第五編・その6 北の大地
カーテンの隙間から差し込む朝日に顔を照らされて、佐野ヒカルは安らかな寝顔を歪ませた。
「ん……もう朝か」
ヒカルは小さくつぶやくと、布団を深くかぶり直した。
もう少し寝かせてくれと言わんばかりに、日の光から逃げるための寝返りを打つ。
「…………ん?」
ふと疑問に思った。
なんで自分は今、布団で寝れているんだっけ?
ホームレス同然の生活をしている今のヒカルにとって、布団で寝るのは当たり前のことではない。
だからなんで布団で寝れているのかを考えるため、ヒカルは寝起きの頭で昨日何があったかを思い返した。
確か昨日は……
「…………あ!」
思い出したヒカルは布団の中で声を発し、体を起こした。だが勢いよく体を起こすと、切り裂さかれるような激痛が体を走った。そのせいでヒカルは「痛ってぇ」とうめきながら布団へ跳ね返された。
「チクショウ…………」
その痛みは記憶を喚起した。ついでに目の方もさっぱり冴えた。
傷、思ったより深かったんだな……と思い知り、ヒカルが痛む箇所に手を触れると、パジャマ越しに思わず「ん?」と疑問符が出てくる妙な感触があった。
「……包帯?」
パジャマのボタンを外して見れば、お腹から胸にかけて真っ白な包帯がきれいに巻かれていた。
「誰かが手当てしてくれたのか……」
よくよく見れば着ているパジャマも、今いる部屋も全く見知らない。
と言うことは、きっと誰かがここに担ぎ込んでくれたに違いないと気づき、ヒカルは察しはつく誰かに感謝した。と、その時ドアが開いた。振り向いて見れば、入ってきた顔はヒカルがよく知る顔だった。
「あ、おはようございます」
「おお、おはようテツリ」
ドアを開けてすぐ2人の目があった。
「気分は大丈夫ですか?」
「まぁまぁってとこかな。とりあえずちゃんと生きてるぞ」
「なら良かった。昨日は大変だったんですから」
そう言うテツリはどこかホッとした様子だった。目の下にクマもあるし、昨日はおそらく寝られなかったのだろう。つまり心配してくれていた。
ヒカルはありがたいと思うと同時に、申し訳なくも思った。
「ごめんよ、迷惑掛けて」
「本当ですよぉ。毎度のこととはいえ、今回ばかりはもうダメかと思いましたよ。なんせ、あと5分処置が遅れてたらコレですよコレ」
テツリはお手々のしわとしわを顔の前で合わせた。ヒカルは思わず苦笑いする。
「そんなやばかったのか……」
「全部で24針縫ったそうです」
「え? 縫った?」
「はい。縫わなきゃ傷が塞がらないそうで」
「そんな大怪我だったか!?」
「そうですよ。傷の1つは腸まであと5ミリのところまで切れてたんですから」
「うへぇ、そりゃすごいな。てか24針もか……」
縫合で24針を超えたらもう重傷なのである。自分のことながらヒカルも引いた。
そして、この包帯の下に24針も縫う羽目になった傷があると思うと、ヒカルはなおさら痛みが増す気がした。
「まさか初の手術がここまで大がかりになるなんて……」
「え? 初めて?」
「そうだけど」
「へぇー……」
「なんでそんな顔……」
「いや……日頃の無茶しいを見てたら、1回や2回くらいされてたとしてもおかしくないかな……って。このゲームが始まってからも、隙さえあればボロボロになっているし」
とテツリは言った。
そんなに言われるほどボロボロになったっけ?
