第四編・その2 迷宮の焼失
カランコロンとなる扉のベルと、無愛想な坊主頭の店主による「いらっしゃい」がヒカルを出迎えた。出迎えられるヒカルの傍らには面識のない男、少なくともヒカルにとってそれが紛れもない事実であるスーツ姿の初老の男がいた。
スーツ姿の男に連れられ、ヒカルが来たのはその男のお気に入りの場所。そこは古き良き昭和の時代の風情が残り、ロマンがムンムンと漂うモダン喫茶であった。
店内ではシックな調子のBGMが流されており、落ち着いた雰囲気の店内とそれは調和していた。そしてスーツ姿の男も、その一部としてすぐに馴染んだ。
店内は空いていたが、スーツ姿の男がすらすらと外から目立たない角の席に座ったので、ヒカルも何も疑うことなくそれに倣う。
4人がけのテーブル席に着席し、スーツ姿の男はふぅと息をつく。ヒカルはまだ落ち着かなくて、控えめにキョロキョロと店内を見回した。
「良いところでしょう。私のお気に入りの場所なんです」
ヒカルの向かいの席から、だが若干対面からはズレた位置に座る男がヒカルにそう言った。
「はぁ……そうですね。何と言うか……良い店、ですね」
良いか悪いかで答えれば無論、良いだった。けれど人間が熟していないヒカルでは、繊細な形容はごあいにくだ。
「行き詰まった時、私は必ずここに来るんですよ。ここに来て、ここのコーヒーの香りを嗅ぐと、まるで実家に帰ったように心が安らぐんです」
「じゃ今もそうなんですか?」
「ええ、お恥ずかしながら。行き詰まりの真っ最中ですよ」
しかし男の外面は、発言が真意に見えない程にこやかであった。苦笑いだった可能性もあったかもしれないが。
と、ここでようやく自己紹介の必要性に気づいたのだろう。
唐突に、男は自らの氏名と職を淡々と述べ、さらにその補助として、スーツの内ポケットから中の手帳をそっと差し出す。ただし、ただの手帳ではなかった。選ばれし者にのみ携帯が許される、桜の代紋が刻まれた特別な手帳だ。
「…………え、警視庁ォ!!!?」
ヒカルの絶叫はよく響いた。
スーツ姿の男、もとい鳴賀次郎が身分証代わりに呈示した警察手帳によってその所属にまで気づいたヒカルは目を丸くさせ、視線を目の前の鳴賀と手帳で往復させた。
「こ、これはとんだご無礼を!!」
元警官のヒカルなだけあって、警視庁の威光は絶大だった。
ちょっとでも食えないと思ってしまったさっきの自分に冷や汗流し、ヒカルは恐縮した。
「ああ、お気になさらず。警視庁と言っても、私は所詮エリートではありませんので。そんな褒められたモンじゃありませんよ」
鳴賀刑事は手のひらを見せてその意を示した。
「そ、それで……警視庁の刑事さんがどうしてわざわざ私なんかと」
ヒカルが心の底からかしこまって尋ねると、鳴賀は内ポケットに警察手帳をしまいながら言う。
「率直に申し上げますと、とある事件解決のため、あなたの知恵をお借りたいんです」
それはヒカルにとって、想像だにしていない申し出であった。
「知恵……ですか?」
やはりいまいちピンと来ず、聞き返したヒカルだったが、鳴賀は「そうです」と静かだが芯強く答えた。
「疑うわけでもなく、純粋にあなたの知恵をお借りしたい」
「いやでも、どんな事件か知りませんけど、私なんかから出せるような知恵無いですよ。自慢じゃあないですが、頭はそんな良くないと自負しております」
「フフ、だとしても何も聞かず、出す知恵が無いと決めつけるのはよくありませんよ」
とにかく全ては話を聞いてからでと、鳴賀はヒカルへ事の次第を手振り合わせて語り出す。
「……私が今追っているのは、正直事件と言って良いかさえ定かでない、少々難解な問題なんです」
曰く、事件が起きているのかどうか、まだハッキリとはしていないのだと言う。ただ少なくとも、現在進行形で不可解かつ気がかりな事態が起きているのは、ハッキリとしている。
12日前、一組の男女が行方不明者相談のために警視庁を訪ねてきた。
女性の方は行方不明者である女子高生の姉で、男は女子高生のマネージャーだ。
その女子高生の名前は星崎ミウ、なんでも最近では雑誌の表紙に抜擢されるほどのアイドルで、知名度も徐々に浸透、売れっ子になるにはこれからがいっそう大事な時期で……。
だがそんな折、マネージャーに語られた経緯によると、ミウは2人が警視庁を訪ねる前日、初めて無断欠勤をしでかしイベントをすっぽかした。当然、事情の確認のため、マネージャーは彼女のケータイへ電話をかけたという。
