第六編・その5 予期せぬ乱入者
白装束はツバサとの肉薄した戦いに興じていた。
かねてからツバサに復讐したいと切望していた白装束は、ゴロウらには一切手出しをするなと釘を刺し、ツバサとの一対一に臨んだ。
彼が思う最大の苦痛を与えるため、ツバサの身を八つ裂きにするために、彼は手に持つ剣を振るう。
その剣は彼が能力で作り上げたこの世に唯一無二の剣だ。もっとも材料だけ見ればショボい。
公園にでも行けば拾えるような、ちょっと太めで手に取りやすい長さ10センチほどの枝、材料はたったそれだけだ。しかしそんな変哲の無い枝も、彼が能力を込めれば、枝の端から実体を持った光の筒が発され刀身となり、そして枝は柄代わりとなる。地面に落ちた枝に、剣として新たな命を吹き込むのだから、神の力らしいと言える。
切れ味も即興で作った剣とは思えないほど凄まじく、剣の心得の無い白装束が軽く振り回しただけで地面のアスファルトが豆腐のように切れるほどだった。
まず間違いなく、人間の肉くらいならスッパリいくだろう。触れたらアウト、だからツバサはいつもの戦い以上に集中していた。それは剣を扱う方の白装束も同じだったが、彼はそれ以上に"楽しい"という感情が前のめりになっていた。
「どうした? ただ避けるだけで精一杯か?」
ツバサが自身の攻撃を苦しげな顔で避ける、剣がかすれば顔はさらに苦痛に歪む。
接近戦だと自身の一挙手一投足に相手が苦しんでいるのが間近で味わえる。その味がえもいわれぬ快感を白装束に与えていた。
「それとも私に怖じけついたか」
「別に……」
ツバサは剣劇を間一髪でかわすと、かかとの方から回す足払いで白装束を転倒させようとする。だが、白装束は身をひねりながら跳び退いてかわす。
動きにくそうな格好のくせに意外と身軽だなと、ツバサは白装束の戦闘力への認識を上方へ改めた。
だが、これはこれで問題無かった。ツバサの目的は二段重ねだ。足払いで転倒させられればそれで良し、させられなくとも距離さえ取れれば隙ができる、飛び立つ隙が。
地面をタンッと蹴って飛び立ったツバサは建物の3階建てくらいの高さを維持、そして横軸の距離は人一人分も開けない。あまり離れると、また重力でたたきつけられる。そうならないよう、重力が白装束をも巻き込む位置取りをしているのだ。
「お前こそ怖じけつけ、死の恐怖に」
ツバサが変身したのはコウモリ、その狙いは超音波による脳への直接攻撃。
受け続ければいずれ平衡感覚を失うことから始まり、嘔吐、痙攣と段階を経て、最終的には死に至る。だが……
「流石に2度同じ手は通じないよ。対策さえ思いつけば、そんな攻撃を防ぐのは我が神にとってたやすいことだ」
白装束は一切苦しむことも無く、平然としていた。はたから見れば特に何かしているようにも見えず、ただ棒立ちしてるだけだ。これにはツバサも顔に出さずとも内心疑問に思う。
しかし見えないだけで白装束は手を打っていた。一度、この手で手痛い目に遭っている故、その対策もちゃんと講じていた。
「超音波と言ったって、結局はただの音に過ぎない。なら音を聞こえなくすればいい」
要は耳栓を使った。と言っても神が創る耳栓だ、規模が違う。
地球上で人間が音を聞くことが出来るのは、大まかに言うと空気が音の波を伝えてくれるからだ。裏を返せば、空気が無ければ音は伝わらない。
白装束は能力を使って真空の層を自分とツバサの間に張った。その層に達すると、媒介を失った超音波は打ち消されてしまい、白装束の元まで決して届かない。つまり見えない盾が、見えない攻撃を防いだのだ。
そして攻守が移り変わる。今度は白装束の攻め、真空の盾を取り払い、鳥の姿を象った火炎弾を両手で生成し、放った。それをツバサは軽くきりもみ回転してかわす。だが火炎弾は生きた本物の鳥のように空中で飛ぶ向きを変え、かわしたと思い込み油断しきったツバサの背に飛び込んだ。
「うおぁっ!!」
背中を焼かれたツバサは堪えきれず地に落ちた。着地もまともに出来ず、もろに腹を打った。鈍痛に襲われるツバサは「うぅっ……」とうめいた。
そして地面に横顔をつけていたツバサは、より大きく響く足音を聞き取った。
「おかえり」
