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亡者よ、明日をつかめ  作者: イシハラブルー
第2章 死闘激化
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第八編・その4 恐ろしい計画




 吹雪の中から発射された、円錐形の氷の礫がテツリの体へと到達したのは、テツリがヒーロー――ブリリアンへの変身を終えた直後だった。隕石のようにゴツゴツと強固な外殻のおかげで、礫はテツリの生身の肉体までは至らず、大事にも至らない。ちょっと冷たくてくすぐったいほどだ。

 だからといって軽々しくも無かった。もし一瞬でも反応が遅かったら、礫はテツリの体に突き刺さり、刺さった箇所からジワジワと、なぶり殺しに凍結を全身へと広げていった。せいぜい4本刺されば、最期には余すところなく氷像が完成する、致命傷となり得る危険な代物。軽々しいはずが無い。


「危ないところだった……」


 紙一重の差で生き残ったことは、攻撃を受けた当人であるテツリが1番良く分かっている。

 そして死にかけたのはこれで何度目だろうか、パッとは数え切れない。

 礫が当たった箇所、心臓のやや左下をさすりながら、テツリは一つ細く長い息を吐いた。

 一方の少女は、剣をテツリに向け突き出したままの姿勢で、顔を下に向いていた。

 変身して中が明るくなったおかげで、その少女の姿はテツリの目にもしっかり捉えられている、伏せられた顔以外は。

 そして、相変わらず屋内だというのに横殴りの吹雪が吹き荒れ、雪風は泣いているような音を奏でている。まるで少女の深層心理を投影するかのように。


「……」


 だが少女はひたすらに、剣を振るい続ける。その剣が、テツリの背後にあった木の長机を、断面滑らかに、斜めに切り裂いた。

 いくら木の机と言っても、それを造作も無く真っ二つにする剣の切れ味は侮れないものがある。流石に堅い外殻をもってしても無傷では受けきれない。テツリは息をするのも忘れるほど必死になってかわす。

 寒さによる恩恵か……、頭が冴え渡って、テツリはいつもよりキレ良く動けた。

 どこから剣が振り下ろされ、その剣がどういった軌道を描くのか、さらにどんな段取りで再び振るわれるかまでテツリは把握出来ていた。今なら大抵の攻撃は当たらないだろう。

 だが寒さが与える物は恩恵だけにあらず、その寒さは副作用として、加速度的にテツリの体力を奪っていた。

 決して長くは持たない覚醒。体力が底をつくのは既に時間の問題であった。それまでに何らかの形で決着を付けなければならない。

 テツリには、生死をかけたこの戦いを望むつもりなんて毛頭無い。だがこの戦いを望む者がいる以上、そうそう穏便に事は済ませられない。

 しきりに少女に呼びかけ、最高の決着である、この不毛な戦いの無血での終結をテツリは願うも、少女から言葉が返ってくることは無かった。返ってくるのは冷たい刃ばかり。


「いい加減……やめんか!」


 返し刀の隙を突いて、テツリは少女が握る剣の柄と、少女の腕を掴んだ。そして腕を引いて、少女のことをたぐり寄せた。うっかりすると、額と額がぶつかりそうな距離だった。


「確かに僕を殺せば、君にとっては得かもしれない。けど同時に不幸でもある! 誰かの十字架を背負って生きることは、気安いことじゃない! 自分の全部が全部信じられなくなって、ずっと……死んでも嫌いなままでいることになるんだよ!」


 熱き熱き、熱弁。先駆者故の言葉。


「それに耐えられる……?」


 ヒーローのマスクで表情は伝わらないが、感情はひしひしと伝わってきそうだった。


「……ッ! ァァアア!!」


「くっ、やめるんだ……!


