閻魔様と懸案
お化けにゃ仕事が無いというのは今では有名になった話だ。さりとてお化けの誰もが職を持たないかと言うとそれはちょっと違った話だ。
例えば皆さんご存じ閻魔様、パッと考えただけでこのお方が仕事に励む筆頭お化け(?)だと分かるだろう。
いやなんたって日本だけでも日に3000人、世界では10万人もの人が亡くなる現実で、ごまんといる死者を休む日も無く裁いちゃ地獄へ、裁いちゃ地獄へ、たまーに天国へと導く閻魔様の仕事は激務の二文字で片付けるのも忍びなく、それはブラックもブラック、まさに漆黒と言うほかない。
しかも仕事はそれだけに飽き足らず、どころか死者の魂を導く以上に重大な仕事さえ課せられている。
実を言うと、今日まで世界が存続繁栄出来たのも閻魔様のおかげなのである。
現世と死後の世界を監視し、均衡を保つことで閻魔様は世界を守ってきた。そのために必要とあれば対応策を速やかに立案し、責任を持って実行に移す。
閻魔様は多くの人々が幸福な生活を送ることが出来るよう日々心を配っている。もっとも手を出すのは、今回の霊獣騒動のように差し迫った重篤な危機の場合のみであるが。
けれどまぁとにかく忙しいは忙しいのである。人が呑気に死んでいる時に死んでる暇も無いくらい忙しいのである。
だから――
「閻魔様ー、閻魔様ー!!」
時折その反動からか、閻魔はひどく子供じみたマネをする。早い話が精神摩耗に伴う幼児退行、そこまで大それた話でもないが、それに限りなく近い。
「どこに隠れられているのです。出てきて下さいな!!」
そのお戯れが今回はかくれんぼだった。
会場は閻魔様が居を構え、来たる死者に裁きを与える審判の間。
園児のような容貌の閻魔様には不釣り合いで巨大な玉座が鎮座するほか、隠れられそうなところは地平線まで見渡してもない。そう思うのは所詮人間の浅知恵。
閻魔様は透明にもなれるし、空も飛べるし、地面に潜ることも出来る。基本的には万能の閻魔様には、この広大な間の全てが隠れ場所である。
そして、鬼にとっては全てが探し場所である……。
「ああもう! なんて面倒くさい!」
口に出さずにはいられない。
無理難題を押しつけられた鬼は、初めこそ自力で見つけようと目を皿にしたが、自らの所業がいかに無謀であるかを再確認すると早々に諦め、そして憤った。
なんでこんなことをしているのかを考えてはいけない。誰もがそうであるように、物事に意味を与えた途端にアホらしくなってしまうから。
溜まっている死者を裁かせるためにも、なんとしても閻魔様を探し出さなければならないのだが、このまま探し続けていたら、先に気が狂ってしまう。真面目に働いている自分が、サボっている閻魔様のために余力を割いているのも腹が立つ。
そう思った鬼は、不本意だが手っ取り早くことをすませるため、ここはあの手を使うしかないか……、とため息をついた。
「カッコイイ閻魔様ー!!」
手を拡声器代わりに、鬼は遠くまで聞こえるように叫んだ。
「………………チラリ」
「聡明なる閻魔様ー」
「…………ムフフフ」
「威厳があって、懐深い、閻魔様ー!!」
と、ここまで褒め連ねたところで、足下の地面が盛り上がった。
「……ははぁ!! 呼ばれて! 飛び出て! エェェンマァ様なのだ!!」
火山弾のように勢いよく、調子に火がついた閻魔様が空へ打ち上がった。
「そんなとこに隠れていたんですか閻魔様。ちゃんと仕事してください」
そして辛辣の重力に引きずられ、脳天から地面に落下した。幸いにも筋金入りの石頭なので、砕けたのは地面の方だった。
「ええい、褒めて落とすのが早過ぎる、もうちっと余韻をくれ」
頭をさすりながら閻魔は言った。
「もう十分浸ったでしょう。いい加減仕事をこなしていただけませんか、皆待ちくたびれてます」
「良いではないか」
「良くないです!」
鬼が声を張り上げた。
それで多少ともマズいと思ったのだろうか
「まぁ落ち着け。こう見えてちゃんと仕事はしておったわ」
そう言って閻魔が指ぱっちんすると、ポンッと煙が立ち、無から有が誕生する。
ハイカラなタブレット型の端末が、その手に現れた。
「あぁ、現世の様子を観察なさってたんです?」
「その通りその通り」
閻魔は得意げに鼻息を荒くし、腰に手を当てた。
偉ぶっているらしいが、その姿はまるで前へならえの先頭の子を彷彿とさせた。
「……与えられた仕事こなしただけでそんなふんぞり返られても。ていうか出来れば死者を裁く方を頑張っていただきたいのですがね……」
「そっちはどうにもやる気がなぁ……」
「出てきませんか……」
「うむ、出てこまへんのや」
「さようですか……」
