第三編・その1 人のサガ
※今回の第三編と前回の第二編は、時系列的には逆転しています。
具体的には第三編はテツリが気絶している最中の時間で、第一編・その4と第二編・その1の間に挟まります。
カチコチと規則正しい、ノスタルジーの誘いを奏でる振り子時計の短針が7時を指し示す。ボーンボーンと寂しげで不気味な鐘の音が華麗なる食卓に鳴り響き、遠ざかっていく。
煌びやかな明かりが灯される下、誕生席に座するはこの屋敷の御曹司、氷上ハレト。その脇に背筋を伸ばし控えるのが専属メイドのマイである。
円盤のような平皿に注がれた、温かいオニオンスープから立ち昇る湯気の向こう側、メイドのマイは一見平坦な表情を取り繕っていた。しかし内心は違う。
「今日が昨日にもならないうちに、よくもまぁそんなこと言えますね」
呆れと侮蔑を込めて、マイは向かいの短辺に向けて淡々と言った。メイドである彼女が、客人であるカオルに向かって。招かれざる客とはいえ。
「状況なんて刻一刻と、瞬きしてるうちにも変わるものだ。そんな形而上の枠組みは関係ない」
彼女の陳腐な嘲りをカオルが若干棘のある口調であしらう。けれどマイは平然を保ったまま「一理あることは認めましょう」と答えた。
「ですが、こう何度も何度も性懲りなく、こちらの助力を乞う姿勢は如何ですかね?」
「それも仕方ないことだ。こっちとしてはなりふり構ってもいられんのでな」
そう言うカオルは薄ら笑いしていた。だがその目は濁り、笑っていなかった。
仕方ないと言いつつ、本心はこの状況を受け入れがたく思っている目だ。
しかし、それでもやらなければならない理由がカオルにはある。
「機が来ている。もう一度言うが、今がリョウキを殺すチャンスだ。今の奴は手傷で力に陰りが出ている。この機を逃す道理はない」
わざわざ繰り返すなんて真に迫ってること、と聞いていたマイは他人事的に言動と感情の連関を分析した。
とは言え実際は他人事ではない。
カオルの要求は戦力として魔法少女たちを提供してもらうこと。
正直な話、それ自体はマイにとっては興味のわかない小石のようなものだ。どうぞ好きなように扱ってくれといった話である。
しかし魔法少女はマイの主であるハレトのもの、そしてハレトは自らの所有物である彼女たちを、信用できないカオルの指示で動かすことは気が乗らず……。
だからこそ敬虔なメイドであるマイも、無条件に気が乗らない。破綻して欲しい交渉だった。
「手傷程度で、本当に強弱がひっくり返るか甚だ疑問ですねぇ。確か以前には火達磨にしたのに返り討ちに遭いかけ仕留めきれず。で、結局今のザマなのでは?」
それで冷ややかな目をマイが送ると、カオルは足を踏み鳴らして詰め寄る。
一触即発かにも思えたが、お互いが相手方に触れられないよう保ち自重した。
そしてカオルは口先で笑う。が、すぐに真顔となった。
「……あれは少し油断しただけだ。それにあの時とは俺の強さも違う、戦力も違う。覆るに足る理由は十分だ」
「そうは言っても、あなたの見立てはこれで2度外れている訳です。未来が視えてる割には、中々当てになりませんね」
語尾には「フッ」と嘲笑がついてきた。
カオルは口を開きかけて沈黙。きっと荒ぶる心を静めるためか、床を見て三度頷き返してからその口を開く。
「よく喋る、口の減らない女だな。お前ばかり喋っているが、そもそもの決定権はお前にあるのか?」
「いいえ。私は一介のメイドに過ぎませんから」
「なら結局のところ、答えはどうなんだ? 氷上ハレト」
名指しされたハレトには、2者の視線が突き刺さる。
このメイドと客人の舌戦に加わりたくないのが正直だったハレトにとって、この突然の焦点合わせは、ついに矢面に立たされた体だ。いつか来るとは分かっていても、この瞬間に来るのはやはり息を呑む心地であった。
そして、しばらくうろたえて「えぇっと」だの「それはその」だの煮え切らないでいると、
「早く決めろ。俺に魔法少女たちを貸すのか? 貸さないのか? どっちだ」
カオルが突き刺すように言うので、不可抗力でハレトは粘ついた口を開く。
「いやまぁちょっと……今回はちょっと、貸せない……かなぁ」
とりあえず歯切れは悪くも本心を丁寧には伝えた。愛想笑いと頭をかくのはちょっと素振りを見せた方が心証を良くなると思ったからだ。
だが、つまりは『今回は手を貸さない』と聞くとカオルは不服そうに「何故だ」と聞き返した。
ハレトは困りつつ、もっともらしい理由を持ち出す。
「いや、今日の戦いでさ。みんなもちょっと手傷を負ったんだよ。心配しなくても、命に別状はないよ。ただちょっと明日明後日でまた戦えって言うのも酷なもんでさ。無理って言うか……」
実際ウソは言っていない。手傷を負ったのも、戦わせるのがリスキーなのも偽りでは無い。ただ貸せない本当の1番の理由は、やはり嫌だったからだ。不純な理由である。
「ほぉう……。そうは視えないけどな」
「は?」
何言ってんだと思い口に出しつつ、カオルのしたり顔を、少なくともハレトがそう感じた顔を見て瞬時に思い出した。
カオルには、視えないものなどないことを。
おそらく別室に控える彼女たちの様子を千里眼で見られ、外傷の具合まで観察されたのだと、ハレトは悟った。
……いや何勝手に見てんだよ! 羨ま……けしからん能力だな!!
