第七編・その3 何を貫く
「やれやれ、やっと出て行ったか」
カオルが去ると、ハレトは不平とともにスープを皿から直で飲み干し、くだを巻く酔っ払いのように手の甲で口周りを一拭きした。
「ったく、散々こっちの気ィ悪くしたあげく、偉そうに煽り散らしやがって」
蓄積されたカオルへの不満は相当なもので、いつしか食卓が空になってもハレトは席を立とうとはしなかった。
「ボクたちがアイツに従うしかない? ハッ、寝言言ってんじゃねぇよ、お前がボクより上なのは歳だけだろ。年増のくせに主従が理解できないのかよ。誰のおかげで能力を得たと思ってやがる」
一通り文句言って胸をすかせると、ハレトは息継ぎにため息ついた。
「立場なんてボクの方がずっと上じゃないか。決定権はテメェにねぇんだ、誰が好き勝手動くかよ」
霊獣出現の兆しはあったが、ハレトは出向く気なんて更々なかった。
カオルに助力する義理も無ければ、霊獣を倒す意欲も一向に湧かなかったのだ。むしろ手を貸さないことで計画が狂うなら、そっちの方が俄然意欲的であった。
この一世一代の機を、メチャクチャにできたなら……。想像するとハレトは陰湿に、口元に手を当てて性悪く笑う。人の不幸なら大歓迎だ。
「……でだ、お前はさっきから何を考えてる?」
さっきから存在感を失っていたマイに、ハレトは振り返り尋ねる。どっか行ったのかと思いきや、まだそこにいた。彼女は無表情だったが、眉尻を下げて、どこか気を緩めていた。そういう時、彼女は大抵何か考え込んでいる。そしてその予想に違いはなかった。
「カオルが言った言葉の意味を考えてました」
「……どのことだよ。そんな意味深なこと言ってたか」
口数自体は少なかったが、特段考え込むようなことを言われた気は無く、ハレトでは見当もつかなかった。しかし偶然にも、マイに思考を割かせた言葉を、ハレトは愚痴として零していた。
「私たちは、彼の言う通りに動かざるを得ない……のとこ」
「……? そんな考え込むほどのことか? 単純に、未来視したからそう思ってるんじゃないの」
ハレトは手を頭の後ろで組んだ。そういう未来を視たんだから、その未来通りになると思ったんだろとぼんやりと考えていたのだが、マイは「そうでしょうか」と単純には考えていなかった。
「ではその未来では、何故動いたのでしょう?」
え? とハレトは目を丸くした。そんな様子のハレトに対し、ハキハキとした口調でマイは続ける。
「どんな物事にも原因と結果が存在します。それが未来の事象だとしても、原因は必ずあったはず。カオルが視た未来で私たちが言うとおりに動いたその原因……、何だと思われますか?」
「……それは……その世界線だと、カオルが低姿勢だった……とか?」
半信半疑ながらも、それらしい理由をハレトはうつむき加減で口にする。その意見をマイは決して頭ごなしに否定はしなかった。反面、そう仮定した場合、カオルが取った不遜な態度に説明がつかないとも。
「もし本当に、是が非でもシナリオ通り事を進めたいなら、あそこはどんなに不愉快だろうと、視た通りに振る舞うべき場面。なのにカオルはそうしなかったことになります。これはどう考えても不自然極まりありません」
「確かにそうだよな。視た通りに振る舞えば、ボクたちをコントロールできるのに……」
もっともらしい反論に、ハレトは一瞬納得し、目線を落とした。しかし、少し考え「でもさ」とマイに向き直る。
「アイツって常時未来視してる訳でもないし、それにどんな態度で接したかなんて視覚だけじゃわかんないんじゃね?」
「それはまぁそうでしょうね。しかしハレト様がカオルの立場だったとして考えてみてください。どうやってお願いすれば相手が言うことを聞いてくれるか分からない状況で、あんな態度取りますか?」
そう言われてしまうと、ハレトはぐうの音も出ない。一応それくらいの常識なら持っていた。
だが辛うじて、十中十違うと知りつつ、「それは……性格……」とか細い声で言ってみるも、今度は何も言わずにマイは首を横に振る。
「あんな態度取られれば、取られた方は今のハレト様のように誰だって反発したくもなります。賢いカオルがそんなことに気づかないはずがありませんし、気づいていたならそれこそ見せかけでも姿勢は低くするはずですよ」
