第六編・その4 全ては手のひらの上
この展開になることが全く予知出来ない訳ではなかった。
カオルの家に最も容易に出入り出来る人物はカオルその人であるし、ツバサの名を出せばヒカルたちを焚きつけられると知っているのは、やはりカオルしかいない。
だが、たとえ予知出来たとしても、それを納得する脳はヒカルたちには無かっただろう。本人からカミングアウトされた、今だってそうなのだから。
「どうしてだ……カオル」
裏切りに打ちのめされ倒れた友、10メートル後ろにいるのは自身の命を狙って待ち構える敵たち、そして目の前にいるのは彼らのリーダー。昨日……いやさっきまで仲間だと信じて疑わなかった裏切り者――カオル。
ヒカルは今、最悪であった。
「俺たちは、お前が友達だって信じてた」
「信じてた……か」
カオルが口の端をあげる。視線の先にあるのは失望の表情を浮べるヒカルだ。それを堪能していると、カオルは意図せず笑ってしまっていた。
「何がおかしい!!」
だがヒカルが声を荒らげる。その拳にも自然と力が入る。裏切りも当然そうだが、それを悪びれずに笑うカオルの態度が、絶対に許せなかったのだ。しかし……
「白痴だな、まるで」
本性をあらわにしたカオルは、そんなヒカルの憤慨をあざ笑う。これは意図的な笑みだ。
「このゲームの勝者は1人だ。その時点で、完全な共闘関係なんて成り立つわけないだろう。そんなことも分からないのか、楽観主義者は」
そう言われるとたちまちヒカルは奥歯を噛みしめる。
ヒカルも薄々、分かりたくないが分かってはいる。このゲームで築きあげた信頼は期限付き、いつか崩れ去る時が来ることを。その崩れることへの覚悟が出来ていなかった……それは否めない。
もっとも、たとえ覚悟出来ていたとしても、やはりカオルのやり方をヒカルが許容することは無かっただろう。こんな、信頼を足蹴りにするような方法。
「……いつ、いつ裏切ったんですか」
一撃食らってからすっかり蚊帳の外にいたテツリが、地面に這いつくばったまま掠れ声で尋ねる。するとカオルはこう言った。
「俺はお前たちのことを裏切ってなどいない……そう言えば分かるかな?」
最後には首をかしげるおまけ付き。カオルの態度はとにかく性悪だ。
「……つまり、最初からか」
ヒカルが答えると、カオルは正解だと言わんばかりの微笑を浮べる。
裏切っていないと言うことは、そもそも仲間になった意識さえ無いことを表していた。つまり……
「最初っから俺たちを嵌める気で近づいたのか!?」
「そうだ」
全ては計画の一部だったのだ。今までの馴れ合いも、全て精巧に造られた虚像に過ぎなかったのだ。
本当に最悪だ。
今まで一喜一憂していた自分が馬鹿みたいだと、ヒカルは思っていた。
「何でだよ……」
「何で? それはお前たちに近づくのは色々と都合が良かったんだよ。警戒心ゼロだし、仲間を疑うようなこともしない、それに万が一裏切りが露見しても、非殺主義者になら殺されずに済むからな」
その言葉はヒカルにとって本当にショックだった。
ヒカルは嬉しかったのだ。あの初めて会った日、カオルが『非殺の勇気』に共感してくれたことが……。直前にツバサからそのことで酷評されていたから、なおさら認めてもらえて嬉しかった。
それなのに、腹の中ではそんなことを思っていたと知り、ショックでヒカルは怒ることも出来ず、ただ震えるだけだった。
カオルの必要無いはずの謀略の語りは続いた。もっとも、彼からしたらその語りは必要だった。その嘲りの標的はヒカルたちに留まらない。
「ちなみに、もうお分かりだろうが、この場にツバサがいるのは偶然じゃない。必然だ」
「……なるほどな」
得意げに語るカオルに対し、ツバサはようやく悟った。
たまたまヒカルとテツリを晴海に呼び寄せたら自分がいたのではなく、自分がいること前提でヒカルたちを晴海に呼び寄せたのだと。
つまりカオルにはツバサが晴海を根城にしていることも透けていた。その理由もそう難しい物ではなかった。
「ずっと見てたのか。俺のことを」
「そう、視てた」
最後に戦った時からずっと、カオルはツバサの動向を密かに視ていたのだ。
能力を使い、カオルは難なくツバサの根城を突き止め、そこへヒカルたちを呼び出すことに決めた。理由は簡単、そうすればより多くの参加者を始末出来るからだ。
「それはキモいな」
まるでストーカーだなと、ツバサはカオルのことを冷笑した。
だが、カオルはそのお返しとばかりに言った。
「そう言うお前はイタいな」
後ろ手を組んで、井戸をのぞき込むよう前傾してカオルは言った。
