第六編・その3 下落
空を飛んでいた怪鳥は、ヒカルたちに背を向けながら地面に舞い降りると、その姿を本来のものである人間の男の姿へと戻した。
もう3月でそろそろ暖かさも増してくると言うのに、彼はいつも通り、黒の外套を身にまとっていた。
ただ唯一いつもと違ったのは、振り向いた時に見えた顔の、頬から顎に掛けて痛々しい生傷が刻まれていることだ。これではせっかくのハンサムも台無しだ。
「お前どうしたんだよ、その傷?」
ちょっとスルーするには大きすぎる傷。
かえって触れづらくもあるが、それでもヒカルは尋ねた。
しかし、その問いに対するツバサの回答は「別に……」の一言だけと素っ気なさを極めていた。
それでヒカルがもっと詳しい説明を求めて「いやでも……」と言いかけると、ツバサは傷口を隠すように触れながら、
「別に大した問題じゃない。お前たちには関係の無いことだ」
と不機嫌さをあらわにして言った。
「大したことあるだろ……」
だが、こうなるともう追及したところで意味がない。ただでさえ質問に答えない男が、不機嫌になったらもう答えてくれる可能性は極めて低い。だからヒカルは不本意ながら閉口した。
するとすかさずツバサが言った。
「それで、お前たちは何しに来た? またやられに来たのか」
「……そんなわけあるか」
その舐めきった発言と憎たらしい笑顔に対し内心イラつきつつ、ヒカルはあくまで平静を装って答えた。が、やはり多少なりとイラつきは表に出た、負け惜しみという形で。
「大体な、この前負けたのはお前が不意打ちなんてするからだろ」
「ふん、まるで不意打ちが無ければ勝ってたみたいな言い草だな」
「勝ってたとは言ってないけど……。でも少なくともあんな一方的なことにはならなかった」
と、ヒカルは負けずに言い返した。するとツバサは「ほう……」と声を漏らし
「なら……今もう一度試してみるか」
とクールな装いの下で闘争心を燃やした。
「いやそれはいい」
だがヒカルの方はなんだかんだ言いつつ別に戦う気は無いので、あっけらかんといった感じでそう言ってのけた。
「……じゃあ何でここに来た。こんな何も無いとこ」
と、ツバサは当初からの疑問を口にする。
「ならツバサ君こそ何でここに? こんな何も無いところに」
そう尋ねたのはテツリだった。ツバサは答えた。
「ここが根城だからだ」
「根城……」
「へぇ、じゃあお前ここに住んでるのか」
ヒカルが謎に感慨深げに建物を見渡した。
なるほど、考えてみれば確かにこの廃倉庫ならそうそう人も来ないし、逃げるのも容易。厄介者が身を隠す場所にはもってこいだ。
「まぁお前たちにバレたから、もう住まないけどな」
「なんでだよ」
思わずヒカルがツッコむと、ツバサは
「面倒ごとを持ち込まれたら困るんでな」
と言ってのけた。
正直、心当たりはあるのでヒカルたちは黙った。
「で、何でここに来た」
さっきよりも強い口調でツバサが尋ねる。それが意味するところは「早く答えろ」だ。
「カオル君を探しに来たんです」
果たして意を汲み取ったのかは不明だが、テツリが手早く答える。
「カオルをか?」
「はい」
「それがなんでここに来ることになる」
その発言を聞いて、ヒカルとテツリはお互いに顔を見合わせた。そして内緒話をするため顔を寄せ合った。
「……どう思います?」
テツリがひそひそとヒカルの耳元でささやく。
「多分、本気で言ってるんじゃないか?」
「……ですよね? どう見ても演技じゃなさそうですよね?」
「俺はそう思う」
これで演技だったら上手すぎる。もしそうならお金を払ってもいい。
「と言うことは、ツバサ君はこのメモの件とは無関係……」
「そうなるな」
「でも一応聞いてみます?」
2人はそろって顔をツバサの方へ向けた。
「……なんだよ、その顔は」
「……実はですね」
とりあえず、テツリは何も分かっていなそうなツバサにことのあらましを聞かせた。まずカオルの不在から、今日届いたメモのことまで。
全てを聞き終えた時、ツバサはこう言った。
「そんなこと俺は知らない」
それは紛れもない事実であった。ヒカルたちもまぁそうだろうと納得した。が、一応念押し。
「ホントに?」
「……さぁ」
はぐらかしたはずのその回答で、ヒカルは「ああ、やっぱり知らないんだ」と改めて確信した。
となると、ツバサは勝手に名前を使われただけということに。しかし、いったい誰が?