「そうだろうけど……じゃあなんでそうしなかったんだよ?」
さっきから意見を求められては否定されを繰り返され、ハレトは若干怒気を孕みつつあった。
「お前は分かるのか?」
「意味は分かりましたよ、とっくに」
「……」
だったらなんでわざわざ聞いたんだとか、とっくには余計だろと、色々言いたいことはあったが、とりあえずハレトは目配せで話してみろと促す。
「おそらくですが、未来が1つの結果に帰着するのでしょう。つまりはカオルが私たちにどんな態度を取ろうが、私たちは同じ行動を取ってしまう、取らざる得ない。だからよほど大それたことをしでかさなければ問題もないのだと、私は考えます」
「いや意味わかんねぇよ。ボクたちはボクたちの意思で動けるだろう。嫌ならやらないでいいじゃん。しかも原因と結果の説明になってないじゃんか」
「その通りですよ。だから考えていたんですから。私たちの行動を決定づける要因について」
「……まぁ流石にそこまではわからんよな」
「いえ、それも分かりましたよ」
「わかるんかい?! 賢すぎるだろ!!」
じゃあなんで悩んでるんだよと、別な疑問がハレトに浮上した。しかし悩みのタネは彼女の口からすぐに明かされる。
「ただ、それをお伝えすべきかどうか、今考えてます」
「なんでそこで悩むんだよ、言えばいいだろ」
「……ですが、これをお伝えすると、ハレト様がカオルの思惑通りの未来に進んでしまわれることがほとんど確定になるかと。かといって、お伝えしないのはそれはそれで問題が起こるのですが」
心の底から申し訳なさそうにマイが言った。しかし、そんな言われ方をされるとかえって気になってしまうものだ。
「……さっぱり分からん。お前だけ分かったまま話すな。構わないからボクにも分かるよう説明してくれ」
それが主からの要望とあらば、マイは首を振らない。しかしだからといって口で説明するわけでもなく、代わりに「かしこまりました」と形式的に一瞥すると、ハレトが座る椅子を引いて起立を促した。
「ちょっとこちらに……」
「あん? どこ連れてく気だよ」
「実は私の考えも、まだ的中しているかは判明していません。それを明らかにしに行くのです」
「……もったいぶりやがって」
文句言いつつ流されるまま、ハレトは廊下へと。どこに連れて行かれるのかも分からなかったのだが、連れて行かれる場所は案外近場、と言うか屋敷の中の一室、有り体に言えば風呂場であった。ハレトの屋敷のものは一般家庭のそれと違い、もはやお風呂場と言うより大浴場と言って良いほどに立派なものである。しかし今の2人は脱衣所に踏み込むと着の身着のまま、曇りガラスの引き戸を開け放った。
今は湯船にお湯もはっておらず、視界もクリアーだった。が、浴場はガランとしていた。
おかしい――
ここでハレトたちは佐野ヒカルを幽閉していたというのに、どこにもその姿がない。彼は湯気のように消えてしまった。
「どういうことだ……なぜいない?!」
「やはりこうなりましたか……」
うろたえる主と対照的に、マイは冷静に努め、推測と事実を照合した。佐野ヒカルは逃げ出した、そしてこれが未来の原因なのだと。
「どうなさいます? おそらくカオルは知っていたのでしょう、こうなることを。これから私たちがどこに行くべきか。そしてそうすることが、彼の思惑通りなのでしょう」
事ここに至ってハレトも理解した。だからカオルはあんな質問をして、そして自分たちが思い通りに動く自信があったのだと。
「……心当たりがあるんだな、佐野ヒカルの居場所に」
「ええもちろん。……どうなさいます?」
「行くしかないだろ!」
ハレトの張り上げた声が反響する。
「では準備を急ぎます」
そう言ってマイが出て行くと、ハレトは頭をかきむしった。
自分が手のひらの上で踊らされていると知った上で、行かなければならない。なぜならヒカルが野放しになっている限り、枕を高くして寝ることはできない。
プライドより安定を、リスク回避は徹底的に。
培われた臆病な本質が、ハレトを戦場へ駆り立てる。
⭐︎
同じ頃。
渦中のヒカルは東京のコンクリートジャングルを駆けていた。
今回ばかりは霊獣様々、おかげで命からがら逃げ出せたまではいいが、霊獣の暴虐に怯える人たちを思えばこのまま放ってなんておけず、危険は承知で霊獣の下へ向かった。
