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亡者よ、明日をつかめ  作者: イシハラブルー
2.5章 それぞれの思い
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ツバサと眠り姫、ついでにヒカル




 藤川ツバサ、彼の見る世界は壊れてしまった。

 5年前、人生を構成する歯車の中で、最も大切なモノがヒビ割れた時から、彼の時計の針が刻む時間はただただ空虚なものとなってしまった。

 以降彼は、その歯車を修復するために己の心血を注いだ。

 その思いは死んでも変わることはなく、彼を現世に蘇らせる(かすがい)として打ち付けられていた。




⭐︎




 大和谷病院、東京都に位置し、様々な症例にも対応する規模の大きい病院だ。

 かつて、霊獣の大群と黄泉から帰った戦士がぶつかったこともある。

 今日、ツバサは朝方からずっとここにいる。額には包帯が巻かれているし、服で見えないだけで腕にも脚にも、あちこちに手慣れた手つきで包帯が巻かれているが、彼の目的は診察を受けることではなかった。

 それを示すようにツバサは敷地内には入らず、入口近くにある緑生い茂る生け垣の影に佇んで、ツバサは覗き込むように一点を凝視していた。

 ただならぬ雰囲気であえて誰も触れようとしなかったが、一人の男がツバサに近づいていった。


「おいっ」


 その一言と共に、ツバサの肩に手が置かれた。

 ハッとすると同時に疲労感がのしかかり、ツバサは気を静めるため目をつむった。

 なんて馴れ馴れしい。それが誰なのか、ツバサには秒で分かった。

 だからツバサはわざと、端正な顔を歪めた険悪な顔で肩越しに振り向いた。


「……何の用だ」


 案の定、置かれた手を払って、振り向いた先には朝日のような笑顔があった。

 正午過ぎの太陽に勝るとも劣らない輝かしさ。

 包帯のせいで、その笑顔は右半分が隠れていたが、当人は昨日の今日でもう元気そうだった。あくまで見かけ上は。


「何って、昨日の礼を言いにな。テツリから聞いたぞ、お前、俺のことを守ってくれたんだってな」


 佐野ヒカルが屈託なく、両手を後ろに回して恥ずかしげも無く言うと、ツバサは口をピクつかせ


「何のことだ?」


 と素知らぬふりをした。

 しかし彼が言ったとおり、テツリから昨日のことを聞いていたヒカルは全てお見通しであり、彼はニヤリと笑って、肘でツバサの脇を小突く……のは痛いだろうからと気を遣って、なんとなくフリだけした。


「照れるなって。俺のために戦ってくれるなんて、嬉しいぜ」


「誰がお前のために戦ったって? ……あとそのニヤけ顔をやめろ、不愉快だ」


 そう言うと、ツバサはそっぽを向いた。だがヒカルがその前に回り込んだ。


「まぁいいじゃんかよ」


「言っておくが勘違いするなよ。俺は別にお前を助けたわけじゃない。あんなの、ただの気の迷いだ。その気になれば今この瞬間にだって、俺はお前の喉元に喰らいつく。馴れ合うつもりはない」


