第一編・その1 君と話したい
今回から物語は3章に突入です。
心機一転、お楽しみ下さい。
品川駅前のビルが建ち並んでいた区域が、サラリーマンたちで賑わいを見せていたのは過去の話で、今となっては一時の夢のようだった。蛾型の霊獣が引き起こした大爆発に見舞われ、街は一変して見るも無惨な壊滅状態に陥り、月明かりが虚しく電灯の無い夢の跡をおぼろに照らしている。ある意味、これは地球が望んでいた休息だったのかもしれない。
しかし事件からおよそ2週間が経過した今、状況は刻々と変わりつつある。
現在壊滅した街では昼夜を問わず、重機と資材があくせくと怒号を鳴らしながら行き来し、急ピッチでの復興が図られていた。
破壊と創造はワンセット。
ましてや災害級の破壊ともなれば、対になる創造も自ずと大きくなる。そして下衆で欲深き人間達が介在する話だが……それに伴う報酬の方もそれなりに……。
霊獣が現れる度にあちこち壊しまくるおかげで、建築業の株価は右肩上がりである。
しかし現場で働く従事者は、千差万別に不満を募らせていた。
「しかしやってられねぇよな、ったく」
先月末にアラサーの仲間入りを果たしたとある従事者は、既にピークを越え年々鈍くなる体でかったるそうに歩きながら言った。蛍光イエローの反射板につけられた名札は、相川ショウタと名乗っている。
その半歩後ろをついていく、こちらはまだ四捨五入すれば二十歳の従事者は「はぁ?」と気のない返事をした。
彼も同じく反射板に名札が付けられており、それによると名は渡辺ヒロトらしい。
「こんだけさ、会社の都合で体よく働かされてさ、給料はいくら上がったよ?」
春の夜はまだ肌寒いほどだった。
そんな中でも汗は噴き出し、それを拭うために肩にかけられたタオルはすっかり黒く薄汚れている、そしてボロボロだ。
「ゼロですよ、時間分だけ。先輩もでしょ?」
特に何も考えていない後輩の渡辺が淡泊に答えると、先輩の相川はため息をついた。
「あーあー、やだやだ。結局いつも懐が温かくなるのはお偉方だ。体張って頑張ってんのは俺らなのに、これっぽっちも貰えねえなんてそりゃねぇぜ」
と、ケチな会社と、一向に増えない通帳の0の数への不満を思わず口にする相川だったが、そんな先輩に渡辺はしれっと言う。
「仕方ないですよ、安上がりなのが僕たちの長所ですから」
「……お前、随分悲しいこと言うんだな」
たとえ事実だとしてもそれは言わないで欲しかった、と無言の抗議をする相川だったが、
「それもそのうち取って代わられそうですけどね」
残念ながら通じなかった渡辺は痛恨の一撃で追い打ちする。
「近頃は余所から来た人たちが、僕たちより低賃金で雇われていますからね。クビは我が身、かもしれないっすねぇ」
「…………ふんっ、俺は絶対クビになんかならないからな」
そう言いながら、たまたま道路の向かいの8階建ビルの解体現場で、休憩中なのか何やら飲みながら談笑する作業員達が目に入った相川は、決して彼らがそれかは分からなかったが、ふつふつと嫉妬心を燃やした。
「冗談じゃねぇよ、余所者のせいで余計に給料減らされてんだってのに、その上仕事まで盗られてたまるかよ……。俺たちがいなきゃ、作業なんて回りゃしないってのに、散々安っぽく扱いやがった結果がコレとか認めねぇ……」
積もる恨み言は留まるところを知らず、話すうちにタオルの端を握りしめる力も増すばかりだ。
「はいはい…………ん?」
またいつもの奴ね、と一過性の熱に支配される先輩をつぶらな瞳で見下ろした渡辺は、ふと何か聞こえた気がして思わず足を止めた。
聞いたことのない音だ。それなりに慣れ親しんだ現場で、1度でも聞いたことの無い音だった。
自然と息は潜められ、神経は耳へと集中した。
「……どうした? 立ち止まって」
先を歩いていた相川は、音こそ聞き取れなかったようだが、後輩の挙動を怪しんで振り返った。
「いや、変な音がした気がして」
「変な音? …………別に聞こえないけどな、工事の音はそりゃするが」
