第七編・その4 邪魔者たち
戦いの現場から少し離れたビルの屋上で、ハレトとマイは怪しげな占い師よろしく、水晶を介して戦いを見物していた。
魔法少女たちを戦闘端末代わりに戦うハレトにとって、見物場所はパジャマを着たまま寝室でだって構わないのだが、大概は彼女たちを現場付近に送り届け、それから高みの見物(物理)である。
いつだって風が吹き抜けている代わりに太陽に近く、不快指数は下界と変わりないが、同じならハレトはより高いところの方が良い。
まるで蠢く塵芥のような群衆を、天上から見下しているみたいで。あと、何となく高いところの方が安全な印象もあった。
「やりましたね」
ヒカルを捕らえ、ついでにおこぼれの霊獣も倒した時、マイはホッとした様子の微笑みを浮べて言った。
その手に持つ箒で空を飛び、彼らはここまで来た。
「これでとりあえず、最低限の成果は取ったな。まぁめでたしめでたし、ということでいいか」
逃げ出したヒカルの身柄拘束、霊獣の撃破数+1。
ハレトもまた、結果だけ羅列したなら得しかしていない。ここから不愉快を差し引きしても、ハレトの算出によれば利益は微プラス、それなりに満足していた。
だがあいにくなことに、大幅なマイナスの加算が待っていた。1本の着信が全てを変える。
和やかになっているところに水を差された形となった、その発信者は彼らの予想通りカオルだ。
「なんですか」
丁寧な言葉遣いながらハレトは険悪に応じた。
「ご苦労さん。案外早かったな」
気にする素振りもなくカオルは言った。そして肉眼では見えないが、その視線は彼らがいるビルの屋上の方角へしっかり向けられている。
「来てくれて助かった。どうもありがとう」
心にもない感謝である。湧き上がる笑顔も、気に入らない相手の頼みに従わざる得なかった彼らへの嘲笑が半面だ。
「別にお前のためにやったんじゃない」
そしてハレトは案外ウソには敏感だ。
だからこそ、ツンデレ的な発言を心の底からの感情で発した。けれどカオルはせせら笑っていた。
「さてと、別に俺は労うために電話をかけたわけじゃないんだ」
「……」
知ってたとしか思わない。そして用件もどうせロクでもないことなんだろうと、ハレトは気が曇る。
「お前たちにも利する、嬉しい知らせを握っているんだが……どうしようか? 教えてやっても構わないんだが」
「別に教えて貰わんくても構わないけど……一応情報を貰うに当たっての代償くらいは聞いてやるよ。今回は何をやらされるんだ?
「それがな、今回は特にない。お願いされたらタダで教えてやる。そこまで大した情報でも無いからな」
「そっか……なら用件を言え」
瞬きしたハレトが、湧き上がる怒りを収めようと静かに言う。
「大した情報じゃないなら、あんまりもったいぶっても期待外れの時の落胆を大きくするだけさ。できれば君にまで失望したくないんだけどなぁ」
「ハハ……、大して期待してないなら別に失望も大きくないだろ、違うか?」
「いや違いない」
「……ただもう俺の口から言う必要も無いかもな。案外早かったよ」
「は? 何だそれ? まどろっこしいんだけど、言いたいことがあるならさっさ……」
「あ、来ました」
ハレトの言葉を遮るように、水晶で景色を眺めていたマイが言った。その声はカオル側にも聞こえていたらしい。
「それじゃあ詳しい説明はソイツから聞け、俺なんかより優しく説明してくれるだろ」
「おい待てよっ!」
制止も虚しく、そう言うとカオルは一方的に通話を切った。
「あんの野郎……」
「ご覧下さいハレト様」
そしてマイは歯ぎしりする主にも、持っていた水晶を見せてやった。
「うるせぇ! 今見る!!」
イライラで理性を欠いていたハレトは、ひったくるように水晶を手に。その水晶には1人の走る男が映し出されていた。
するとみるみるうちに、ハレトの眉毛は垂れていく。
「これは……」
「上里テツリ。どうやらこっちに近づいているみたいです」
