第九篇・その2 使い魔
そして現在。
仕組まれた死闘の最中、ヒカルは倉庫の冷たい地面に、ブリリアンに変身したままの姿で、うつ伏せに倒れ伏せていた。
その側で、少し前までは積み上げられていたパレットが雪崩のように崩れ落ちているのは、ヒカルがリョウキに首根っこを掴まれ、片手で放り投げられた時に頭からぶつかったからだ。ヒカルが纏うブリリアンのマスクは、その時の衝撃で右目を垂直方向に分断するような亀裂が走って、素顔を晒しかけている。
いくら変身して丈夫になっているとは言え、それほどの衝撃でぶつかれば、痛みはヒカルの頭の芯にまで響く。そしてその痛みは今も絶えること無く残っている。
嬉しくないことだけれど、痛みを感じると言うことはまだ生きていることの裏付けだ。
そして生きている限り、立ち上がることが出来る。
ヒカルは鉄の味がする唾を飲み込んで、震える脚に力を込め、空に向かって立つ。わき上がる思いを力に変えて。
『勝てば良いんだ。勝てばお前も、お前の大切な恋人も、みんな助かる』
この計画を実行するに当たって、別れ際にカオルはヒカルをそう焚きつけた。その言葉が今、ヒカルを突き動かす原動力になっていた。
もっとも、その言葉には信憑性がない。そのことはヒカルも重々分かっている。例え自分が勝ったとして、それでカオルが今後一切ナルミに手を出さず、安全を保証してくれるはずがないと。
だがその言葉を信じなければ、到底立ち上がれなかった。でなきゃすがる希望が無いから。
そして、儚い希望にすがる者はもう1人。
灰色の翼手をはためかせ、倉庫の天井スレスレを飛行しているツバサだった。
「もぉ~、いい加減降りて来なってば」
リョウキが腰に手を当てて、見上げていた。
「誰が降りるか」
そう言って、ツバサはリョウキの頭上を旋回し続ける。
ツバサが変身しているのはコウモリで、薄いガラスならものの数秒で割るほどの強力な超音波を照射できる。それでリョウキの脳に直接ダメージを与えようとしているのだ。
もとよりこの戦法を十八番にしているのもそうだが、遠距離からならそうそうステゴロでは太刀打ち出来ない、そうツバサは踏んでいた。
実際その目論見は半分当たっている。……裏を返せば半分は外れている。
「仕方ないなぁ……じゃあ落ちろ……」
リョウキが冷淡に発したその言葉は独り言で、誰の耳にも届かなかった。
だがその瞬間のツバサとヒカルの目には、何か底知れない不気味で黒いオーラが大挙して、突如リョウキの背中から這い出したように見えた。
それは実体のあるものではない、2人の心象風景が視覚上に現れたに過ぎず、本来は物理的干渉力も持たないただの幻のはず。だがヒカルはその場で足が石のように固まり、頭の方も思考が鈍り、ツバサは顔を上げたリョウキ本体とも目が合い、水の中にいるような息苦しさを感じた。
2人を縛り上げた邪の名は、ズバリ恐怖だった。
「へへっ……」
そしてリョウキは悪巧みを思いついた子供のように笑うと、積んであるパレットに向けて一目散に走った。
強引に、段の途中からパレットを1枚引き抜くと、それより上に積んであるパレットは傾き、そのまま音を立てて崩れる。
「一体何を……」
2人が呆然と見守る中、リョウキは1枚のパレットを指が食い込むほど強く掴んだまま、自身を軸にして竜巻のように回転する。そして回転に十分な勢いがついたと思った時、
「そりゃ!」
軽妙な声と共にパレットから手を離した。
「!?」
リョウキ自身の怪力に、遠心力も加えられ放たれたパレットは、天井に向けてまるでフリスビーのように投擲され、そして金属の破れる音を立てて刺さった。
「ありゃ、全然違ったか」
狙いはツバサだったようだが大外れし、パレットは天井のあさっての方向にめり込んだ。リョウキはあまりの暴投に後頭部を撫でた。
だが重さ20キロはある大きくて平たいパレットが、やすやすと10メートル以上の距離、しかも上方に投げられたのを見て、ヒカルとツバサは言葉を失った。
もし、これをぶつけられたら……と危惧している内に、リョウキは次なる弾に手をかける。
「でもそのうち当たるよね」
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。
彼にその諺を知る由はないが、リョウキは間髪なく、次々パレットを投げ続ける。投げる度に学習しているのか、一投ごとに投擲精度は目に見えて上がっていく。
そうなるとツバサの視界は迫りくる回転パレットの束で満ちた。
ガッッ!!