 だが非情にも、彼らの戦いは決して終わろうとしない。

 それは、例えどれほど思いが込められていても、肝心のそれを受け取る側の心が機能していない以上、言葉も、思いも届かない……ということだ。


「離すものか! 君がこの剣を離すまで、離すもんか!」


 密着した状態で脇腹を蹴られ、蹴られ、何度蹴られても、意気込み通りテツリは離さなかった。

 だが苦しいことに違いなく、そうやって痛めつけられていると思いとは裏腹に、体の方はどうしようもなく衰えていく。いつしかテツリは肩で息をしていた。

 それでも一教師として、一人の人間としての意地と信念で、テツリはその手を離さそうとしなかった。が……


「アイスビークッッ」


 ビーク(beak)は嘴、獲物の命をついばむもの。

 氷で貫通力を高めた手刀が、幻想的な光の飛沫と、生々しい血飛沫の混合体を噴き出させる。

 手刀はテツリの肩に突き刺さった。激痛で握力が弱まれば、引き剥がされるのを止めることは出来なかった。いくら意思があっても、それに見合う力が無いのだから。

 赤い血が純白の雪が積もった床の上に零れるが、誰がその感傷に浸るのか。

 意識が揺らぎかけるテツリには、視覚がボケて少女の剣が二刀に見えた。

 ザンッッ!!

 かわせない。胸に向け振られた一振りは、見事その通りに捉えた。派手に火花も飛んだが、それはヒーローの外殻がテツリを守ってくれた証、深手では無い。真一文字に傷が刻まれ、痛々しいが。

 さて、斬撃をまともに受けたテツリは背をついた。ひんやりと床が気持ちいいが、いつまでもそうしているとひんやりするのは自身である。

 追撃の刺突を大げさに転がり避け、そして体に積もった雪をハラハラと落としながらなんとか立った。立った瞬間、しなる細い剣身が脇腹を弾く。またも火花が散って、テツリは床へ、今度も背中から。


「……どうして」


 色々なものがこみ上げてきて、その声は涙声となっていた。

 しかし慈愛が掛けられることも無く蹴り飛ばされ、テツリは床を滑った。


「ハァ……ハァ……うっっ」


 気持ちが悪い……。

 腹を蹴られたのよりも、嘆きたさで胸がいっぱいで、テツリは胸焼けしそうだった。そして不幸は続く。


「まずい、力が……」


 テツリに追い打ちをかけるように、ここまでテツリを守ってくれていた変身が解けようとしていた。

 もし次に攻撃を受けたら……。そしてこのまま戦いが続いた時の結末は、テツリにも見えていた。


「駄目だ……。結局僕は、何も……何もッッ!!」


 それを踏まえれば、退くべき事なのは分かっていた。明白だった。

 しかしこの時、テツリはその思考を片隅へと追いやった。


「認めない……。いい加減認めさせてくれよ!」


 どうしようもない無念と自己嫌悪から来る叫びを口にすると、テツリは最後の力を振り絞って血に塗れた拳を突き出した。少女もそれを迎え撃つ体勢!


「フン゛ッ!! ディヤァァアア!!」


 灰色の光帯びた拳と、雪の結晶の紋章が現れた剣先が衝突する。

 熱気と冷気、それぞれ交互に発され、それが焦燥する鼓動のように間隔を待ちきれなくなり、ついに


 ボォォンッッ!!


 と仰々しい爆発音と共に弾けた。辺りは白い蒸気が充満したが、そんな中でドサッという音が鳴った。

 蒸気が晴れた時、少女はそれまでいた位置に佇んでいた。だがテツリは、外に通じる道塞ぐ氷壁の前でうめき、うつ伏せていた。変身も完全に解け、生身の状態で。


「くっ……! ヴヴっ」


 這いつくばりながら、テツリは無表情の少女を見上げた。

 すると少女は剣を鞘に戻し、仕込み箒の状態へと戻す。

 しかし剣は納められたが、戦意は違った。

 箒の柄を優しくなでると、少女の髪が冷風で舞い上がる。天井の蜘蛛の巣を払うように、頭の上で箒を振り回し、穂先をテツリに向けた。


「氷晶の……アマリリス!!」


 床を這うように氷が次々突き出して1本の道を織りなす。氷の華が咲けば最期、テツリはその養分となる。万事休すのテツリ!