忌まわしき名前である。
ハレトにとってテツリとは、お気に入りの女の子にちょっかいを出し、取り上げようとする存在、是非とも可能な限り早く、この世からの退場を願いたい存在だ。
「なるほど、これは思ってもみなかった展開だな」
本来なら、顔を見ただけで嫌悪する存在だが、果たして今もそうか? いいや違う。
「……ちょうどいい、お前も始末してやる」
今まで何度かテツリの始末を試み、そして同じ数だけ失敗してきた。
だがそれを必ず邪魔してきたのはヒカルだ。佐野ヒカルが毎度の如く、複数の魔法少女相手に渡り合うせいで、戦力で劣るテツリも逃した。
しかし今、頼みの綱のヒカルは氷塊に閉じ込められ、手出しができない。しかも4人の魔法少女が揃い、コンディションも上々。
チャンスだ――
ハレトはニヤリと笑った。最高の状態で、迎え討つことができる。
「よーしよし、飛んで火に入る夏の虫。もしもここに来たならば、ここが墓場になるな」
そう言ってハレトは水晶に食い入る。
目力が歩みに影響を及ぼすかと言えば”否”だが、願掛けも時に大事だ。
来い、来いと……。呪いのよう呟き、そしてやがてテツリはやって来た、4人の魔法少女が並び立つ戦場に。やって来るなり、彼は明らかに景観と季節に馴染まない巨大な氷塊を見つけ、友の名を呼ぶ。
「ヒカル君?!」
透き通った氷塊の中では金色のヒーローが光を発している。その姿は紛うこと無く光闘士ブリリアンであり、すなわちヒカルなのだ。
何があったかなんて知る由もないテツリは驚愕した。しかし分かることもある。
これをやったのは目の前にいる魔法少女たち、そしてそれは裏で糸を引く誰かの陰謀だと。
「許せない……、よくも僕の友達まで……」
テツリの拳は震える。氷塊が発する冷気のせいではない。
そうさせるのは悔しさと怒りだ。
「僕がもっと早く、駆けつけられていたら……」
今更トロい自分を後悔してみても、残念ながら時間は戻せない。
だから今からできることと言えば1つ。
「今助けますからね、ヒカル君……それに魔法少女のみんなも」
テツリもまた、ヒカルと同じく閃光を放ち、金色の光闘士ブリリアンへと変身する。
変身すると、氷塊を背にする魔法少女たちに果敢に挑んでいった。
その姿はまさしく正義のために戦う本物のヒーローであったのだが……。
理想と現実は残酷なまでに異なるものだ。
誰もが主人公のように夢をひたむきに追い、そうであっても叶えられるわけではない。夢破れ、脱落する者いる。
そしてそのことをテツリは死ぬ程よく知っていた。
⭐︎
剣術三倍段という言葉を、テツリは剣道部の顧問を務めていた同僚に聞いたことがあった。果たして試した者がいるのかいないのか、史実はともかくこの言葉が持つ意味はつまり、素手で剣を持った相手を倒すためには相手の力量の三倍が要求されると言うことである。
ここから先は小学生でも解ける簡単な計算問題だ。
4人の魔法少女たちは皆、それぞれが得物を所持しており、一方テツリはあいにく素手、そして4対1の数的不利。1人あたりに要求される力量が3倍と、それが4つ分……。だから単純に計算すると、今この場でテツリに要求される力量は、魔法少女1人あたりに対する12倍以上だ。
分が悪いどころではないのだが、おかげでこんな簡単な計算もする余裕無く、テツリがそれを認識して絶望することはなかった。
「ぐふッッ!!」
岩属性を扱う魔法少女イシダテ、彼女の得物である岩のように硬いモーニングスターで腹を打ち抜かれたテツリが呻き、空き缶のように飛んで落ちた。
もう何回死にかけただろうか……。
水の刃、礫の雨、氷の槍。
彼女たちからは文字通り、心無い一撃が次々と襲った。
傷みは数え切れないほど、テツリの体をどうにも蝕んでいる。もし変身できていなかったなら、きっととうの昔に死んでいた。
「?! また来た!!」