ヒカルは釈然とせず思い返してみるものの、確かに考えるとボロボロになった回数は少なくないなと納得し、複雑な感情で引き笑いした。
「まぁその通りだけど……。でもこんな大怪我はしたこと無い」
「運が良いんですね」
「……そうかもしれない」
物言いに若干の不服はありつつも、それについてはヒカルも認めた。
「でも今回は特に運が悪かったんだ」
まるで怪我したのは運が悪かったせいだ、という言い草だ。
「……本当にそうなんですかね」
テツリは冷ややかな目でヒカルを見ていた。普段の無茶しいを考えると、単に運だけが原因ではない気がしているらしい。
「本当だって! たまたまツバサに会ったのが夜だったからこっぴどくやられちゃったけど、昼間なら俺も全開で戦えるんだからもっとマシな結果になってたさ。腐っても元警官だったんだぞ、そう簡単に負けねぇよ」
テツリの目に気づいたヒカルは強い意志の元で断言した。が……
「だとしても、どうせ自分からちょっかい出しておいて、結果的に返り討ちにされてるのはどうかと」
「悪かったよ……」
ズバリその通りなことを言われてしまい、ヒカルはふてくされて顔を逸らした。
「俺だって、まさかここまで容赦なくされるとは思わなかったんだよ」
ヒカルは布団に横になる。
「……聞いても良いですか」
「うん?」
「何だってツバサ君にちょっかいなんてかけたんですか?」
それは難しい質問だった。ヒカルは「……ん~」と目をつぶる。
「なんていうか、本当は良い奴に、悪いことさせるのが悲しかったからかな」
ヒカルのその答えに、テツリは「良い奴……?」と首をかしげ、
「僕はそうは思いませんけど」と無慈悲な、それでいてもっともな反応をした。
「まぁテツリは特にそう思っちゃうよな」
「初対面が初対面ですしね。でもそれはヒカル君もそう変わりないでしょ? むしろヒカル君の方が僕なんかより酷い目に遭わされてますし、それなのにどうして肩を持とうとするんです?」
テツリは真剣な顔でヒカルに尋ねた。
「この間の一件があったからかな」
「この間の一件? あの病院の時のですか?」
ヒカルがコクリとうなずいた。
その病院の件にて、ツバサと共闘したことはまだテツリの記憶にも新しい。
「そういえばあの時からですね、ツバサ君への態度が変わったのは。何かあったんですか?」
と、テツリが思い出したように尋ねると、ヒカルは天井を見ながら言った。
「あの時、アイツは死に物狂いで戦っていたんだ……」
ツバサはあの時、数十は下らない霊獣の集団を相手取って戦っていた。一応その場にはヒカルもいたとはいえ、その数を相手にすることが無謀であることは誰の目にも明らかだった。
もしツバサが非情だったなら、戦わないで逃げていた。
万一があって死んだら元も子もないのだから、本当にツバサが手段を選ばないのなら逃げるのが賢明だったはずなのだ。なのにツバサは戦うことを選んだ。数の暴力に打ちのめされても、勝てる希望が薄くとも、決して退かずに戦い続けた。
あの時のツバサの姿は、いつもの余裕ぶったクールな男の姿ではなかった。何かのために激しく突き動かされた、必死な1人の人間の姿だった。それがヒカルの心を打ったのだ。
「自分のためならともかくさ、それ以外にあそこまでする奴が悪い奴とは、ちょっと思えなくてさ」
何のためだったのかはハッキリとは分からない。だが、それでもツバサが自分の命をなげうってでも戦ったのは事実だ。
自己犠牲、それは誰にでも出来るわけじゃない。それを出来る人間が、根っからの悪人とはとても思えないのだ。
「ふぅん」
「それで、なんとか話が出来ないかと思ってたら、たまたまナルミからある噂について聞いてさ。それにツバサが関わってそうだから調べてたら本当に関わってて、で色々話を聞き出そうとしたら――」
「ボッコボコにされたと」
「いやその時はまだ互角だった。霊獣が出たから戦うのは止めにしようって言って、そうしようなったんだけど、ちょっと目を離したらそのまま不意打ちから一気にやられちゃった」
そして、その後は逃走も兼ねて霊獣がいる近くへ飛んだまでは良かったものの、結局遅れて飛んできたツバサにあえなく発見され、そのままいたぶられ続けているうちにテツリたちの元へとたどり着いていた。
「やっぱ買いかぶりすぎてるのかな、アイツのこと」
「さぁ……僕は何とも」
「せめてアイツがもう少し聞き分けがよかったらな。腹を割って話せるのに」
と、ヒカルは諦念の笑みを浮かべながら静かに言った。
「で、あの後は結局どうなった?」
たどり着いてすぐに張り詰めていた糸が全て切れて気絶したヒカルは、その後の展開を知らない。だからその説明を求めたのだが、テツリは
「僕が教えられる情報なんて大して無いですよ」