白装束が手元の枝から再び剣身を伸ばし、もったいぶるような足取りでツバサの元へと寄る。
ツバサは荒い息をつきながら、殺気立った目で白装束を睨んだ。
そのバックでは、ヒカル、テツリとカオル、ゴロウ、金髪の男――嵐山ヨシノブの5者が入り乱れる壮絶な乱戦が起きていた。
ヒカルとテツリが逃走に失敗したところから始まったこの戦いは、その後、まれに見る激しい乱戦となった。
まずヨシノブが挨拶代わりにブリリアンに変身していたヒカルを背後から殴りかかった。振りかぶった大ぶりのパンチ、ヨシノブが攻めるのが正面からだったなら、あるいはヒカルが冷静だったなら何てこと無い攻撃だった。
だがその時のヒカルはカオルに気をとられており、立ち上がった瞬間だったことも相まってとっさの対応が出来ず、そのパンチをモロに腹に喰らってしまった。結果ヒカルの足は一瞬地を離れ、痛みから汗のようなものが飛んだ。
「いってっ!!」
殴った方のヨシノブも痺れる右手をスナップした。
ブリリアンの体は彼が想像するよりも硬く、加減を考えずに力任せに殴った拳にダメージを与えた。
「何だよ、鉄板でもしこんでんのかよ。ムカつくなぁ!」
腹立ち紛れにヨシノブは背中を丸めるヒカルの頭を蹴り上げた。顎に一撃食らったヒカルは空と地面が揺れて背中から転倒した。立ち直ろうと両手をつくと、今度は腹を蹴り上げられる。さらに踏みつけられ、脇腹を何度となく蹴られ、ヒカルは転がって仰向けになった。「ハァハァ」と荒い吐息のヒカルの様子にヨシノブの胸もすいたようで、表情に笑みが戻った。
「そのダセー仮面を叩き割ってやるよ」
おまけとばかりに顔を踏み潰そうとした。だがその足が顔に触れるより前に止まる。正確に言うと止められた、ヒカルの手によって。ヨシノブには自分の足越しにマスクに包まれたヒカルの顔が見えた。表情は隠されていたが、足を握り震える手から感情は察された。
「だぁぁあああっ!!」
そんな魂の叫びと共にヨシノブを転倒させると、ヒカルは素早く立ち上がった。そして突然の反撃に反応できないヨシノブの脚を掴みジャイアントスウィングで投げ飛ばしていた。投げ飛ばされたヨシノブは空中で手足をかいて落下に抗おうとしたが、努力の甲斐無く地面を跳ね転がった。
しかしやっとのことで体勢を立て直したヒカルにさらなる襲撃が訪れる。投げ飛ばした直後にヒカルの背中に丸太で思い切り突かれたような衝撃が走った。ヒカルは耐えきれず軽く海老反りしたのち両手を広げて今度は腹から倒れた。そして肩越しに満足げな表情を浮べるカオルの顔を見た。
「カオルッ!!」
立ち上がったヒカルは右ストレートを放つ。さっき宣言した通り、一発お見舞いしてやるつもりだった。
だがカオルは首をちょっと右に傾けるだけでそれをかわすと、左手でヒカルの手首を掴む。そして右手で腕の関節を持ち、思い切り力を込めてそれを曲がってはいけない方向へ曲げた。
「ぐぁぁああっ!!」
骨をバキッと折られたヒカルは逆側に曲げられた右腕を抑えながら後ずさった。痛みで気が飛びそうになるも、ここで気を失った後に待ち受けている結末が容易に思いついた。だから気合いで意識を保とうと唇を噛んだ。
「冷静になれよ、俺には未来が視えるんだ。攻めるんなら死角から攻めてみろ。じゃなきゃ勝てない」
「ぐ……お前に……死角なんて無いだろ!」
正解とばかりにカオルは笑う。
「つまり勝とうなんて無駄だ。お前は俺に触れることすら出来ない。俺が触れようとしない限り」
全くその通りだった。カオルにはヒカルが繰り出すパンチも、キックも、投げも、涼しい顔で避けられてしまう。反対にカオルの攻撃は全て命中する。
視界360度、そして未来視、この2つが合わさっているカオルの牙城を崩すなど、手負いのヒカルでは不可能な話だった。万全でさえ見込みが薄いのだから。
さらに問題なのは、ヒカルの敵はカオルだけで無いのだ。ゴロウはテツリがなんとか引きつけてくれているからいいとして、ヨシノブは容赦なく襲ってくる。しかもその彼の能力が乱戦において厄介だった。
「どこを見てやがる」
「ッッ!?」
背中を切りつけられたような痛みがヒカルの全身を走り、火花が散る。だが慌てて振り返ってもそこにヨシノブの姿は無い。しかし……
「ふはっ、ざまぁねぇな」
