第六編・その3 心への挑戦
「なーるほど、完全に理解したぞ。それで俺は突然路地裏で襲いかかられて、鎖でグルグル巻きって訳か…………って、急展開過ぎるわ!?」
ナイスなノリツッコミのヒカルが体を揺らす度に、頭の後ろで組まされた手首に巻きつく鎖と、椅子にくくりつける足首の鎖がジャラジャラと鳴る。今、ヒカルは拘束されていた。
「別れてから小一時間も経ってねぇじゃん! どんな仕打ちだよ!」
と、ヒカルは至極まっとうにわめいていたが、カオルは無表情に思いを馳せていた。
そう言えばこんな光景、割と最近、埠頭の廃倉庫あたりで見た覚えがあるな……と。だが今回はその時と比べ、随分とやかましい……とも。そんなことを考えながらカオルは悠然と座っていた。
「なんとか言えい!」
「……良かったな、潜入できて」
「良かないわ!!」
なんせ、カオルの企てで酷い目に遭わされるのは、ヒカルにとって1度や2度ではないのだから、流石にいい加減にしていただきたいと思わずにはいられない。
「ホンッットお前って奴は……」
「悪いな、お前の身柄と引き換えに、俺に協力すると言うからには、従う他なかった」
「……」
そのカオルの弁明に対して、むしろお前は殺そうとした側だろとヒカルは思ったが、呆れてため息ばかり口をついていた。
「…………それで……お前が氷上ハレトか?」
良くないがこの際カオルのことはさておき、ヒカルはカオルの背後で憮然とする痩身の男に尋ねかけた。
「いかにも」
そう答えたハレトは、拘束されているヒカルの前に立ち、右手を伸ばす。その手がヒカルの髪を掴み、引っ張り上げた。呻き声を堪えようとヒカルが奥歯を噛みしめた表情を露わにしてもなお、ハレトは溜飲を下げなかった。
「ボクがお探しの氷上ハレトだ。はじめまして、正義のヒーロー佐野ヒカル」
「……俺のこと、詳しく知ってるな。教わったのか」
ヒカルはチラリとカオルを見やる。
「それもあるし、ボクは見ていた。君と、君の相棒・上里テツリが、ボクのかわいいかわいい魔法少女たちに手出しするのをずっと見ていた」
「!? やっぱお前が、彼女たちの親玉か!」
ヒカルは本人の口から裏付けられた情報に、目で驚いて見せた。だがその目はすぐに毅然としたものへ変わる。頭の中で、今まで見てきた魔法少女たちの生気の無い目がよぎっていた。
「お前、自分が何やってるのか分かってるのか!? 何の罪も無い子たちを……操り人形にしやがって!! 彼女たちを解放しろ!!」
ようやくこの言葉を直接ぶつけられたヒカルだったが、ハレトは「他人の身を心配するなんて余裕だな」と露ほども心に響かなかったばかりか、マイにヒカルを一発殴るよう命じる。
そしてマイがためらいなくヒカルの頬をグーで殴り、赤い絨毯の上に異質な赤色が散る。
「口の利き方に気をつけろ。つまらない物言いで、先の短い寿命を削りたくないなら」
「……くっ」
打たれた頬もさすれないヒカルが悔しさを滲ませる。どんなに叫んでみたところで、痒いところも掻けないこの状況では魔法少女たちを救えやしないのは明白だ。それだけではない……。
「だからもっと有意義な話をしよう。質問タイムといこうじゃないか。……ボクが聞きたいのはただ1つ、この発信器をどこの誰から貰った? おぉ?」
ポリ袋に入った発信器を片手に詰め寄るハレトに対して、ヒカルは黙秘したまま顔を逸らした。せめて鳴賀だけでも守ろうという意思の表れであった。
「……予想通りだんまりか。だがそれは無意味だ」
ハレトが目配せすると、入れ替わりでマイがヒカルの前へ。会釈するとしゃがみ込んで目線の高さを合わせ、伸ばした両手で優しく包んだヒカルの顔を正面に向かせる。そして2つの顔は、キスする1秒前のようであった。
「申し訳ないですが佐野さん、私の目を見て下さい」
けれど2人とも目はガン開き。
わざわざ言われなくても、近づきすぎて逸らすことなんてできなかった。
「ではここからは私の質問に【正直にお答え下さい】」
何をされたのか、ヒカルには分からない。それだけ告げると、マイはヒカルを置き去りに背筋を伸ばした。
