第三編・その4 わたしが生きるのを邪魔するやつなんてみんな死ねばいい
擦るような足音を響かせながら、ゆっくりと、何かが2人のいる部屋へと着実に近づいていた。
近づく者に2人がそれぞれの思いを内に膨らませ、見合う表情を作る中、ついにやって来たソレは、図らずももったいぶるように姿形を不鮮明にする逆光を背に立った。
しかしもっと近寄ってくれば、次第にその姿は薄暗がりに露わとなる。凶悪な殺人者の、一切の感情が漂わない冷酷な顔がそこにはあった。
だがその顔は、彼の基準では無事でいるセンセの姿を見つけると、たちまち子供のようなにこやかへ変化した。
「来たなリョウキ……」
カオルが忌々しさの中に、どこか対極な感情を共存させた呟きを漏らせば、
「リョウキ……お前、本当に来たのか」
他方センセは予期せぬ事態に懐疑の声を上げた。顔にも出ていた内心での驚きは、死んだリョウキが生き返って、再び目の前に現れた時と同じか、それより大きかったと言っても過言ではなかった。それほどまでに、リョウキがここへ来るとは思ってもみなかったのだ。
もしや人間である以上は仕方のない、命が惜しいと思う気持ちが作り出した幻覚の可能性もセンセは疑ったが、先ほど頬を殴られた痛みが、これが確かな現実だと告げている。
「なにその顔? 助けに来たんだよ、センセのこと」
「?! お前が……助けるだと……」
センセはますます疑心に溢れ、それを示す目を見開いた表情でリョウキのことを凝視した。
リョウキはその凝視に、彼を知らない人には安心感を与える綺麗な笑顔を返す。
だがその行き交う視線は、遮るように立つカオルによって断たれた。
「どうやら送った招待状は読んでくれたようだな」
持っていた箒を気付かぬうちにドスに持ち替えていたカオル、その感情もドスのように鋭く、磨がれていた。
表情こそ温和であったが、その真実の感情はマゼンタの毛先の奥にある両の目に、如実となって表れていた。
「……ああ、読んだよ。読みやすかった」
自身に向けられた感情に気づいたものの気にはせず、リョウキはいつもより落ち着いた口調で答えた。
「……なら今から要求することも分かるな?」
カオルは背中越しに、センセに刃を向ける。
剣先がわずかに喉元に触れ、金属の冷たさが背筋を震わせた。それは死がもう5センチのところにあることを知らしめる感覚だ。
しかしカオルが脅しをかけている本当の対象であるリョウキはというと、わざわざ折れた脚を引きずりながら助けに来たセンセがすぐそこで死の危機に瀕しているというのに、ただ「わかってますよ」と言っていそうな表情だけを浮かべていた。
基本的に、リョウキという人間の知能を信用せず、見下しているカオルだが、こういう命が関わる修羅場での察しの良さはあるだろうと思っていた。だけれども、そんな表情されては分からないから、一応齟齬のないよう陳腐な念押しをする。
「俺からの注文は1つしかない。お前の命を差し出せ、それを見届け次第コイツを解放してやる。だが拒否するなら……」
カオルが柄を握る手に力が入り、そしてセンセは峰で顎を上げられた。髭を剃れていない首元が、ことさらに無防備である。
「さぁ、お前の命を絶て!!」
呼応するように建て付け悪い窓が、風でガタガタと揺れる。
リョウキは目を閉じていた。長々と、しかし時を感じさせず、大木のように落ち着き払って。
やがて、その目をゆっくり開くと、端的に言い放つ。
「え? やだよ」
それは、軽々しくも、場をしらけさせるに十分なたった4文字であった。風だけは空気を読まず吹き続けている。
「……嫌だと?」
カオルはわざとらしく刃を鳴らして威嚇するが、静寂引き立てる死の音を聞いても、リョウキはどうでもよさそうに顎をかき、それを見かねてカオルが確認を取るほどであった。
「助けに来たんじゃないのか」