当然現場では様々な音が耳障りに奏でられているが、少なくとも彼らにとってそれらは何ら変な音ではない。
「僕も聞こえてませんよ、もう」
「ふーん……、どんな音だった? ……まさかどっかの現場で事故でも起きたんじゃあるまいな」
今、最も危惧する事態を口にした相川だったが、それは「そういう感じでもなかったですよ」という後輩の一言で棄却された。
「むしろあれはそんな騒々しい音じゃなくって……、なんて言うんだろ、歌声みたいって言うか、神秘って言うか……」
音符の「お」はオタマジャクシの「お」な渡辺の音楽力では、未知の音を言語化して説明するのは至難の業であった
とその時――
「……あ」
まただ――
もう一回聞かせてあげるよと計らわれたかのように、再び音は奏でられた。しかも先ほどよりもハッキリと。
既存の音に落とし込むなら、それは幻想的で不気味な、そう鯨の鳴き声のような音……。
音と言うよりも声のような、不思議な音色が響きわたる。
「この音です」
「何の音だ?」
今度は相川にも聞こえた。さらに向かいの現場の従事者たちも聞こえたらしく、あたりをキョロキョロと見渡している。
しかし、次の瞬間には彼らの視線は一点に集まる。そして、そんな音だか声の事なんてどうでもよくなる……。
唐突にそれはやって来た。
ほんの一瞬の出来事だった。彼らの上を、赤い何かが目で捉えられないスピードで残光を引きながら通り過ぎたかと思うと、ビルに真っ正面から激突した。
激突されたのは、向かいの現場の従事者たちが担当していた解体中のビルで、綺麗にえぐり取られた形で未完成の外壁にポッカリと球状の穴が空いた。
そしてその一撃で骨身が失われ、元より脆くなっていたビルでは、崩れたバランスに耐えうる力は無く……
「「うわぁぁああああ!!」」
彼らの絶叫すら飲み込んで、歪となった瑕疵からポッキリと崩れ落ちた。
東に朝日の端が見え隠れする刻、土煙は夜と朝の狭間にある空にまで達した。それも1つだけで無く、3本も。
その光景を臨み、銀色の長剣が妖しく光った。
⭐︎
「最近の、テツリは、ちょっとおかしい」
椅子の背もたれに腕を、その上に顎を乗せた佐野ヒカルは、物憂げな表情で一言一言をハッキリと強調しつつ言った。
「なんか焦ってる感じがするし、突然元気無くすし、正直見てて気が気じゃない。付き合いも悪くなっちったけど、もし何か悩んでるんなら迷惑なんて思わないから、ためらわず俺に相談してほしいな……」
と、おそらく悩みを抱えている親友への思いを吐露した。
「……なんだってそれをテツリじゃなくて俺に言う」
それを聞いていた藤川ツバサは、眉をピクつかせながらどこかうっとうしげに、背中越しに言った。
今、彼の神経は全て、もうずっと病室で眠りこける可愛い妹のアオイに注がれており、身も心も彼女に寄り添っている。
つい昨日までは、この病室は2人だけの侵されることの無い空間だったのだが、ツバサは自身でも説明できない、目に見えない流れにほだされて、始めて昨日客人を通した。
そしてその客人は、何故か今日も当たり前のようにやって来て、ベラベラと喋りかけてくる。
その時のツバサの冷めっぷりは、語るまでもない。
「だって話し相手お前しかいないんだもん。テツリはどこいるか知らないし、前の拠点はもぬけの殻。どうしろと?」
「電柱にでも話してろよ」
「やだよ、そんな病人みたい」
「そうか……。電柱なら、お前がいつまでも喋ってようが文句も言わないし、お似合いじゃないか」
語尾に分かりやすく嘲笑の高笑いをつけると、ヒカルは心持ちが悪くなったのか、鼻から息を吹きながら居住まいを変える。顔を腕に埋めた。
「よしてくれよ……。あーあ、テツリ……今頃どこで何やってんだろ」
魂までも抜けてしまいそうなため息からは、アンニュイな雰囲気が醸し出されていた。
「……長いこと会えてないような言い草だが、お前ら2日前にも会ってるだろ」