と、心の中では盗撮?したカオルに悪態をつきつつ、ハレトは面従腹背を繕う。とにかく穏便が欲しくて。
「いや……ボクたちと違って純粋に生きてる人間なんだから……怪我も悪化するし無理に動かせば治りも遅くなる。あんま無茶しいは効かないんだ……。こっちとしても手駒を失うのは避けたいんだ」
「……なるほどな」
「分かってくれたかな……」
「……分からないな」
「…………へ? 今なんと?」
空気が一変した。
こう言えば流石に納得するだろうと、そうした趣旨の回答が来るものと決めつけていたハレトは、予想外の刃向かいに波だった困惑をした。
ハレトが普段、話をする人と言えばマイしかいない。メイドである彼女は、時には冗談めかした軽口を叩くこともあるが、本質的にはちゃんと敬ってくれるし、契約した魔法少女たちも大概従順だ。
刃向かわれるなんて滅多に無い経験。それゆえ困惑が筆頭だった。
「俺には分からないな。1度しかない機を逃す選択を取ることなど」
カオルはそう言うと、己の首を捻り鳴らした。
フラフラと落ち着き無く小円を描き歩き、そしてまくし立てる。淡々と、だが威圧的に。
「それにお前が支配する魔法少女たちはただのハーレム要員か? ただお前を気持ち良くするためだけに置いているのか? それも悪くはないが、そんなんじゃ足りない。お前の能力はこの社会の成り立ちその物だ、残酷で乱暴な正義を秩序とする。世界を見てみろ、そしたら教えてくれる。お前の能力にはもっと有用的な使い道があるとな」
「………………使い捨てろ……とでも言いたいのでしょうか」
見返り、ハレトに問うように指先を伸ばしていたカオルに、そう答えたのはマイであった。
カオルは雄弁に鼻で笑ったが、ハレトにも分からせるよう口にも出す。
「そうだ。それが正しい扱い方だ。望むまま、思うままに使って、使って、潰れるまで使い倒す。潰れたらまた新しいのを持ってくる。それがお前の能力なんだよ」
言い終えると場は静まりかえった。微かに聞こえる時を刻む音が、空気を余計に重たく、際立たせていた。
「そんな冗談じゃない! そんなもったいないこと」
可憐な魔法少女たちが惨めらしく命を散らすところを想像して、ハレトが異を唱える。
現実のリョナはそこまでそそられないらしい。
しかしあらかじめその思考の返しを持っていたカオルは
「しみったれたこと言うな。女なんて星の数いる。どうせお前は自我を縛りあげて感情も消すんだろ。だったら代替を見つけ出すのも簡単だ、外面だけなんだから。代わりはいくらでもいる」
と、誰に対しても失礼極まりない論理を意に介さず言ってのけた。さらに案はこの1つだけでなく二の矢も。
「それが嫌なら、今の魔法少女たちとは1度契約を破棄して、一旦代用を見繕えばいい。今のお気に入りは幽閉でもして、事が済んだ後にもう一度契約を結び直せばいい」
「…………」
一応、おかしなことは言っていない。それに合理的ではある。いや、合理を極めすぎている。
ハレトがカオルの演説に感じたのはそんな印象だった。もっとも論理を納得は出来ず、多分これから何があっても拭えないのであろう不信感しか無かったが。
それに、なんでそこまでしてやらなければいけないのか……、という気持ちも。
マイも同じように思っていた。
「随分と大層な物言いでしたが、今言ったことは結局のところ、あなたが我が儘を通すための理由付け、ただのペテンでしょう? 申し訳ありませんが、あなたの合理に、私たちまで付き合う必要が、私には分からないです」
「分かる必要もない。お前たちはただ、俺の言った通りにすればいい」
「…………は?」
それは流石に許容オーバーであった。
ここまでぞんざいな口の利き方をされれば、外面を取り繕えなくなる。
小心、臆病も関係ない。
押さえつけていた感情は、力を蓄えてより弾む。
「おい、今なんて言った?」
「安心しろ、お前が聞いたとおりだ。本当に聞こえなかったのならもう一度言ってやろう」
舐め腐ったカオルの態度で、ついにハレトの堪忍袋の緒が切れる。
食卓を両手で叩き、立ち上がる。その怒りは食器を浮かせた。
「…………こっちが黙って聞いてりゃぁ、勝手なことほざきやがるな!?」
「やっと、本当の顔を見せてくれたな」
もっとも、怒りの歪むハレトの顔を見ても、カオルはどうとも感情が動くことはなかった。
だが、ハレトの感情は動き出して止まらない!
