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亡者よ、明日をつかめ  作者: イシハラブルー
2.5章 それぞれの思い
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今川カオルと氷上ハレト、そのメイド




 (くゆ)る白い煙から控えめに、それでいて異質に漂う上等の紅茶の香り、3段の煌びやかな台座に並び立つのは、職人が丹精込めて作った色とりどりのクッキー。

 食事というものは生きる者が生きるために必要な習慣である。だが時に、選ばれた人間にとって食事は生命維持以上の意味を持つ。

 単に腹を満たす食べ物という枠に留まらず、ある種の作品であるそれらは、生まれながらにして勝ち組と定められた、氷上グループ御曹司の氷上ハレトによって、優雅で、繊細で、美しい所作で頂かれ……ることはなかった。


「んーっ、やっぱうめぇ」


 ハレトは感嘆の声を上げた。顔のパーツが中央に寄り、感動は彼が腰掛ける椅子にまで伝わった。

 バリボリと、まだ先に放り込まれたクッキーが消える前に、ハレトは待ちきれずにクッキーをほっそりした指で口いっぱいに放り込み、冷えた紅茶で流し込む。

 つまるところ、美味しいというどうしようもない暴力に屈服されていた。


「それは結構ですが。もう少し味わってはいかがです?」


 空になったハレトのカップに紅茶を注ぐ、メイドの五条マイは柔らかな笑みで苦言を呈する。

 彼女の指摘通り、このクッキーは料理としても一枚一枚微細な味の変化と調和を楽しむ代物だし、紅茶もガブガブすすり飲むような安物ではないのだが……。


「いいじゃないか、いちいち食い方くらい指摘するな。貧乏人じゃないんだから好きなように食わせろ。食事に大切なのは形式なんかより自由だろ」


 されど豚に真珠、猫に小判、ハレトにその価値は分からない。

 おいしさに満足できればそれでいい。極論、彼からしたら紅茶はただ潤いを満たす物、クッキーは小腹を満たす物、そして高い物は欠けた自尊心を満たす物でしかない。

 もし味が同じで、けれど値段が違う料理があったとしたら、ハレトは迷うこと無く高い物をディナーに選び、そして与えられた物を「美味しい」と言って何にも知らず満足することだろう。


「これではせっかくフランスで3年修行した私の努力が形無しですよ」


 そう言うとマイは自らの手で作った無為への供物を弔うかのように、勝手に台座からクッキーを1枚いただいた。今日の出来は、本人曰く「まずまず」だった。


「……またそのシリーズか」


 この○○で○年シリーズは昔から擦られているマイの常套句だった。

 場所はアメリカだったり、中国だったり、ロシアだったり、生業はパイロットだったり、雑技団だったり、プロレスラーだったりと、突発的でまちまちである。

 実際どれもそうかもと思わせる技量はある。が、全部が本当のことだとハレトは信じていない。


「そろそろお前、集計したら実年齢50超えるぞ」


「失敬な。私はまだピチピチですよ」


 冗談っぽくマイは笑う。


「へーそー」


 本当にピチピチな奴は自分でピチピチって言わないけどなー……ていうかピチピチは完全に死語だろ、とそんなことを思いながらハレトは紅茶をすすった。

 一応、10年前に屋敷に来た時の自称が25歳であり、それを信じるならば今のマイはまだ誕生日を迎えていないから34歳である……が


「……そうは見えんわな」


 10年前から一切変わらない容姿を見て、ハレトは鼻を鳴らした。

 その変わり様の無さはまさしく物の怪の類い。生き血をすする魔女の如くだ。

 ちなみに以前、『本当はいくつだ?』と尋ねた時は『女性に歳を聞くものではありませんよ』とやんわり?はぐらかされた。


「どうされました?」


「いや別に……」


 ずっと見ていたことをマイに感づかれたハレトは、バツが悪そうに視線を自身が持つカップに逸らした。都合良くカップは空であった。


「紅茶、まだお飲みになります?」


「ああ……」


「あら、もう切れてしまいました」


 閉め忘れていた蛇口から零れた水滴のようにしか茶が落ちないポットの蓋を開けたマイは、一瞬目を見張った。


「だったら別なのを頼む」


「どんなものをご所望ですか」


「お前のセンスでいい」


「承知いたしました」


 マイは微笑むと「しばしお時間頂きます」と空になったポットを、磨き抜かれて鏡のように光る銀色のトレーに乗せ、それを片手で持って踵を返した。

 やれやれ……アイツはマジで変わらないな。

 去るメイドの背中に色あせた昔を見ていたハレトだったが……その時、突如食堂の扉がガンッッと心臓に悪い音を立て、ハレトは現実に引き戻された。


「なんだ……」


 反射的にハレトは身をすくめ、そして立ち上がった。

 物音は1度に留まらず、2度、3度と、打ち付けるように鳴る。

 この屋敷に今いるのはハレトとマイの二人きりのはずだった。

 これは怪奇か、危機か?

