第四編・その3 逆襲の布石
「お済みですかい」
空っぽのカップをよそに物思いにふける鳴賀に、無愛想な店主がぶっきらぼうに言った。
鳴賀は自分がコーヒーを飲み干したことに気づいていなかったのか、「あぁすみません」と言ってカップをテーブルの端に寄せた。
「……まだ気が晴れませんか」
カップをトレーに乗せつつ、常連刑事の横顔に店主は雲を見た。
「そう見えますか? あなたがわざわざ言うからには、そうなんでしょうねぇ」
鳴賀は視線を誰も居ない対面の席、人が座ったなら顔が来る位置に送りながらそう答え、そして首を壁にもたげる。
ヒカルももういない、とっくに相談も終えて店を出ていた。しかし鳴賀はいつもは頼まない2杯目のコーヒーで、未だ居座っていた。
夕陽で店内がすっかりオレンジ色になっていたことは気にも留めず。
「心配ですか? さっきの若造のことが」
「ええそれもあります。一応彼自身は前向きだったとは言え、こちらの都合で危険に晒すんですから。格好つけておきながら、結局私は大事なところで人任せ、全く、情けないったらありゃしない」
鳴賀は腕組みし、傾げた首を横に振った。
「仕方ないんじゃないですか、人間なんだから。この店だってアンタみたいな客とか、バイトの子とか、仕入れ先の旦那衆、もちろん家族も、1人じゃない皆が結集して成り立つ。物事なんてそういうモンでしょう」
店主はテーブルを拭きながらそう言った。手を止めて目線を配ると、鳴賀もちょうど同じく店主に目線を配っていたが、彼はバツが悪そうに顔を逸らす。壁を見る必要なんて普通に考えて無いから、逸らすのが主眼なことは瞭然である。
「ええ分かっています、1人で全てを背負い込むなんて到底無理なことなど。ですが、時にはあるじゃないですか。これだけは……これだけは1人で解さねばならない困難が……」
「この事件が、アンタにとってのそれなんですかい?」
「ええ、そうです。きっとそのはずなんです」
いつになく歯切れ悪く、そして随分と理論的でない。
4人掛けのテーブルに1人で座る、そんな鳴賀の心中から察するものがあったのか、店主は戻り際にポツリ零す。
「アンタらしくない……。その源泉は……」
「……いけませんね」
気がつかないフリをして、建前を貼り付けてごまかしている苦い思いを、暗に指摘されれば鳴賀は飲み込まないわけにはいかなかった。
「気晴らしならいつでも来て構いません。ま、知っての通り店は10時開店20時締めですがね」
「……それは頼もしい」
夕暮れの街に、午後5時を知らせる有線が流れ出す。
鉄塔の建つ遥か上空、雲より低い場所で、飛行機雲のような赤い火の玉が南西へ駆けた。
⭐︎
鳴賀との打ち合わせを終えたヒカルは、その足でテツリの具合を訪ねに行こうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。その途上、霊獣の出現の兆しを受けたのだ。
「まったく連日連日、地獄の警備はどうなってんだ」
逃げる人たちとすれ違いながら、霊獣と化した魂の脱走を当たり前のように許している閻魔らに文句言いつつ、ヒカルは一刻を急いでいた。
「! アイツか」
邂逅は十字路であった。交差点の中心に飛び出したヒカルがバッと左を向いた時、奴はいた。
海老とカニと人間を足して、割らなかったようなフォルム、体型。顔は完全に深海から来た甲殻類の、やたら目が大きいものである。
金色の甲殻はさながら甲冑で、頭には兜をかぶっている。その重量をずんぐりとした足と太い尻尾の3点で支えて、武具である両手の丸鋏は左右対称、大きすぎず取り回しも利く。
「お前の魂、俺が天に還してやる。 変身ッ!!」
既にこの霊獣の破壊活動によって人はいない。
それを見計らって、ヒカルは光を纏い光闘士ブリリアンへと変身する。
「しゃあッ!」
威勢よく挑みかかるヒカル。
対して霊獣は、口元に生成した淡黄色の泡を蓄える。空気中の水分と反応して燃え盛る、可燃性の泡だ。
操る霊獣から離れれば簡単に着火、火球となって襲いかかる。
襲われるヒカルは、泡が切れない限り撃たれ続ける火球を殴り弾く。だが残弾数に手の数が足りなくなり、顔の前で腕をクロス、弾切れの時を待った。
次第に斉射される火球の雨脚は穏やかになって、そして止まった。
この隙にと、ヒカルは走り出す。
しかし霊獣は両手の鋏を開き、ヒカルに照準を定めた。
その鋏の間からは白色を中心に据えた七色レーザーが照射される。
弾速も早く、不意打ち気味に放たれては避けられない。
ヒカルは真っ向から喰らってしまい、くぐもった悲鳴を上げながら吹き飛ばされた。
しかも斉射が止まない。立ち上がろうとした矢先に次々と追撃も喰らい、ヒカルは連鎖する爆発の黒煙の中へ飲まれる。
「く……! あぁッ……」
ヒカルはうつ伏せに倒れた。
霊獣は反撃の手立てのないヒカルに容赦なくレーザーを浴びせ続け、白い火花が激しく飛び散る。
攻撃のペースが衰える気配無く、為す術は少しでも当たる面積を減らすくらいしかなかった。
しかし何とか打破しなければ、いずれは焼き尽くされてしまう!!