「助けには来たけどさぁ、命を捨ててまで助ける気なんてわたしゃにゃこれっぽちもないんだよ。だって取引って、フツーていうか絶対等価交換なわけじゃない。だからさ、自分の命と他人の命じゃあ……取引にならないよねぇ」
そこでセンセはようやく自分の過ちに気づいた。
別に情が無ければ必ずしも人助けをしない訳でもなければ、その逆も然りであると。
ソシオパスの行動の価値基準とは、残酷なまでに自己に利するかどうか。人助けだって、単純にその価値があると判断すればする時はする。
だからリョウキが来てくれたのも美しい友情や絆などではなく、単純に自分に存在価値があると思われてるからにすぎない、ただそれだけのことなのだと。
ちなみにこの間、わずか5秒であった。
そして情の介在しない純粋評価で、まだ生かすに値すると思われていることが、ちょっと誇らしくもあった。
「……今の発言は、取引に応じる気がないと受け取るが、それでいいな?」
「そもそも成立してないんだ、この取引。だからまぁ、答えはそうね」
「そうかそうか、ならコイツはここで終わりだ。…………何だ?」
カオルは目の前のリョウキが目を丸くしていることを訝しんだ。
「今更文句でもあるのか?」
「いや、もう殺そうが何しようがあなたの勝手だけど、今でいいのかい? わたし本気だしちゃうよ?」
「…………」
少なからず思うところがあったのかカオルは沈黙した。するとリョウキはしたり顔で続ける。
「人質ってさ、取られた方はそりゃあ大変だけど、取った方もまあ大変だよね。殺すタイミング……ムズいよぉ……」
「まぁ分からなくもない。…………それに」
「!」
椅子に縛り付けられているセンセは咄嗟に体を強張らせた。
ガシャンッ!!
センセが座る椅子が音を立てて倒れた。
カオルが容赦なく椅子を蹴り倒したのだ。
「集中力も削がれるな。一つに向けるべき焦点がボヤける。そんな状態じゃあ兎だろうと狩れやしない。ましてや俺が今殺り合うのは、化け物だからな」
ドスの柄を持つ右手を1度胸に当て、そしてカオルは刃先を微笑むリョウキへと向けた。椅子ごと倒れたセンセには一瞥もくれない。能力も使っていない。見ているのはリョウキだけ。
「雑音は邪魔だ……。2人だけの、真っ向勝負といこうか……」
「ハハッかかっておいで、わたしちょっと動くのしんどいから」
殺し合いにかける互いの熱量はかけ離れていた。
カオルは口を真一文字に結び、リョウキの口は三日月に開いている。
だからカオルは無言で火蓋を切った。
けん制として、刃に溜めた鎌状の魔力を低弾道に振るい飛ばす。
切断力に長けた赤い魔刃が尾を引いてリョウキの目前に迫った。が、リョウキはそれを左脚一本で跳ね、残光ごと避けてみせる。
「動くのしんどいか?」
「ああ! しんどいね! しんどいしんどい」
そうは言いつつ、リョウキは繰り出される剣撃を次々かわしていく。
少なくともそれは脚を骨折している人の身のこなしではない。
しかしカオルにはハッキリ分かる。今のリョウキには何者も寄せ付けない、いつものキレはないと。
「もうあなたにはうんざりだよ。ロクでもない」
「それは、褒め言葉として貰っておこうか!」
カオルがドスでなぎ払うと、リョウキはコマのように回って大げさな回避行動を取った。
磨かれた床と靴底が擦れ、黒板を引っ掻くような耳障りな高音がたつ。
「……なんでわたしに構うの? 好きなの」
「生憎様!! そんな趣味はないッ!」
振り下ろされた刃が床を砕く。
「どうした、攻めてこないな。逃げるので精一杯か?」
「いやぁ……そうでもない!」
あっという間も無く、リョウキは間合いを詰め、左脚を深く踏み込んでの……。
右ストレートが来ることをカオルは予見している。
首を傾け紙一重を演出して避けると、ドスで斬り返す。
ザッッ!!
