第六編・その1 嫌気差す
穏やかな春の日差しの下、東京都・お台場海浜公園では穏やかでない激しい戦いが繰り広げられていた。
戦っているのは、ヤギのように湾曲したツノを持ち、卓越した脚力で忙しなく跳ね回る霊獣、そして――
「ヒカル君!」
「よっしゃ!」
佐野ヒカル、上里テツリの2人。
2人とも、ヒーロー・ブリリアンの姿となって、霊獣と素手で殴り合っている。
この両者の戦いは正午ちょうどに始まり、12時5分現在、そろそろ決着がつこうとしていた。
「逃がすかよ!」
ヒカルは跳びはねる霊獣の背中に跳び乗ると、その太くて立派なツノをがっしりと掴んだ。
突進されるには、このツノは相当に厄介だが、掴むならこんな適したツノはない。
頭を振り、必要以上に跳びはねて霊獣はヒカルのことを振り払おうとするが、
「もう落とされねぇぞ!」
と、何度も辛酸を舐めたヒカルはもう同じ過ちを繰り返さない。
そしてヒカルはロデオで魅せるカウボーイのように片手を離すと、離した右手を握って、霊獣の脳天に振り下ろした。
超至近距離からのパンチ、霊獣がよけれるはずもなく……。
ドゴッッゴゴッ!!
打撃音、そののちに硬い地面が砕ける音がした。
打撃音は霊獣がヒカルに殴られた音、地面が砕ける音は、そのはずみで霊獣が地面に頭蓋を打ち付けた音だ。
「よっと」
ヒカルは跳びの退いて霊獣と距離を取る。
いくら霊獣が幾分か丈夫でも、頭を地面に打ち付けられては無事では済まない。
さっきまで元気よく跳ねていた霊獣は、目を回したようにフラフラと足元がおぼつかなくなった。
「光を抱いて天へ逝け!」
そんな霊獣に対し、ヒカルは久しぶりの決め言葉を言い放つ。ビシッと拳を突き出すポーズもしっかりと決まっている。
「なんですか、それ?」
テツリにとっては初めて聞く決め言葉。思わず頭に疑問符が浮かび上がった。
その疑問に対し、ヒカルはこう答えた。
「ふふっ……念仏さ!」
これでもう終わりだ!
ヒカルは霊獣に引導を渡すべく、天高く跳び上がった。その体がまばゆい光を放つ。
ギャラクティックエナジーと太陽エナジーがシナジーして生みだされた"キラメキエナジー"が、ヒカルの両脚に宿った。
「サンシャインスパーク!」
必殺の旋風キックーー
それは霊獣に見事多段命中し、吹っ飛ばされた霊獣は海へと落ちた。
その直後、水柱が上がり、海面には虹がかかった。
⭐︎
「完・全・復・活!!」
ヒカルはクロスして伸ばした両手でピースし、さらに流れるように右手を天へ突き出した。アニメならババーンと効果音が聞こえてきそうだ。
「ヒカル君、みんなが見てます」
テツリがやんわりと「やめなさい」と諫めると、ヒカルは周りを見た。
確かにテツリの言う通り、道行く人がみな、ヒカルのことを見ていた。しかも哀れな者を見る目で。
居心地の悪さをひしひしと感じたヒカルはゴホンと咳払いし、「そうだったな」と頬を紅潮させながら手を下ろした。
しかし、はしゃいだのは理由がある。ヒカルははにかみながら言った。
「自由に体が動くのが嬉しくて、つい」
昨日まではもう動くのが苦痛でしょうがなかった。それが今日には鳥のように体が軽いのだから、反動で動作に勢いがついてしまうのは仕方ない。
「でも本当に完治してますね。良かった」
そしてテツリの方も、以前のように元気よく自分の隣を歩くヒカルが見られて嬉しいようだ。
ボロボロだったヒカルの全身像を見たから、その喜びは下手すればヒカル本人以上だ。
「もし治らなかったら、どうしようかと」
と、テツリは不安だった胸中を吐露した。が、
「大げさだな」
とヒカルはあっけらかんと言った。
「……大げさ?」
テツリはそれを聞いて、どこか腑に落ちない表情をした。
だがヒカルはそれには気づかず「しかし大体3日だな」と言って、勝手に1人で納得してうなずいた。
「3日?」
テツリが反芻したので、ヒカルは分かりやすくもっと枝葉をつけて言った。
「ああ、大体どんな怪我も3日で完治だなって。今までの流れ的に」
振り返ると、最初の大怪我だった肩の骨折は、翌日には骨がくっつき、さらに翌日には痛みなくスムーズに肩が回せた。
今回の裂傷も、翌日には傷口が塞がり、そして3日目の今日は傷跡も消えていた。
他にも擦り傷、打撲、軽い火傷は、合わせると両手では足りないくらい負ったが、それらも次の日には治っていた。
このゲームが始まってから負った傷は、どれも3日目には治癒している、そうヒカルは得意げに力説したが、
「ふぅん……」
と、テツリの反応は驚くほど素っ気なかった。
何でだ、結構な発見だろ?