その態度と言葉に対してツバサは一見冷静だった。だが眉を一瞬ひくつかせたので、隠しただけで効いているらしい。
「自分の力量も分からず、無謀な戦いを挑んで結果返り討ち。挙げ句の果てに散々馬鹿にしてた奴と一緒に罠に落ちたんだからな。本当、滑稽だよ。君たち全員ね」
そう続けカオルは、舞台でスポットライトを浴びる役者のように大げさに踵を返して2、3歩歩んだ。
「まぁともかく、お前たちは良くやってくれた。おかげで勝つための算段もついた。それもこれも、お前たちがちゃんと俺の手のひらの上で予知通り動いてくれたおかげだ。感謝するぞ」
顔だけカオルは振り向いた。そこにある表情はいい笑顔だった。
それを見た瞬間、ヒカルの中に残っていた悲しいという感情は塗りつぶされてしまった。血よりも赤い、怒りの感情に。
「許さねぇ!!」
ついカッとなって人を殺してしまう人がいるが、まさに今、ヒカルもその状況にあった。
もっとも、それでもヒカルは決してカオルのことを殺しはしない。ただ、この怒りは一発、直接ぶつけなければ気が済まないと確信していた。
「殴らせろ!! カオル!!」
「無理だね。お前は俺に触れることは出来ない」
カオルはひらりターンしてヒカルたちとまた向き合う。
「知ってるか? 時間っていうのは万人が支配される最強の概念。それを味方につけた俺は、最強だと間違いなく言える。ちょっと腕っぷしが強いくらいで、相手になるわけない」
それほどカオルは自信があった。自らの能力に、この場を支配していることに。だからどこまでも余裕は崩さない、王様のように。
そしてそんな態度は見下された人間の神経を逆撫でする。ヒカルのみならず、テツリ、ツバサも、腹の中は負の感情が支配していた。
「ま、やれるもんならやってみろ。その前に俺のとこまで来れるかな?」
カオルが腕を伸ばし、正面を指す人差し指と中指を軽く2、3度曲げる。挑発のジェスチャーだ。
「テツリ、立てるか」
一旦ヒカルが顔を横に向け、尋ねた。
「はい……なんとか!」
ずっと地面に這いつくばったままだったテツリもそれに答えて立ち上がった。ただ立ちこそすれ、未だその足下はふらついていた。どうやら脳しんとうを起こしているようだ。
これでは……
この状況をどう打開すればいいか、ヒカルは怒りに負けず冷静に考えた。
その末、ヒカルはテツリに合図を送る。
そしてヒカルは右腕を顔のすぐ前を通るようにして、左斜め上へと突き出した。能力の発動、つまりは変身ポーズをとった。テツリとツバサもそれぞれの能力を発動しようと、動き出す。
「変身!!」
伸ばした右腕を引き目元でピース、そしてウインクすれば、星状のエネルギーの壁が前方に展開され、それをくぐりまとうことでブリリアンへの変身は完了する…………はずだった。
今回もピースするところまでは滞り無くいった。だがウインクするより前に、ヒカルは地面に引き寄せられ、地に頭をつけさせられた。しかもヒカルだけで無くテツリもツバサも、体を地面にべったりとくっつけていた。
「何なんだ一体!?」
体が重くなって持ち上げられない。まるで巨人の手で押さえつけられたような息苦しさ、それはヒカルにとって初めての感覚。だがツバサはこの感覚に覚えがある。だから原因もすぐ分かった。
白装束が、彼の能力を使ってヒカルたちがいる範囲の重力を操り、押さえつけたのだ。
「神の前でそう軽々しく能力を使えると思うな。そのまま我が神にひれ伏せよ」
白装束が手のひらを突き出すと、3人を押さえつける重力はますます強くなる。このままでは臓物が口から飛び出すやもしれない。
「ぐっ…………んなろ!」
だが諦めようとはしなかった、この逆境にも突破の道があると信じて。
ヒカルはまだかろうじて動く右手を、地面で削りながらもなんとか目元まで持ってきた。
そして……
「変……身……」
すぐさまピース&ウインク。すると前方に星状の壁が展開され、ヒカルに迫った。それが無事ヒカルの体を通ると、ヒカルは頭から胸、胸から大腿、そして足先へと、まるでグラデーションのように徐々にブリリアンへの変身を遂げた。
「なんだそれ、ダッセ!」
どこかレトロな、一昔前を思わせる、時代遅れなブリリアンの姿を、金髪の男が指を指して揶揄した。
「良く頑張るな。でも、動けなきゃ意味ないよ? 動けても意味ないけれど」
「ホラ、頑張れよ。立ち上がってみろよ」
変身してなお、ヒカルは立ち上がれない。これでは何も出来まいと3人組は高をくくっていた。
だが出来ることは……あるのだ!
