第一編・その4 時空の破者
今回にて第一編は締めくくり。
ビルが建ち並ぶコンクリートだらけの街中、道路のど真ん中に鎮座する氷のかまくらは妙な存在感を発している。
かまくらの出入り口は、卵から孵るヒヨコがつついたように歪であった。
そこから20メートルもない路肩、ブリリアンに変身していたなら一っ飛びで駆けつけられる所で、ヒカルは煤だらけの顔で安らかに眠るテツリを、片膝の上に置いていた。
「良かった息がある」
今しがた首筋に当てた、青アザで醜い指がハッキリとした脈を捉え、ヒカルは息をついた。
青アザは氷のかまくらを素手で殴ってついたもの、両手とも中指の骨にはヒビが入っている。
しかしヒカルはそんな痛みを感じることはなかった。もっと痛い思いがあった。
「ごめんテツリ、俺のせいで……」
目と鼻の先にいたのに、助けてやれなかった無力。
一瞬の隙をつかれ、かまくらに閉じ込められて手出しが出来なくなった自分のせいで、テツリは意識が無くなるまで痛めつけられてしまった。
決してヒカルが悪い訳ではない、むしろ今のテツリの姿がヒカルと置き換わっていてもおかしくはなかった。失態にも過失はなく、誰も責められやしない。
ただ、なんとかしてやれたんじゃないかと思う不甲斐なさが、どうにも痛かったのだ。
「あの子たちもいなくなった……。でもこんなんじゃあ……」
閉じ込められた後に、魔法少女たちがどうなったのかヒカルには分からない。
けれど、意識のないテツリが1人取り残されている状況から、残念ながら好ましい結果は得られなかったのだと、ヒカルは眉間に皺を寄せた。
だとしたら、出来ればもう少しの間、テツリには眠っていて欲しい……ヒカルはそう思わずにはいられなかった。そしてその場で意味もなく黄昏れていた。
ヒカルの身の毛がよだったのは、そんな折だった。獲物が、捕食者に目をつけられたかのように。細胞の一つ残らずが悪寒を感じたのだ。
「おやおや、なんだあなたたちずいぶん仲がいいと思ってたけど、もしかしてそういう関係かい?」
その原因の答え合わせとして遅れて聞こえてきたのは、男性にしては甲高い声での冷やかしだった。
「!? リョウキ!!」
顔を上げて目と目が合った瞬間、ヒカルの目は即座に泳ぎ、あからさまに不自然な頻度で瞬きしていた。喉の奥が渇く思いだった。
「よ、元気? ……と聞いてはみたけど、そうでもないか」
リョウキの目線は膝の上のテツリへ向けられていた。
「最近はよく会うねぇ」
「な、何をしにここに……」
「んー、そんな目で見るなよ。戦意のないあなたたちに手を出そうなんて思ってないよ」
それは本当なのだろうか……。
どちらにせよ、ヒカルは額に冷や汗を浮かべる。
「わたしはただ、霊獣を倒しにきただけさ」
「あ……」
その一言でヒカルは思い出した。そういえば自分たちもそうだったことに。
「で、どこ? 霊獣は? いつも逃げる方だから、探すのは案外下手だったみたい、わたし」
「えっと……」
失念していたヒカルは左を向いて、右を向く。その先で見つけて指を指す。相変わらず霊獣を閉じ込めていた氷塊を。
「なんだコレ? コレ霊獣なの?」
分厚い氷に阻まれて、中の霊獣の姿は間近でもぼんやりとしか見えない。
「見逃しちゃうね、うっかりしたら」
リョウキがそれをノックすると、コンコンと軽い音がした。感触についてリョウキは「カチコチだね」といかにも見たまんまな感想を口に出す。
「ねぇ! これあなたがやったの?」
リョウキは声を届けるために張り上げた。
「いや俺じゃない」
口で言うのと併せて、ヒカルは顔の前で手を振ってアピールする。
「ふぅ~ん……。まぁ誰がやったかはどうでもいいけど、メンドーなことしてくれたこと」
と言いながらも、リョウキは後ろ手を組んで、彼の素性を知らない人になら安心感を与えるにこやかな表情を浮かべて、余裕な素振りを見せていた。
まぁこれなら戦う必要はないし、その分の手間はないのかと、そう気づくより前にすでに余裕があった。
「コレわたしが倒していいよね?」
「あ、ああ」
ヒカルは即答する。
この男と戦えばどうなるかをよく知っているからだ。
悪あがき、予定調和、無謀、玉砕……リョウキとの戦いを表すに相応しいワードはロクでもない。