と、その様子を不審に思いつつ、ヒカルが気にせず「怪我が長引かないのは便利だな」と言うと、いよいよテツリは完全に呆れた時の表情を浮かべて、いつもより若干どころでない冷たい声色で言った。
「ねぇヒカル君……」
「ん?」
一瞬ヒカルの背筋に汗が伝った。それが冷や汗だということに気づかないまま、ヒカルはテツリの方を向いた。
「なんだ?」
「……だからっていくらでも怪我していいなんて思ってませんよね?」
「え?」
「ちょっと怪我しすぎじゃないですか」
と、テツリは第三者から見たら至極もっともな意見を言った。
「……」
ヒカル自身も、納得するところがある。
反面、男ならこれぐらい普通……じゃないにしろギリ許容範囲なのでは……とも考えていた。
そんなもので反省の色が薄かったから、テツリは文字通り、目を細めて言った。
「このままだとあなた……本当に死にますよ」
「お、おう…………」
事ここに至り、ようやくテツリの口調の違和感に気づいたヒカルだった。だが、気づいた上で地雷を踏む。聞くべきじゃないことを聞いた。
「……なんか怒ってマス?」
「……いいえ」
一瞬目を閉じると、それからテツリは不自然なくらいニコニコして言った。その表情が演技であることは、疑いの余地なく明らかだった。つまりテツリは怒っている。そしてその原因は……
「……俺、心配かけすぎてマスネ」
ヒカルは恐る恐る上目遣いでテツリを見た。すると、テツリは大きなため息をついてから言った。
「さぁ? でもそう思うなら、これからはちょっとは自重してくださいね。目を離した隙に血だらけになってるのとかはもう金輪際勘弁願います」
「……」
「今回の一件で、あなた死にかけたんですからね? 分かってますよね?」
「はい……重々承知してます」
「本当ぉ?」
「はい……本当です……」
「じゃあこれからは何するべきか分かりますね」
「……自重デス」
結果的に散々迷惑をかけてしまったという事実が陳列され、ヒカルは小さくなって答えた。
「ちゃんと分かってるんですねぇ、偉いです」
「……」
「行動でも示してくださいね」
その一言だけで、説教1時間分の重みがあったと思う……。
「返事は?」
「はい……ホントごめんさい」
ヒカルがそう言うと、テツリは何も言わず顔を背けた。
「……流石」
元教師なだけあって、相手に責任を感じさせる呵り方が上手い……。
ちょっとビビりながら、ヒカルはテツリへの印象を上方へ改めた。
「……」
でもテツリ……俺だって本当にヤバい時はちゃんと自重するよ?