 ともかく立ち上がったまま、ハレトは金縛りに遭ったように固まった。しかしその肩に何か温かい物が触れた。


「ここに」


 マイの手だ。彼女はハレトの肩に手を置き、主の不安が和らぐよう努めた。本人は身も心も至って冷静であった。

 有事に備えて両手を使えるように、行きかけのトレーをテーブルに置いて、そしてマイはドアノブと鍵に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。

 軋みながら開けられた扉の前には、ある意味当然だが人が立っていて、それは彼らも知っている男であった。


「あら、あなたは」


 首を伸ばして訪問者の顔を遠目で確認したハレトも息をついた。


「……なんだ今川さんか、驚いたなぁもう」


 扉を開かれた今川カオルは、重い足取りで部屋へと足を踏み入れた。

 ふとハレトは、その風貌が以前会った時より整っていない。有り体に言えば世捨て人のようになっていることが気についた。


「……ティータイム中か。フン、小洒落ている」


 品定めするように食卓を見渡したカオルは、目を吊り上げて笑った。その瞳は笑っておらず、目の下に狂気を思わせる隈が刻まれていたが。


「随分手荒なノックじゃありませんか」


 言いながら、マイは立ち塞がるようにカオルの前に立つ。


「そんなに急ぎの用ですか?」


 するとカオルは「お前に用はない」と指を払うジェスチャーでメイドを追いやろうとした。が、主を守るメイドは引き下がらなかった。

 その2人の間に流れる、望ましくない、重苦しい空気はハレトもひしひしと感じている。普段は横暴に振る舞うこともためらわない彼も、この時ばかりは自らの身の危険も相まって、場の空気の改善に取り組むためだけに口を開いた。


「あーそうそう、君に貸し与えたフラムはちゃんと帰ってきたよ、約束通り傷も無くね」


「そうか……それはさぞかし良かったな……」


 発言とは裏腹に、陰湿な表情でねちっこい言い方、仕草をするカオルに、ハレトは愛想笑い以外の無難な返答を知り得なかった。


「どうされました? 随分と、機嫌が悪そうですね」


 一方でマイは肝が据わっていた。

 互いに手を伸ばせば、それを払いのけられる近さにいるのに、目の下に隈を刻むカオルにも臆せず、堂々とした態度でいた。

 うわぁ、コイツ揺るぎなさなすぎんよー、とハレトはマイのブレない態度に改めて恐怖した。


「アア……最悪の気分だ」


 カオルは横にあった食卓に乱暴に両手をついた。


「こんなに気が立ってるのは久しぶりだ。怒りの波高が、全然静まらない」


 怒りの感情に呼応するかのように、備え付けてあった食器がガタガタ震えた。そしてカオルの声も。


「その様子から察するに……どうやらあなたの計画とやらは失敗に終わったらしいですね」


「失敗? ハッ、失敗どころじゃない……大失敗だ! 予定してた邪魔者は誰一人殺せなかった。それもこれも……あの化け物のせいだ……」


 根ざした憎悪は深い。カオルは手を天井に突き上げたが、彼の目にはそこに彼が今最も殺したい男、リョウキの嘲笑が見えていた。


「それはそれは……お辛かったでしょう」


「ハハハ!! 辛いか……全くもってその通りだ!」


 突き上げた手を激しく握る。興奮で瞳孔が開くが、握った拳をぶつける者は無く、行き場のない感情を抱えたカオルもしょうがなく腕をダラリと下ろし、代わりにマイにその血走った目を向けた。