とにかくも今を生きるには、リョウキに殺意を向けられてはならないとヒカルは自覚している。だから不要な刺激はしたくなかったのだ。
「そったらまぁまぁ」
氷塊を見定めると、リョウキは唇を舐める。
「わたしがいただきますか」
と、リョウキは誰に断るわけでもなく呟き、そして拳を引き絞った。
…………しかしその体勢で、リョウキは静止した。構えた拳も打たれない。
ヒカルもなぜリョウキが身じろぎしないのか疑問に思いつつ、その光景を見守っている。
が、リョウキは訳も無しに制止した訳ではなかった。この時リョウキの神経は研ぎ澄まされており、それが異変を感じ取っていた。
「…………」
リョウキは目を閉じる。
そうすることで、普段は視覚に依存するせいで見えない微細な事象が際立つ。
小鳥のさえずり、地下を流れる水、そして風の音……。
リョウキはカッと目を見開く。
その刹那、ヒカルの耳にも幻想的で不気味な、鯨の鳴き声のような音が飛び込んで来た。
「へ?」
ヒカルは目を点にする。
聞き覚えのない音が聞こえたかと思えば、赤い何かが残光を引いて、目と鼻の先を通り過ぎていったのだ。
「チッ!」
その進路上にいたリョウキは、いち早く危険を察知していながらもすんでのところで飛び退き、地面を転げる。
それによって三日月状の赤い光は、代わりに同じく進路上にあった霊獣入りの氷塊に激突する。すると激突された氷塊は、その光が回転して空気中に発した渦に、抉られたように呑み込まれていった。一呑みである。
「な、何が起きたんだ……」
ヒカルがうろたえる中、リョウキは……
「あそこかな」
早くもあたりをつけていた。
視線は近いとは言えない位置にある、航空障害灯が点滅する高層マンションの屋上をやや見上げており、間には遮る物は無くクリアーである。
狙撃をするにはうってつけな位置取り。リョウキはそう思った。
「そら、またきた!」
明らかに電灯とは違う赤い光がマンションの屋上で発されると再び音色が響き渡り、かと思えば三日月状の光がリョウキに狙いを定めて。
リョウキは瞬きを封印して、牛若丸のように身軽に飛び跳ねながら次々とかわしていく。
その度に流れ弾が地面に半球体の穴を形成する。断面はヤスリで磨き抜かれたように綺麗に抉られていた。
「攻撃されているのか……」
すまし顔でヒカルは、繰り広げられる一方通行の攻防を一時見守っていた。
だが我に返って、ヒカルは機敏な動きでテツリを背負った。
この状況は他人事ではないなと思って、逃げられるよう体勢を整えたのだが……赤い光は執拗にリョウキだけを仕留めるように。
やがて、ヒカルも赤い光の射出場所に気がつく。そしてなんとなく、ありえないがマンションの屋上にいる者と、地上に立つ自分の目が合った気がした。
しかしヒカルに身には何も起きない。
「ああもう、しつこいなぁ!!」
一方、延々と狙撃され続けるせいで足を止める間もないリョウキは、喉を震わせ不平を吐き出す。
けれど汗を散らしながらも、一切の攻撃を掠ることもなく、縦横無尽にちょこまかと逃げ回る。
彼の本能は告げていた。『これ喰らったら即死なやつ』だと……。
そういう命が賭けられた時、彼の体は自然と最適化された動きが出来る。
「俺たちのことは完全に無視か……。それにさっき感じた視線……まさかな」
ヒカルは、瞼の裏に1人の男の顔が思い浮かんだが、半信半疑であった。
なぜならこんな芸当……カオルにはないはずだから。
閻魔から与えられた能力はそれぞれ一つずつだ。
カオルの能力は、色々なものが視えるだけ。遠くから訳も分からない攻撃を飛ばすことなんて、出来やしないだろうと……。懐疑的な目がマンションの屋上へと注がれる。
その時、また屋上が赤く光る。
だが今度の攻撃はひと味違った。
「えっ?」
理解の範疇を超えた目の前の事態に、ヒカルは上を見上げたまま目をパチクリする。逡巡後、混乱の中にいながらも驚愕で息を呑む。
赤い三日月状の光は……道路の脇に建ち並ぶ高層ビルに衝突すると、余波による瓦礫を撒きながらビルを次々と水平に切り裂いたのだ。
誰もこの事態が飲み込めない中、さらにもう一方の道路脇に立つ高層ビルも、同じようにして次々と切り裂かれる。
そして……
ゴゴゴゴゴゴゴオッッッッ!!!!