ツバサが表情変えずに、声に呆れを内包させつつ言った。
「そーだよ」
「軟弱とは言えアイツも大人だろ。たかが1日間が空いただけでその気ぶり……俺には分からん」
「そりゃ普通なら俺もそんな心配しねぇよ。けど、今はちょっと心配だ。変なことしでかしてないか」
「変なこと?」
「いや……無いよ。まず無いだろうけど……思い詰めすぎて、死んじゃったら……」
と憚りながらも言ってしまい、ヒカルはよりハッキリしてしまった頭の中のイメージを擦り消すように、頭をかきむしった。
「まぁきっと大丈夫だと信じてはいる。いるけど、こんな時に何も出来ないのはなぁ」
再度、ヒカルが「はぁ」とため息をつく。
友達が悩んでるのに、側で何もしてやれない自分の無力を情けなく思い。
と、こうもため息をつかれると、それまで微動だにしていなかったツバサも振り向いた。
そして自分もため息をつくと、何やら目を鋭くして、ヒカルに言った。
「励ますわけじゃない……励ますわけじゃないが、別にそれで良いんじゃないか」
「え?」
「時には他人の優しさが、何より辛い時はあるだろ。ただ盲目に寄り添うだけが正解じゃない。1人になるのも、本人からしたら大事な時間…………かもな」
貴重なツバサの励まし(少なくともヒカルはそう思った)が意外で、ヒカルは顔を少しだけ緩めた。
けれど、心のモヤモヤが拭い去られることは……。
「お前には出来ないか」
心中を的確に察したツバサが静かに言う。
ヒカルはうなずきながら「そうだな……」と、力ない声で答える。
「だろうな。だからアイツは雲隠れしたんだろ。無理やり距離を取ろうとして逃げたんだよ」
「そんなことは!」
「逃げた」という言葉が強烈だったのか、ヒカルは今いる場所も頭から抜け、大きな声を。
「絶対ないと言えるか?」
「それは……」
語気が弱ったのを、ツバサは見逃さない。
「少しはそっとしといてやったらどうだ。お前には納得いかないだろうが、アイツがそれを望んでいるなら、お前の納得なんて邪魔以外の何者でもない」
そうピシャリと言い放ったところで、ひとまず彼の意見は終了した。
その意見はヒカルにも決して全く分からないことはなかった。
時にはある。誰とも会わず、交わらないことが、何よりも楽なことが。
ヒカルにもその経験はある。それも1度や2度で無く。
けれどもまぁ、身勝手ではあるが、傍から見たら放っておけないというのもまた1つの考えで。
「じゃあお前は、お前の友達が今みたいになったら、今言ったようにするのか……」
ヒカルは背筋を伸ばして言った。
「俺には寄り添うような友達がいたこともないし、お前と違って1人も嫌じゃない。だから、別にこのままでも良いと思うだろうな」
「…………それが妹だとしてもか」
言ってしまった後に、ヒカルは酷く後悔した。
「…………」
案の定、ツバサは隠すこと無く露骨に端正なその顔を歪め、長々と黙った。
気まずい沈黙を超えた沈黙のその先で、ツバサは一言
「家族は論外だ」
と物悲しげな表情で言った。
ヒカルは口を縫うしか無かった。
妹を助けるために自分の命に鈍感になって、生き返った男に聞くべきことじゃなかったのは、冷静に少し考えれば分かること。
なのに最低なことを口走って、最悪のリアクションが返ってきた。
まだいっそ、殺意をむき出しにして殴りかかられた方がマシだった。
散々クールを装っていた男に、灰色の瞳を浮かべさせてしまうなんて……。
ただただ申し訳なさと、そして罪悪感が恐ろしかった。
「……何にせよ好きにやればいい。お前たちがどうなろうと、俺には関係ないことだ。寄り添うも、放っておくも、お前がやりたいようにやればいい」
「…………」
静かだった。
窓ガラスを打ち鳴らす風の音と、心電図の規則正しい電子音がやけに大きく感じられた。
ヒカルには、己の鼓動の音も。
気まずさが頂点に達した頃、2人には電流を流されたような頭痛が。
どうやらまた霊獣が、現れたようだ。
ヒカルは行かなければならかった。