テツリにバレないよう、そっと横顔を見ながら、ヒカルは心の中で弁明した。
が、そのタイミングでまたテツリがヒカルの方を向いた。だもんで今度は一体何を言われるのかと、ヒカルが身構えるも、テツリの口から出たのはもう非難の言葉ではなかった。
「で、カオル君をどう探しましょうか?」
という疑問であった。
「……どうするか」
それはそれでまた頭が痛くなる話だ。ヒカルは習性で口元に手を当てた。
今川カオル――ヒカルとテツリの仲間であり、友達。
2人がカオルに最後に会ったのは一昨日の夜。
ヒカルの命を狙うツバサ、その足止めするためにカオルが戦いを挑んだ……。そして別れて以降、どうなったかは全くもって不明……。
「家にも帰ってないみたいですし、どうすればいいんですかね……」
テツリは昨日今日とカオルの自宅に行って、インターフォンを鳴らしたが反応が無かったらしい。その他、カオルが出没しそうなところを巡るも、それも空振りに終わったようだ。
「うーん……」
そうなると、調べるべき範囲は全国となって絶望である。
377,900 km²の広大な土地で、1億を超える人の中から特定の1人を見つけ出すなんて……絶対無理だ。何か特別な力が無ければ……。
そう思ったヒカルはわざとらしいほどチラチラとテツリを見た。そしてテツリはすぐに視線に気づいた。
「なんですか?」
「お前の能力ってコピーでしょ? カオルの能力コピーしてないの?」
「……」
その問いに対し、テツリはあからさまに目をそらす。何も言わずとも答えは明らかだ。
「まぁだよな……」
使えるのならもう使ってそうだもんな、とヒカルはため息をついた。
「確かに僕がカオル君の能力をコピーしてたら、あっという間に見つけられましたね……」
テツリは申し訳なさそうな表情で言った。そして「てか言われるまで自分の能力忘れてました……」と付け加えた。
「それは……ヤバくね?」
「ずっと変身しかしてないから、そのつもりでしたねぇ……」
「コピーの利点を何一つ生かせてないな」
「てか、このゲームにおいてコピーに利点なんてありますかね」
テツリは自分の右手を見つめながら言った。
「コピー出来る能力の数は11個しかないし、そもそも全然他の参加者に会えてないし」
「確かに……12人はいるはずなのに、俺が会ったのも、テツリとツバサとカオルとあと白装束に、守山ゴロウと……あの炎上魔法少女……6人か」
ヒカルは指折り数えた。結果分かったのは、イメージより他の参加者に会っていたことだった。
「ヒカル君は結構会ってるんですね」
「会ってたな」
「これ、ヒカル君がコピーの方が良かったパターンですね。ヒカル君なら無くても素が強いから問題ないし」
「まぁそれはもう置いとこう。ifの話をしたってしょうがないし」
そう言って、ヒカルはテツリの肩を叩いた。
「てか、今ので俺良い案1つ思いついた」
さっきからの話の中から、ヒカルはカオルに会うためのヒントを見出した。
「本当ですか?」
「ああ!」
ヒカルはニコッと笑って見せた。
「それで、どんな案なんです?」
期待の高さの現れか、テツリはちょっと前のめりになっていた。
「まぁ冷静に考えてさ。俺たちがカオルを見つけ出すのはもう不可能だ。だから逆を行く」
「逆……ですか?」
テツリが首を傾げて聞くと、ヒカルは「そう、逆だ」と自信満々に答えた。
「つまりだな、カオルに俺たちを見つけて貰えばいいんだ。だからな…………」
ヒカルが長々と説明を開始すると、テツリはそれに熱心に耳を傾ける。そして作戦の全容を知ったテツリが「なるほど、現状は確かにそれが1番かも」とうなずいたので、ヒカルは「フフッ」と小さく笑った。
⭐︎
午後11時、2人は昼間決めた通りある場所にいた。その場所とは……カオルの自宅であった――
ここにした理由は3つ。
まず、カオルが最も視るであろう場所がどこかと考えたとき、やはりもっとも長く時を過ごす自宅はどの観点からいっても有力だから。そこにいた方が、適当な場所にいるよりかは見つけてもらえる確率は上がる。
次に、見つけてもらってもその場所にカオルが来れなきゃ意味がない。だが自宅なら当然、カオルが来れないはずがない。
そして3つ目……
「あー、横になれるって素晴らしい」
ズバリくつろげるから、だ。