ただ何となく、ヒカルには冷や汗かく妙な違和感が脳内にあった。閉めたはずの心の鍵を、ピッキングで違法に解錠されてしまったような。
「……好きな食べ物は?」
「カレーライス。…………え?」
ヒカルは困惑した。考えるより先に、脊髄反射で口をついていた。さっき彼女に求められたように、質問の答えを正直に。
「へぇそうなんですか。男の子らしいですね」
だがヒカルは愕然として半分心ここにあらずで。カレーを食べているように汗ばんだ。どうしようもなく水が飲みたい。
そんな様子にマイは得意げに言う。
「お分かりいただけましたか。私たちの前に黙秘権はありません。あなたがどんなに仲間思いだとしても、その口を閉ざすことは認められないのです」
「そういうことだ。ボクたちに捕まったのが運の尽き、もうお前は誰も救えない」
ハレトも嘲った。
催眠にかかった以上、もはや抵抗はできないと確信している態度だ。
「さ、終わらせろマイ」
その命令にマイが頷く。そしてハレトは、何やら背後で口元を緩ませるカオルの方に顔を向けて言う。
「情報を聞き取ったらもうコイツは用済みだ。お前のお望み通り、後は煮るなり焼くなり好きにして良い」
しかし話しかけられてもカオルの顔がハレトに向けられることは無い。
「どうした? おい」
何か、これから1本の映画でも見るかのような視線は、余すところなくヒカルへと注がれていて、そして耳は今に来る声に立てていた。
空が厚い雲に立ち込まれ、窓から入るのは光でなく影となる。色まで静かになる部屋の中、
「【協力者の名を答えなさい】」
と、言霊の込められた一声が唱えられる。
部屋の中にいる者の中に、その声が聞こえなかった者はいない、もちろんヒカルにも。
耳介から鼓膜、蝸牛を伝って催眠のかけられた脳にまで、声は確かに届いていた。
「………………」
だがヒカルの口は割れなかった。固く結ばれた口は震えこそすれ決して開きはしない。まさに噛み殺している。
噛み殺して飲み込んだ言葉の代わりに、ヒカルはドッと息を吐いた。荒い呼吸で、額に汗が滴る。
「……ほぉ驚きました、だんまりですか」
「初めてだな」
ハレトとマイも思わず顔を見合わせる。だがその表情はまだ余裕であった。
「大した精神力。流石カオルさんが見込んだだけのことはあります」
マイはチクリ刺さるように言って、次いでテーブルの上に置かれる使い古しの木箱を開けた。
箱の中は錐や金槌やペンチや、研ぎ澄まされて切れ味鋭そうな小振りのナイフまで、扱いようによっては凶器となる代物が整頓された状態で仕舞われていた。
全てマイの所有物。元々なんで彼女がこんな物を所有しているのか、主であるハレトも知らない。そもそも所有していることすら先ほど知ったばかりだ。
「それでは致し方ありません……拷問の時間といきますか」
数ある道具の中からペンチを選び、その持ち手を両手で持ってカチカチと打ち鳴らす。
そしてマイはヒカルの椅子の後ろに回る。そこでは頭の後ろに置かれたヒカルの指がよく見える。
「精神力の限界にチャレンジです♪」
にこやかに、そして無慈悲に――
マイはヒカルの爪をペンチでひと思いに引っぺがした。
飛び散る血、しかし声を発せば出してはいけない名前が飛び出してしまうから、ヒカルは絶叫することができなかった。
ヒカルがこの精神と肉体への虐待に耐える唯一の手立ては、鼻から上げる呻き声である。
既に息も絶え絶えで、ヒカルはガックリうなだれる。その頭の上からハレトは言う。
「どうだ、喋る気になったか?」
「ならない」
ヒカルはその問いに、正直に答えてやった。ハレトの目からは色が消える。
「ああ、そうかい。ならお前が答えたくなるまで付き合ってやる。後悔すんなよ」
そう言うとハレトは顎でマイに指図する。「とことんまでやれ」と。
指先が、冷たい物が触れたのを過敏に察知して、焼け焦げる一瞬の激痛が意識を壊す。
ヒカルはグッと歯を食いしばる。これは耐え忍ぶ無言の死闘。あまりに残虐な心を賭けた戦い。