「っ!?」
血飛沫は露も無い。
だが振り下ろされた刃は、薄皮一枚は持っていった。
そしてリョウキは、斜めに一筋切られた服の、心臓のあたりを押さえて具合を確認した。
「……へぇ。あなたはホント、よくよくやってくれるじゃないの。あなた相手には、ホントに殺されるかもって、思わなくもないよ」
褒めているようで、その実完全に見下していることがひしひしと言の葉から漂っている。
しかしカオルは屈せずほくそ笑んだ。
「余裕だな。だがもう俺には見えているぞ。お前の死に顔がな……」
「ま、見るだけならだれにでもできるよね」
「もうすぐ再現も出来る。お前に見させられないのは当然だが、残念だ」
今度は静かなる探り合いの幕が開ける。
目で抑止し合い対面に立つ、達人の間合いを保ったまま、両者は反時計回りに円周を描くよう足を運ぶ。
平らな床の上、2人の足は踏みしめる…………。が!!
カクンッ
「?!」
どうしたことか、リョウキは何の変哲も無く見える床で、階段を一段踏み外したようにつんのめる。今、踏みしめた床は虚像だったのだ。
しかも全体重は折れている右脚にかかり、激痛がリョウキの頭を真っ白に染めた。
「待っていた! この時、この瞬間」
いよいよ現実になった一瞬の隙を狙って、カオルは詰め寄るや否やドスを勢いよく振り下ろした!
「! リョウキっ!」
カオルの背中の向こうで、血飛沫が上がったのが見えたセンセは叫ぶ。
「ぐあっ……」
殺した人数に似合わない、可愛い呻き声と共にリョウキは倒れた。
「!? 浅いかッ」
今度こそと、カオルは柄を両手に持って、倒れるリョウキを突き殺そうと。
その刃は転がり避けるリョウキを捉えるには至らないが、何もかもが無為ではない。
リョウキは左手の親指から血をポタポタ滴らせ、左肩も紅で染めながら、力ない足取りで立つ。息づかいも荒かった。
「しぶとい野郎だ」
仕留め損なったカオルは舌打ちした。
致死を重傷に留められた。刃は首筋を狙ったというのに、捨て身の手のひらの盾によって僅かに太刀筋を逸らされたのだ。
その一方でセンセは、立ち上がったの姿にリョウキに胸をなで下ろし、感嘆もしていた。
しかし束の間、悪寒が襲う。
「ふ……ふふ………フヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
その笑い声は地獄にまで届くようで、甲高さは人が抱く恐怖心を揺さぶるものだった。
「あなた、ホンッットに……邪魔だなぁ……」
リョウキは親指をしゃぶった。唾をつけても、流れる血潮は止まることを知らない。
1秒、1mlごとに命が遠のいていく瞬間だった……。
「正直、ここまでされるのは思ってなかった。こうなったらあなたが強いの、それは認めるよぉ! ……でもね」
けれどリョウキはこの瞬間に、
「わたしは死なないんだよ。わたしはわたしの願いが叶うまで、絶ッッ対死なない!!」
と、世界も怯える狂おしい歓喜の表情を浮かべて言った。
「この期に及んで何を」
「殺すんだよぉ!! ア・ン・タを……」
昂ぶるリョウキは目を爛々と輝かせ猛然と。
脚の痛みも、指の痛みも、肩の痛みも感じてはいなかった。濃すぎる殺意で脳味噌がエラーを起こしていたのだ。
とにかく痛みが吹っ飛んだんだからいつものリョウキの強力は戻った。どころか普段からかけられているリミッターも外れて……発揮する力は人間の計りを超えていた。
『まずい!!』
そう思ってカオルが咄嗟に貼ったバリアは、申し訳程度の緩衝材になったかすら怪しく、身体は発泡スチロールのように飛ばされた。
「クッ……これは、想定を……ッ」
崩れ落ちるカオルを尻目に、リョウキはまた高笑い響かせてセンセの方に歩み寄る。
そしてしゃがむと、手の拘束を片方は引きちぎり、もう片方は密かに持ってきていたメスで切った。
リョウキは切った縄と血の滴る左手を、足を縛られたままのセンセの眼前に突きつける。
「早よきっっつくしばれ!! 早く!!」
凄むリョウキの剣幕に圧されながらも、流石はセンセはプロなだけあって、手際良く縄で手首を縛り、簡易的にだが止血処置を施しを。
「この野郎……この期に及んで、盤面を返されてたまるか!!」
だが意地で腰を上げたカオルは、この2人ごと異空に飛ばしてしまえと、刃にありったけの魔力を収束させた。
「早く!!」
「急かすな!!」
丁度、その魔力の充填が完了するかどうかの瀬戸際で、センセによる処置が完了……と同時にリョウキは矢のように跳んだ。
「殺してやるよッ!!」
「!? 間に合わッ」
カオルは目前に迫るリョウキの姿にその判断を下す。
機転で溜めた魔力を最硬のバリアに変え、迎え撃った!!