目の前に閻魔(上司)がいるというのに、鬼は遠慮せず大きなため息をついた。どうやらさっきの褒め殺しで、おべっかは使い果たしたようだ。
「でも今はこっちの方がやや重要な課題なんだから、それに傾倒することが咎められてはたまらん」
地面に足を投げ出して座る閻魔は、タブレットを介して現世の様子を覗っている。
そんな閻魔を見下ろしがら、こう鬼は思った。
それもただ見てるだけなら、働いてるようには見えませんがね……、と。
「で……戦況はいかがですか?」
いつになく低い声色で鬼が尋ねると、閻魔様はそんなことは構う必要もなく
「うむ、今のところは討伐数だけで言うならツバサとヒカルが僅差で優勝争い、その下にテツリとカオルがついていってる感じか。まだ討伐数ゼロの者もいるが、大体の参加者は霊獣と遭遇して、勝っている。問題はこれからだな」
真面目な顔ですらすらと述べ上げた。
「こうしてみると、一人一人の人間性が露骨に見れて、面白いぞ」
そう言った閻魔様に鬼は「仕事しろ」と口走り、それに対し「これ仕事だもーん」と閻魔が返すやり取りがなされ、それからは何やかんやでゲームに関する話題が続いた。
「しかしやはり、此奴はとんでもなく強いな」
閻魔がそう言ったのは、その話題の半ばだった。
「……ああ、リョウキですか」
タブレットを覗き込んだ鬼が言った。
本当の名を知る閻魔らですら、通称で呼ぶ男――リョウキ。
1度、審判に際してリョウキのことを真名で呼んだことがある。その時に彼が見せた光の無い目は、閻魔様すらわずかであるが背筋に汗を伝わせた。以来、彼を本当の名で呼ぶことは、閻魔らにも憚られたのだ。たとえ眼前におらずとも。
「人は見かけによらないとは言いますが、彼ほど外見と内面の齟齬が大きい者は珍しいでしょうね」
「此奴、もう3人も堕としたぞ。おまけに此奴を捕まえようとした警察どもも赤子の手をひねるように蹴散らしおったし、もうどうかしとるぞ。獰猛にもほどがある」
その時の様子は、閻魔によって「まるで羊の囲いに狼を放り込んだようだった」と評された。言い得て妙である。
なお、韻を踏んだ閻魔の発言は鬼によって黙殺された。
「元々人間離れした力を持つ者、それにこちらからの恩恵も加われば、向かうところ敵無しなのは分かっていたことでは?」
「ああ分かっていたことだ、計り知れないことはな。ここまでとは思わなんだが」
閻魔は困ったような表情で笑いかけた。
けれども彼自身、笑う余裕がある程度には、現在の戦況に対する不満は無いらしい。
「そもそも何故、彼をこのゲームに参加させたのでしょうか?」
一方で鬼は違う。
この機会にと、鬼はずっと疑問に思っていたことを打ち明けた。
「何故そう思う……」
「いえ、そもそも彼に願いを叶える権利などあるのでしょうか……。確かに境遇こそ同情すべき点はありますが、差し引いても生前彼がやったことは擁護不能でしょう。このゲームがなければ、地獄に落ちていたのは何ら疑いもありません……」
「本当にそうか?」
その一言が、沈黙を呼んだ。それを裂いたのは、「……は?」という疑問符だった。
「まぁそもそもゲームの参加者自体、良い奴に限定しているわけで無いのはさておき、本当にリョウキが地獄に落ちるに然るべき男と思うか?」
「……殺人鬼ですよ。何人殺したと思っているんです……」
「では熊は土に還るまでに、どれほどの獣の命を喰らう? 虎は、ライオンは? それが悪と言えるか?」
「……」
答えは、悪とは言わない。
何故なら彼らは奪わなければ自らが破滅するから。他者から奪い、自らの血肉に変えて生きることが、この世界の生命の宿命、そうした生態系の上に世界が成り立っている。そんな残酷とも取れる世界で綺麗事を言ったところで、命は腐るのを待つだけである。
だからそれに理屈をこねて否定することは暴挙である。たとえ死者であろうと、高次の存在でも、それは例外で無い。
ただし、ある条件が絡まない限り……。
「ですが、彼は人間ですよ。獣じゃない」
「その通り、だから悪になり得るし、地獄に落ちても何らおかしくはない。それが1つの道理」
なぜなら人間は、生態系から離脱したから。
代わりに知恵を持って築いた社会において存在する、法、理、道徳、それらの存在が、リョウキという人間を悪として裁くのは必然であった。
そして人間を裁く閻魔様も、社会の思想に寄っている。
「では何故、参加を?」
「それはだな……、お前さんが自分で言って気づいたかは分からんが、此奴、なかなか可哀想だろ?」
言いながら、視線は右上へと向けられていた。目を配るわけでもなく、逸らすわけでもなく……。