対して魔法少女たちは無傷。テツリが本気になれば、一発くらい殴る隙はあった。けれどテツリはそれを許さない。万が一、彼女たちに一生残る傷をつけかねない安易な行動はできない。こういった制約も不利を煽る。
結果繰り広げられるのは、戦いとは言いがたい、いうなら狩りである。優位を武器に人間が、劣等な獣を片殺す狩り。
助けるだなんて、とんでもなかった。
「ハハハ! どうしたどうした、相手にならないなぁ。威勢のよさはどこに行った?!」
そんな残酷にハレトは興じる。膝を叩いてやや興奮気味だ。
まさに人の不幸は蜜の味を地でいっている。
「ホラホラホラ! 立てよ! もっと情けない姿さらして、ボクを楽しませろ」
「く、うぅっ……」
這いつくばるテツリが見上げてみれば、4人の魔法少女たちは皆、生気の無い目で自分を見下ろしていた。
心が痛い……。
「どうすれば僕は、みんなを助けられるんだ……」
無力に打ちひしがれ、テツリはうなだれる。そして、そうする度にふと思う。
「変わらないな、僕って……」
涙が枯れてさえいなければ泣きたかった。泣いたところでどうにもならなくても、心は軽くなっただろう。けれどもう一生分の涙は流しきって、残ったものは怒りと憎しみだった。それらを原動力にする術はテツリに無い。
「どうしたどうした。……グズグズするなら、こっちから行くぞ! やれ!」
ハレトが魔法少女たちをけしかける。テツリは何とか慌てて立ち上がった。しかし間に合わない。
ガンッ ジャキッッ キィンッッ!!
魔法少女たちが立て続けに切りつけてくる。
かわしきれず、まともに浴びたテツリは氷塊に叩きつけられ、浅い息を繰り返す状態となった。
「あっけないなぁ。佐野ヒカルがいなけりゃこんなもんなのか。これでもう終わりかなぁ」
水晶越しに眺めてみても、テツリが立ち上がる気配は無い。仮に立ち上がったとしても、どのみち4人の魔法少女を相手に戦う力もない。間違いなく勝利は目前だ。
「……救いたかった人たちに殺されるのって、どんな気分なんでしょうね」
「さぁな……でも少なくとも、ボクは愉快さ」
そう言うと、ハレトは旗手のように手を振った。
すると折しも一陣の風が、地上へと吹き抜ける。その風で魔法少女たちの目を見張るほど鮮やかな髪は美しく舞った。
だがテツリはマスクの奥で戦慄する。太陽を背にして髪の毛を舞わせる彼女たちが、オーラを纏った黒い悪魔に空目したのだ。
殺される――
テツリは息を呑んだ。そして処刑宣告は下されていた。
「これでトドメといこう! さぁ……やれ!!」
力のこもった声がこだまする。
これで今度こそ最期だ。
その瞬間を見届けようと、ハレトは水晶に食い入った。
「……………………あれ?」
思わず疑問符をついた声を発する。
命令を下したというのに、どういう訳か魔法少女たちは動かない。
「き、聞こえなかったか?! やれ! 上里テツリにトドメを刺せ!!」
しかしどんなに口調を強めようと、地団駄踏んでみようが彼女たちは動かない。
「ど、どうしたんだお前たち?! どうして動かない?!」
これまでも命令に従わず、抵抗してみせることは度々あった。だがここまで全く何もしなくなるまでのは初めてで、ハレトはどうしたものだろうかと訝しんだ。
「……恐怖」
頭痛を鎮めるよう、こめかみに触れるマイが言う。ハレトは思わずバッと振り向き「恐怖?」と反芻した。
「彼女たちと同じ魔法少女の私には分かります。今、彼女たちが感じている感情は恐怖。下手に動けば殺される……深淵から湧いたような、ドス黒い殺意から来る恐怖が鎖となり、彼女たちを縛っているようです」
と、魔法少女特有の感覚共有から知り得た情報をマイは告げた。
「どういうことだよ? あいつらは一体なにに怯えてるってんだ?!」
唐突すぎて目を丸くするハレトをよそに、マイは水晶を覗き込む。
「なるほど、お出でなさりましたか」
「今度はなんだ……」
遅ればせながらハレトも水晶を覗き込めば、知った顔が映っていた。