結果的に助けて貰ったからと言って配慮なんてものはなく、戦う意欲はいつもと遜色ない。
しかし精神はともかく、体の方が問題の山積みであった。
拷問で痛めつけられた体では、思った以上に歩は進まない。風は心地良いが痛がゆい。やがてヒカルは壁に手をつく。その額には大して暑くもないのに大粒の汗が輝く。そして汗を拭おうとすると青黒いアザに触れてしまい、痛みに軽く呻いた。
こんなんじゃあ先が思いやられる……。ヒカルは気を揉んだ。
だがすぐに、そんなことで弱気になるよりも、とにかく動いた方が良いと思い直す。
今はとにかく時間が惜しい。迅速な霊獣退治が先決だ。
「……立ち止まるな。きっと誰かが、待っているんだ」
ヒカルは、自分を元気づけるためにそう言うと、休息もほどほどに再び走り出した。辛くても、まだ限界ではないのだから、救える命もあるだろうと。
そんな彼が交差点に差し掛かろうとしたところで、建物の影から誰かが声をあげる。
「やっと来たか。来るのは知っていたが、これも日頃の行いだな。驚くほど意外性が無いな」
その落ち着いた声がちょうど聞き慣れていたので、ヒカルは足を止めた。
「……カオル。何の用だよ」
「そうだな。別に喋るようなことは無い。見かけたから、何となく声をかけてみた、そんなところだ」
そう答えると、カオルは肩で息をするヒカルの様子を上から下まで一眺めしてから言う。
「よくやるよ、そんなボロボロにされた体で。ロクに力も入れられないのに、どうする気なんだか。それで霊獣を倒せるのかね」
「……心配してくれるのか」
「……そう聞こえたか?」
その問いにヒカルは諦念の笑みを浮かべる。
「いや、皮肉だろ。いつもの調子じゃんか」
この男が意味も無く他人の心配なんてするはずがないと重々承知していた。
と、肩を落としていたヒカルだったが、こんなところで油を売っている場合じゃないことを思い出す。
「てか今急いでるんだ。イチャモンつけるだけなら俺はもう行くぞ」
「都合の悪い現実がイチャモンだと思うなら、好きなだけ理想を追えば良い」
踵を返したヒカルに、カオルはそう吐き捨てた。
相変わらず嫌みったらしい……。
けれど、あながち全てが間違いだとは思えない。正直、この体で戦って、勝てると自信を持って言い切れはしなかったから、一応ヒカルは確認の意味も込めて立ち止まった。
「……お前は戦わないのか」
ヒカルは視線を背後のカオルに向けた。すると彼は腕組みし、体は壁に預けて言う。
「ああ、戦わない。今、別に撃破数1なんて要らないし、余計な消耗もしたくない。それにお前と違って、有象無象の他人がどうなろうと関係ないからな」
「……」
浅薄な話だ。
それを過剰なまでに露悪的に言うカオルに、ヒカルはかける言葉がなかった。紛糾してみたところで徒労であり、時間の無駄だと目に見えていた。元々期待していなければ、ガッカリ感も少なくて済む。が、気分は悪く、不思議と体は重たくなる。
「非難したいならいくらでもすれば良い。だが今は、時間が惜しいんじゃないのか」
1分前の自分を思い返したヒカルは黙ったまま駆け出そうとした。だが、このまま何も言わずに別れるのが妙に気持ち悪い気がして、これで本当に最後と、もう一度だけ振り返って言う。
「言っとくけど、今更お前の人間性に期待なんてしてねぇから。だから別に、俺はお前を非難する気なんてサラッサラないからな」
「そうか……それは何よりだ」
「……て言うか自覚あるんだな」
「何?」
「本当に悪いことしてる自覚が無いなら、非難なんて発想出てこないだろ。そういう風に思うのって、心のどこかでそれが悪いって思ってるからだろ」
そこまで深い意味は無かった。少しばかり言い返したかったから隙を突いてみただけの、今日が終われば忘れてしまうようなたわいもない話だ。
「…………」
だがどういうわけか、カオルは強く否定することも、開き直ることもせず、ヒカルの真っ直ぐな眼差しを見つめ返すばかり。視線は逸らせなかったのだ。
すると、そう遠くないどこかで轟音が鳴り響いた。
「?!」
ヒカルは慌てて振り返り、交差点へ走った。そして、カオルはその背中を見送るだけだった。
「…………だからなんだ」