 その時、どこからかガラスの割れる音が響き、テツリの頭上から降り注ぐのは、くすんだ色とりどりのガラスの欠片。

 そして人影が、テツリの前に飛び込んだ途端――


「変身ッ!!」


 高らかに叫んだ。

 まばゆい星の壁が、氷の道を二又に裂き、テツリを守った。

 テツリが顔を上げたところにいたのは、さっきまで自分が変身していたヒーローだった。それが放つ光は、テツリには眩しかった。

 これに変身しているのは、ある意味で本家本元。


「テツリ無事か!!」


「ヒカル……君? どうしてここに?」


「気になって後を付けてたんだ。てか凄いな、この世紀末な状況」


 間一髪のところで駆けつけたヒカルも、早速この教会の中の変哲っぷりに困惑を隠し得ない。雪景色を春の室内に見ることも、室内で雪が降りしきることも想像つかないから致し方ない。


「……世紀末よりかは、前時代的って感じですけど」


「前時代? 氷河期的な話か?」


「……はい、大体百世紀前とか」


「へぇ~え、そう聞くと意外とマンモスとかも最近の――」


 言ってる最中、ヒカルは腕を伸ばし手のひらを床と平行に向けた。

 氷の礫がぶつかっては、粒子状に砕けて落ちた。


「っと、冗談言いあってる余裕はなさそうだな。……あっちは、やる気満々みたいだ」


 少女とも相対したヒカルは、腰を低く落として身構える。


「……僕は、そうは思いません」


「そうなのか? まぁどっちにしろ、ここでの戦いは無意味……」


 ギュッと拳を握ったヒカルは、それで出入り口を封じていた氷の壁を殴りつけた。

 亀裂が走り、それは徐々に末端にまで広がっていき、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる。


「そうだろ? 逃げるが勝ちってな」


「……」


 背中越しのテツリから応答は無かった。しかし、いつまでも返事を待っていることもない。

 ヒカルは、剣を抜いた少女へ突っ込んでいった。

 刺突をかわすと、一発で剣身と柄を掴み、動きを封じた。


「冷たッ! 今だ、今のうちに逃げろ!」


 振り返ったヒカルからテツリへ指令が飛んだ。ヒカルは、戦いで傷ついたテツリが逃げ切れるだけの時間を稼ごうとしていた。


「……」


 そしてテツリはフラフラながらも立ち上がる。

 当然、そのまま逃げてくれるだろうと、ヒカルは確信した。しかし立ったは良いが、テツリはその場から動かなかった。


「どうした早く!」


 焦れったく叫ぶも、テツリの取った行動は求められていたものとは真逆だ。


「……変身」


 再びテツリは変身した。つまり戦い続けると言うことことだ。


「う……うお゛ぁぁぁぁっ!!」


 それでテツリはヒカルたちの方へ突っ込んできて、少女の腕を掴んだ。

 さっきまで負ったダメージは癒えていない。ヒーローのボディは傷だらけだ。


「何やってんだ!?」


 ヒカルはすぐ横にいる相棒に向け叫ぶ。

 テツリの予想外の行動に、ヒカルは苛立ちよりも驚きが勝った。


「なんとか彼女を落ち着かせてやれませんか!」


「落ち着かせる……? お前……ブーメランだ!」


「いいから落ち着かせてやれませんか!」


 語気強めてテツリは言う。こちらはどうも苛立ちが募っている様子。


「くっ! 落ち着かせるってなんだよ? はっ! 気絶でもさせろってことか?」


 合間合間に入る攻撃を防ぎつつヒカルが聞けば、


「……この際それでも良いかもしれません。けど、彼女自身に剣を納めさせるために! まず対話が出来る状態にしてあげられませんか!?」


 と、テツリは語りかける。


「ええ!? この状況でそれは無茶ぶりだな。都合の良い鎮静技みたいなのも持ってないしッッ!」


 そして無い以上、2人ががりでも抑え切れていない人を、落ち着かせるのは容易でない。

 だがヒカルがそう答えると、吹雪の中では舌打ちのような音が微かに。

 なんか荒れてんな?