女のような綺麗な男。白いtシャツがよく似合う。よれた首元も、彼の容姿にかかればサービスだ。
けれど秘められた裏の顔は閻魔すら恐れ、本当の名で呼ぶことを憚る。彼は時に返り血で、その身をも染め上げる若き殺人鬼である。
「あーららー、ずいぶんおそろいのようで」
緊迫した現場の様相に無頓着な、後ろ手を組んで、スキップしてしまいそうなほどに軽やかな登場だった。
その男――リョウキは間の抜けたハスキーボイスであたりの注目を一瞬で集め、その場の空気を一変させた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、へぇ6人も。ずいぶん集まったもんだ」
口と指の数え方が若干ズレてはいたが、氷の中にいるヒカル含めて数え終わったリョウキは、彼らに向けて尋ねる。
「しかしみなさんこんな大きな氷を囲って……、なにかの祭りかぇ?」
氷塊を囲んでいる珍妙な光景と似たような服装の集団がリョウキの目にはそう映ったらしい。
だが首を傾げる彼に答えられる者はその場に1人もいなかった。
ビルの屋上ではハレトが唯一「んなわけないだろ」と呆れツッコみを入れていたが、リョウキの耳には入らない。
「でもあんまり盛り上がってなさそうだねぇ。わたしでも知ってるよ。お祭りはオミコシと……えぇとカキ氷が大事なんでしょ? ミコシがないもんね、氷はあるけど。ヒャッハッハッハー!!」
とぼけた様子でリョウキは大口開けて嗤った。
「楽しそうだなコイツ……」
ハレトは豪快な笑いっぷりにあきれ顔で呟く。
だが笑いつつもうっすら開いていたリョウキの目は狼のように鋭く、その移ろいはまるで誰かを探しているようだ。
「……殺意の出所は彼ではありません」
マイは呟いたが、風にかき消されハレトには届かなかった。
「……あれぇ? 楽しんでるのはわたしだけかい」
リョウキが問うも、沈黙は変わらない。
「それともこれはひょっとして、わたしがお邪魔さんなのかい?」
リョウキは頭の後ろをかき、流石の彼も覚えた居心地の悪さをごまかした。そして「それなら謝るよ、いやぁゴメン」と、頭を下げた……その時だ――
ヒュオッッ
リョウキの虚をつくように、物陰からマゼンタ色の鏃状光線が飛んできた。
だがこの不意打ちを予測していた上で、あえて目線を切ることで攻撃を誘発させたリョウキはバレエを踊るように身を翻してかわす。
「はしゃぐのはそこまでだ」
「ハッハッハー!! やぁっぱりあなたもいたんだね。姿は隠せてたけど、殺意は隠せてなかったよ!!」
剣を向けていたのはカオルである。
研ぎ澄まされた剣身から放たれた斬撃は、ビルの壁に穴を開けるほどの威力で、当たればちゃんと死ねる威力だ。
しかし当たらなかったので問題ない。
リョウキはにこやかな表情で話しかける。
「やぁ久しぶり、名前はたしかカオルだっけ?」
「……」
カオルは表情も変えず黙ったままでいた。
すると、言い終えたリョウキが何故か目を丸く見開いた。
「あ、今のやぁは別に8ってつもりで言ってないから。ダジャレじゃないから。だからすべったとかじゃないから」
彼の中で色々と勘違いが発生し、それを必死に言いつくろったが、カオルは「ククッ」と喉の奥で笑う。
「……どうでもいい。どうせ1人経るんだから」
「ほぉ……。その1人って、ひょっとしてわたしかい?」
「分かっているなら、話が早い。さぁ決着を……」
カオルが懐から、玩具じみた宝石が散りばめれた、マゼンタがベースカラーのコンパクトを取り出した。それを持つ左手をバッと突き出すと、彼は静かに唱える。
「マジカルチェンジ……」
二つ折りのコンパクトが開くと、リボンのような光る帯がうねり、カオルの全身に巻き付いてその姿を魔法少女の扮装へ変える。ふざけているようで、これが全力の意思表明だ。
絶対に勝つ――
決意を胸に、意気揚々と振った剣が唸る。