「ぐ…………うわっっ!!」
「くっっ!!」
激突の果て、両者は共に衝撃で身を投げ出された。
しかしリョウキは目覚め、頭を振ると、四つん這いで顔を上げた。
すると膝をついているカオルと目があったので思わず吹いてしまったが、体は勝手にトドメを刺そうと、フラつきながら走っていた。
「…………」
パチンッ
カオルが見せつけるように指を鳴らした。
これはもしやと思いつつ、リョウキは迷わず側頭を殴りつける。が、当たらない。
確かにそこに姿はあるのに、当てられない。そこに姿は見えるのに掴めない。何をしようと干渉不能であった。
「今日は、ここまでだ……ッ。今日こそ決着つけようと思ったんだが、そう上手くもいかないな」
脇腹を押さえながらカオルは言った。
「また後にするの。もう今つけようぜ?」
リョウキは口を尖らせたが、カオルが構うはずもない。空間を切り裂いて生成した道に飛び込んでいった、寸前で目くばせを残して。
『焦らずともまたすぐに会える。決着はその時に必ずつけよう。それまではお互い、生きた心地なく、生きよう…………』
「チッ、逃げられちゃった」
と、遠ざかっていく頭の中の声を名残惜しむリョウキの肩に、手が置かれた。
「あ、センセ。ほどいたんだ」
リョウキが振り返ると、疲れたセンセの顔があった。けれどその顔はどこか安堵もしていた。
「追っ払ったか」
「……ああそうだね」
「全く、慇懃無礼で鼻につく野郎だ。お前も災難だな、あんな奴……」
言いかけてセンセは慌てて腕を伸ばす。その腕にリョウキは収まった。
突然うなだれたかと思えば、そのまま顔面から倒れそうになったのだ
医師なだけあって卒倒の原因解明は早かった。
病名はおそらく迷走神経反射、興奮が冷めた結果、身体を襲う激痛を思い出し、防衛反応がリョウキに意識を手放せたのだろうとの診断をセンセは下した。
「……やれやれ、手間のかかる」
そう言いつつ、そっと地面に横たえると、ちゃんと服の締め付けを緩めてあげるセンセなのであった。
「にしても、久しぶりに見たなぁ、あの顔」
かつて見たリョウキの狂喜の笑みは、今も変わっていなかった。
黙っていれば深窓の令嬢に見紛うというのに、あの豹変のしようは狼憑きのようだ。
「"邪魔"……か」
このワードが飛び出したからには、もはやあの魔法少女風情の男もお終いだろうと、センセは確信する。
昔、なぜ人を殺すのか尋ねた時、リョウキが言い放ったことを思い出していた。
まだランドセルを背負う歳に親を殺し、放り込まれた施設で職員と入居者を皆殺しにしてやり、拾われた組を血の海に沈め、辿り着いた奈落の底で。
「わたしが生きるのを邪魔するやつなんてみんな死ねばいい」
それは座右の銘には物騒な、死を経ても変わらない彼の人間観である。
第三編の締めくくりです。
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