最初のうちはかわせていたツバサも、あまりの数と徐々に上がる弾速に対処しきれず、パレットを翼手に受けてしまった。
それでバランスを崩したツバサには、容赦なく後続のパレットが次々とぶつかりにかかり、ついに堪えきれず地面に背中から落ちた。
「!?」
ゴッッ!!
さらに立ち上がった瞬間、目前に迫っていたパレットがツバサの額を裂いた。ショックでツバサは膝から崩れ落ちた。
「1枚余ってた!」
投げている内に楽しくなっていたのか、リョウキは無邪気で邪悪な笑みを浮べて言った。
「さぁさぁ落ちた鳥さん、地面にようこそ……そしてさようなら」
凝り固まった首を揺らし、鳴らしながら、後ろ手を組んでリョウキはツバサの下へ焦らすように迫る。
震えで地に足がつかないツバサは、その場から動けない。
最後の1枚によって負わされた傷が特に深い。流れ出た血が、左目のまつ毛から滴る。そして何よりぶつかった衝撃と落下の衝撃で脳が揺れ、視界がボヤける。
「く……は……」
本来ならこの展開は、ツバサがリョウキに与えるはずだったのに……。
悪漢の力業によって、運命がすり替えられてしまった。だがまだ終わらない。
「……!?」
「ん?」
ツバサの表情を見たリョウキは、感情の変化を機敏に感じ取った。
移ろいは恐怖、悔しさから、驚きへと。
何かあったことを鋭敏に察知し、リョウキは体を捻ってツバサの視線の方向、自分の背後を振り向いた。
まるで金色の流星が、向かって来ていた。だが綺麗だと思う間は無い。
ズガンッッ!!
綺麗な流れ星でも、地上に墜落すれば甚大な被害をもたらすように。その到達とともに、土煙が立ち昇る。
流星の正体は、急降下キックをしかけるヒカルの姿だった。
ヒカルは煙の中から飛び出し、自身も身をかがめ、包むようにツバサの肩に手を回し抱える。そしてリョウキと距離を取るため1,2でひとっ跳びした。
「ツバサ! しっかりしろ! 大丈夫か!?」
「お、お前に……心配されるまでも……」
ヒカルに抱きかれるツバサはその腕を払い、立ち上がろうとした。だが体は強がる言葉と態度とは裏腹に、顔面から地面に倒れた。
「そりゃ心配にもなるだろ……」
「黙れ……そんなの心外だ」
「…………なぁ……お前、立つ力も……」
「うるさい……黙ってろ。今立ってやる……」
額を地面に擦りつけてでも、なおも立ち上がろうとするツバサ。だが額が地面から浮くことは無かった。
「クッ……ぬぅぅ゛ッッ……」
「ツバサ……」
その姿を見て、ヒカルは何か決意したように力強く頷いた。
「ああもう。落ち着くまで、少し休め……」
「休むだと……。そんな……余裕があるか」
「余裕なら俺が作る! ……しばらく俺が戦って、アイツを食い止める」
身をかがめていたヒカルは立ち上がり、煙が立つ方を見つめた。
「……本気か?」
「ああ本気さ! お前が回復する時間を稼いでやる」
「……お前一人で……そんなこと出来るわけが……、第一お前も……」
決して無事ではない――
変身しているから分かりづらいが、ヒカルだって立つことが出来ないツバサに匹敵するほどに傷つき、ダメージを負っている。
「……だからなんだよ。文句言う暇があったら、その分休んでくれよな」
「……」
「頼むぞ。お前のこと、あてにしてるからな」
ヒカルは親指を立てて見せた。ツバサは何も言えなかった。
「さーて、いっちょやってやるぜ!!」
右肩をグルグルと回して気合いを入れ直し、毅然とした表情をひび割れたマスクの下に潜ませ、そしてヒカルは、煙の中に浮かび上がったリョウキのシルエットに向け走り出していった。
⭐︎
ちょうどその頃。
戦いの場から直線距離にして500メートルほど離れた路地にて、首謀者のカオルは千里眼で3人の戦いを見物していた。
オレンジ色のカーブミラーに、不敵な笑みが眩しく映る。
「さて、そろそろ頃合いかな」
ひとりでに呟き、カオルはスマホを取り出した。たどたどしい指使いで数字を押し、通話相手を呼び出す。相手の名前は表示されない。
コール音2回で通話応答ボタンが押されたらしく、通話開始を知らせるノイズが発生した。
「準備は整ってるな。手はず通り投入しろ」
通話開始と同時に、カオルは返答を待たず有無を言わせぬ勢いで命じる。
ヒカルたちの戦いの経過からして、決着までに残された時間は当初の想定より遥かに少ないと、カオルは見立てを立てた。
そしてカオルの立てた計画は、この決着がつくタイミングの前後に発動させなければならないため、時間的に余裕がなかった。