切断されたビルは、どれもみなヒカルたちがいる道路側に倒れ込んでくる。
「うわぁぁああああッ!!!?」
小石を降らしながら、圧倒的な迫力で迫り来るビル群から、ヒカルはテツリを背負って脱兎のごとき勢いで逃げ出す。
ドドドゴオォォォッッ!!
ほぼ真横といって差し支えないところでヒカルは轟音を聞き、爆発と錯覚する衝撃と冷たい風圧で吹っ飛ばされた。
「…………な、なんだよコレ」
恐る恐る青い顔で振り返ってみると、自分がさっきまでいた道路が消えていた。
ビルだった瓦礫に押しつぶされて、道路の姿なんて全く見えない。
もし、自分がそこにいたなら……。
ヒカルは恐ろしさで視線を離せなかった。
⭐︎
たった一粒の水滴の音がどこまでも響き渡るようだった。それでいて静かでもある。一寸先も見えない闇の中、モゾモゾと何かが動いた。
「イテテ、あぁ~死ぬかと思った」
ヌメヌメとした壁により掛かるリョウキが、薄らと目を開き、薄らと笑う。
今回も生き残れた自分を褒めたい気分だ。
英断だった。今日の内は何度も噛みしめたくなるほどに。
ビルが倒れ来る瞬間、リョウキは道路のど真ん中に、周りは邪魔な穴ぼこで囲まれていた。
真っ直ぐ走れない。普通に逃げたのでは十中八九助からない……。
コンマ1秒でその判断を下したリョウキは、一瞬で周りをたった一瞥する。そして生き残る道を見つけると、迷うことなく駆け出し、飛び込んだ。地面に空いていた穴、開けていたマンホールへと。ハシゴを使う時間が無かったため、ほとんど身投げに近い形で。
下手をすれば、それで転落死する可能性すらあった。
しかしリョウキはたぐり寄せた、自らの生を。その豪腕で死の可能性をねじ伏せて。
「今日のとこは出口が瓦礫でうもれちゃったし、足も変な方向曲がってるし帰ろ……」
ただ代償として右脚の膝から下は体から見て外向きに、くの字に折れている。
歩く以前に立ち上がることすら正直な話辛く、仕方なくリョウキはワープを発動させるため微動だにせず逃げる場所を想像する。
「センセのとこ行くか……」
そこならおかしな方向に曲がった脚もきっと治療して貰えるだろうし、修理に出しているスマホもひょっとして直っていたら回収できる。それに今は安らぎも欲しかったから……。
だからセンセのとこ以外にリョウキの行く当てはなかった。安らぎの場はそこしかない。
⭐︎
誰にも知られることなく、その男――今川カオルは風が吹きすさぶ屋上で独り佇んでいた。
その目に力を込めると、眼下に広がる瓦礫の山のさらに下、下水道に逃げおおせたリョウキが笑っているのが視えた。
――相変わらずとことん気にくわない奴だ。
カオルは思わず舌打ちした。
すぐにでも駆けつけて、その手で喉笛を切り裂いてやりたかったが、今となってはリョウキを圧殺するために引き起こしたビル倒壊が、むしろ彼の行く手を邪魔した。
このためにわざわざ実際に何棟かビルをぶっ潰して、倒れる角度から速度、規模まで調整したというのに、結局リョウキを殺すには至らず、そうなると積み上げたもの全てが徒労と思えた。だが……
「笑っていられるのも今のうちだ。今のうちに笑ってろ」
カオルは面白くなさそうに鼻で笑った。
前回も、今回も、あと一歩押し込めれば勝っていたのだ。
なのにそうならなかったのは、振り子のように揺れる運命がリョウキに味方したから。