耐え忍びながら何とか窮地から脱する作戦を考えていたヒカルだったが、結果的にそれは想定外の来客によってなされることになる。
直径が人の身長ほどはある、小さな太陽のような火の玉が飛来、上空から抉るように急旋回、急降下して、霊獣に体当たりしたのだ。
霊獣は側面に衝撃を受け転倒する。なおも照射されるレーザーは関係ない商店の暖簾を燃やした。
赤い影を地に落とし太陽は降り立ち、そして解き放たれる。中に乗っていた魔法少女、フラムが。
「……」
戯れに、フラムが箒を振るえば熱風が吹き、彼女の胸は揺れる。しかしその感情は揺れない。
うつむいていた彼女は濁った目を覗かせ、ただ目の前の標的を捉えていた。
標的――霊獣は彼女にこかされた怒りかキシキシと鳴き、口元に溜めたありったけの泡を発射した。
「フレイムヴェール……」
目には目を、そして火を防ぐにはより強力な火を。
フラムは灼熱の白いマントで身を包み、赤い火から身を守った。
そしてマントを怪盗のようになびかせ反撃に転じる。箒に仕込まれた剣を抜き、炎刃を飛ばす。
だが炎刃は砕かれる。霊獣が両腕をバツ印に構え、そして鞭のように弾いたことによって。
もっとも、フラムの攻撃は陽動であった。本命は接近戦での剣撃である。
足を浮かせ、宙を滑るように間合いを詰めると、地に足着けて霊獣を思い切り切り上げた。間を開けずに遠心力をかけ、よろけて背を向けた霊獣に二撃目を振り下ろすも、俊敏に振り向いた霊獣は鋏で剣を白刃取りした。
魔法少女とは言え力は平凡の域、霊獣を振りほどける程の力は無い。しかも、フラムが持つ剣は1本だが、霊獣の鋏は2つ。もう片方の鋏は、彼女の顔に向けられていて……。
「!」
感情を封じられているなりに恐怖は覚えたらしい。
一転、今度は間合いを取った。剣は放棄せざる得ない。
霊獣は執拗に離れていくフラムに照準を定め、レーザーを乱射する。おかげで辺りはたちまち滅茶苦茶だ。壁には穴が開き、窓は割れ、そして発火する。
フラムはと言うと、白炎のマントに引きこもってやり過ごそうと。しかし衰えることのない砲撃の嵐にマントは揺らぎ、傷み、ほつれ……、真綿で首を絞めるようにジワジワと危機迫る。
「く………ハッ!!」
そんな中、忘れられていたヒカルが立ち上がって、肩の震えを抑え果敢に!
