第八編・その2 白零の魔法少女
外出自粛が課された下町の商店街、お昼の時間帯でも人足はまばらだった。電器屋のショーウインドウに展示された11インチの液晶テレビには、今をときめく女性アイドルグループ――フォーハーツのライブ映像が誰にも見られることなく寂しく映し出されていた。
ちなみに今、ショーウインドウの中央に鎮座しているこのテレビは地味に売れ行き好調を誇っているらしい。テレビには画質と薄さが何より求められる時代、そのどちらもない平凡なこの11インチのテレビが売れ行きを伸ばしているのは、開発期間の多くを費やされた耐久性によるものだ。制作者曰く、子供が暴れてうっかり壊さないよう、とても衝撃に強い構造(門外不出で極秘)が用いられているとのこと。
10万回もの強度実験に耐えたその耐久性は、実際に凄まじいの一言だった。
何しろショーウインドウを突き破った霊獣にそのままの勢いで体当たりされて、なおかつその弾みで倒れても画面にヒビすら入らず、視聴を妨げるような故障も引き起こさないという閻魔様もびっくり仰天の頑丈さだった。
しかし皆、霊獣から逃げるのに夢中になっていたので、結局誰一人その奇跡を見た者はいなかった。
「! 霊獣!!」
野暮用で外出中、たまたま霊獣の波動を感じ取っていち早く駆けつけたテツリは、かち割れた電器屋のショーウインドウから覗く、大きくて丸々モフモフとしたお尻を見つけて身構えた。
声に反応して、おそらく最初はこの店の奥に隠れた店主の爺さんを食うつもりだったろう霊獣は後退し、新たな獲物、テツリに8つの眼を向けた。
「しかもまた蜘蛛!」
目の前の霊獣の全貌が明らかになるとテツリは叫んだ。彼が初めて戦ったのも蜘蛛型の霊獣であった。
その時の個体とは違って、今回の個体は身の回りのいる見慣れた蜘蛛やタランチュラと同じフォルムを取っていて、体躯も以前の個体より大きかった。そして……より本物に近づいたことで、生理的に背筋をゾワつかせる嫌悪感は以前の個体とは比べものにならないほど増していた。
自分から反応しておいて何だが、一瞬触りたくないとテツリは思った。しかしすぐに自分がやるべきことを思い直し、この醜悪な霊獣を自らの手で倒すと決めた。
「ようしやってやる! 僕だってッ!」
そう覚悟を口に出すことで、テツリは自らの退路を断った。
霊獣と戦うため、人々を守るため、そして自身の願いのため、テツリはヒーロー――光闘士ブリリアンへと変身する。
「特訓の成果を見せてやる! さぁ来い!!」
拳を握ったテツリに、霊獣が地を這う突進を繰り出す。テツリは大胆にも、相撲取りのように真っ正面から受け止めようとした。
「ぐふッ!?」
肺が押しつぶされて息が固まって出る。
想定を超えた力だった。両足に目一杯の力を込めても霊獣を抑えきれず、テツリは吹っ飛ばされて弧を描いた。
「うぐっ!」
さらに霊獣は仰向けに倒れたテツリをすかさずその脚で踏みつける。8本ある脚が次々とテツリの体に苦痛の雨を降らせる。だが、冷静に隙をうかがっていたテツリの蹴りが奇跡的に霊獣の顔をモロに蹴り飛ばす。喰らった霊獣がたまらずのけ反ったそのうちにテツリは立ち上がる。
「危ない……ところだった」
少し思い上がっていたなとテツリは冷や汗をかいた。
冷静に、平常心、力が無いからこそ、出来ることを確実にやらねば。
仕切り直してからの攻防は、しばしテツリ優勢に進んだ。
力勝負は分が悪いと見たテツリは霊獣の突進をピョンピョンと身軽に跳ねてかわしつつ、的確に、ブリリアンに変身したことで強化されたパンチやキックを霊獣の頭部に浴びせた。喰らうたび霊獣から肉片が、体液が飛び散る。今までテツリが味わった苦い戦いの歴史とは真逆だ。
