第六編・その6 狂った一匹狼
「なんかいっぱいいるねぇ」
皆からの視線を集めていた血まみれの人は、くすりと笑うとそのまま真っ直ぐ歩き続けた。
「お祭りでもやってるの?」
そしてあたりを一瞥し、足を止めると茶化すように言った。
この場の険悪かつ、どんよりとした雰囲気を鑑みれば違うことは明らかだから、これは一種の冗談だ。しかし彼の表情は本当にお祭りを楽しむかのごとく、朗らかな笑顔であった。脳天気、頭スッカラカン……。そんな言葉が似合いそうな、朗らかな笑顔であった
「おい、誰だあいつ」
見たことのない顔……、得体の知れない人物の登場に、ヨシノブが小声で言った。
「さぁ……分からない。分からないけど……匂うね」
そう答えたのはゴロウだった。なんとなく直感であるが、その人と自分たちとで同じ匂いを感じていた。つまりゲーム参加者ではないか。
口元に手を当て思案するようなポーズをとると、「あれは誰」と言いたげな視線をリーダーであるカオルへと向けた。
「おい、あんたは知ってんのか」
同じくそう思っていたヨシノブがそう尋ねると、カオルは首を横に振った。
「いや……。これは予期してない展開だ」
カオルも目の前に突然現れた人のことを知らなかった。仲間でもなければ、会ったことすらない。
その人のことを知っているのはこの中では唯一ヒカルだけだった。しかもヒカルはよく知っていた、その人がどんな人物であるかを……。
「……」
またツバサは原因不明の胸騒ぎがしていた。
それはヒカルが必要以上に怯える姿に言葉では言い表せない嫌な予感を感じ取ったから、あるいはもしかしたら動物的な勘だったかもしれない。太古の時代、人間がまだ食物連鎖に組み込まれていた時代、階級が上の生物に鉢合わせた時によぎる、そんな恐怖心。
「おい、テメェは誰だ!」
だがその人がどんな人か知らず、また恐怖心も覚えないヨシノブは恐れ多くも怒鳴った。
その様子をヒカルはドギマギしながら見守っていたが、意外とその人は子犬のようにほんわかとした雰囲気を醸し出していた。もっとも本性は子犬とはほど遠い。
「ん? わたしに聞いてるの?」
だが今は子犬だ。だからどこか気が抜けている。
「お前以外に誰がいるんだよ!!」
今、ヨシノブたちが向く方向にはその血まみれの人しかいない。だから彼からしたら……いやたいていの人はテメェが誰か確定させることが出来るだろう。
それなのにしらばっくれたその人の態度は、ヨシノブからしたらおちょくられているように感じられた。
「……な、なんだよ」
「いっぱいいるじゃん、まわりに」
「あのな――」
本気なのか冗談なのか分からないが……普通は察することが出来るだろう……。
そう思ったヨシノブは呆れて物申そうとした。しかしそれを遮るように胸に誰かの手が触れた。その手はカオルのものだった。
「君は誰だ?」
そのカオルが分かりやすく、その人のことを指差して言った。おかげで分かったようだが、それで今度は「うーん」ともったいぶった。
「だらだら話す気は無い。出来れば即答してくれ」
手を顎に当ててもったいぶるその人の態度に、カオルが嫌気混じりに言い放つ。
するとその人はフヒャヒャヒャと空に向けて笑い出した。そんな気持ちの悪い笑い声を噛み殺すと、その人はうなだれた後にねっとりとした笑みが隠しきれないその顔をゆっくりと上げた
「……わたしか。わたしはね、名前を捨てた。だけど人はわたしをこう呼ぶ……」
風が吹いて、その人のボサボサで毛先の傷んだ前髪が草原のススキのように揺れる。それを邪魔だといった感じに手ですきながら、その名を告げた。
「リョウキ」
名が告げられた後、あたりは水を打ったように静まりかえった。それを打ち破ったのは、人を小馬鹿にしたような笑い声であった。
「ハハハハハハ! ……そりゃあ、カッコイイなぁ」
ヨシノブがそう言うと、リョウキはそれを皮肉とは受けとらずに、素直に「それはありがとう」と笑った。その態度にヨシノブはさらに過呼吸になりかけるほどに笑った。
他のカオルら3人も、声には出さずとも内心ではリョウキのことを馬鹿にして笑っていた。
「じゃあそんなカッコイイ……ブフッ…………リョウキくんに質問です」
笑いを堪えながらヨシノブが問う。
「なんでしょう?」
「…………お前、参加者?」
「まーね。わたし1回死んだんだけど、なんかよく分かんない人に生き返らせてもらったのよ。それでゲームに参加しろとかなんとか言われたから、参加者だね」