 作った剣呑な顔で頑として言い切ったツバサに対して、ヒカルは目を細めた。


「それでも構わないよ。そうだとしても、結果的に俺は助かったんだし、礼ぐらい言わせてくれよ」


「そんな筋合いはない」


「なんでだよ、筋合いはあんだろうが、お前が助けたんだから。……ありがとうよ」


「……チッ!」


 ありがとうに対して盛大な舌打ちをお見舞いしたツバサは、認めたくない内心を誤魔化すためにヒカルを皮肉った。


「わざわざ礼を言うためだけに来たのか?」


「早いほうが良いかなってな」


「フン、俺がいるかも分からないのに、随分と暇があるんだな」


「そりゃ仕事も何にもないからな。霊獣が出ない限りやることもないしスゲー暇」


「そうか……。だったら俺なんかに構わず、彼女のとこにでも行って思う存分乳繰り合ってたらどうだ」


「……あー、ナルミには会えないんだよ。色々あったから」


 ヒカルは苦笑いした。

 昨日の一件を発端に、このままナルミをカオルの監視下にある今のアパートに置いておくのは非常に危険であると、ヒカルは判断した。

 だからヒカルは監視から逃がすため、朝日も昇らない4時半頃にナルミの住むアパートを訪問し、事情を説明して安全なところに身を置くように説得した。

 協議の結果、身を隠す場所はナルミの実家になった。

 細心の注意を払い、万全を期した逃走作戦の末、今はもうおそらくナルミの居場所は完全にカオルから視えなくなったが、もし自分が動けば居場所が露見するリスクが高い、そのため、ヒカルはナルミに会うわけにはいかなくなってしまった。


「ほう……それは残念だったな」


「そうなんだよ……」


 ヒカルの目尻が下がる。


「それが守るためとは言っても、やっぱ会えないのは寂しい。側にいるのが当たり前だったからな」


 まともな連絡手段も無い以上、その思いは一塩であった。


「まぁお前達の熱病なんぞ、俺には関係ない話だな」


 その言葉は、「これで話は終わり」と等しいばかりの意味を持っていた。

 だがツバサが踵を返したところで、ヒカルは深く瞬きして、


「でもお前にも分かるだろ?」


 と透き通るような声で疑問を投げかけた。


「……何がだ」


 それを何故俺に聞く?

 そんなことを思うツバサが怪訝な顔で振り返ると、ヒカルは付け加えた。


「俺はな、お前なら絶対ここにいると思っていた。だからお前がいない心配なんてしなかった。だから大切な人への思いもきっと同じだと思った」


「……そうか」


「…………」


 2人とも、感情に一致した表情を浮かべて黙った。

 ツバサは諦念にまぶたを閉じ、ヒカルは神妙な面持ちで口を結んでいた。

 春風が何にも邪魔されることなく、2人の顔を撫でる。

 落ち着いた心持ちで時が流れ、ツバサはまぶたを開けた。そして視線を向けたのは、さっきまで見ていた病院の一室だ。


「……あそこにいるんだな」


 ヒカルの視線もまた、ツバサと同じ病院の一室に向いていた。


「視線を追うな……」


「悪い……」


「今更遅い……色々とな」


「…………」


 それからまた2人は並んで黙っていたが、おもむろにツバサは歩み出した。


「……」


 一瞬足を止め、ヒカルの方を横目でさりげなく見た。

 言葉は無い。

 その仕草を、ヒカルはツバサが暗に「ついてこい」と意図していると直感し、その背中を追った。

 果たしてそれが正しかったのか。

 けれどヒカルが後をつけても、ツバサはヒカルが存在していないかのように何事も無く、自動ドアを通って病院内へと足を運び、エレベーターの前に立つとほとんどボタンを見ずに、どこに何があるか分かっているといった態度で階を選んだ。

 8階――

 押された階数のボタンを確認し、ヒカルはやっぱりかと思ったのと別に、いよいよかという感情で喉を鳴らした。

 以前こっそり後を尾けた時も、この病院の8階でツバサは降りていた。案内板によれば、8階は病室である。それも重篤な患者を収める。

 扉が開き、2人は手狭な箱の中に足を運ぶ。

 あの時は他人の重大なプライベートに土足で踏み入れてしまうのでは、という疑念から自重したが、今日は実質連れられているのだから、ヒカルにやましい気持ちはない。

 やがて思っていたより時間をかけて、2人を乗せたエレベーターは目的の階についた。馬鹿みたいに静かで、到着を知らせるチャイムがやけに大きく聞こえた。


「お前とここに来ることになるのは、思ってもみなかった」


 エレベーターを降りてから、ツバサは淡々と、それと当然自覚は無かったろうが、口元に微かに安堵しているような表情を浮かべて言った。


「いつも決まって1人だった。俺以外に来た人もいない。まさかお前が2人目とはな」


「……」


 1人もか?

