第七編・その5 人の影
都会の街に砂風が吹き渡って、空には一雨来そうな灰色の雲が分厚くかかり出す。
太陽を失った地に影が満ちていく中、2つの人影が砂風に散った木の葉をも切り裂くように、人並の絶えた街を激しく駆けていた。
2つの影は逃げる者と追う者。追いかけるカオルがその手に握る剣を振るえば斬撃のスラッシュ光線が飛び、硬いレンガもたちまち砕け散る。もしも人間が喰らったなら、骨ごと吹っ飛ばせる威力だ。
そしてカオルは生身の人間相手に、一応そのつもりで放っているが案の定当たらず、駆け抜けた跡が建物の弾痕として残っている。
「フヒャヒャヒャ、こりゃあ散弾銃だねぇ」
人間離れした運動神経と反射神経、それと大体の経験則から、リョウキは人間の限界に迫る速度のまま身を翻し逃げ続ける、しかも笑う余裕も見せながら。そんな間にも飛ぶ斬撃はそれぞれの個性を持って次々降り注ぐ。
真っ直ぐ飛ぶ物、弧を描く物、追尾する物。
だがどれも等しく打つのは残像だった。リョウキは砂塵すら置き去りにする。
「ちっ! 弾速が足りてないな」
当たらなければ威力は一律で0、何の意味も持たない。
今まで一度も銃弾を受けたことが無い男に対して、普通にやったところで速度は足りない。そう判断を下したカオルは腕を縮め、反動をつける。
「ならば!」
かけ声良く放たれた、貫通力に長けた飛ぶ突きの斬撃。速度も銃弾以上。
それを走りながら脇目で捕らえたリョウキは寸前で消えた。無論本当に消えたわけでなく、直前で脇道の路地裏に逸れただけ、ただその動作が余りにも機敏で、消えたよう見えたのだ。
だがカオルの目も鋭く、その瞬間を見逃さなかった。踵でブレーキかけ、まるで氷上を滑るように路地裏へと侵入、転げ込んで地面に膝をつくリョウキを見下ろす。
「相変わらずちょこまかとすばしっこいな。かの牛若丸の伝説も、あながち誇張じゃなさそうだ」
「そっちこそ毎度毎度しつこいなぁ。あなたと絡んでロクな目にあったことないよ」
若干うわずった声でリョウキは苦笑いする。その顔にはほんの少しばかりの疲労が見受けられた。
これは予定外のチャンスだと、しかしカオルは冷静に努める。真っ正面から仕掛けたところで通用しないことは承知しているから、ここは上手いことリョウキの気を緩めさせることを試みた。
「それは関しては俺も同感だ。お前には辛酸を嘗めされられてばかりだ」
これまでの悔しい思い出を頭の片隅に思い返しながら、カオルが言った。写真のような記憶の断片を思い返せば、その時の感情も一緒に取り出せるほどに今までの記憶は鮮明に残っている。故に顔つきは演技と思えないほど真に迫っていた。
対してリョウキは印象程度であんまりハッキリとは覚えておらず、そして今は『しんさん』という未知の単語に人知れず頭を捻っていたが、自分の頭じゃわからないとすぐにサッパリ諦めた。
「それにしてもあなた、その服装でよく走るよ、走りづらいだろうに。まさか履き慣れてるわけじゃないだろう?」
「むしろ走りやすいくらいだ。裾が長くなけりゃ、足の可動域を邪魔しない分ズボンよりよっぽど走りやすい。もちろん履き慣れてはいないがな」
「だろうね。わたしと違って、パンチラとか一切気にしてないもんね。黒の縞々」
「……見映えを気にしたってしょうがない」
「わぉだいたーん」
リョウキはあらまあと言ったように手を口の前に合わせた。その流れで右手を顎に添えると、カオルのことを正面からジロジロ見つめる。
「しかしあなたのパンチラじゃあ……。うーん……さすがに金は取れないかなぁ、女になりきる気もなさそうだし。恥じらいが肝心なのよ恥じらいが」
自身の見地からそう語るリョウキに対し、カオルはキッパリ言う。
「金は欲しいが別にいらん、今欲しいのはお前の首だ」
だがカオルが剣先を向けてやるとリョウキは首を露骨に傾げた。
「……つまり、お前を殺すってことだ」
「ハハッ、なるほどなるほど、説明ありがとさん。ごめんねぇ頭悪くて。でも、そっちの方が無理だね」
せっかく意味を教えてもリョウキは笑い飛ばし、さらにあっけらかんといった感じに言う。
「だってわたしの1番の特技、死なないことだし」