と、リョウキは臆面もせずにそう言った。
そして参加者だと確定した瞬間、カオルたちの少し顔つきが変わった。
さっきまでのように笑ってはいるが、目に冷ややかさがあらわとなって、目の前に立つ頭の弱い男のことを見ている。
「そうかぁ……。じゃあお前も敵だな」
ヨシノブが持っていた拳銃の銃口をリョウキに向ける。親指で撃鉄を起こし、カチッという音で弾が装填された。
「構わねぇだろ、ここでコイツ殺したって。むしろお得じゃねぇか、1人余分に総数を減らせるんだから」
「……」
カオルが銃を構えるヨシノブの横顔と、銃口を向けられても何食わぬ顔をしているリョウキとを交互に見比べた。
「……まぁそうだな」
「と言うわけだ、悪いがお前はここで終わりだ。運が無かったな」
リーダーからのお墨付きをもらったヨシノブは得意げに言った。
「なんでわたしを殺すの?」
「そんなことも分かんねぇのか。ホントアホだな」
「うん、あんまし頭はよくない。……でもあなたに1つ言っておくと、あなたがやろうとしていることも頭よくないよ」
思いがけない蔑みに、ヨシノブの手に力が入る。ややもすると拳銃から銃弾が発射されてもおかしくなかった。
だがリョウキはそんなことは歯牙にも掛けず、続けて言った。
「わたしはあなたたちと戦う気はない。ちょっとここを通りたいだけ、だからその銃は下ろしたほうがいいよ」
「お前に無くても、俺たちにはあるんだよ」
「やめといたほうがいいよ。あなたたちが何もしないなら、わたしも何もしないってやくそくするからさ」
絶えず銃口を向けるヨシノブに対し、まるで降伏を迫るかのように優しくリョウキは言う。
「…………お前、状況分かってんの?」
今にも怒りが吹き出しそうな剣呑な声であった。
ヨシノブは銃をリョウキの額に向けていて、引き金を引けばその時点でほぼ勝負がつく。狙いを外すことも無い。それを抜いても4対1と数的にも完全優位。生殺与奪を握っている。
そんな俄然有利な状況にもかかわらず、リョウキがそれを理解せずに上から目線で話すのが、ヨシノブには不服だったのだ。
「俺がお前の要求飲む必要があるわけねぇだろ!? 有利な状況なのにさ!」
「ゆうり?」
キョトンとした顔でリョウキは瞬きする。完全に分かっていないといった表情だ。
余計にイライラしたヨシノブは怒りを通り越して呆れながら説明した。
「俺はお前に銃を向けてるんだよ? そうでなくても4対1だ! 断然有利だろうが」
「銃を向けてる? 4対1? ふぅん……」
リョウキは小刻みにうなずいた。やっとヨシノブが言いたいことが伝わったらしい。
だが伝わったのはヨシノブが言いたいことだけ……。もう一つの、根本的なこの状況については全く理解していなかった。つまり、ヨシノブが有利だということは一切理解しなかったし…………そうとは微塵も思いもしなかったのだ。
銃口を向けられていても、殺意を向けられていても、どうってことないから恐怖も感じなかった。
「それでわたしを殺せるつもり? 面白いねそれ」
だからずっと笑顔を保ったままだった。だが、そんな態度が相対する者の怒りを扇ぎ、激しく燃焼させる。
「お前……頭吹っ飛ばしてやるよ」
「ふっとばないよ、その銃じゃ。せいぜい中身がちょっと出ちゃうだけ」
「うるせぇ比喩だろうが! いちいちうるさいんだよ」
「てか当たんないし、それ」
「あ?」
「当たんないよ、それ」
はっきりとそう言い切った。言いこそしないが、語尾に「絶対」がついていてもおかしくない言い草だった。
「……黙らせてやる。その減らず口」
もうゲーム参加者とか関係なく、リョウキ個人を殺してやりたいとヨシノブは心から思った。
ここまで虚仮にされ、煽られて、許してやるような懐の深さを持ち合わせてはいなかった。持っていたらそもそもゲームに参加していない。
だがその心の狭さのせいで深層にあるわずかな感情、本能、そして……
「逃げ……ろ…………」
小さな忠告を聞き取ることが出来なくなってしまっていた。
「生きたいなら…………ソイツに何も……するな」
それは懇願でもあった。だが力を尽くしても、今のヒカルに出せる声は小鳥のさえずりよりも小さかった。聞き取れたツバサは固唾をのんで、リョウキの振る舞いに注視を注いだ。
「まぁ……できるもんならやってみな」
リョウキは両手を広げてアピールした。ついにヨシノブの怒りは頂点に達する。
「そんなに死にたいか……。なら望み通り、してやるよ!」
引き金が引かれる。
ガウンッ!!