 そう口に出しかけたヒカルだったが、それは愚問だと気づき飲み込んだ。

 多分、そういうことだろう……と。

 そのおかげで人並み外れた刺々しさにも少し納得いった。つまりツバサはハリネズミなのだ。


「……分からないもんだな」


 言えない言葉の代わりに、ヒカルは当たり障りなく相づちを打った。

 しかしその場しのぎとは言え、本当に先は分からないものだと思ったのは事実だった。

 初対面の時のツバサに対するヒカルの心証は良くないどころか最悪に近かった。それが今や、一時とは言え横に並んで歩く関係である。


「だが勘違いするな。お前と馴れ合う気はあくまで無いからな」


「つれないなぁ」


「仕方ないだろう。お前も俺も、自分の願いを妥協できないのだから、結局どうなろうと敵である事実は根本から消えようがない」


 だから、いつまでも一緒に歩くことは出来ない。


「お前が俺に勝ちを譲ってくれると言うなら、話は別だがな」


「それは…………」


 ヒカルは答えを言いよどんだ。

 静かな廊下には足音だけが響いた。その静寂が何より本心を語っていた。


「気にするな。ハナから譲ってもらう気は無い。お前に譲ってもらうまでもなく、俺は、俺自身の手で願いを叶える……、絶対に」


「……俺だって……俺だって、絶対に願いを叶えたい」


 願いは人の数だけある。

 けれど叶えられる願いには限りある。

 叶えられる者と叶えられない者。

 勝者と敗者。

 いつだって、人間はそういうものだ。


「…………さて、お喋りはここまでだ。ここからは、なるべくお静かに頼む」


 そう忠告すると、ツバサは目的の病室の白い扉に手をかけた。

 引き戸の扉は音を立てることなく、開け放たれた。

 部屋の中は、布地の薄いカーテンで窓を閉ざされ、わずかに透過するぼんやりとした陽光で明かりが保たれており、ユラユラとした水の中にいるようだった。

 ただ緊張感促す規則的な電子音が、ベットの脇にある心電図の機械から絶えることなく流れていた。

 そして……


「………………」


 1人の女の子が点滴の管に繋がれて、ベットの上に寝ている。

 胸まで布団を掛けられたその子を、ヒカルは凝視した。

 綺麗な寝顔だった。

 生気は宿っているのに、おそらく日焼けしていないせいだろう。その顔はまるで死人のように白かった。

 しかしそれを差し引いても、10人に聞けば10人が可愛いと答えると思えるほど、目鼻立ち整った端正な顔立ちをしていた。

 ヒカルはその子に会ったことはない、けれどどこかで会ったことあるような気がした。

 デジャブ――知っている誰かの顔と、無意識下で重ね合わせていた。


「……この子は?」


「……俺の…………妹だ」


 予想の範疇の答え。

 そう言われてみると、もう瓜二つにしか見えないから不思議なものだ。

 鼻筋とか輪郭とか、パッと見でも類似点はすぐ見つかる。

 どうやらこの血筋は顔が良いらしい。


「名前はアオイだ……。もう久しく、ずっと眠ったままだ。もう5年も眠り姫をやってると言うのに、まだまだ眠っていたいらしい。全く……どうしようもない寝ぼすけだ」


 丸椅子を持ってきたツバサは寝入る妹の傍らに座り、妹の頭を穏やかな顔で撫でた。

 穏やかな顔だと、ますます2人が似ていると、ヒカルは思った。

 憑き物が落ちたようなツバサの顔を見るのはヒカルにとって初めてだった。

 そりゃこんな優しい顔をするなら、この子の命が危うい時にツバサが死に物狂いになるのも、納得しかなかった。


「けど、それでもアオイは戦っている……。この5年間ずっと、戦ってきたんだ。俺たち兄妹は……」


 目を閉じれば、ツバサは瞼の裏に思い出を走馬灯のように見れた。

 始まりは家族の画だ。幼少期のツバサの後ろに父親が、母親はアオイの後ろに立って、みんなが笑っている。

 確か旅行先の草津での出来事だ。多分本当は浴衣を着ていた。

 しかし、家族の画は年を重ねる内に4人から3人、3人から2人と数を減らしていき、今は静止画のように同じ画が続く。時が経って、季節が過ぎても、その画は変わってくれない。そして誰も笑っていない。