けれど目の前の気まずさが重たくて、腰が上がらなかった。
「……行ってこいよ。俺はここを離れられない」
アオイに視線を向けたツバサは、再びヒカルに背を向けて言った。
あのカオルなら、このタイミングを狙ってきてもおかしくない。
カオルがいる以上、ツバサはアオイの側から離れられない。
「そうか……そうだったな」
肩を落としながらも、病室を後にしようとヒカルはドアノブに手をやった。
と、その時だ。
「…………会えるといいな」
まさか声をかけられるとは思っていなくて、ヒカルは目を丸くさせた。
そして、ノブに手をかけたままゆっくり振り向くと、ツバサも横目を向けて言った。
「アイツなら、駆けつけて来るんじゃないか。まぁ分からんがな」
一瞬間を置いてから、ヒカルはツバサが言うアイツが、テツリを指すことに気づく。
ツバサ……酷いこと言ったのに……お前はやっぱりなんだかんだ言っても優しいな。
そう思ったヒカルは、人知れず感激した。
「ありがとう、ツバサ。……あとゴメン」
「いいから早く行けよ」
そう言われたヒカルは、言われたとおり外から明かり差し込む扉から出て行った。そっと扉を閉めるその時まで、ツバサに笑顔を残して。
「……やれやれ、やっと静かになる」
一仕事終えたみたいな疲労感を噛みしめるように言うと、妹と2人きりになったツバサは安らかな寝顔の頬を撫でた。
「…………ホント静かだな。なぁ?」
いくら話しかけても、言葉は返ってこない。
けれど今でも、ツバサは彼のたった1人の妹と会話する。
言葉を交わすだけが、会話ではない。
⭐︎
霊獣って、東京好きだな
遠方に日本で一番高いツリーを肉眼で臨みながら、そんなたわいもないことをヒカルは思う。
人に引きつけられる性質からして、百万都市の東京に霊獣が頻出するのも必然か。
本能に従いヒカルは走っていた。
百万都市とは言え、今や外を出歩く人などほぼほぼいない。しかしおかげで人波に労すること無く、走り抜けることが出来る。
ザザッッッ!!
道のど真ん中で、ヒカルは急停止する。
あたりに建ち並ぶビルは、上に行くほどガラスに青と白を映し出し、空へそびえ立つ。
「ヴヴヴッッ……」
コンクリートジャングルには馴染まない、獣の呻き声が聞こえてくる。
「どこにいる……」
まとわりつく視線をふりほどくように見回しながら、ヒカルは瞬きを止めた。
背筋に震えが。
ちょうどこの時、霊獣はヒカルのことを獲物と定めた。
足音をヒタヒタと限りなく殺して、しかし襲いかかる時は激しく。
霊獣は物陰から一気に猛然と。
「うおッ!!」
流石の身のこなしで、ヒカルは襲撃をかわす。
だが目の前で噛み合った牙が火花を散らし、その弾みでヒカルは転げた。
「痛ッ!!」
ヒカルを逃した霊獣は爪でブレーキをかけ、一旦動から静へと移り変わる。そして、ようやく姿を拝めるようになる。
差し当たっての印象は、気高き犬の怪物か。
白からグレーのグラデーションで全体を包み込む艶やかな毛並みからは高貴さを、籠手を巻いたように太い前足はたくましさを、そして充血が広がっているかのように爛々と赤い目は荒ぶる自然の恐ろしさを。
その荒ぶる目を、片時も獲物から逸らさずに、なおもその周りを回遊する。
ヒカルもまた、その目を負けじと凝視する。以前、似たような霊獣に負かされただけあって、ちょっと雪辱を思う心がどこかにあったかもしれない。
膝をついているが、迎撃の体勢はとれている。
と、視線の外で手が何か冷たくて硬い物に触れた。
その時、霊獣は円運動を止め、一直線にヒカルの元へ。
頸に食らいつくために開けた口が顔を隠し、牙から伝う涎が風に舞う。
「これでも食らえ!!」
霊獣が肉を噛むことは無かった。鋭利な牙は、血の味に似た固まりを削り取った。
「おりゃぁああ!!」
そしてヒカルはその固まり――鉄製のマンホールの蓋を片手に、霊獣の頭蓋を殴りつけた。さらにサイドスローなフォームで、霊獣の横っ面をひっぱたこうと……。
ギィィィンッ!!