「返事はどうした」
「本当にやらなきゃダメですか?」
「はぁ? この期に及んで何寝ぼけている。お前の力を借りてこそ計画は完遂されるんだ。そのお前が今更降りるなんて、後でどうなっても文句は言わせないからな」
内心焦れていたカオルにとって、その躊躇は大層焦れったかった。
「分かりましたって、別にやらないと言ったわけじゃない」
その電話越しのノイズが混じった声色からも、悪感情が純としていたため、通話相手は慌てて言い繕った。
「ならさっさと投入しろ。お前のことも監視してるんだからな」
カオルが言外に報復をほのめかせば、小心者の心は易々と掌握された。
「分かってますよ。今すぐ命令しますから」
「それでいい」
と、カオルが言ったところで、一応これだけは、と小心者もいっちょ前に念押しする。
「……くれぐれも、傷はつけないようにしてくださいね。ボクの1番のお気に入りなんですから」
「了解了解。さっさと頼むぞ」
それを最後に、カオルは一方的に電話を切った。
「……どうせ最初からキズモノだろうが」
偶像に対して幻想を抱く通話相手に、嘲笑的な笑みをカオルは浮かべ、それから空を見上げた。
午前は晴れ渡っていた空は、いつの間にやら暗雲で太陽の光も遮られていた。一雨きそうな空、季節外れの雷音も微かに。その時黒い雲を切り裂くように、飛行機雲にも似た赤い1本の筋が通った。
「始まったか」
カオルは喉を鳴らして笑う。ふと今日はずっと、笑ってばかりだったことに気づく。
「さぁ! 全てが! これで片づく」
人はいないが人目も憚らず、カオルは湧き上がる感情を口にして噛み締めた。
頭の中では未来を思い描いていた。
その未来では、ヒカル、ツバサ、そしてリョウキは、自身の手のひらの上で死す!
こんなにも嬉しいことはない。計画失敗で逃した獲物の後始末と、計画をぶち壊した奴へ死をもって復讐を果たす。育った自尊心も「幸せだ」と言っていた。
⭐︎
「?」
なにこの変な感覚?
そう思ったリョウキは戦いの途中、ふと足を止めた。警戒心を抱いて周りを見渡すも、様子はさっきから変わりない。相変わらずこの倉庫の中には華が無い。その代わり異変があればすぐ気づけるが、気づくことも無い。
気のせいだったか?
しかし身の毛がよだつ感覚だった。実際リョウキは鳥肌を立てていた。雷雲の接近により外気は低下しているが、この倉庫の中はそうでもない。むしろますます熱気立っている。
「おっと危ない」
その一因であるヒカルの拳を、リョウキは正面から難なく手のひらに収めてみせる。掴む瞬間に肘を曲げることで、衝撃も0に近いところまで和らげられる。
そして足を引き絞り、しなりをつけてヒカルの両足を払った。
早業――悔しがる暇も無く、ヒカルの体は一回転と少しして、受け身も取れず地面に打ち付けられた。
「変と言えばあなたたちもそうだ」
「ゴハッ゛」
背中を踏みつけられたヒカルは、肺から追い出された空気で声帯を揺らした。
リョウキはヒカルのうなじ辺りを掴み、無理やり反らし上げさせる。
「あなたたちからは……なんて言うか、『コイツこのやろー!!』とか『ぶっ殺してやる!!』みたいな気持ちが感じられないんだよね。わたしと戦ってはいるけど、わたしと向き合ってはない……みたいな? なんでだろう?」
ヒカルの耳元でそう疑問を口にしたものの、それに対する回答は欲していない。
リョウキはヒカルの顔面を地面に叩きつけると、「ま、どうでもいいけどね」と告げて蹴り捨てた。一撃の余波で、ヒカルが纏っていたブリリアンのマスクは割れ、顔の右側が露出した。
「……かっこつけておいて……結局、駄目じゃないか」
光景を遠目で見ていたツバサは、腕に力を込めた。
擦り付けていた額がようやく地面と分離された。
「まぁ……いい。そう贅沢は……言ってられない」
強烈な目眩は何とか自力で動けないことは無い程度には収まった。
ツバサからしてみれば、それだけで十分感謝……もとい申し分ない働きぶりに値する。
「……」
口の端についた血を拳で拭い戦線復帰。
ヒカルがとどめを刺されるより先に、ツバサはリョウキに駆け寄って殴りかかった。
別にヒカルを助けたわけじゃない。この状況でヒカルに死なれたら、自分も死んでしまうから助けたまで。別にさっき助けてもらったお返しというわけでは無い。ただ結果的にそうなっているだけだと、少なくとも表層では、ツバサはそう思っている。
ツバサはパンチの嵐を、リョウキに浴びせようとする。
「ヤケクソだね、あなた。それじゃねぇ」
ヒュッ!!