しかし一向に電話は繋がらず、折り返されることもなかった。その後、他の連絡手段も取ってみたものの、どうやら見向きもされていなかった。
もはや怒りよりも不安を覚えたマネージャーは、ミウの暮らす寮に足を運んでみた。だが部屋は家具も衣服も全て元の整頓された状態で残ったまま、彼女の姿だけが無かった。
しかも寮の管理人によると、ミウが昨夜マネージャーに送り届けられてからその駆けつけた時に至るまで、彼女が寮を出るところは見ていないらしく、この証言は玄関の監視カメラによっても正しいと証明された。
そして現在、関係者各位はみな途方に暮れているらしい。
「これって要は誘拐ですか? 最悪」
「ええ、その可能性は大いにあるでしょう」
話を聞いていたヒカルが尋ねると、鳴賀は肯定気味に返答した。
「しかしまだ確定はしていません。それに、どう仮定してみましても、管理人に見られず、さらに監視カメラまでかいくぐって玄関を通る方法が、つっかえとなってしまいまして」
鳴賀の白髪交じりの眉はハの字になっていた。
「……出入りできる玄関は1つだけなんですよね?」
腕組みする虚ろな目のヒカルが真っ先に確認したかったのがそれだった。
しかしそれは既に精鋭たちに思いつかれ、検証済みであった。
経路こそ複数あれど、出入り口は全てその監視カメラに映る玄関に繋がっているというのが結論で真実だ。
「配水管を伝ったとかは?」
「それに関しては無理でしょう。仮に誘拐だとするなら、行きはともかく帰りは彼女を連れなければなりませんし、彼女の運動神経じゃ4階から降りるなんてまず出来ないとのことでした」
また当日の監視カメラに不調も、避難梯子が使用された形跡も、なされた証言に虚偽も、無かったらしい。
つまり今のところ、女子高生アイドルは忽然と、霧のように姿を消してしまったことになるのだ。
しかしそんなことは普通に考えてあり得ない。だから何かしらこのアイドル消失にはカラクリがある、あるはずなのだ。
「なるほど……」
確かに相当難解事件なことは、ちょっと考えただけでヒカルにも分かった。
「……でも、それをどうして私に?」
難解ならなおさら、どうして警視庁の刑事が自分なんかに知恵を求めるのか? そもそもなんで数多くいる人の中から自分が選ばれたのか?
そちらの問題もまた難解であり、ヒカルは頭に詰まった疑問で間の抜けた顔をする。
「それは今回の問題には、何か理外の存在が絡んでいるのではと、密かに思っているからです」
「へ?」
ヒカルの目が点になった。
「理外の存在?」
「……もはや現実的に考え得る可能性は全て洗いました。その結果、はじき出された憶測は全てに矛盾点、欠陥が生じ、破綻してしまった。だから私は考えました、本来ならばあり得ない、何か非現実的で、超越的なことが起きたのではないかと」
「だとしても、どうして……」
「私は知っています。ここ1ヶ月あり得ないことが起きている。得体の知れない化け物が現れ、人を襲い、またどこかに消えています。彼らは決して自然消滅している訳じゃない。消えるのは、誰かが密かに駆除してくれているから。佐野ヒカルさん、あなたはそれを当然知っていますよね」
「……それは……んん…………」
ヒカルは無性に目の前の水が飲みたかった。その渇きの原因は間違いなく鳴賀刑事による圧のせいだ。
一瞬、はぐらかすことを考えなかった訳ではなかったが、すぐにこの容量の計れない刑事と腹の探り合いをしたくないと思い、仕方なく言葉を変えた。
「えっと、どこまで知っているんです?」
「そうですね。霊獣を倒すため、閻魔様が死者から何人か選抜し、こちらの世界に送り込む兵とした。彼らには特別な力が備えられ、そしてあなたもそのうちの1人である、くらいでしょうか」
「へぇ……全部正解ですよ。一体どうやって調べたんです?」
「参加者の1人と運良く接触する機会がありましてね。その時に大体のことは聞きました」
なら今回もソイツに聞いたら良かったのにと、気が気じゃない心地にされたヒカルは思ったが、鳴賀刑事の回答によると今は運が悪く会えないのだという。
「それで、あなたの知る限りこの難題を突破出来る方はいらっしゃいますか?」
これが鳴賀刑事が最も聞きたいこと、ヒカルでなければならない理由であった。