 さっきからどうもテツリの様子がおかしいと、ヒカルは気づいてる。


「とりあえず冷静になれ……」


「冷静ですよ」


 そう答えたテツリは安直に少女につかみかかろうとした。だが体内から放射された冷気によってあえなく吹き飛ばされる。


「う、ちくしょう……!」


 腹立ち紛れにテツリは床を殴りつける。


「……いや絶対冷静違うから」


 いつもの理知的でおとなしいテツリとは真反対の、今のテツリの荒れた姿に、若干の近寄りがたささえヒカルは覚えていた。


「なんで……、なんでだよッ!!」


「おいテツリ! よせって! 無茶すんな!」


 そんなヒカルの憂いもつゆ知らず、もはや誰が見えているのか? 一種錯乱状態のテツリは、無謀な対話を試みては跳ね除けられるを繰り返した。




⭐︎




 テツリ、ヒカルの奮戦ぶりは、この世にたった1つしか存在しない水晶に映し出されていた。湾曲した脚に、凝った装飾を施された上等の机に置かれている、両手に収まるほどの大きさのソレを、机に突っ伏した体勢で、見てくれと着ている服は良さげな、痩せた青年が見ていた。

 20平米の彼の自室のカーテンはぴったりと閉ざされ、陽の光ではなく暖かみの無い人口灯で、暗くはない程度に部屋の明かりは満ちていた。


「無駄無駄、その女は完全にボクの支配下にいる。何を言っても聞きやしない」


 水晶の中にいるテツリたちの努力を無駄だと嘲ると、痩せた青年はその背後に控える丈の長いメイド服を着た、大人びた雰囲気の女性に背を向けたまま問いかけた。


「そうだろ? マイ」


「はい。彼女は今、完全にハレト様の思うままです。忠実な(しもべ)です」


(しもべ)……あぁいい響きだね。最っ高だよ」


 ハレトという青年は言葉の魔力に身悶えるように肩を抱いた。だが、メイドのマイの方はイマイチピンとこなかったらしく


「そんなに良い物でしょうか?」


 と、目を閉じて冷ややかに言った。ハレトはやれやれと肩を揺らした。


「分かってないねぇ、男のロマンが」


「ロマンですか?」


「そうさ。男なら可愛い女の子の一人や二人、屈服させたくなるんだよ」


「左様ですか。……つまり私も?」


「……」


 その問いに対しては、ハレトは露骨と言えるほどに無視を決め込んだ。


「はぁ~あ、ロクでもない、つまらない人生だったけど、こうして最高の延長戦が送れてるんだ。閻魔様には感謝しなきゃね」


 ハレトはおもむろに立ち上がり、部屋の片隅へと歩を進めた。


「こ~んな可愛い娘ちゃんたちが、ボクなんかのために一っ生懸命つくしてくれるんだから」


 そこには深紅、青緑、琥珀色を基調とした、ハレト好みの露出度高めな衣装に身を包んだ3人の若い娘が、壁にもたれていた。体勢こそ3人それぞれ違うが、どの娘も手足を投げ出して、佇まいは立てかけられた人形のようだった。


「ねぇねぇ、なんで尽くしてくれるのかな?」


 問いかけつつ、彼女たちがなんと答えるか分かっているハレトは気色悪くニヤニヤしていた。


「ハレト様二仕エルコトガ……私タチノ幸セデスッ」


「嬉しいこと言ってくれるねぇ~」


 犬をなでるようにワシャワシャと、少女たちの頭を遠慮無く撫でたハレトは、彼1番のお気に入りである、深紅の衣装を纏った娘の耳元で囁いた。


「じゃあ……ご褒美をあげようか……。何が欲しい……」


 それに対するその娘の返事は即答で「休日」だった。望んでいた答えとは違い、ハレトは首をかしげる。

 続けて青と緑の娘のも問うも、その答えは最新のコスメだったり、ブランド物のアクセサリーだったりと、あげようと思えばいくらでもあげられるが、望んでいた答えとはかけ離れたものだった。そして聞く度に、彼の顔は歪んでいった。