乾いた銃声が一発――倉庫群に轟く……。
「…………なっ」
ヨシノブは息を飲んだ。そのせいで声も失った。
「ね、言ったでしょ?」
「馬鹿な!?」
狙いは正確だった。外れるはずが無かった。だが現実はリョウキは何食わぬ顔でピンピンとしている。
何が起きたのか……。見ていた者は皆、確実では無いが見えた。
銃声がなったと同時に、リョウキが瞬間的に自身の首を傾けた。結果、何も起こらなかった。
銃弾を避けた……いや、あり得ない! まぐれだ!
そう信じたいヨシノブは2発、3発と弾を装填しては撃つ。
同じく頭を狙った2発目を、リョウキは軽々と首を傾けてかわし、ならばと心臓を狙った3発目は走りながらターンして余裕でかわす。
「!?」
そして4発目が装填し終わるより先に、間合いを詰めたリョウキは掌底でヨシノブが銃を持つ右手を天に向けさせ、そのまま手首を掴んだ。
「……2発ならもしかしてまちがいかもしれないけど、3発はダメだね。3発はもう殺りにきてる……」
底冷えする声に、ヨシノブは自然と脂汗を垂らしていた。
ここに至ってようやく察した……。力の差を――
そしていよいよ狼が本性をあらわにする。
「だからわたしも殺るよ」
噛みつくような距離でそう言うと、リョウキは握る手に力を込める。その力は万力のようで、たちまちヨシノブの手からは拳銃が離れる。その拳銃が地面に落ちるより前に、前蹴り、裏拳と2発が脇腹と首筋に決まり、トドメに時計の針のようにきれいな回転の後ろ回し蹴りが側頭部に命中する。
最後の回し蹴りを喰らったヨシノブは吹っ飛び、横に建っている倉庫の外壁に叩きつけられ、ぶち破り、そのまま中の器具、壁も次々と破壊していき、最終的に反対側の外壁も破って外へ出たところでようやく止まった。ちょうどその時、拳銃が地面に落ちて音を立てた。
そして与えられたダメージは想像を絶するものだった。いくら身体が強化されてるとはいえ……耐えきれないほどに!