軽く10時間近く歩いたヒカルは、フローリングにぐでぇっとうつ伏せになって、全身でその冷を吸収しようとする。
そんなだらしないヒカルの姿を見て、テツリは思わず言った。
「何くつろいでんですか」
だが、ヒカルは構わずいい笑顔でこう返した。
「まぁまぁ、どう待ってても待つことは変わりないんだ。だったら少しでも有意義に過ごした方がいいだろ?」
「……」
言ってることはある意味間違っていない。だからテツリは何とも言えない表情を浮かべた。
「今日はあちこち動き回って疲れたし、それにこの待つのも結構長丁場になるかもしれないんだぞ。ずっとそんな緊張してちゃ、いざって時どうにもならないぜ」
「それはそうですけど……」
だが釈然とはしてない様子。
「ちなみにどれくらいを想定してます、待つのは?」
「そうだな……とりあえず朝まではかなぁ。帰ってくるとしたら、大体夜から明け方にかけてだろ」
「ヘヴィですね。6時間待ちですか」
と、テツリは適当な感想を述べた。
「まぁでも室内だしな。寒空の下じゃないだけマシだと思う」
今まで何度か寒空の下の張り込みを経験したことのあるヒカルはヘラヘラ笑った。
「どこだろうとキツいもんはキツいと思いますけどね」
「ま、とにかく首を長くして待とう。ここで待つのが1番なんなんだから」
「……そうですね」
しかしテツリはついに堪えきれなくなった。
「でも、少しはしゃんとしましょうよ。ここ他人の家ですよ。自分ちじゃないんですからね!」
「……ま、それはそうかも」
ヒカルは腕立て伏せするように起き上がると、そこであぐらになった。
あぐらになったことで目線が上がったヒカルは、時計を見るとしみじみと言う。
「11時か……」
「また1日が終わりますね」
「そうだな。……そういや明日は何日目だっけ?」
「16日目ですね」
「もうそんなか。てか2週間経ってたのか」
「早いですよね」
テツリも時計を見ながら、しみじみと言った。
激動の日々に忘れかけるものの、ゲーム終了までは確実に近づいていた。
だが今気になることは、まだ遠くにあるゲームの終了ではなかった。
「でもなんなんでしょうね? この時間まで帰ってこない理由?」
やはり話題は再びカオルに関するものへ移行する。
「流石に理由もなく、こんな時間までほっつき歩きやしないでしょ」
「理由……仕事関係とか?」
とヒカルは思いついたことをすぐ口に出した。
「投資家って株主総会出るのかな?」
「さぁ……」
「でもあれか……どのみち開催地が遠方でも、帰って来れますもんね」
「うん」
「じゃ何だろう」
テツリが腕を組んで考える。
「……最悪の事態が起きてるのかもな」
その脇で同じく考えていたヒカルがポツリと言った。
テツリはヒカルの顔を見た。ヒカルの顔は真剣であり、発言が本気であること示していた。だからこそテツリは首を横に振った。
「カオル君に限ってそんな……死ぬなんて事。……あり得ませんよ」
死んだなんて思いたくない、とテツリの顔は如実に語っていた。だが、ヒカルは違った。
「……誰だろうがありえる話だろ。……人間死ぬ時は割と呆気ないもんさ。昨日の夜まで元気だった人が、それっきり目を覚さないなんてこともあるんだから……」
ヒカルがいつもと違ってしおらしく言った。
「まぁ俺たちは病死なんてしないんだから、あり得るのは誰かに殺られたくらいだろうな。そうなると……」
ヒカルは言葉を詰まらせた。その仮定が正しければ、カオルを殺した犯人としてもっとも有力なのは……アイツになってしまうからだ。
「………………でも」
しばらく黙り込んだ後、テツリは口を震わせ、うつむきながら言った。
「約束しました。『また会いましょう』って。だから僕はカオル君は生きてる! と思い……たいです」
「俺だってそうさ。でも、そういう事態も考えられるってことさ…………」
「…………」
ヒカルが黙り、テツリも黙る。
広々としたリビングから音という音が消え、お通夜のようにシーンと静まりかえる。
「……まぁとにかく、今は待とう。そしたら解決する」
いたまれなくなったヒカルが時計を見ると、針は5分しか進んでいなかった。
「……」
これは……今日の夜の長さには嫌気が差しそうだ。
そんな予感を抱えながら、ヒカルは頭を抱えて横になった。