「……しかしメイドの分際で生意気な口を利くんだな」


「お言葉ですが、私が仕えているのはハレト様だけですので、そこのところはお間違いなく」


「……見上げた奉仕の精神だ。だがお前ほどの女が、そんな自分で何も出来ない狐に――」


「おっと言葉は選べ。庶民無勢が」


 マイはギロリとカオルを睨む。

 恐ろしいまでに毅然とした態度だった。けれど彼女からしたら、自らが仕える主が馬鹿にされた時にとる態度としてこれが当然だった。

 すべては(ハレト)のため……。

 しかし肝心の当の本人は喜ばず、


「マイ~やめろ~。ボクに被害が及ぶだろ~……」


 この状況が穏便に終わることを心から願っていた。


「……安心しろ。俺にお前を殺す気はない。今のところはな……」


「そ、そうですかぁ! それは良かった!」


 『今のところ』は完全に聞かなかったことにしたハレトは、予期していないプレッシャーで混乱状態の中、ティータイムの余りのクッキーを差し出した。


「か、カオルさんもホラ、せっかく来たんだしクッキーでも食べてかない?」


 カオルはしばらくの間、黙って皿の上で調和するクッキーを眺めていたが、唐突に一枚を手のひらに収め、そして粉々に握り砕いた。


「こんな物欲しくはない」


 さっきまではクッキーだった粉が、緩めた拳から厚手のカーペットに帯をなして落ちる。


「俺はな、クッキーがこの世で1番嫌いな食べ物なんだ……。クッキーからは砂の味がする、だから噛みしめる度に不愉快になる、最低の味さ」


 忌々しく残骸に眼を向ける表情には、苦々しさが隠し切れていなかった。


「まぁそれはもうどうでもいい。俺はこんなとこに茶を飲みに来た訳じゃない。ちゃんと用があって来た」


「ど、どんな……?」


 すっかり萎縮しきっていたハレトは、小動物のようにどこか逃げ腰で言った。


「既に次の計画を立てている。その計画を発動させるためには、お前の力が絶対的に必要だ。だから、手を貸してくれるな?」


「別に、前みたいにキズモノにしない約束を守ってくれるならそれは結構ですが……。今度は何を?」


 素直に尋ねるハレトに、カオルは鼻で笑いつつも教えてやった。ただしクドクドと前置き長く、そして分かりづらく。


「この間の一件で改めて思った。いくらがんじがらめに心を縛り上げたとしても、結局本人すらどうこうできない深層心理までは縛り切れないのだと。お前の能力では、従者が心の底から忌避する事柄については強要しきれない。だから死を望まない魔法少女に、獣は殺せても人は殺せない」


 そういえば……。そう言われてハレトには思い当たることがあった。

 以前、白零ノ魔女を使ってあるゲーム参加者を急襲した際、彼女はハレトの支配下にいながら、"殺す"という命令には躊躇を見せ、実行させるにはより強い拘束を用いなければならなかった。

 そして……フラムの放つ魔法も、霊獣相手に撃つのと人に向かって撃つのでは、火力が違う。


「どうも人間の心の本質は善らしい、俺の思想と相容れないが……。どちらにせよ、冷酷、非情、邪悪……そんな悪の心を根底に抱く者と契約しなければ、他の参加者を殺すことは出来ないだろう」


 そしてカオルが今最も殺したいと思うリョウキに関しては、まず無理だろう。

 一瞬でも躊躇を見せれば、それは格好の隙となり、たちまち返り討ちにあう。

 血飛沫が噴き出し、臓物が飛び散る。そして屍が連なる。そんな光景がカオルにはありありと見えている。あの男なら間違いなく、女子供なんて属性は関係なく、情け容赦なく殺るだろうと。


「だから魔女の力をアテにするのはやめだ。肝心なタイミングで頼りにならない力なんて、役立たずだ」


「?? でもボクに手を貸して欲しいんでしょ?」


 念のため、ハレトは尋ねた。

 自身の能力が酷い言われようをしているのは、この際不問だ。

 ただ分からないだけ、カオルの言っていることが。


「そうだが」


「つまりボクが持つ魔女たちの力を使いたいんですよね」


「そうだ。ただあくまでアテにはしない。彼女たちには今回、計画を起こすに当たってのバックアップに回って貰う。それと、お前にだけもう一つやって貰うことがある……」


「はぁ?」


 先が見えたと思いきや、また話は新しいトンネルの中へと。ハレトは気のない返事をした。


「中々要領得ませんが、結局何をさせるつもりなんです?」


 静観していたマイも、ついに堪えきれず口を開く。


「別に悪いようにはしない。ただハレト……お前の力を俺に貸して貰うだけだ」


「……?? いやそれは構わないって……言ったけど……」


 相変わらずカオルの言いたいことが分からず、ハレトは困った顔を浮かべた。

 が、2人の間に立つマイはその言葉で全て氷解――顎を親指で撫で、したり顔した。


「ああ、なるほど。大体分かりました、あなたがやりたいこと」


「理論上は出来るはずだろ」


「ええ。閻魔から授かった能力(ちから)に論理があるかは知りませんが、あるなら出来るでしょうね。しかし……」


 カオルの考えていることが分かると、マイはカオルを見ながら吹き出した。


「そこまでして殺したいんですね」


「……笑うな。そういうものだろう、憎いっていうのは」


「失礼。心中、お察しします。そうですね、行き着くところとしては正しいんじゃないでしょうか」


 けれど完璧に平静を取り繕うことは出来ず、僅かに口元が緩んだ。

 

「え、何? 2人とも何の話してるの?」


 ただ1人、ハレトだけが何にも知らずにいた。

 結局、彼がカオルの企てた計画の概要について知ったのは、もう一度、計画について一から十まで全て、婉曲表現を排除した直接的な説明がなされてからであった。そこで彼はマイが笑った理由も悟り、自身も危うく笑いかけた。

 話し終えた時、額縁のような窓の外にある空の色は移ろい、カラスたちが鳴いていた。

 今川カオルの暗い復讐劇の舞台は、着々と整えられていった。




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