「ちなみにカオル君とツバサ君は戦いましたよね」
「ああ…………!」
テツリがそう言うと、ツバサは急に凄みのある険しい顔をした。
「あれってどうなったんですか?」
「……」
「?」
「どうした?」
ツバサは恐ろしい目つきをしていた。元々あまり優しくはないが、今の目つきはいつも以上に凶悪だ。まるで獣が自分の縄張りに入ってきた外敵を威嚇する時に向ける、そんな敵意に満ちた目つきだった。
その目は一見、ヒカルたちに向けられたように見える。だが、その目が本当に刺そうとしていたのは、ヒカルたちではない。
「ヒカル! テツリ!」
「!?」
その声はヒカルとテツリの背後から聞こえてきた。そして、2人が何度となく聞いた声だ。
ひたすら驚きに満ちた顔で、ヒカルとテツリは振り向いた。
「2人とも無事だったか」
あのメモの信憑性が無くなった時点で可能性は低いと思っていた。
瞳にその人物が写った途端、2人は開いた口がふさがらなかった。
「どうした、そんな間抜けな顔をして」
「カオル!? どうしてここに!?」
先に言葉を取り戻したヒカルが、やや興奮気味に叫ぶ。まさかここで会えるとは、思ってもいなかった。
「ぶ、無事なんですか」
遅れてテツリが言った。嬉しさから、ちょっとだけ目が潤んでいる。
「ああ、全く問題ない」
カオルはヒカルとテツリ、そしてツバサのことを見据えると、満足げにニヤリと笑う。ただその笑顔は、純粋に再会を喜ぶ笑顔ではなかった。
そしてカオルが一歩一歩近づくごとに、ツバサの警戒心は格段に強まっていき、ますます顔の険しさは増していった。それはヒカルたちには見えない。
「良かったぁ~」
テツリは安心から来る脱力で膝を地面についた。
「2人には心配をかけたな。一応謝っておく」
「一応じゃないですよ。こっちがどれだけ」
「そうか。なら申し訳なかったな」
と言いながら、カオルの表情はそういう申し訳と思うときにする表情では無かった。それにほんの少しばかり引っかかりを覚えながら、ヒカルは言った。
「まぁ無事なら何よりだ。でもカオル」
「なんだ」
「この2日間、何してたんだ?」
「……ん?」
その問いに対し、カオルは微かに眉を上下させた。もっともそれに気づいた者はいない。
そしてカオルは手を口元に当て、考え込んだ。
「言いづらいんだったら、別に良いけどさ」
と、ヒカルは思いやりを見せたのだが、それが決定打となった。
カオルはあたりを見回すと「なんだ、それならもう、バラしても問題ない」と冷ややかな目で言った。
「この2日間俺は、準備をしていた」
「準備?」
「ああそうだ」
「どんな?」
「今、この瞬間のため……俺が勝つための、準備だ」
「は?」
カオルの意味深な発言にヒカルは目をパチクリさせた。同じくテツリも膝をつきながらそうしていた。
「悪い……。もう一度、分かりやすく言ってくれないか」
ヒカルは言った。だがカオルは心のこもってない笑顔だけ向けて、何も答えなかった。
ただ口で答える代わりに、サッと軽快な足運びで後ずさった。
何をしている?
その時はヒカルもテツリもカオルの動きの意図が分からなかった。だが1秒後には理解した、頭ではなく体で。
バシュッウゥッ!!