「問答無用で地獄に落とすのは簡単だが、ずっと不遇なままそれするのもどうかなと思ってな。ちょうどよくゲームを開く予定だったし、それに入れて茶を濁してみようとな」
顎を支える手の指を遊ばせつつ、閻魔はよどみなく言う。
「殺された者たちは黙っていませんよ。それに、今まで地獄に落とされた者たちも……。余計に歪みを生むのでは?」
「一理あることは認めよう。……だが利益がそれを上回るなら、それも良しにするほかないだろう」
「利益……ですか……?」
その疑問が隠せぬ反応に、閻魔は「そうだ」と不敵に笑った。
「間違いなく奴は強い、この世界にいる誰よりも。ハッキリ言って、私やお前さんすら上回る」
「まさか……」
鬼である自分や、見かけはアレでも万能な閻魔様を強さで上回る人間がいるはずが……、そう言いかけた鬼は、閻魔様の目を見てハッとした。
その目はいつもの冗談めかす不真面目モードから、辣腕を振るう時の真剣なものへ切り替わっていた。つまりおふざけ抜きに、本気でそう思って告げているのだ。
「……それは言い過ぎかもしれないな。だが現状送り込める戦力としては、奴は文句なしに最強だ。強い奴を送り込めば、それだけ霊獣を退治してくれる確率も上がる。正義も、優しさも良いが、戦いにおいて強いことはまず裏切らない」
なんとなく、鬼にも閻魔がリョウキをゲームに参加させた理由が分かった気がした。
単に甘やかしたわけで無く、ちゃんとした理由……悪く言えば打算があるらしい。
ならば鬼からは何も言えない。だが、そうならそれはそれで思うところがある。
「皮肉ですね。彼の罪であり、不幸であったその強さが……。死後までもつきまとうなんて」
結局、別に思ったところで帰着するところは"可哀想"であった。
「もう少し、もっと弱ければ、罪をここまで重ねることも無かったでしょうに」
「だが弱ければ問答無用で死んでいた。そう考えると、此奴は本当に不憫だ」
「罪を重ね続け生きるか、無垢なまま死ぬか。どの道、彼の運命は茨の道……」
「まさに"ぴえん"……か?」
「また変な言葉覚えましたね」
もういつも通りに戻ったのかと思いつつ、頭の中はリョウキという男のことで考えさせられていた。
「生まれた環境が違ったなら、彼の願いは簡単に叶ったのに」
ふと誰もが思いつく同情を、鬼は口にした。
しかしその同情を、閻魔は一笑に付した。
決してリョウキを嘲っているのでは無い。
「それはな、間違いないだろうが、生まれた環境からして違うのであれば、それはもう違う人だろう。人間というのは積み上げていく生き物、あるいは人生とは物語だ。その土台の1段目をすげ替えたら、物語の書き出しを変えてしまうなら、もうそこから形成されて出来上がるのは違う人間と人生ではないか」
「ではもし生まれる時代が違えば、それこそ乱世の時代にでも生まれてたら、彼は英雄になれたのでしょうか? 信長あたりだったら、彼も……」
嘲られた鬼は意固地になって、かつて垣間見た、後に歴史の偉人となった武人の名を挙げて、閻魔に尋ねた。
しかしこれまた閻魔様は一笑に付した。
「ま、たらればなんぞいくら言っても気休めにしかならんが、誇張でない一騎当千を果たす者なぞ。敵だろうと味方だろうとどうにも苦心は避けられない。結局は今と同じような状況に落ち着くんじゃないか」
「そうですね。それに、たとえ英雄になれたとしても、彼の願いからは程遠いでしょうね」
犯罪者か英雄か……。
いずれにせよ、リョウキは彼が望んだ"普通"にはなれない。彼が彼として生まれた運命に、鬼は哀れを込めた。
その時、風が吹いた。
本来、青空の無い死後の世界に風が吹くことは無い。
けれど風は確かに鬼の頬を撫で、目を細めさせた。そして、風が音を奏でて気を引いているうちに……。
「まぁ使い方さえ誤らねば……最高の駒だがな」
下目を使って映像を見やりながら、閻魔は独りごちた。
そしていくらでも作り直せるタブレットは、その手から霧に返った。
「…………あれ? 閻魔様?」
感傷に浸っていた鬼がふと立ち返ると、閻魔の姿が影も形も無く消え失せていた。
見渡す限りの間にただ独り、鬼は残された。
「……一体何処に」
今度はもう、褒め殺しも通用しないだろう。探す手立ても無い。
「閻魔様……何を考えておられるのだろうか……」
すっかり見えなくなってしまった閻魔の姿を、鬼は案じた。
しかし、呟かれた疑問の答えを彼が知る時がいつなのか……。
正解を答えられる者はいない。
これにて2.5章は終了です。
引き続き3章も「亡者よ、明日をつかめ」をお楽しみください。
よろしければですが……