「あんま人を馬鹿にすんじゃねぇよ。とっておきを見せてやる」
まともに動けない状態でも、伏せていても出来る攻撃が1つだけあった。
何をするのか察したテツリは「あ」とつい声を漏らし、ツバサはギュッと目をつぶった。
そしてカオルはすでにうめいていた、目を腕で抑えて……。
「ブリリアンダズリング!!」
その瞬間、星が爆発したかのような閃光がほとばしる。
太陽にも匹敵する明かりを直視してしまった白装束ら3人組は、目を押さえてうめいた。
おかげでヒカルたちを押さえつけていた重力が完全に弱まった。
これなら動ける――
ヒカルはすぐさまテツリの元に駆け寄り、その肩と膝裏に手を回し、ひょいと体を持ち上げた。
「何を……」
「逃げるぞ。逃げるが勝ちだ」
最初から……正確にはふらつくテツリの姿を見た時からヒカルはそう決めていた。逃げようと――
この状況下では逃げるのが何よりも優先される。命をつなぎたいなら!
ヒカルはテツリを抱えて走り出す。
その背後で、ツバサは白装束らに襲いかかろうと立ち上がり、走り迫っていた。
本当は止めたかった。だがそうしたらテツリがどうなってしまうかが不安だった。だから心に迷いを抱きながらも、ヒカルは逃げると決めた。
と、まだ残光が残る中、1つの影がぬるりと動いた。そしてヒカルの行く手を遮った。
「どこに行くんだ?」
その言葉とともに放たれた蹴りがヒカルの腹を刺す。
「うっ……!」
衝撃でヒカルは地面に背を付き、テツリは投げ出された。
蹴ったのは当然カオルだ。
「こんな子供騙しで俺をどうにか出来ると思ったか? だとしたら浅はかだな」
ヒカルの逃走は失敗に終わる。そして……
「これで終わりだ……」
ツバサは心の中で冷たく言い放ち、手の甲から生やした鋭利なツノで、白装束の胸を突こうとした。
だがその時不意に白装束が口元に笑みを浮べた。その笑みにツバサは悪寒を感じ、と同時に白装束を守るように炎の渦が巻き起こる。
これでは近づけない……。
しかもさらなる予感がし、ツバサは飛び上がりながら全力で後退、すると炎の渦がたちまち熱波を放ちながら波紋のように広がる。それは脇の建物に当たると、燃え広がることは無く散った。
それでも欲張らずに退いたのは英断だったと言える。だが結果的に、それでトドメを刺す機会は失われてしまった。
「残念! 1歩遅かったねぇ」
窮地を脱した白装束はそう煽ると、ホバリングするツバサに向け火球を数発撃ち出す。
そのうちの一発が羽を焦がす。浮力を失ったツバサは彼の意図に反し、地面へ引きずり下ろされた。
「お前たちは俺の手のひらの上から抜け出すことは出来ない。どう、あがいても。敗北の未来がもう視えている」
物理的にも、精神的にも、権威的にも、カオルはヒカルを…………いや、この場にいる全ての人間を下していた。
影落ちる、誰も寄りつかない場末の廃倉庫群の一角にて、カオルはついに頂点に立つ支配者となったのだ。だが、それさえひとときの夢に終わることを、まだこの時誰も知らない。