横から、霊獣を押さえ込むよう掴みかかった。だが霊獣は跳ねるように除け、ヒカルの腹を殴った。
血飛沫代わりに光が散るも、続けてのもう一発は喰らわない。
消え欠けの力を振り絞り、ヒカルは手刀を、片手で押さえつけた霊獣の頭に振り下ろす。
火花が頭から噴火した霊獣は、さらに後ろ回し蹴りを正中に喰らい、さながら外敵から突然逃げる海老のように飛んだ。そして、どうやら1度仰向けになると起き上がれないらしい。
「! もう時間が……」
光の泡沫漂う自身の体を省みて、ヒカルは決めにかかった。
必殺技の名はトワイライトスパーク(命名ヒカル)。大きな夕陽まで跳んだヒカルは両脚に輝きを纏い、ドリルが如くスピンで。
空を眺めてもがく霊獣は、金色の甲殻を一点集中で踏み砕かれ、致死のダメージを負ったことで爆砕した。
「……勝った。手強い……奴だった」
変身が解けたヒカルは炎に、火種に囲まれる中、片膝を着いた。
じきにここも火が回り、そうなれば逃げ場を失いまた火葬される。
だからスタコラサッサと逃げるべきなのだが、振り返ったヒカルは立ち上がり、非対称なうつ伏せに倒れるフラムの下へと。
「おい……大丈夫か」
背中を揺すってみるも反応無し、その目は閉ざされたまま。
嫌な予感もあったが、幸いにも息は確かだった。
「おい…………うっ?!」
もう一度揺すぶった時、ヒカルは息を呑む。
顔を動かさず目線を下に向けてみれば、フラムはヒカルの胸に剣を突きつけていた。
「触レルナ、汚イ手デ……」
「タ、タヌキ寝入り……」
フラムが立てば、ヒカルも自動的に立たざる得ない。
お互いがお互いの刹那に集中していた。
1人は生き延びるために、1人はまとわりつく邪魔な虫の1匹を排除するために。
「……」
「……」
2人はしばしロウソクの火のような睨み合い……。だが膠着状態とは、動き出すと一気に流れる。
突きつけていた剣は水平に切られたが、ヒカルが奇跡とも言える回避を魅せた。
しゃがんだヒカルは転げながら後ろに回ろうとする。
すかさずフラムは逃さずに突こうと。だがこれを飛び跳ねてかわすと、もはや間合いはどちらが優位か分からない。
「戦ってなんかいる場合か!? 早く逃げないと手遅れになる!」
暴れる剣をいなして腕に組み付いたヒカルは、フラムの目の奥に向けて必死になった。
「今俺たちが戦う必要が、どこにある!? その体、傷つけたくないだろ」
締め上げられるフラムの手から剣が落ちた。
もう大丈夫かとヒカルが力を緩めてやると、ご無沙汰の手は元々そこにあったのか怪しく感じるほどに、一瞬で消えた。
そして彼女自身も、剣を鞘に収めると箒にまたがって、赤い火の玉に包まれながらオレンジの空へと消えた。
「……星崎ミウか」
魔法少女の本名を誰に言うでもなく呟くと、ヒカルは黄昏れた。
一体彼女はこれからどこに帰るのか、彼女を救うことが出来るのか。そして、テツリにも今日の鳴賀刑事とのこと、これからのことを話しておくべきなのか。
危うい今のテツリの心に配慮して、話すのは怖いと思いつつ、あんなにミウを助けたがってるテツリに全てを内緒して、1人抱え込むのも悪いよなと、どうにもならない取捨選択に苛まれされた。
四面楚歌の炎の奏に心囚われることなく。
⭐︎
その日の夜、ラジオの時報がちょうど20時を告げた頃。
鳴賀は愛車で海の上にかかる橋を駆け抜け、帰路の途中であった。
長く、途中で停車も出来ないトンネルに入る前、車中は鳴賀が一人きりだったが、トンネルを出た時には同乗者が1人増えていた。
走行中の車にドアも開けず、後部座席に乗り込んできた男の正体。
決して心霊現象ではない。いや、よくよく考えたら乗り込んできたのは幽霊みたいなものなのだが、彼らと違うのはあらかじめ許可を得ていることだ。
「もうここに来られましたか、何かご相談でも」
だから鳴賀も肝を潰すことなく、乗り込んできたヒカルに鏡越しに問いかけた。
「いや報告に来ました。とりあえず、やり通せたかなと」
「ほう、それは仕事の早いことで」
「たまたま運がよかったんです。今日の今日で会えるなんて全ッ然」
褒められて、ヒカルはホッとして笑った。けれどすぐに顔を引き締めた。まだ、作戦は始まったばかりである。
「後はバレなければ」
「ですね、ご苦労様です。して……」
さっきから、鳴賀は何度となく鏡を見ていた。もっと正確に言うと、鏡の奥にいるヒカルの、髪の毛を見ていた。運転中なのに危ない、しかしどうしても気になる、気を引かれてしまう。
「その髪はどうなさいました」
さっき会った時は、別にヒカルの髪はとりとめも無く普通だった。少しはボサついてかもしれないが、記憶には残らない。だが今は、鳥の巣のようにチリチリになっていた。あとヒカルが来てからやけに車内が焦げ臭い。
「……これはですね」
馬鹿と言うより、アホなことをしたなと、ヒカルなりに思っている。
だからまぁ歯切れも悪ければ、表情も放棄されていた。
「……考え事してたら燃えてました」
第四編はこれにて終了。
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