「お前何様だ!? あんまりボクを舐めるなよ!! お前がそう言う態度を取るなら、こっちにも考えがある!!」
「何だ?」
カオルに尋ねられると、ハレトは悪趣味な笑みを浮かべ、そしてあえて激情ではなく静かに言った。
「……契約破棄だ。お前と結んだ契約は無しにする……」
それが1番困ると思ってハレトは言った。
「破棄ね……。それは困る」
目論見通りの言葉を引き出して、ハレトはやったと、内心ガッツポーズしたい気だった。アクションは抑えつつも、どうしても口が歪むのは抑えなれなかった。
今までも散々、自分を都合良く扱ってきた下民を屈服させたのだ。小さな事だが喜びは格別である。
だが……喜びは束の間。
「とでも言えば満足か?」
カオルもまた、嘲笑う目でハレトを見つめる。
「したいなら破棄すれば良い。だがもしそうなったら、お前はもう眠れない夜を過ごすことになるぞ?」
「どういうことだ!」
「もし契約破棄するなら、俺はお前を容赦なく殺す。しかも俺はここの出入りに事欠かない。その意味は分かるな?」
「!?」
そう言われたハレトは、どんなに鈍感な者でもまず気づくくらい狼狽した。
「お前は自分の命を狙い、自由自在に懐に入り込める奴を、野放しすることになる。お前は常に忍び寄る俺の影に怯え、震え、安らぎは片時すらない……」
ハッとして気づけば、ハレトは知らない世界にいた。
上も下も分からない。時間も空間もあるかも分からない。気持ち悪い浮遊感が身を包んでいた。
けれど笑い声……カオルの笑い声が背中から、振り向いたその背中からも、足下から、頭の中から、どこからも聞こえてくる。
「大丈夫か? 一時の激情に身を任せて、結末が見えなくなってるんじゃないか?」
そこは今のハレトの心の中。
まるでおぞましい物の怪たちに見られているようで、息苦しくて、囚われていた。
「そんなことはありません!」
言霊によって物の怪が除けられ、意識も現実に引っ張り出された。
トリガーはやはり、いつもハレトを世話して助けてくれる、馴染みのメイドだった。
「マイ……」
その名を呼ぶと、マイは瞬きで『大丈夫です』とハレトに訴えかけた。
「ハレト様のお側には私がいます。私がいる限り、ハレト様には恐怖も悪夢も死も、見させやしませんよ」
力強い凜とした声で、カオル相手にマイは言ってのけた。
「フフッ、頼もしいservantだ。俺も1人欲しい」
「あなたになんて仕えませんよ、誰1人」
と、お互いに罵り合うと、保たれていた剣呑な2人の間合いが、カオルによって詰められた。
「……さっき言ったお前の言葉が本当に正しいか……。1つ試してみるか?」
「……この際それもいいでしょう。ですが少々お待ちを……」
2人とも、言わんとするところは分かっていた。
マイはおもむろに、窓の方に。そして窓を開けっ放しに。
夜風が入り込み、カーテンがバタバタと、荒々しく揺らめく。
そして窓を開けるだけして、マイは元の立ち位置に戻る。
さっきまでも張られていた緊張の糸は、より張り詰められて震えていた。
マイの手にはいつの間にやら、彼女の背丈ほどある長い箒が、そしてマイはカオルに会釈した。
挨拶は、戦いの前の儀礼でもある。
次の瞬間には、マイは仕込み箒の刃を、カオルは懐に秘めていたナイフを抜いていた。
対照的な獲物は衝突し合い、互いの精神を象徴するかのような火花が。
両者は刃に互いの顔が映るほどにじり寄って、互いを打ち負かそうと力を込めていた。
「そんなもの忍ばせてたんですね、銃刀法違反ですよ?」
「死人に適用する法は無い」
舌には大差ない。
だが力勝負は彼らに力を与えた者と性別の差でカオルの方が数段上。
しかし修羅場を潜った場数と機転の良さでマイは抵抗する。
柔よく剛を制す。
マイはよく気がつくその両の目でタイミング見計らい、カオルの刃を逸らす。
力を透かされ総崩れとなったカオルは食卓の食器をなぎ倒した。すぐさま、振り返りざまに右手1本でナイフを振るうが、到達よりも僅かに早くマイが心の中で唱える。