その大きさ故か、この霊獣は以前現れた蜘蛛型の個体よりも鈍重で、また攻撃も牙による噛みつきと飛びかかりくらいしか出来ないと、人型で6本の脚を生かした格闘が厄介だった以前の個体に比べると手数も明らかに劣っていた。
以前の個体の強さを知っているテツリにとって、この霊獣の強さはいくらか優しかった。
戦い始めて5分足らずで、霊獣は荒い息で沈みかける寸前となった。
僕も強くなったんだ。テツリは自分の成長を実感し、胸を熱くしていた。
だが霊獣もそうおめおめと負けてはくれない。
霊獣は、腹部をまるで胎動しているかのごとく蠢かせた。そして、口から白い塊を弾丸の如きスピードで吐いた。
「うわっ!?」
突然の行動を、尻餅着きながらなんとか回避したテツリ、すぐさま立ち上がり、そして強打した尻をさする。
チラッと後ろの店の壁を見ると、なんだか白いたこ糸を何重にも束ねたような物体が粘りついていた。
なんだろうと一瞬思うも、すぐにこれが何か理解した。
「そうか、蜘蛛だからか」
蜘蛛に近い姿なんだから、糸を吐いてもおかしくはない。
以前戦った個体は糸を吐かなかったから、テツリは蜘蛛が糸を操れることを失念していた。
「厄介だな……」
テツリがそう感じた糸の塊を、霊獣は見境なく吐く。
霊獣と蜘蛛は同じ訳ではないが、この糸は、蜘蛛が狩りに使う糸と同質の役目を果たす。触れた者の行動を封じ、たとえ触れずとも対峙する敵の不用意な接近を阻み、そうこうするうちに散った無数の糸は敵を被食者へと変える狡猾な罠の巣窟となる。
「くっそー……飛び道具はずるいよぉ……」
テツリはその策に縛られつつあった。
なるべく糸を撒かれないために、お好み焼き屋の電飾看板を盾代わりにジッと身を潜めたまでは良かったが、うかつに動けない。
糸を吐く固定砲台と化した霊獣が、常にテツリが射程に入るのを待ち受ける。
「何か使える物は……」
こっちもミドルレンジから攻撃出来ればと思い、テツリは辺りを見た。
あいにくヒーローはヒーローでも光線も、飛び道具の類いも持たないブリリアンは、その身一つで戦わなければならない。
ポリバケツとかマンホールとか、何か投擲武器に使える物がそばに有れば良かったのだが、こういう時に限って無かった。
このまま糸切れを待つのもどうかと思ったテツリは大胆な行動に出る。
「ようし……、うわぁぁあああッッ!!」
仕方なく、テツリは散々盾にした電飾看板を抱えて突撃した。気分はゲリラ兵。
霊獣の吐く糸が命中し、看板の文字が読めなくなっていくが、足が止まることは無い。そのままテツリは看板で霊獣をひっぱたいた。
「うぉぉおおおッッ!! 砕けろ! 砕けろッ!!」
テツリはがむしゃらに、決まった動きしか出来ないおもちゃみたいに看板を振り上げては霊獣に振り下ろす。たまらず霊獣は後退するも、テツリが間合いを取らせない。
妥協の産物の看板で芸も無く殴り続け、それがぶっ壊れるとテツリは霊獣の側頭部を蹴った。加えて頭部を掴み、地面に叩きつけようとした時だ。
パキンッッ
「!!!?」
それは唐突、一瞬の出来事。
テツリは何が起きたのか理解が追いつかなかった。
何か衝撃を受けたかと思うと、体に浮遊感を覚え、いつの間にか空を仰いでいた。
「……冷たッ!」
立ち上がり、衝撃を受けた脇腹に触れると背筋が震えるほど冷たかった。去年、冬の北海道で雪を触った時の追憶……とテツリはハッと我に返った。
霊獣はどうなったか!?