だが鈍い音が響いたかと思うと、鉄の円盤の運動は停止する。
見事、白刃取りのように、霊獣は噛み掴んだ。引いても押しても動かない。
マンホールに噛みついて離さない霊獣は、さながらフリスビーにじゃれる犬そのもの。
もっとも、鉄をも傷つける咬合力の前に、そんなほのぼのとした感情は湧かない。
だからヒカルは即座に、後ろ回り蹴りで横っ面を蹴ろうと。しかしマンホールから手を離せば、霊獣も自由に動ける。伏せして蹴りをかわすと、霊獣は素早く反転し、後ろ足でヒカルを蹴り飛ばした。
吹っ飛ばれたヒカル。上手に受け身を取ったとは言え、そこは道路の真ん中、コンクリートで舗装された地面、生身の体は痛む。
「くっそ……犬嫌いになりそうだッ!」
のしかかろうとした霊獣の攻撃を、ヒカルは転がり避けた。
「ようし……こうなったら仕方ねぇ、本気で行くか」
生身では苦戦しそうだ。
そう思ったヒカルはブリリアンに変身をしようと、右腕を顔の前を通して左上へと突き上げた。
霊獣が突進してくるのを前に、高らかに変身と叫ぼうとした、その時――
何か色のついた野球のボールほどの物体が霊獣にぶつけられ、弾けた。
中の塗料が飛び散り、独特な臭気が。
それに驚いたのか、霊獣は跳び上がるように後ろ足で立つと、手をバタつかせながらもんどり打って倒れた。
ヒカルもまた驚き、その場で玉が投げられた方を向いた。それで事態を理解し、顔は驚きつつ内心で喜んだ。そして声にした。
「テツリ!!」
「良かった。いつか使おうと取っておいたカラーボールが役に立ちました」
右肩を抑えて回しながらテツリは言った。
そして自然と、立ち位置はヒカルの傍らへと収まった。
「ナイスコントロールだったぞ」
「へへ、一応小さい頃は野球をやっていたんですよ。欲を言うと、本当は目を潰したかったんですけどね」
「へぇ初耳だな。ポジションは?」
「リザーブです」
「? ……ベンチじゃねぇか。……まぁでも、ナイスボール」
そう言ってヒカルはテツリの背中をバシバシと叩いた。
何の制約も無ければ、これから積もる話が盛り上がった……かもしれないが、今はまだ戦闘中だ。
唸り声が聞こえれば、2人は和気あいあいも程々に一変、真剣な眼差しで立ち直った霊獣と相対する。
「また犬系ですか」
「そうなんだよ……」
「正直僕、犬苦手になっちゃったんですよね」
脳裏によぎる嫌ーな光景から、テツリは苦々しそうに言う。
「良いとこ無かったもんな、あん時……」
「たはは、返す言葉もありません……」
その笑い方はとってつけたようだった。
「けど俺たちだって、経験を積んで日々成長してるんだ、今度は勝てるさ。勝って、嫌な思い出は上塗りしていこうぜ」
「……そうですよッッ。僕だって強くなるよう……頑張ってきたんだ!!」
内から来る闘志がみなぎった。
「さぁダブルヒーローの見参だ! 行こうぜテツリ」
「はい!」
ヒカルとテツリは顔を見合わせた。
そして――
「……変身ッッ!!」
「変身……」
各々が思い思いのポーズを取って、ヒーローへと変わる。
何倍もの光が瞬く。
ビルのガラスが光を繋いでいき、街は照らされた。
その中心には、同じ姿を象った、2人のヒーローがいる。
おまけ:最近何かと影が薄いナルミさんの過去話
ep1 "あ行は辛いよ"
これはまだ、2人が出会った頃の物語。
中学1年のゴールデンウィーク明けの登校中のお話――
「はぁ〜あ……はぁ〜、はぁぁぁ〜」
横断歩道で信号待ちをしている最中、ナルミはため息をこれでもかとついた。
「……どした? そんな触れて欲しそうに」
たまたま登校中に鉢合わせたヒカルは、その行為の奥にある意を、困惑気味に尋ねる。
「今日が何の日か知ってる?」
「今日?」
確か昨日は5月6日で振替休日で、一昨日は5月5日でこどもの日、そんでもって3日と4日は憲法記念日とみどりの日……だったっけ?