人智を越えた力による完全犯罪を、彼は睨んでいたのだ。
「そうですね……それで言うなら飛べる奴もいますし、透明になれる人もいますね。あ、透明の人はもういないですけど……。でも私も全員に会ったわけじゃなくて知らないひともいるし……正直分からないです」
「……そうですか」
「はい……」
その瞬きの一拍の間には、刑事の本意が込めらているよう感じられ、ヒカルは申し訳なかった。自分がしたのは期待されていた回答ではなかったのだと。
けれどその後はただ淡々と、鳴賀刑事は今回ヒカルから得た情報をメモに取っていた。
会話しながらチラッと見えた1ページは整然とした文字列で埋められ、白紙のページは残り僅かだ。
そこでまた新たに、ヒカルは刑事の熱意を垣間見た。
運ばれてきたコーヒーに勝るとも劣らない、そんな熱意を。
「……さてと、まだ何か言い残すことはありますか?」
コーヒーを左手に、鳴賀は言外にそろそろお終いにしましょうを匂わせた。
それなら今更だが、ずっと聞きたかったが聞きそびれていたことを聞こうと、ヒカルは決めた。
「確か星崎ミウって言いましたっけ? どんな子なんですか」
「おや、お知りで無かったですか?」
「いやぁ星崎ミアだっけかは知ってるですけどね」
「ミアは姉の方ですね。しかしとんだ無配慮で、まさか顔すら知らないうちに話していたとは」
そう言うと、鳴賀はスマホの画面を開き、ヒカルへと受け渡した。
表示された写真に写る、1人の少女こそが行方不明の星崎ミアである。
肩まで伸びた黒髪を耳にかきあげ、こちらを真っ直ぐに覗く笑顔には愛嬌がある。アイドルなだけあってルックスは当然魅力的だが、なんと言っても目を引くのはその抜群のプロポーションであった。豊かの一言に尽きる胸と、それをどう支えているのか疑問になる細い腰は、男の理想が形になっているようだ。
ちなみにこの時は携帯型ゲームソフトの発売イベントだったらしく、彼女はそのゲームのヒロインの格好をしていた。ゲームの対象年齢ゆえ露出は少ないが、それでも写真越しに彼女の魅力がよく分かる一枚だ。
「……? どうされました」
ふとコーヒーから目線を上げた鳴賀は、呼吸を忘れたかのよう静かに、熱心に写真に食い入るヒカルの様子を見た。
「ちょ、ちょっと待ってください……」
ヒカルの意識はその写真、もっと言うとミウの顔だけに注がれて、記憶との間を離れては引きつけられてを繰り返した。
確証を深めるためにヒカルは指を滑らせる。
加工、パレットから色を選択し、彼女の髪を塗りつぶす。そして至った。
「間違いない」
彼女の髪を赤く染めてやれば、そこに写っているのはアイドル・星崎ミウではなく、炎の魔法少女・フラムであった。
⭐︎
「なるほど、それはそれは」
ヒカルが"フラム"として知る"星崎ミウ"の動向を知らされた鳴賀は彼女を取り巻く事情を飲み込んだ。
星崎ミウが燃える魔法少女として戦いに身を投じていること、自我を消された操り人形と化していること、彼女以外にも同じ魔法少女がいること、そして彼女ら全ての魔法少女たちには……支配する主がいることも。
「そうなってくると、彼女たちを操る黒幕をどうにかしないといけませんね」
「俺たちもそう思っていました。けどその正体が分からないんです」
魔法少女たちは何度か会ったヒカルたちすら、黒幕の姿形は見たことがなかった。それどころか特定に繋がる手ががりすら、一切ない。
途方に暮れる悔しさにヒカルがうつむく。しかし鳴賀は平然と前を向いていた。
「ならばこれから見つけ出せば良いんです」
頼もしい、当たり前だと言わんばかりの声にヒカルは顔を上げた。
「それが刑事がすべき仕事ですよ。諦めるにはまだ早い。罪から人を救い、解放できるのは私たちだけです」
「! でも、どうやって手がかりを掴めば」
「手がかりなら作れます」
「ホントですか!?」
ヒカルは衝撃でテーブルを揺らした。
「ですが警察の力だけでは叶いません。それに手がかりを掴んだ後も、能力者を相手取るならば、今回彼女たちを救うに警察の力だけでは多くの血が流れるでしょうし、そもそもこの非現実的証言では動くかも不明ですねぇ」
ヒカルは鳴賀の発言を聞いて喉を鳴らした。
直接的表現なんて無いのに、皆まで聞くよりもずっと、真意の分かりやすい言い回しであった。
そしてそれの答えももう決まっていた。
「分かりました。協力します」