霊獣は身震いしていた。頭には先ほどまで見受けられなかった白い物質が付着しており、茶系の体色を冬景色のように彩っていた。
「……雪?」
霊獣が振り落とした物質、それと脇腹に触れた指についていた冷たい小さな粒にテツリは目を見張る。正確には雪というか、それは氷の粒であった。
「!?」
寒い、唐突な冷気。多少の温度調整くらいはしてくれるヒーローのマスク、スーツ越しでも感じられる冷たさが、テツリの意識を覚醒させる。それから視線は魅入られたかのように北上へ向いた。
視線が向いた先、二階建ての花屋の建物の上に誰か居る。
もっとよく見ようと、テツリは目を凝らした。足も気づかないうちに、引き寄せられるようにその人に近づいていた。
と、そのタイミングで忘れかけていた霊獣が「キシャー!!」と奇声を発したので、テツリの視線はそちらへと移った。
霊獣は前足を広げ掲げて威嚇らしきポーズを取る。そしてその威嚇が自分に向けられていないことにテツリは気づく。向けられているのは屋根の上にいる……
「女の子?」
屋根の上にいたのは高校生くらいと見受けられる少女、不思議の国のアリスのような薄い水色と雪のように白い布で構成されたエプロンドレスを纏い、丈の短い裾からは健康的でスラッとした脚が伸びる。けれど目を引くのは、少女の身長と同じくらい長い箒だった。
この世の物とは違う、幻想的な雰囲気漂わすその少女は、眠っているかのように静かに佇んでいたが、少しすると割と軽快な動きで屋根から飛び降り地面に降り立った。なお彼女のドレスは凍り付いているかのように一切舞わなかった。
「……」
少女の青く染まった前髪が、彼女が引き起こした冷風に舞い、閉ざされたまぶたが開く時、濁った青い瞳があらわとなる。
「……見ツケタ」
無機質なカタコトで、少女は誰に聞かせるわけでもなく呟く。
「もしかして君も……」
参加者なのかとテツリが尋ねようとした瞬間……
「キシャー!!」
霊獣が少女に向け這う。
「危ない!」
慌てて間に入ったテツリ、あえなく弾き飛ばされる。だが彼女の方は一切動じない。まるで心が凍っているかのように。
そして少女は迫る霊獣に向けて片手を掲げて冷気を噴射する。冷たさに怯む霊獣を、少女は手持ちの箒の柄で突き、そしてヒールを突き刺すようにソバットを叩き込んだ。
間違いない、彼女は参加者だ。
普通の女の子には霊獣を蹴り飛ばすことなんて出来ないだろうという判断から、テツリはそう確信した。
彼女の快進撃は続く。
「氷柱槍……」
箒に仕込まれていた、アイスピックのように尖った、白い冷気放つ剣。
テツリが手こずった粘着性の糸を、触れた先から凍らせ切り、寄せ付けない。しかも剣先から鋭利な氷柱を飛ばしてミドルレンジからの攻撃も出来る。
全ての攻撃をあえなく対処された霊獣は戦意を失った。その強さに怯え、少女に背を向け逃走を試みた。
「だめ、逃ガサナイワヨ」
が、そうは問屋が卸さない。
少女が剣を地面に突き刺すと、石のタイルで出来た地面が氷の大地へと作り替えられる。
「うおっ!」
テツリは足下が凍るタイミングで跳ねた。直感的な行動だったが、それが正解だったことをテツリは霊獣に教えられる。
地面に触れていた霊獣の足が完全に凍り付いていた。うなり声をあげ、体を捻ろうとも、弾みをつけて跳ねようとも、その足が地面から離れることは無い。
もはや逃げることも許されない。凍える大地に囚われたのだ。そして、彼にとっての念仏は唱えられる。
「凍エル世界二咲キホコレ徒花!」
剣を引き抜き鞘に収める。再びに手にした箒を少女が振るう。
振るった箒に導かれるように、刺々しい氷が地面から次々に列をなしてつき上がり、そして……
「氷晶のアマリリス!!」
ズサッッ!! スパパパッッ!!
そう叫ぶと、地面から氷の針が突き上がり、霊獣を串刺しにした。さらに針から咲いた6枚の氷の刃が、体の内部から霊獣を切り裂く。
獲物を切り裂く6枚の刃が花びらに見えることから名付けられた美しき必殺技。地面から伸びた針が茎、刃は花びら、仕留められた霊獣はさしづめ上から見た花筒、あるいは花に寄生され果てた虫のようだった。
「す……すごい……」
テツリは見惚れた。
技もさることながら、少女の可憐な美しさ、そして惚れ惚れする強さに。