「どうしたみんな、セリフが違うじゃないか! おっかしいな? ちゃんと叩き込んだよね」


 昨日、散々このやりとりに関して吹き込んだのにどうして言ったとおりにしてくれないんだ……、とハレトは憤慨してみせた。

 そのシナリオ崩壊の原因をサラッと言ったのは、ハレトの背後で両手を前に揃え突っ立っていた、マイであった


「あ、ハレト様。彼女たち、羞恥心は残してありますから。心理的、道徳的許容を超えたワードはブロックかかります」


「え、なに勝手なことしてくれてんの」


 若干頭にきているハレトに対し、マイは涼しい顔で


「恥じらいは重要だ、とおっしゃってたので」


 と言ってのけた。


「確かに言ったけどさぁ……言わなきゃ本末転倒なんだよなぁ、不等号的にさ」


「左様ですか?」


「決まってんじゃんか」


 仕事の出来ないメイドはため息の素だ、とハレトは自分の伝え方が悪かったことを棚に上げてさらにイライラを募らせる。


「分かったならすぐなんとかして! 早く!」


 ハレトは少女たちの方を指さし、命令を下すが、


「構いませんが、そんなことよりも重要な問題が起きています」


 メイドからは聞き捨てならない言葉が返ってくる。


「問題?」


 ハレトにはあまり聞きたくない話だった。「そんなこと」と言う言い草がムカつくことだったし……。

 だがマイは、さっきから放置されていた水晶を手に取って、耳を塞ぐ間もなく一言言った。


「どうやら逃げられました」


「は? 逃げた、何が?」


「百聞は一件にしかず……です」


「……貸せよ!」


 突き出された水晶をひったくるように受け取ると、ハレトは中をのぞき込んだ。

 今映っているのは、1人だけ。さっき見た2人組のヒーローは消えていた。そして青い服を着た少女が、諸手を挙げて雪の上でスヤスヤと眠っていた。

 なるほど逃げたというのはあの2人組のことか、とハレトは理解した。が、少し解せない。


「あの展開から逃がしたのかよ、なんだよそれ……。はぁ、萎えるわ、アイツ使えねぇな」


 と、主が文句を言えば。


「途中で言うこと聞かなくなりかけましたしね」


 メイドはそれに加勢する。


「それもあった。……でもいいや、お仕置きする口実が出来たと思えば、へへっ」


 そう言ってハレトは、今いる自室に置いてある4段箱組の桐タンスに目をやった。それの1番下の段、そこを引き抜いたところにあるスペースに、彼は密かに秘蔵のグッズを溜めている。

 今日は何を使おうか。脳内では使っているところの妄想を開始して、ハレトは愉悦に浸……ることは無かった。


「それは結構なことですが、その前に迎えに行かないと不味いのでは?」


 マイからの指摘を受け、妄想がピシリと音を立てて割れたからだ。そして現実の方でハレトは肩を落とし、急激に疲労感に襲われた。

 

「……そうだよ。ホント、メンドくさいな」


「仕方ありませんよ。あなたの落とし物ですから」


「本人代理で回収とか、お前なら出来そうなもんだけどね。外出たくない」


「では諦めますか?」


「……いや行く」


 文句を垂れながらも、せっかく手に入れた手駒を失うのは忍びなかったらしく、ハレトはマイを引き連れて回収のため、現場へ急いだ。




⭐︎




 近くの森へと逃げ込んだヒカルとテツリは、小枝を踏みしめ道なき道を散策していた。


「危ないとこだったな」


 過ぎ去った危機にヒカルがホッとする中、


「……」


 テツリはいつまでたっても浮かない顔でいた。その精神状態は「そうですね」という単純な問答に30分も費やす始末だった。


「今日は一段と、シケてるな」


「……そうかもしれません」


 肩を落とし歩くテツリは、すんなりと認めた。

 ヒカルは横目で怪訝な顔をする。「これは深刻だな……」と表情が物語っていた。

 こういった時、あえていつも以上に騒ぐ者と、あえて黙る者がいるが、ヒカルは前者であった。


「まぁ生きてればそんな日もあるよなっ。俺も……お世話になってた先輩たちが殉職した時は、それはそれは沈んだからな……」


「……たち」


「……8人殺された」


 しかもその8人の先輩たちをヒカルが失ったのは、たった一夜の出来事だ。

 ヒカルにとってその夜の出来事は悪夢で、災厄だった。けれど衝撃性に反して、現場の様子については鮮明には覚えていない。覚えているのはどうでもいい外枠。

 2015/11/17/22:47、不良の喧嘩が起きていると通報が入った。場所は○○区△△×丁目××の倉庫、その後付近をパトロール中だった警官2名が現場へ急行した。ほどなくして応援要請が入る。ヒカルも応援として現場へ急いだ。これで最初の2名も合わせ計9名の警官が現場へ向かったことになる。駆けつけたのが1番遅かったのはヒカルだった。もうその時には……、全て終わっていた……。