と申し訳なさそうに答えた。
「一応あの後は、ヒカル君をなんとか治療できる場所に連れてかなきゃってなって、それでツバサ君の相手をカオル君が引き受けて、それかr――」
「は? ちょっと待て」
ヒカルはテツリがさらっと流そうとした話が気になり過ぎて発言を遮った。
「カオル、ツバサと戦ってんの?」
「ええ……。でも僕はすぐにヒカル君を連れて逃げたので、その2人がどうなったかまではなんとも……」
「そうだったのか……。でも、カオルのことだし負けるようなことはないだろ」
ヒカルはそう思うことにした。
「で、テツリは俺を病院に運んだと?」
「そうです」
「はー、なるほどね」
そして今、自分は病室にいる、とヒカルは把握した。が、ちょっと理解を超える出来事が起きていることを、テツリの発言からヒカルは知る。
「でもどこの病院に連れてけばいいか分からなかったので、とりあえず僕が知ってる病院に連れてきました、地元の」
「地元?」
「はい、北海道」
「北海道!?」
ヒカルは驚いた。驚きすぎて、手術したばかりなのを忘れていた。
「イテテ」
「大丈夫ですか?」
「いや待ってくれ。なんでわざわざ北海道?」
ちなみにヒカルがテツリたちと合流したのは大阪である。
大阪から北海道って、なんてトワイライトだろう。もっともヒカルたちはワープ出来るから、距離はさほど問題にはならないのだが……。
それでも「なんで北海道?」とヒカルはツッコまずにはいられなかった。
「だって、知ってる病院で間違いなく急患対応出来るのが明らかなの、北海道が1番でしたから。ここ、僕の祖父が脳卒中で運ばれた病院なんですよ」
「知らんがな」
ヒカルは思わずため息をついた。
まさか人生初の北海道が手術するための訪問になるとは思ってもみなかった。
どうせなら、もっと健康な時に行きたかった、それこそ生前に……。
「観光出来ないじゃん、この体じゃ」
「ま、まぁそれは仕方ないじゃないですか」
「どのみち金が無いから観光は無理だけどな」
「そうですよ」
「蟹食いたかったな」
「毛蟹、今が旬ですもんね」
「「…………あ!?」」
2人は図ったように目を見合わせた。ある重大なことに、気づいてしまったのだ。決して避けられない、重大な問題に。
「手術費と入院費ってあるよな……」
ヒカルは脂汗をダラダラと垂らしながらテツリを見た。そして同じくテツリも汗を垂らしながら、
「あるでしょうね」
と白い顔で言った。
「どうすればいい」
さっきも言ったように金を持っていない。それだけならまだしも、保険証も無いし、なんなら保険料も払っていない。
だって死んだ人向けの保険とかあるだろうか? いや、ないだろう。
「そうですね……」
テツリは落ち着いて病室のカーテンを開け放った。
3月にもかかわらず、窓の外には一面の雪景色が広がっていた。朝日を反射して、それは眩しいくらいの白さだった。見る人が見れば、きっとこの間近にある広大な自然に感動を覚えるだろう。
「とりあえずこの雪景色でも見て心を癒しましょう」
「出来るかぁああ!!」
だが、ヒカルにその余裕は無かった。
体の痛みも感じられなくなったヒカルから発されたその絶叫は、北の大地の病院内にて響き渡った。
おまけのどうでもss
1日と言わず半日後には、ヒカルとテツリは住み慣れた東京に帰っていた。
「良かったですね何とかなって」
テツリは笑顔で言ったが、ヒカルは
「何とかなったのかな……あれ」
と色々複雑な表情を浮かべていた。
「まぁ……一応ちゃんと金は払ったじゃないですか」
テツリは苦笑いした。
「うん」
そう、確かに金は払った。踏み倒すことも一瞬考えてしまったが、きっちりお世話になった分は支払った。
「カオルのくれたお金でな」
あの後調べてみると、テツリのジャージの内ポケットにはそこそこの大金がメモとともに入っていた。メモに書かれていたのはたった一言。
『使え』
それはまさに、暗闇で途方に暮れる2人にとって、一筋の光明であった。
そして2人はそのメモに従って、手術費と1日分の入院費をその金で支払ったのだ。
それで問題は全て解決! 良かった、良かったけど……それはそれで別な問題がどうしても浮上してしまう。
「……なんか、俺たち完全にカオルのヒモだな」
「それは思いました……」
「流石にまずいよな、友達として」
「まずいですね」
2人の意見が合致した。
だが、合致したからと言ってお金が出てくるわけではない。この2人が持ってる全財産を合わせても、0+0なので0円である。
だから、支払いは労働で払うことにする。
「俺、今度マッサージしよっと」
「僕は家政夫になります」
果たしてこの2人は貰った分の金を返すことが出来るのか?
ーつづかないー