立ち止まっているカオルがポツリと独り言を零す。ヒカルの問いへの返しだったが、あまりにも弱く、そして遅すぎる。これではただの負け惜しみだ……。
「……だとしても、俺はお前になりたくはない」
理想と現実との分別の無さ。己の力への過信。信念へのひたむきさ、がむしゃらさ……。
まるで忌み嫌っていた誰かのようだ。
「はぁ……」
ため息つくと立ち止まっていたカオルも、ヒカルの後を追って歩き出す。
交差点から臨めば、黒い狼煙が立ち昇っていた。
⭐︎
ヒカルが駆けつけた時、山羊のような霊獣は路上で車をひっくり返していた。
その所業はもはや悪魔で、ヒカルは喉を鳴らす。
周囲にもおそらく同じように襲われ、なおも炎上する物、フロントが大破した物もあったが、それらには既に人の姿はない。
が、倒された車の中からは悲鳴が響き渡る。今まさに瀬戸際の逼迫した状況。
ためらっている時間は1秒も無い。
ヒカルは直ちに光闘士ブリリアンへと変身し、反転した車の上で跳びはねる霊獣に飛びついた。
その勢いのまま転げ、マウントを取ったのはヒカルであった。間髪入れずに殴りつけ、捨て身でたこ殴りにし、そして湾曲した角をへし折ってやろうと両手をかけた時、ヒカルの体を紫の電撃が駆け巡った。
「ぐわぁ!」
吹っ飛ばされて、背中を地についた。
そして、転倒の衝撃も存外に痛く、空を掴むように手を伸ばす。
なんとか立ち上がろうとするも、地面が揺れる。猛然と霊獣が突進を仕掛け、角を突き立てたのだ。
噴き出す血飛沫のような火花が散った。ヒカルは呻いて立ち上がれない。
「……だから忠告したのに」
ちょうどその場面に出くわしたカオルが呟く。
「他人のために、己を捨て石にするような生き方。一時気持ち良い以外になんのメリットがある……」
理解ができない、したくもない。
見ていると無性にイライラする。カオルは腕組みしながら指で腕を叩いていた。
そうしているうちに、やがてヒカルは地面に崩れ落ちる。
「…………チクショウ……」
握った拳が震えている。目の前も薄暗い。
薄暗かったのは地面を見ていたから、顔を上げれば見えてくる。
「?!」
霊獣が車に迫っていた。
このままでは中にいる人が――
「ぐ……ぬぅぉぉおおお!!」
ヒカルは叫び声を上げると、腕に力を込めた。
「諦めるかぁぁあああッッ!!」
悲鳴のような叫びと共に、ヒカルは立ち上がる。
一体どこにそんな力が隠されていたのか。
カオルも目を見張るばかりだ。
そして声を荒らげながら、霊獣の横っ面にドロップキックをかました。
首があらぬ方向に曲がりかけ、一時的に酩酊する霊獣。
この千載一遇のチャンスを逃してはならない。ヒカルは太陽に向かって跳んだ。
「喰らいやがれ!」
両脚に赤き炎を灯し、回転しながら急降下する。
その一撃でヒカルは霊獣を粉砕……するはずだった。
上空から、突如として放たれる青白い鎌錠の光線。それがヒカルに直撃して、彼を打ち落とす。光線が当たったには霜がかかっていた。
「来たか」
そう言ってカオルは口の端を上げながら、目線を上げる。
空を切り裂くように飛ぶ、4つの影。
やがて弧を描くように飛び出すと、4人の魔法少女はヒカルを囲んで降り立った。
「魔法少女……氷上ハレトか……」
状況を理解したヒカルが途切れ途切れに言えば
「ハーハッハッハー」
水晶越しに高笑いが響き渡る。
「バッカだなぁ。せっかく逃げ出せたのに、それをみすみす不意にするなんて」
「そうですね。ですがそのおかげで見つけられたんですから、感謝しましょうよ」
マイにそう言われると、ハレトは「違いない」と馬鹿にしたような乾いた笑いを飛ばす。
「まぁアイツの意図に従うのは癪だが、お前を捕らえられるなら帳消しだ。ボクたちにちょっかい出そうとしたのが運の尽き、もうお前に逃げ場はない。さぁ……やれお前たち!!」
号令がかかると、4人は一斉に襲いかかり出す。一糸乱れぬ連携は見事である。操り人形だからこその統率、糸は無いから縦横無尽に飛び交う。
そしてヒカルに余力なんて無い。消耗しきっており、もはや抵抗する力は残されていなかった。
嵐の力を秘めた魔法少女――サラの放つ水球でビショ濡れにされ、氷を操る魔法少女――フィオナが発した冷気に当てられ、ヒカルはあっけなく氷の檻に閉じ込められてしまった。