第七編・その2 狼を追う猟犬たち
鳴賀刑事と寺田刑事が現場の公園に到着したのは通信を受けてから7分後のこと。指令された公園の駐車場に着くと、そこには制服に身を包んだ若い刑事が2人、どうしたものかと不安げな表情で立ちすくしていた。その様子を車中から見た両刑事はこの時点でなんとなく嫌な予感がしていた。
と、彼らは嫌な予感は内心に秘め、悠然といった感じで車から降りて若い警官たちの元へと歩み寄った。そして若い警官たちは両刑事の存在に気づくと元気よく敬礼した。一転して、彼らの心に安心が芽生えたのが見て取れた。曇った感情を吹き飛ばすまでに警視庁の威光、信頼は大きいと見える。
「「ご苦労様です!!」」
フレッシュで元気の良い声だった。
若干うわずっていたが、それはきっと自分たちと会うことに緊張しているのだろうと寺田刑事は当たりをつけた。
「君達は?」
寺田刑事は指先を少々遊ばせかっこつけながら、彼らの次第を尋ねた。
するとピンと背中を張った彼らから、返答が返ってきた。
その話によると、彼らは警視庁の応援が駆けつけるまで現場を「保存」するように頼まれた地元警察、なんでもこの2人の他にあと1人を加えた計3人でこの公園に駆けつけたらしい。その姿の見えない残る1人が今もなお現場の保存に努めているとのこと。
説明を受けて寺田刑事の指先が静かになる。心の余裕が狭まった。
その脇にいる鳴賀刑事も、眼光の奥を鋭く光らせた。
「どなたか亡くなったんですか」
現場の保存を行う理由は事件、事故が発生したから他ならない。
今回はその現場にはリョウキがいたのだから、殺人事件の公算が高いと鳴賀刑事はふんだのだ。そしてその推理は残念ながらピタリ的中。
「それがそうなんです……」
途端にさっき元気を取り戻した刑事たちがまた悄げた。
と、そこで鳴賀刑事はふと、若き刑事たちの唇が冷水につかったかのごとく真っ青になっていることに気づいた。
もしや声がうわずっていたのは緊張ではなく、恐怖か?
だとしたらまだ若いにせよ、精神的にも多少タフであるはずの警官がここまで気を落とすとは……。
事は想像以上に大きいと見た。
「とにかく現場にご案内します。私どもの手にはちょっと……」
そう言って、若い刑事たちは両刑事たちを前後で挟むようにして現場へ案内した。
現場は公園内、石のタイルが敷かれた遊歩道の脇、新緑が優しい木陰であった。
が、その現場の様相を一言で言い表すなら『惨禍』であった。
死者は3名、全員が警察官だった。手持ちの警察手帳のおかげで彼らの身元はすでに判明済み。
だがそれが無かったら身元の照合は難航したに違いない。何せ遺体は損壊が激しく、顔なんかもグチャグチャになっていて、人相の判別はもはや不可能であった。
特にそのうち1人は胴体と頭が離れ離れになっており、脊椎が露出、噴き出した血がタイルの溝を伝う川となっていた。
「何てことに……」
「これは想像以上ですね」
警視庁勤務で、悲しくもこうした事件に場慣れしている両刑事にさえ、この現場の様相はちょっと平静を保っていられないほどに酷い有様だった。これをやったモノと、守るべき市民が同じ人間であることを疑うほどに――
しかし彼らがすごいのは、このショックを引きづらないこと。この目を覆いたくなるような現場から、すぐに犯人、すなわちリョウキ追跡のためのヒントを探る。切り替えの早さこそ彼らが一流たる所以だ。
もっとも、残念ながらそのヒントとやらは残されていなかった。これだけ派手にやっておいて、後は濁りなく清らかであった。
「ところで君達、ここに私以外の刑事が来ましたか?」
その問いにずっと現場にいた警官が答えた。
「はい。櫛谷コウショウという方が……5分ほど前までいらしてました」
「ほう、それは確かですか」
「ええ」
櫛谷コウショウ――彼も鳴賀、寺田の両刑事と同じく警視庁刑事部所属、階級は警部の男である。
カリスマ性溢れる頼りがいのある刑事課のリーダー的存在、決してへこたれない鋼の男。
彼はよくこう言われている。
『まるでブルドッグだ』
別に容姿的な意味ではない。もっともわりとずんぐりむっくりな体型をしてはいるのだが、そう言われるのは彼の執念に敬意が示されているからだ。
1度犯人を見つけたら、彼は決して噛みついて離さない。例え地の果て、海の底であろうと、どこまでも犯人に食らいついていく。そんな無骨な姿勢から、彼は尊敬の念を込めてそう呼ばれている。
だが、彼自身は泥臭いイメージよりもスマートなイメージ、例えるならガニマールよりもホームズの方が理想像らしいので、このあだ名には微妙な反応をしているんだとか。
しかし間違いなく腕利きの優秀な刑事だ。彼を慕う者は多い。
「それで彼は今どこに」
「近隣の防犯カメラの調査に向かったはずだと」
「なるほど、ありがとうございます」
鳴賀刑事が頭を下げた。
まさか警視庁所属の刑事に頭を下げられるとは思ってもみなかったらしく、若い警官はまごついていた。そんな彼らを尻目に、鳴賀、寺田の両刑事はさっさと来た道を戻って、車に乗り込んだ。
もはやここにいて出来ることはなかった。現場の保存、処理は出来るだろうが、それなら別に自分たちでするまでもないだろうと言うのが、両刑事の見解である。