攻められまいと果敢に攻め続けるツバサをあざ笑うかのように、リョウキはツバサの攻撃の僅かな合間を縫ってカウンターを。
天才の一撃は、凡夫の数十回に値するらしい。
刺すように打たれた1発のパンチはツバサのボディに突き刺さり、間髪を入れずに裏拳が頬を打つ。
ふらつく足では立っていられず、ツバサは肘から地面に落ちた。
「いよいよかな。フヒャヒャッ」
「く……」
ヒカルも、ツバサも満身創痍、空元気を振り絞る気力も磨り減らし、もはや尽き欠けていた。
「…………」
倉庫の中に生暖かい突風が吹き渡る。
と、それによって揺れた髪が目にかかり、リョウキは左手で髪をすいた。
「あん?」
開けた視界の端に、リョウキは異物を見つけた。
倉庫に差す光、その逆光に立つ者。
リョウキに遅れてヒカルたちもその存在に気づく。
その者は黙って3人のいる倉庫の中へと侵入。コツコツと響くヒールの音、スカートを履いてるシルエットから、侵入者は女性であるらしいことは3人にも理解できた。
「!? き、君は確か……」
姿形が明瞭になっていくと、ヒカルだけは驚きで目を見開いた。
その少女のことをヒカルは知っていた。と言っても見知った間柄ではなく、ただヒカルが一方的に知っているだけだ。見たのも只の一度きり。
けれど一目見ただけで誰だか分かった。炎のように赤く染まった綺麗な髪は1度見たら忘れない、強烈な印象を見た者に与える。
その少女の名は……
「だれあなた?」
「私ハふらむ。モエル魔法少女」
リョウキに尋ねられて、少女は名乗りを上げた。
ついでにこれも挨拶代わりか、箒の柄で地面を突くと、火の粉がワッと桜の花びらのように舞い上がった。
少女の周りで舞う火の粉は映えると同時に、その強さをほのかに感じさせる。
「……まほーしょーじょ?」
始めて聞く言葉に、リョウキは目を点にして首をかしげた。
「どうして……君がここに……。まさか君も……カオルに利用されてるのか……」
自分の置かれる境遇からヒカルはそう尋ねるも、フラムは首を横に振った。
「かおる……ナンテ知ラナイ。私ハタダ、ゴ主人様ニ命ジラレテココヘ来タ」
「ご主人……どうゆうこと……」
「わたしにも教えて欲しいなぁ。あとできたらカオルってのについても」
ヒカルの問いかけに、リョウキも同調した。
「イイデショウ……ト、私個人トシテハ言イタイトコロデスケド……ソレニツイテハ教エルコトハ出来マセン。ドウヤラ口止メサレタミタイ」
「そうなんだ。残念」
リョウキは全くそうは見えない態度でそう言った。
フラムとの会話がなされている間に、ヒカルと、そしてすっかり蚊帳の外になっていたツバサも、少し持ち直して立ち上がっていた。
それにしても……ヒカルは違和感を覚えていた。
今目の前にいる少女は、間違いなくあの焼け落ちたアウトレットでテツリと会話を交わしていた少女だろう。髪色、顔立ち、服装も同じ。けれど纏っている雰囲気は一変していたのだ。
ヒカルがそう感じた、その最たる原因は表情だろう。泣いたり、笑ったり、困惑したり、豊かだった感情が……そう、死んでいた。
「それで……お前は何しに来た。遊びに来たわけじゃないだろ」
ツバサが会話に割って入って尋ねる。するとフラムは背筋を痙攣させたかと思うと、突如苦悶の表情で頭を両手で抑えた。
「なに? どこか具合でも悪くしたか?」
珍しくリョウキが気遣いを見せる。気持ちはこもっていないがそれはそれで珍しいことだ。
「い……い……いや……だ……」
息も絶え絶えになりながら、絞り出すようにフラムは言った。
「いやだ?」
反芻したのはリョウキだ。
「わ……私は……もう……誰も傷つけ……」
言いかけて、電池が切れたかのように脱力してフラムは頭を垂らした。
その様子に始めて、ヒカル、ツバサ、リョウキ、3人の気持ちは一致した。
大丈夫か……?