「その若さで死んだのにか?」
「ハハハ、病気には勝てんよ。世界一の名医にかかってもダメだったんだ、それは例外さ」
ニコッと笑いかけ、そしてリョウキはカエルのように跳ねる。するとほんの1秒にも満たない時間差で地面が砕けた。地面だけが砕け散った。
「危ない危ない、死ぬかと思ったわ」
リョウキはその手で建物2階の窓枠を掴み、ぶら下がった。
今度は見上げる形になって、カオルは煙の立つ剣先で照準を合わせている。
「もう殺されかけた回数なんて数え切れない。けど、全部返り討ちにしてやったよ。わたしを殺せる奴なんてこの世にいない。もしいるなら殺す前にわたしが殺す。あなたもいい加減、わたしにちょっかいだすな」
「その思い込みが病気だな。人は死ぬ、死なない人間なんて存在しない。お前は確かに人間離れしてるが、結局は人間だ。なら死から逃れることなどできない」
そう言われた途端、リョウキは一瞬目を丸くして、そして今度は大口開けて、片手で顔を隠して大笑いし出した。
「何がおかしい」
「……おかしいのはわたしさ。これでも自覚はあるんだ。わたしは普通とはだいぶ違う。わたし自身も、送ってきた人生も、持って生まれた才能も。だから化け物を見る目で見られるのも致し方ないんだが……嬉しいねぇ」
そう言いながら、リョウキは某配管工のように壁を蹴って、当たれば追い打ちまで喰らって終了の斬撃を避け、上ヘ上へ登っていく。
「わたしのことを人間扱いしてくれるなんて」
そしてあっという間に4階の屋上に上りきると、地上に向け顔を出した。
「あんまりいないんだよ、わたしのことを人間だと思ってるやつ。あなたで3人目だ!」
「俺には大してどうでも良い情報だ」
「ヒャハハハ!! つれないなぁ!」
興奮気味のリョウキに、カオルが斬撃を飛ばしてやると、彼は「ワッ!」と驚きの声あげながらも悠々かわしてみせた。
すると、性懲りも無くまた笑顔の顔を出す。
「今のは惜しかったよ!!」
「どこが、余裕だろ……」
「まぁね。……でも残念だ。人間扱いしてくれるあなたも、他のやつらと同じで、わたしが生きるのを邪魔しようとするんだから」
そう告げるとリョウキはバッと姿を消した。
「待て! 逃がさんぞ!」
決着の先延ばしを許さないカオルは、持っていた剣を天に掲げた。
元々その剣は、鞘に収めれば魔法のホウキとなる仕込み剣、形態を変えても空を飛ぶことを可能にする。
浮力で髪と、ついでに嬉しくないがスカートも舞い上がらせ、剣はカオルを屋上へと運ぶ。
「!?」
が、カオルが屋上に降り立った時、リョウキはすでに姿を消していた。
どうやらこうなることを読んでいたらしく、カオルが飛んだのとほぼ同じタイミングで、入れ違う形で飛び降りていたのだ。常人が10メートルの高さから飛び降りたなら、怪我の1つや2つは免れないだろうが、リョウキは何食わぬ顔で変わらず駆けていた。
「……まんまとやられた」
思いもかけず出し抜かれてしまったわけだが、その姿をカオルは千里眼でしっかり視界に捉え追尾している。ならば何の問題があろうか。
カオルはふぅと息をつき、髪をなびかせる。束の間の休息と割り切ればちょうど良い。逸る気持ちを落ち着かせるにも。
よくよく考えてみれば焦る必要も無かったのだ。
未来は変わる物とは言え、それでも未来視した時に見た景色に現実はまだ追いついていないのだから、すなわち待望する決着の時も先であって問題ない。とはいえ――
「いつまでもこうしちゃいられないな」
完全に気を緩めたわけではない。
今は……いや、本当に心の底から全てを忘れて、カオルが気を緩めたことなんて、10年前のあの日から1度だって無かったかもしれない。父のことを煩わしく感じるようなったあの日から、ただひたすらにありとあらゆる力を求めて邁進し、その成果として地位と資金を築いたのだから。
「……さて、勝ちに行こうか、今度こそ」
今日はどういうわけか、やけにあの日の光景が呼び覚まされる……。
しかし負け犬の記憶を呼び起こしたって何の意味も無い……。
そんな思い出を振り切るように、カオルはまるで身投げのように飛び降りた。