寺田刑事は助手席のドアを来たときより乱暴に閉めた。鳴賀刑事は運転席へ、だがエンジンもかけず、ただ腰掛けているだけだった。若干前傾になり、両手の指の先を重ね合わせながら。
「さて、これは困ったことになりましたね。この短期間で8人も殺すとは」
常識外れの凶悪犯の度重なる凶行に、鳴賀刑事はなんとも言えない感想をもらす。
「我々も櫛谷さんに合流しますか?」
「いえ、彼に任せておけばすぐに居場所は分かるはずです。我々は別ルートで行きましょう」
と、同僚への信頼を口にした鳴賀刑事は続けて疑問を口にする。
「それより寺田君」
「なんです?」
「人間の首を鈍器ではねるには、一体どれほどの力がいるのでしょうか」
「……さぁ」
「やはり人間離れしてる……そう言わざるを得ませんねぇ……」
バックミラーに映る鳴賀刑事の口元、その端がわずかにせり上がった。
⭐︎
櫛谷警部率いる総員20名の警官たちは、5つの班に分かれ付近の防犯カメラの映像からリョウキの足取りを追っていた。実に迅速な捜査で、たった1時間足らずでそのうちの1班がカメラに写ったリョウキの姿を見つけた。
映像は不鮮明でハッキリ見えたわけではないが、その代わりに男が写る部分を何度も巻き戻しては確認を取ったから間違いはない。それに荒くても大まかな特徴は全て捉えている。だから彼らは間違いなく確信を持って言えた。
『この男はリョウキだと』
そしてそ情報は直ちにリーダーである櫛谷警部にも伝達される。
その時警部がいたのは、目の前に大きな交差点とその奥に京葉線の高架を臨むコンビニチェーン、その従業員控え室であった。
「もしもし櫛谷だ」
「警部、監視カメラに映ったリョウキの姿を見つけました」
「本当か!? 場所は!?」
その場所は警部が今いる場所からは川を挟んで真逆の方向。事件が起きた公園から見て南にある大通りを1つ手前に外れた路地に面し、最寄り駅から徒歩5分のところに立地する大手コンビニチェーンの店舗だった。
「それで、奴はどの方面に向かった!?」
映像によるとリョウキはカメラの右から左へ、つまりは南東方面、駅に近づく方面に向かったようだ。
「了解、よくやった」
「やりましたね警部」
「ああ、だがまだ気を抜くな。奴を牢屋にぶち込むのが我々の仕事だ、なんとしてでもな」
そしてこの監視カメラの映像を一片に、捜査はさらに進行させられる。
次に彼らは駅出入り口近辺にある監視カメラ映像の解析を急いだ。可能な限りのカメラの映像を調べた結果、しかるべき事実が割り出された。
リョウキは駅を利用してはいない。
駅の全ての出入り口付近を映したカメラには、そこを通るリョウキの姿は一切映っていなかった。これには刑事たちは一安心、自粛期間で人数は少ないとは言え、多くの人が密集する駅、電車に凶悪犯を紛れ込ませるのは最悪である。だからそれが起きて無いことは不幸中の幸い。
そしてこのことから類推して、リョウキがまだ近辺にいる確率が高いことも判明。おそらく居場所は駅よりももっと南西方面、水門がある辺り……。
ではその近辺をしらみつぶしに捜そうかと、櫛谷警部が内心でそんな方針を決めた中、彼の班員の元に1本の通信が入った。それはまるで夜の海を照らす灯台のような知らせだった。連絡を受けた警官は思わず「え?」と反応し、次いで興奮で顔をほんのり赤くしてから、あたりにまき散らすように言った。
「リョウキ、見つかりました!!」
「何ぃ!! 場所はどこだ!」
振り返った警部が厳かで大きな声を発した。
「発見場所は児童公園脇です。その付近のパトロールしていた警官が、市民から不審人物がいるとの通報を受け、確認したところ」
「それがリョウキだったってことか」
なんという幸運だろうか。たまたま、何も知らない市民が入れた通報の相手が、自分たちの追っていたリョウキだったなんて、本当に偶然だったなら奇跡だ。
この奇跡――なんとしても物にしたい……いやしなくてはならない。今まで無残にも殺された犠牲者たちのために。
「現在、当該の警官が追跡中とのこと」
「しめた! ようし、そのまま何もせず、悟られないよう追跡を続けるよう指示しろ」
ここで下手を打ったら奇跡は泡となって消える。だから行動は慎重に……。
相手は手強く、残虐、手段を選ばない凶悪犯、今まで10年近くにわたって逃げおおせてきた手練れ、一筋縄でも二筋縄でもいかない。
捕らえるには100%……いや120%の準備が必要だろう。限界を超え、桁違いな……。捕らえたいなら普通ではいけない。
「すぐに応援要請だ。可能な限りの人員をこっちに寄越すよう上に頼め。万一の事態に備え、武器の携帯も抜かりなくだ」
相手が純粋な暴力で応えるなら、こっちもそれを超えた暴力で応える。法の下に許された、数の暴力で。
警察という巨大な組織がネットワークを生かし、たった独りを捕まえるためだけにその力を総動員することなんてそうそう無いことだ。
だがそうせざるを得ないほどに恐ろしいのだ。この凶悪犯、狼の常軌を逸した力というのは。
しかし、それでも彼らは挑まなくてはならない。それが桜の代紋に誓いを立てた、彼らの使命である。
「もう我々に失敗は許されない。なんとしてでも、我々は法の番人として! 奴にふさわしい罰を与えねばならない。いいな!!」
威勢の良い「はい!!!!」という警官たちの魂の意思表示は、駅前でライブを行うバンドマンたちも羨む見事なユニゾンを見せた。