「う…………は! あ……あああああああ!!!!」
ヨシノブは絶叫した。
見れば自分の手がだんだんと、水の中でかき混ぜられた砂糖のように、溶け出していたのだ。その現象は手だけに飽き足らず、全身で起こっていた。
それは仮初めの肉体の崩壊…………すなわち死だ。
「いやだ!! 死にたくない!! 俺は……この力で頂点に上る!! 俺は…………絶対叶えてやるんだぁぁあああ!!」
まとわりつく死を振り払うかのように地面をのたうちまわり、そして最期には叫びながら霧散した。
その声はゴロウらの元まで届き、彼らは戦慄した。唯一カオルは微動だにせず、見た目は平静を保っていた。だが恐怖は続く……。
「たちって言ってたからねぇ」
ヨシノブが遺した拳銃を拾い上げると、リョウキは躊躇無く引き金を引く。
途端にうめき声が発されて、ゴロウがその場に倒れ込んだ。
「ちっ、日本の銃は5発しか撃てないから……。1発足りないや」
3発撃たれたから3発お返しに撃つつもりだったのだが、あいにく弾のほうが1発足りなかった。1発分は代わりに弾切れした本体を投げつけて相殺することにした。
「さ、次はどっちだ」
視線の先にいるのはまだ立っているカオルと白装束、どちらから殺るか、リョウキは見定めた。
先手必勝、白装束が右手をかざす。
生成された火球が3発、曲線を描いて燃えた。それを素手でたたき落とすと、リョウキは喉の奥で笑った。
だが白装束がかざした手を握る。と、急に風が吹き出した。方向はリョウキの前方から後方へ。それは徐々に強くなる。
「……なんだこりゃ」
後ろを振り向いたリョウキは思わず感想をこぼす。
背後に真っ黒な等身大ほどの大きさの楕円が出現していた。転がっていた小石、散らばっていた瓦礫がそれに吸引されていく。
この黒い円は、誰もが知る現象を白装束が能力を生かして擬似的に再現したものだ。
「神が支配するのは地球に限らず、宇宙もそうだ。そしてこれは宇宙の暗黒……ブラックホールさ」
白装束の能力の1つ、重力操作。その行き着く果てがブラックホールだった。
総てを呑み込む闇。リョウキもその引力に囚われ、みるみる引きづられていく。そしてついに全身が沈んだ。脱出は不可能……だが次の瞬間、信じられないことが起きた。
「…………フヒャヒャヒャヒャ!!」
気持ちの悪い笑いが響く。そしてブラックホールからぬるりと右手が出てくる。次に左足が出て、その次には顔が現れる。
リョウキの帰還、足を擦りながらも全身がついにブラックホールから抜け出す。
「!? ブ……ブラックホールの引力を!?」
両手をかざすも時すでに遅し、リョウキは引力をねじ伏せた。
白装束はそのまま狂喜の雄叫びをあげながら猛進するリョウキの餌食となり、跳び蹴りを食らってくの字になって飛んだ。
虫の生きながらなお起き上がろうとするその背中にリョウキが跳び乗り、首根っこを押さえる。
ゴキャッ!!
そのまま圧力を加えられた首は簡単にへし折れた。そして白装束の体もヨシノブと同じく空気中に溶けていく。
「ああ……神よ…………私をお許し下さい……」
神に仕える男は最期にそう言い残し、この世を去った。
そしてリョウキはただ1人立っているカオルに目をつけた。
「お前で最後だな」
「……」
カオルは答えない。一切動かない。
その様子に疑問を感じながらも、リョウキは加速した。
振りかぶり、殴りかかる。
が、その拳は何も得ること無く、空を殴っただけ。
「消えた……」
勢い余ってバランスを崩しかけたリョウキが振り返った時、カオルの姿は影も形も無かった。
これには首をかしげて困惑する。遅れて仕留められなかった事実に落胆する。だがすぐに切り替えて、今まで眼中に無かった這いつくばる3人組に目をつけた。
何も言わず、一歩ずつ地面を踏みしだきながら近づくリョウキに、ヒカルたちは恐怖しか感じなかった。
動けない。逃げられない。このままでは…………死
だがどこかからパトカーのサイレンが聞こえ、その音がどんどん大きくなる。どうも近づいてきているようだった。
「と……もう気づかれたか」
あちゃぁといった顔をしながら、リョウキは頭をかいた。
「しゃあない、逃げよう」
ここで見逃したところで何一つ問題は無い。それよりも警察に捕まる方が面倒くさい。
ちょうど抜け穴もあることだしと、リョウキはさっき自分で作った建物の穴をくぐり抜けた。
その後、駆けつけた警察によってヒカルらはすぐに病院へ搬送され、一命を取り留めた。
結局カオルの練った計画は予期せぬ乱入者のせいで完全には達成されなかった。
そして逃走したリョウキは近くの公園で休息をとっていたところを職質にかけられるも、警官3名を手に掛けて追跡を振り切った。