「…………」


 暗闇を照らす真っ赤なサイレン。

 医者は目を覚ましたら奇跡だと言っている。

 アオイを意識不明にした原因は分からず、医者はずっと前からこのまま寝たきりである可能性、そして来る時がいつ来てもおかしくない趣旨の宣告をしていた。

 その宣告をツバサは独りで聞き、誰にも話せなかった。

 そんな残酷な宣告、当時まだ高校生だったツバサが受け入れられるはずも無く、今でも認めていない。だから、あわよくばにすがった。

 もっと良い設備のある病院に移ればもしかしたら……。

 もっと腕の良い医師の診断を受ければもしかしたら……。

 


『アオイは目を覚ますかもしれない』



 けれどいくら強く思おうと、ツバサにはお金も、頼れる大人もいなかった。

 だからツバサは独りで頑張るしか考えられなかった。

 学校を中退し、すぐさま職に就いて朝から晩まで寝る間を惜しんで汗と泥だらけになって働き。

 休日は隠れてアルバイトに励み、娯楽の類いには一切手を出さず、ありとあらゆる金銭と労力をアオイに全て捧げた。過酷で色の無い日々に足を踏み入れ、歩き続け……。

 そんな彼を待ち受けていたのは、彼自身の早過ぎる死であった。

 妹を救うために全ての心血を注いだ男は、干からび全てを失った。

 奇跡は起きなかった。しかし……


『お前さん、これからゲームに参加する気は無いか?』


 死後の世界で、子鬼にすら迫力で劣る閻魔が問うた。そして飄々(ひょうひょう)とした態度でこう続けた。


『もしお前さんが参加して、これから現世に現れる化け物どもを最も退治したならば、お前さんの願いを一つ叶える権利をやろう』


 聞いた時から、ツバサの脳内に電流が走った。


『願いを叶える……だと? 本当なのか!?』


『もちろん。もっともお前がゲームで優勝したらの話だし、参加するかどうかもお前さん次第だ。どうする?』


 だったらやることは決まっている。他の条件を聞くまでもなかった。


『分かった。そのゲームに参加する……」


 本当にもう一度だけ、最後に奇跡を起こす権利を手に入れる機会が与えられ、ツバサは帰って来た。


「……これが、俺たちに残された最後のチャンス……!!」


 思い出を振り返り終えた時、ツバサは決まって胸に下げられたペンギンのペンダントを握っている。

 これはアオイからツバサに送られたプレゼントだ。

 彼女曰く、動物園の土産物屋で買った安物らしいが、ツバサにとっては同じ重さの純金より遙かに価値がある代物だ。


「俺が勝たなければ、アオイは2度と目を覚まさない。だからアオイのために……俺は勝たなければならない……。そのためなら、アオイの笑顔をもう一度見られるなら……俺は悪魔にでもなる。そう決めた」




⭐︎




 たった2人の家族の憩いの場に、自分がいつまでも存在しているのが申し訳なくなり、ヒカルは早急に病室どころか病院を後にした。

 出入り口から出た時、ヒカルは来た時と同じように病院の一室を、妹思いの優しい兄がいる病室を振り向いた。


「助けたい……あの兄妹……」


 ポツリと呟く。

 ツバサの願いは家族を思う愛だ。否定なんて出来ようはずもない。


「でも……」


 だから自分の願いを捨てられるか?

 ヒカルは考えてみたが、首を横に振った。


「…………俺だって」


 願いを叶えて生き返って、ナルミとの生活を送りたい。

 その気持ちに嘘はつけない。

 この気持ちだって今や家族を思う愛だ。否定なんて出来ようはずもない。ましてや自分自身で。

 ヒカルはため息をついた。

 3月の陽が頭上を照らしている。街路樹の桜はまだ蕾だ。

 それが咲く時、空は晴れか、それとも嵐か。

 戦いは終わらない。




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