「俺は何も出来なかった、その現場で犯人も見たのに……。先輩たちの返り血を浴びて、ニヤニヤ笑ってた犯人の目を見たら、足がすくんで、怖くて何も出来なかった」


 唯一鮮明に覚えているのがこの犯人が浮かべていた笑顔、なんやかんや言って根っこから悪い人はいないと信じていたヒカルにとって、慕っていた先輩の返り血に塗れた笑顔は、この世に存在するはずないものだった。そしてその犯人について調べるうちに、ヒカルは人間の邪悪な部分を学んだのだった。

 ちなみにその犯人とはこの間、突如再会を果たした。

 出来ればもう二度と会いたくないが、お互いの立場上、避けられなさそうなのが悩みの種だ。


「…………けど、ヒカル君は立ち上がった……僕と違って」


 随分押し黙ってから、テツリは絞り出すように言った。


「……そうか?」


「僕にはそう見えます。ヒカル君は立った、けど……僕は立てなかった……、今もずっと、ずっと……」


 テツリは拳を握った。もし目の前に鏡があったなら、その拳で助走つけて殴り倒していたかもしれない。けれどおそらく、鏡は割れなかっただろう。


「本当……僕は不甲斐ない」


「ああ、ほら! くよくよしたって仕方ないだろ」


 震えるテツリの肩に、ヒカルは腕をまわす。ついでに背中をポンポンと叩くと、テツリは声を殺して泣き出した。


「まだ立てないと決まったわけじゃない。俺たちはなんか知らんけど、まだ人生の途中だろ? きっと今に立ち直れるさ。上を向け、上を」


 ゆっくり歩きながら、ヒカルは珍しくしみじみと言った。

 立てないと決めつけてるのは、お前自身じゃないか……。

 ヒカルは心の中でテツリにそう語りかけた。

 テツリは優しい。だから強い。だからきっと立ち上がれる。

 ヒカルはそう信じている。


「ごめんなさい……」


 けれど、テツリは自分を信じていない。

 ヒカルがかけた言葉も、沈んだ自分を気遣った、気持ちを良くするための慰め以上の意味には、思えなかった。




⭐︎




 その日の夕方。

 夕陽が差し込みオレンジ色がコントラストするリビングで、ゆったりとソファに背中を預け、引っ張り出した年代物のウイスキーロックを小洒落たグラスで嗜む、その男の名は今川カオル。


「良いものを視させてもらったよ」


 彼もまた、テツリたちの小競り合いの始終を遠く離れた自宅で鑑賞していた。

 色々と面白い点はあったが、その中で何よりも興味を惹かれたのは……


「さしずめ魔女か……」


 既知のヒカルやテツリで無く、やはり魔女という新たに仕入れた情報であった。

 今さっきまで魔女の動向を追っていたカオルは、手綱のように結ばれた見えない糸と、その所有者についてもあずかり知っている。

 それにしても面白い、とカオルは口を隠して笑った。

 面白かったのは、この魔女に関する能力から、扱う者の人間性が顕著に現れていることに気づいたから。それと、この能力に関して無限に見えてくる可能性も。


「中々面白いことを考える。もっと上手いこと扱えれば、盤面の邪魔な駒を排除出来るな」


 現状でも強い能力だ。しかしその能力を扱う者の器が大したことないせいで、まだ威力は十分に発揮され切れていない……。そうカオルは評価した。

 別にそれでもカオルが困ることはない。ないが、それじゃああまりにもったいない、と同時に思っていた。せっかく類を見ない能力を、個人の小っちゃな欲望のはけ口に留めておくのは。相応しい使い方を知らない奴に委ねておくのは。


「……ちょっと、俺も面白くしてやるか」


 考えた末に、良いことを思いついたカオルは、グラスを片手に口の端を上げた。

 この計画が上手くいけば、大きな実りを手に入れることが出来るだろう。

 以前失敗に終わった計画の取りこぼしを挽回できるどころか、それを上回る成果を上げることになる。一石で二鳥も、三鳥も仕留めることが出来る、コストパフォーマンスの良さも魅力的だった。

 そうと決まれば、機を熟させるための下準備。

 注いだ安くないウイスキーを流しに捨て、カオルはグレーのトレンチコートを纏い、外へと繰り出した。目指すは囚われの魔女たちの巣窟である。




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