と、頭の中で考えつつ、5月7日って何かあったっけと、頭を捻った。
「吾妻さん誕生日だっけ?」
あれ、でも6月じゃなかったっけと、半分外れることを見越してヒカルは言った。そしてやっぱり……
「ブブーッ! 全然違うよ、そんなおめでたい日じゃないよー」
とのこと……。
「じゃあ分かんない。なに、誰かの誕生日?」
「……フフ、やっぱり佐野君にはわからないよね……」
何やら深刻な顔でナルミは言う。
気づけば信号も青に変わっていたので、2人は横断歩道を渡し始めた。
しかし、ナルミの足取りは重い。
「今日はね……、私、吾妻ナルミにとって最悪の日だよ」
「最悪……?」
そこまで言われても、ヒカルには分からなかった。
けど後で言われてから振り返ると、ヒントはあった。例えば、やたら名前を名乗っていたこととか。
「私、今日はいっぱい先生に指されるんだよ。苗字が吾妻だってだけで」
「え……? あ、なんだそういうこと?」
思ったほど……大したことないなと拍子抜けして、ヒカルは5日ぶりの通学路を真新しく思いながら歩く。
「なんだって言うけどさー。1限から5限までずっと指されるんだよ。嫌じゃん、そんなの」
「いや、全部は指されないでしょ」
「指されなくても、指されるかもって心境がやなんだよ。狙撃されてるみたいで」
「大袈裟な」
とはいえヒカルにも、分からない話でもない。
確かに連休明けは、先生も最後に指したのを誰か忘れちゃってリセット、最初に戻りがち。
結果指されるのは、名前の順の先頭の子とか、あるいは席順で教室の右上、または左上にいる子だ。
つまり、苗字が"アヅマ"で先頭の彼女は、今日はわりかし人よりも指されやすいと言える。
けどやっぱり狙撃は大袈裟な気もしたが、彼女からすると死活問題なので、大袈裟でも何でもない。
「まぁでも、本当に強いて言うとアヅマでよかった。アガツマだったら秋山も抜けてた。そしてワガツマだったら1番後ろ、これなら問題ないと思う?」
「……思いません」
ヒカルは空気を読んだ。
「そう1番後ろだと、後ろ順で死んじゃう、特に音楽。これが"吾妻"の3速と言います、覚えといてね」
「……ふーん」
覚える気は無いのでリアクションに困り、そう相槌打ったのだが、それを適当とナルミは誤解したらしい。
信号待ちの時についたのと、質の違うため息をついた。
「まぁ"佐野"君じゃ、私の苦労なんて分かんないよね。いいよね"佐野"は、何をするんにも真ん中……」
ナルミはヒカルの苗字に嫉妬した。
なぜなら、"さ行"なら絶対に先頭で指されることが無いと、このほぼ13年間の人生で学習していた。
「羨ましー……私も佐野になりたい」
「はは……」
なんか、受け取り方によってはだいぶ重いことをヒカルは言われた気がした。
まぁでも多分、吾妻さんなら特に深い意味はないだろうとすぐに流した。
その言葉の意味が変わるのは、もっと後になってのこと。
今の2人は、ただのクラスメイトに過ぎない。