確かに声だけはするのだ。
「顔が見えないのが残念だぜ。さぞ面白い顔してんだろーよ」
「どこだ、どこにいる!?」
「わからねぇか? ここだ、ここ」
すると今度は胸を裂くような痛みがヒカルに刻まれる。
「目の前だ」
しかしやはり姿は無い、無いが……空気と同じように見えなくてもそこにあるのは事実だった。
ヨシノブの能力、それは男子なら誰もが一度は望む夢のような能力……透明化である。
連続で最高5分間、彼は完全にまわり景色と同化し、他人の視界から消える。シンプルだがかなり強い能力だ。何しろ能力が適用されるのは彼が着る服、手に持った物体にまで及び、そのためナイフや銃など、殺傷力の高い武器を持てばそれだけで大体の相手は死ぬ。
事実、ヒカルも変身してなかったらすでに何回か死んでいただろう。ナイフで切りつけられること十数回、銃弾も2発打ち込まれた。生身だったらまず耐えられない。
しかし強い能力にも弱点があって、1度透明化を解除した後にもう1度透明化するためには、解除するまでに透明でいた時間×1.1倍のインターバルが必要となる。もし5分間フルで透明化した場合、次に透明になれるのは5分30秒後となる。だから決して永遠に透明でいられるわけではない。
それともう1つ、その透明化能力も、カオルの何でも視える能力には全く通じず、姿を捉えられてしまう。ヨシノブがカオル側についたのは、そんな能力の相性に起因する。
だが姿を追えないヒカルにとってはヨシノブの能力は厄介極まりない能力で、それをいいことにヨシノブはヒカルのことを一方的に好き勝手痛めつけた。
以前、ヒカルは透明になる霊獣を倒したことがあったが、その時はカオルがアシストしてくれた。そのカオルはもういない……。傍らでヒカルが痛めつけられる光景をニヤニヤしながら静観している彼はもはや別人である。
「とっとと死ね!!」
「うわっ!!」
見えないが重い打撃を喰らったヒカルは壁際に跳ね飛ばされた。
壁に激突すると折れた右腕がさらに痛む。そして直立すると、左手と首に締め上げられるような苦しさを覚えた。
「くっ…………か……はっ……」
おそらく見えないがヨシノブが自分の事を締め上げているのだとヒカルは察した。そしてどうやらそれは正解だったらしく、腹にも蹴り上げられたであろう感触があった。
「ぐうう……」
「ずいぶんと苦しそうだなッ! 早く楽になりたいだろ」
「ふ……ざけ……」
苦しい……だが楽になりたいとはヒカルは思わなかった。
それとこの瀬戸際で気づく……これはチャンスだと――
そして見ていたカオルもピクリと眉を動かした。
バキョッ!!
鞭のようにしならせた左足で目の前を水平に蹴ったヒカル、そして鈍い音が響く。と、息苦しさが消え去った。
見えなくても、どこにいるか分かりさえすれば攻撃は当てられる。一旦の危機を脱した。
ヨシノブの傲慢と油断を上手く利用した、ヒカルの機転が光った形だ。
「それは良くやったな。せっかくだし教えてやろう。コイツは今、地面でのたうち回っている」
視えているカオルがヒカルに解説する。カオルが指さす方向で、ヨシノブが脇腹を両手で抑えながらゆりかごのように揺れているとのこと。何でもさっきの蹴りがクリーンヒットしていたらしい。
だがヒカルの苦難はまだ続く。カオルがヨシノブを指していた人差し指を、そのままスライドしてヒカルに向け、言った。
「そしてお前もこれから、そうなる」
「……」
ヒカルは黙り込んだ。
理由は1つ、ついにしゃべる余裕すらなくなっていたのだ。
カオルに折られた右腕の痛みが時間を経つごとに増し、加えてヨシノブからの攻撃もあって、ヒカルの体はボロ雑巾のようになっていた。
一人で立つのも苦痛で壁にもたれかかっていると、まもなく変身が解ける合図である光の粒子が体から漂いだした。が……ヒカルは逃げ出すことも出来なかった。カオルがためらうこと無く暴力を振るって邪魔をする。それだけで無く、復活したヨシノブも。
「テンメェ!! よくもやってくれたな!! この死に損ないの分際で!!」
特にヨシノブは手痛い一撃をもらった怒りから、カオル以上にヒカルを痛めつける。
続けざまに3発、銃声が轟く。その全て…………被弾!