けれどそんな偶然は、そう何度も続くはずがない。
「次こそ決着をつけてやる」
目の前に浮かび上がるリョウキの幻影にカオルは宣戦布告した。
もう勝ちを手からこぼす焦れったさを許せる大らかな心は微塵も無い。
失敗すると、自分の事を否定された気に陥る。
これ以上、己を否定されたくは無かった。
よりにもよってリョウキに、持たざる者に――
次第に砂埃を舞い上げたそよ風がカオルを包む。
幻影はもう消えていた。
砂を噛むのが何よりも嫌いなカオルは、とりあえずその場を後にする。
頭上から照る太陽が作りだす小さな影法師が、その後ろをいつまでも付いてきていた。
おまけ
〈作中でゲーム参加者と示された者たちの能力説明〉
なお、今回の登場人物は本編中での掘り下げが少なかったので、そこもついでに。
白装束の男
能力:己が信じる、万象を司る神を実在させ、神官としてその力を享受する能力
補足:実質的には火、水、風(空気)、重力、光などの自然現象を自在に操る能力である。
メリット:
シンプルではあるが規模、破壊力、応用力、どれをとっても特に文句の見当たらない確かな優秀さを誇る。
喰らえばそれで終了の即死攻撃も多数兼ね備え、特に重力操作の極地〈ブラックホール〉、空気の無い層を創る〈虚空形成〉はそれでいて回避、防御も難しい凶悪な性能を見せている。
自然現象を扱うに当たっては、"ほぼ"制約が存在しない。使いたい時に使いたい現象を、思いのままに発生させることが可能。
デメリット:
唯一の制約として、別系統の現象を同時に発動は出来ない。火を使っている時は火だけ、水を扱っている時は水だけと、現象を組み合わせればもっと強くなるだろうにそれは不可能。
これは自然という巨大な概念は神でも片手間で操ることが出来ないから……だと思って欲しい。
が、一番のデメリットは、この能力はあくまで神様から力を借りて行使しているに過ぎないということ。
当然、何もせずに神が力を授けてくれるはずも無く、力を得るためには毎日決まった儀式を行わねばならない。
(一例:朝昼晩、会わせて日に3度の礼拝。毎日のお清め〈日が昇って空沈むまでの間に1度、川で沐浴を行う〉……etc.)
それらの戒律を全て守ることが出来なかった場合、日付を跨いだ明くる日、能力は使えない。なお儀式の内容は全て能力者である白装束が考えた我流である。
人物に関する一言:
最後まで名前すら判明しなかったが、本名は存在する。ただ考えていないし、つける気もない。
年齢は30~40代と、ゲーム参加者最年長、最年少のリョウキとは2倍以上の年齢差。
生前はうだつの上がらない、ごく普通のサラリーマンだった。頑張っても頑張っても報われることのない現実に嫌気が差し、見えない力にすがったのが彼が神を信じることになるきっかけだった。
元々は第1章のラストで、鉢合わせたリョウキに殺される予定だった。
ただ、ボロボロのぽっと出のキャラを、これまたぽっと出のリョウキが殺したところで強さアピールにはならないと考え、万全な状態で殺されるために2章まで生存させた。
……正直噛ませ犬なのだが、それでもツバサと2回戦って、2回共瀕死まで追い込み、そのうち1回は実質勝っていたため弱いわけではない。
負けたのはただただ相手が非常に悪かったに尽きる。
今回はここまで
to be continue