『【動くな】!』
見えない力に取り込まれたようで、カオルはマイの唱えたとおり硬直した。
そして動かない的となったカオルのみぞおちを、マイは後ろ回し蹴りで蹴り飛ばした。
吹き飛ばされたカオルは図ったかのように、先ほど開けられた窓から暗い暗い庭へと叩き出された。
マイはそれを追う。食卓に足を乗せるのは行儀が悪いから、手だけをついて転回して乗り越える。靴下も瞬で脱ぎ捨てると、颯爽と窓から外へと。
短くも激しい攻防に、見守るしか出来ず1人部屋に取り残されたハレトは、とりあえず今からもその見守るを遂行しようと窓際へ寄った。
暗くてよく見えない。だが刃がぶつかり合う音と、息づかいはなんとなく聞こえていた。
しかしその息づかいに呻き声が混じったかと思えば……。
ガッシャッァァン!!
と、窓ガラスが大きな音を立てて割れ、部屋の中に飛び散った。
ガラスを割った物は、食卓にも勢いよく衝突し、ガラスの雨を浴びた。
「……マイ!?」
ハレトは飛んできた物の正体がマイだと見とめると、すぐさま駆け寄った。
「くっ………申し訳ありません……。この、体たらく……」
ガラスが割れた散乱する床うずくまるマイは肩を震わせていた。顔を上げると口から血を零していて、整った顔もガラス傷で出血していた。
「残念だったな。精神操作系には強いんだ」
唇の血を拳で拭き取りながらカオルは戻って来た。
「能力の相性は、悪くないと……思っていましたがね……」
「だが格付けは終わりだ……。悔いはないな……?」
カオルの手には、敗者に然るべき結末を与えるための、ナイフが握られていた。
「ありまくりですよ……。ハレト様を残して、逝けません」
だから倒れるわけにいかない!
マイは身を奮い立たせて立ち上がるも、足取りは死にかけの老婆であった。
それでもなお、主のために戦おうとする彼女の心を、カオルは奴隷根性と断じて嘲笑を禁じ得なかった。
「今がお前の使い倒される時だ」
歩み寄るカオルだったが、それを「待て!!」と制止する声と、立ちはだかる者が。
「邪魔する気か? 氷上ハレト」
「お前にしてはわかりきった質問だね」
見下した前置きで優位性を錯覚させてから、ハレトは震え声で言う。
「……もしマイを殺したら……この場で契約破棄だ」
「フッ、この期に及んで下らない脅しを。それは何の意味もないと言っただろう」
だが、ハレトは憎たらしい所作で首をかしげる。
「本当にそうかな? もし契約を破棄すれば、お前はボクから手に入れた力を手放すことになる。そうしたら、随分と躍起になってるリョウキのことを、殺せなくなるんじゃないか?」
「…………」
「ボクたちがお前を信用していない、この際ハッキリ言っちゃうと嫌いなのと同じように、そっちだってそうなんだろ? なのにこんなに何度も頭下げてくるのは、つまり必要だから。その男を殺すにはボクたちの手が。違うのか……」
「…………ククッ」
「何がおかしい!」
喉の奥から笑うカオルは、ハレトを己の審美眼にかけた。それは初めてのことだ。
「よく言った。流石腐っても氷上家の血を継ぐ者。一世一代の大見得だな」
「……ふん!! 図星みたいだね」
「それはどうだろうな」
しかし、カオルはナイフを懐にしまい込んだ
この場での決着は諦めたのだ。
マイが抑止力にならないことは、悪くない収穫であった。
けれど勝ちに触れても掴むことは出来ず、保留しなければならい。
そしてカオルは去り際にこう言い残した。
「図星かどうかはこれから決める。それと最後に1つ。リョウキは殺しておくべきだ、そうしないとお前たちもそのうち後悔する」
「それは、あなただけじゃないですか……」
「……」
最後と言ったから、これ以上言葉が続く必要はなかった。
カオルの姿は暗がりに消え失せた。自分が思う、すべきことをするために。
前書きで述べたように、今回の話と前回の話は時系列が逆転しております。
ご容赦下さい。