日常では聞かない不審な音がするやいなや、ツバサ、テツリ、ヒカルは、その順で皮膚が焼けるような熱さと、爆発のような衝撃に襲われ、皆、一様にうめき声を上げて地面へ倒れ込んだ。
「う……一体何なんだ!」
ヒカルは肩を押さえながら立ち上がる。
熱い。この熱さは炎で焼かれた熱さ。それも超高温、一瞬で当たった箇所が焼け焦げるほどの熱量。明らかに自然現象では無く、かといって人間業でも無い。
「お前の仕業か……」
いち早く立ち上がっていたツバサが、怨嗟のこもった声で言った。衝撃が跳んできた方向、すなわちカオルが来たのとは反対側に向けて。そして返ってきたのは高笑いだった。ヒカルとツバサには、聞き覚えのある声、そして一度見たら忘れられない、印象的な格好。
「白装束!!」
「やぁ、久しぶりだね畜生君。また会えて嬉しいよ。君に神託を下したくて、私はずっとウズウズしてたんだよ」
その言い草からすると、白装束は前に1度ツバサにやられたことをか・な・り根に持ってるらしい。顔は見えないが、体の正面はツバサを見据えていた。
そしてヒカルには見覚えのある男がもう1人いた。
「お前は廃病院の!」
「ちゃんと覚えてたんだ。へぇー、意外」
と、いけ好かない態度をとる男の名は守山ゴロウ。
「いやぁそれにしても、マジでノコノコ来やがったぜ」
そう言ったのは、誰も見ず知らずの男だった。風貌はというと、短髪を金に染め上げ、竜の紋章の入ったスカジャンを着込むという、いかにもヤンキーといった感じだった。彼もここに居る全員と同じく、ゲームの参加者だ。
「自分たちがなにされるかも知らずによ!」
「何だと……」
「まさか、僕たちをここにおびき寄せたのは」
「そう俺らだ! アヒハハハ!!」
両手を広げ、男は笑った。
「くっ……」
ヒカルたちは忌々しげに男ら3人を睨む。だが……
「…………と言いたいとこだがちょこっと違うな。なぁ?」
男は笑うのを止め、首をひねって横に並ぶゴロウと白装束を見やる。するとゴロウは笑い、白装束も肩を揺らした。
「そうだな、呼んだのは俺たちじゃなくて……『リーダー』だもんな」
ゴロウがねっとりとした口調でそう言った。
「リーダーだと……」
「ま、まだ仲間が」
困惑するヒカルとテツリ、だがこれはまだ序の口であった。次にゴロウが発した言葉によって……2人は時間が止まったかのような感覚に陥った。
「ねぇ………………カオルさん……」
「……………………!?」
ヒカルとテツリは同時に振り向いた。そしてツバサも、2人が振り返るより一拍間をおいてから、半身を振り向く。
「カオル君がリーダー……」
テツリが絶望の表情でカオルを見た。だが、すぐにゴロウらの方を向いて叫んだ。
「嘘だ! そんなのデタラメだ!」
「じゃあ本人に聞いてみたら? 『友達ですよね?』って。そしたらハッキリするからさ」
「…………違いますよね、カオル君」
ゴロウの口車に乗せられたテツリは振り返ってカオルに問いた。
「だってカオル君は初めて会った時、僕たちを助けてくれて。それからも一緒に戦って、馬鹿やったりもしたんですよ……」
「……」
「僕たちは……絶対友達ですよね!」
すがりつくようにテツリは言う。カオルは何も答えない。表情も一切無い。だが、悠然とテツリに歩み寄る。
「……カオル君」
テツリが震えた手を伸ばし、カオルに触れようとした。
「触るな!」
バチンッ!!
その手をカオルはひっぱたいて拒絶した。
「!?」
「どうして……」
ヒカル、そして何よりテツリは驚いた。絶句――訳も分からないという表情を向けていると、カオルは悪辣な笑みを浮べて言った。
「お前に触られたら能力を真似られるだろ。そんな、敵に塩を送るようなこと、やるわけないな」
「そ、そんな……」
テツリは膝をつく。さっき、嬉しさでついた膝を、今度は悲しさで……。
「ありがとうテツリ」
「え?」
ありがとう――その言葉に希望を見たテツリは顔を上げた。だが、その瞬間テツリは側頭部に石で殴られたような衝撃を受け、地面を擦り転がった。
「おかげで蹴りやすくなった」
「カオル! お前……」
容赦なく蹴り飛ばされた友を見て、ヒカルの感情が高ぶる。
「ハハハハ! 良い表情だ。実物を見るとこんなにも面白いか!」
目をおっ広げ、狂喜的な顔でカオルは反り笑う。
「お前……本当にカオルか?」
あまりの変貌っぷりにヒカルは動揺を隠せなかった。今までのカオルと、今、目の前にいるカオルが同じ人物には見えなかった。
「残念だが、もう俺はお前たちの知る今川カオルじゃない。ソイツはもう、死んだんだ……たった今」