ニュアンスと程度は若干違えど、3人ともフラムの行動を気がかりに思った。
「…………ゴミ」
それを余所に、顔を上げたフラムは掠れ声でそう言った。
「アナタタチハッッ、薄汚イゴミッッ」
さらに追加で、今度は誰かをしかりつけるようにして叫んだ。
「どうした急に」
リョウキはヒカルたちの方を見やった。
「俺にも分からない。一体全体、どうしたっていうんだ」
ヒカルにしたって、この豹変っぷりは困惑しかない。そして少女の行動はあらぬ方向へと進められようとしていた。
「ダカラソンナアナタタチノコト…………焼去シマス……」
そう彼女の口から宣言されると、フラムは持っている箒を人差し指と中指でなぞった。
彼女を中心に熱波が発され、周囲の温度が急激に上昇していく。
「インフェルノチャージ、オールアンリーシュ……」
「!? この技はッ」
フラムの詠唱を聴いた途端、ヒカルは激しく動揺した。脳裏にはかつて見た火の海の光景が。
以前、彼女の全開の魔法は、彼女自身意図せぬ事だったとは言え、アウトレットの一エリアを燃やし尽くし灰にしてしまったことがあった。
その時に唱えられた詠唱が、このインフェルノチャージ、オールアンリーシュ、アッシュ・ザ・ワールド。
幸いにして直前に霊獣が出現していたおかげで人は出払っており、彼女の手によって死者は出なかった。けれどもし人がいたなら……それでも死者は出なかったかもしれない。
彼女の炎が骨の随まで焼き尽くせば死体が残らず、行方不明者という形で莫大な数がカウントされるだろうから。
「アッシュ・ザ・ワールドッッ」
とにもかくにも、太陽の凶暴さだけを抽出したような技は最後の詠唱まで唱えられ、今ここに再び放たれる!
紅炎のような無数の業火は各々が生きているかのごとく自由な軌道を描き、倉庫の中央に次々と着弾、たちまち巨大な火柱となって、倉庫の屋根を吹っ飛ばした。
それでなお、炎の勢いは衰えることを知らず、同心円状に怒濤の侵攻を果たす。
「あ、これまずい」
眼前に迫る炎に飲み込まれるより先に、リョウキはとっさに地面に手をついた。
「くっ!!」
ツバサの眼前にも炎が攻め寄せる。
放たれれば後は一瞬で片が付く。飛んでも間に合わない!! 大規模高火力の範囲攻撃をかわす手立ては無い。
「!?」
視界に何かが割り込んだ。
ツバサは伏せさせられ、その上に何かがのしかかった。その後灼熱を全身で感じながら、ツバサは意識を薄れさせていった。
3人を飲み込んで、壁際まで到達した火炎は、倉庫という器に収まりきれず、屋根のみならず倉庫全体を跡形無く吹っ飛ばした。伴い空まで黒煙が昇り、近所の人たち全員が思わず家から飛び出すほどの爆発音が極めつけに轟く。
驚愕、恐怖、不安、緊張――多くの人が目にそんな負の感情を覗かせる中、たった独り、カオルだけはこの一騒動に目尻を下げた。
「祝砲かな?」
こうなることは予定調和である。何せここまでがカオルの仕組んだ計画の一節なのだから。
あとはこの計画が実を結んだのか。
そればかりは能力でない生の目で確かめたく、カオルは黒煙が立ち上る方へと独り歩き出した。