ヒカルは崩れ落ちた。同時に変身も解け、唇と額からの流血で、血まみれになった顔がさらされた。
「て、手こずらせやがって……ったく」
そこでちょうどヨシノブの方も透明化のリミットに達し、金髪から順に足下へと姿が現れた。
「そっちもカタがつきそうだな」
カオルが顔を動かさないまま言った。その問いに答えたのはゴロウだった。
「とっくについてたよ。面白くも無かった、ヌルゲー過ぎて」
ゴロウは片手でテツリの頭を掴んで引きずりながらそう吐き捨てた。
必死に抵抗したテツリももろくも敗れ、ヒカルと同じく物言わなくなっていた。
「ああ悪い、お前に聞いたんじゃない」
次の瞬間、3人の間を何かが通過していった。
ゴロウとヨシノブは飛んでいった何かの方を向いたが、カオルは反対側に顔を向けた。
「決着はついたか」
「ああ……問題ない。……格付けは、完了した。私たちの勝利だ」
白装束が歩み寄って来ていた。そして3人の間を飛んでいったのはツバサだ。
決着は…………白装束の辛勝だ。
どちらが勝ってもおかしくない激戦で、勝った白装束も浅くない手傷を負っていた。服が白いせいで赤い血の色が余計に痛々しい。特に左肩あたりは紅花染めのように鮮やかに染まっていた。しかし勝ったのは間違いなく白装束、その証拠に……
「くっ……ぐぅぅっ」
ツバサは地面に這いつくばっていた。立ち上がろうともがき、手足だけで無く頭も地面に押しつけていた。しかしそれでも立てなかった。それほどまでにダメージは大きかった。
結局罠に落ちた3人はまんまと沈められた。そしてカオルの計画は今のところほぼ満点に近いくらい順調に進行していた…………ここまでは――
「それじゃあもうトドメ刺しちまうか」
ヨシノブが銃に弾を込めながら首を右に曲げ、3人に問いかける。
「そうだな。仕上げにかかろう」
リーダーのカオルがそう決めると、4人は横並びになって行進した。
「くっ……」
「あ…ぅっ…」
4人の行進は地面から見上げると威風が発されているようだった。
徐々に大きくなる足音は死が近づく音。
徐々に暗くなる影は闇の手招き。
徐々に強くなる鼓動は…………終焉への無言の抵抗。
運も尽きたか? ヒカルたちに終わりが訪れるのか……?
「…………」
だが突如、4人の隊列が乱れる。1人、その場で足を止めた。止めたのはカオル、それに気づいた3人も遅れて足を止め、カオルの方へ振り向いた。
「どうした? 今更こいつらに情でもわいたか?」
そう言ったのはヨシノブ、だがカオルは答えず、さらに振り向いた。
「誰か来る……」
カオルには視えていた。
誰かがここへ近づいてきている――
そしてこの時、ヒカルもある悪寒に苛まれていた。
かつて……生前に1度だけ強くその身に刻まれた死の恐怖、一種のトラウマが再びやって来てるのではと、危険予知していた。
「……」
まるで嵐と錯覚するほどの突風が吹き、そしてそれと共にやって来た。ヒカルたちがいる建物と建物の合間に、1つの人影がやって来た。
男とも女ともとれる、しなやかで中性的な顔とフォルム。風を切るような独特な歩き方。そして……大量の血でベースの色がグレーから赤へと変えられた、赤とグレーのツートンカラーのパーカー。
全て……全てがヒカルが5年前、月明かりが差し込む廃工場の倉庫で目撃した人……いや悪鬼と同形だった。
5年前にこの人物に会った時の記憶が鮮明に喚起されたその瞬間、ヒカルは身震いした……。
どうしようも無い、恐怖に――