヒカルは目を覆った。
蝶が羽をバタつかせ、体液を撒き散らしながらもがく中、鳥は容赦なく爪を蝶の背に食い込ませる。
その時、不思議なことが起こった。
鳥の上半身が変化を始めたのだ。そしてそれを終えた時、鳥の部位は脚だけを残して、他はゴリラのように筋骨隆々になっていた。
そしてゴリラが拳を振り下ろすと、蝶の頭は腐ったトマトのように簡単に潰れ、より一層激しい爆発が起きた。
「うっ」
とっさの判断で、ヒカルはテツリに覆いかぶさるようにして爆風を防いだ。
「……あ、危ねぇ。大丈夫か」
「え、えぇ。守ってくれましたね」
「なんとかな」
そして再び振り向いた時、そこにいたのはゴリラでも鳥でもなかった。
1人の人間がそこには立っていた。
「……アイツも参加者なのか?」
聞こえないように小声で呟いた。
が、霊獣が消えたことでヒカルたちの気配は悟られやすくなっていた。
その気配に気付いた男はヒカルたちの方を向く。その男は、夜と外套がよく似合うハンサムな顔をしていた。