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亡者よ、明日をつかめ  作者: イシハラブルー
第2章 死闘激化
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第五編・その1 悪魔の企て



 振り向くと、そこには—悪魔がいた。

 暗闇の中で双眼を爛々と光らせ、翼を生やした二足歩行生物なんて悪魔に違いない。

 そのあまりの恐ろしさに、男はプライドも意地も投げ捨て、巨体を揺らして街灯の無い夜の路地を爆走した。


「誰か助けてくれぇぇええ!!」


 だが、そうそう都合良く男を救ってくれるヒーローなんて現れず、ついには路の行き止まりへとたどり着いてしまった。

 その背後から聞こえる足音。窮地とはまさにこのことだ。


「どうした? もう逃げないのか」


と煽りつつ、翼を持つ悪魔は男へ悠然と歩み寄る。


「……まぁ今更、逃がす気は無いがな」


 悪魔は翼をはためかせ、生み出した風を男に浴びせる。


「ひぃ!?」


 たとえ涼しい微風でも、そのプレッシャーは絶大であった。

 男の脚は恐怖に震え、立つことを忘れた。

 もはや絶対に逃げられないという事実を突きつけられ、男は情けなくも命乞いした。


「た、頼む、勘弁してくれ! 許してくれよ!」


「先に仕掛けたのはお前たちの方。自業自得だ、甘えるな」


「そ、そんな待ってくれ! お前がそんな危険な奴だって知ってたら—」


「黙れ!」


 だが必死の嘆願も容赦なく切り捨てられた。

 男は悪魔が伸ばす左手から逃れようと精一杯後退りするも、いよいよ背中が壁に触れた。すると男は嘔吐するかのように絶叫した。


「ウワァァァアアア!!」


 それは閑静な夜の住宅街に響き渡った。

 その叫び声を聞いて、近所の人たちが駆けつけた時には、すでにその場にいたのはガタガタと震える男だけであった。

 悪魔の姿など無く、代わりに無数の焦げ茶色の羽が現場には残されていたという。





⭐︎





「僕が思うに、やっぱりお金を持ってる人は心にゆとりがありますよね」


「突然どうしたんだ?」


「いえ、ふと思ったんですよ」


「そうか……まぁ一般にはそう言われてるな」


 何故、ふとでもそんなことを思ったのかは甚だ疑問ではあるが、それには触れずに答えると、今川カオルは朝食のトーストにかじりついた。そしてそれを飲み込み、手についたカスを払うと、


「本当にそうかは怪しいが」


と付け加えた。

 そんな暗に否定する発言を受け、


「ん、違うんですか?」


と首を傾げて尋ねたのは、上里テツリであった。


「てっきりそうだと」


「じゃあ聞くが、俺にゆとりがあるように見えるか?」


 カオルは苦笑しながら、目の前に座るテツリに逆に尋ねる。その回答はすぐに返ってきた。


「僕からしたら見えますけど……」


「へぇ……」


 少しばかり意外な回答だ。

 なるほど、他人から自分はそういう風に見えているのかと、カオルは悪い気はしなかった。

 もっとも、自分では思ってない故の質問返し、なぜテツリがそう思ったのかが気になった。


「ちなみにどのへんが?」


「そうですねぇ……」


 テツリは考え出した。何をもって自分がそう答えたのか。

 そして考えるうちに、朝食のトーストに目を落とす。脇にあるミネストローネと、スムージーには目を落とさなかった。


「なんか、色々手間暇かけてるところとか」


「手間? そんなもの別にかけてないが?」


「じゃあ無意識でやってるんですね」


 本人が否定したというのに、テツリは頑なに決めつけて譲らなかった。

 これには流石のカオルもちょっと面食らった。


「……じゃあ、100歩譲って俺が手間をかけているとして、手間(それ)とゆとりにどう関係がある?」


 言わんとするところが分からず、少々困惑するカオルであった。だが、そこは元教師のテツリ、すぐに分かりやすく説明するよう、朝食のトーストを手に取った。


「たとえばこのパンって、市販のじゃないでしょ?」


「確かにそうだ。よく分かるな」


 テツリの指摘通り、2人の朝食となったパンは工場で大量生産された物でなく、個人経営のパン屋で1つ1つ人の手によって作られた食パンだ。

 なかなか上等なパンで、量販店で売られるものを寄せ付けない抜群の味は筆舌に尽し難く、またトーストすることによって小麦本来の香ばしい香りがより一層ひきたてられる。

 さらに凄いのは食感。そのフワフワ感から、巷じゃ『天使の羽』と呼ばれている。


「そりゃ食べれば分かりますもん、これ、絶対高いパンだって」


 食べ慣れてない故の気づき、ある意味で無知の知である。


「まぁ市販の物よりはするな」


「倍くらいするでしょ?」


「……まぁ、多少はな」


 具体的な金額こそ濁したものの、それなりのお値段であることは否定しようも無い事実だ。


「……って、値段はこの際いいんです」


 しかし、決して高いパンを買ったからゆとりがあると思ったわけではなかった。

 テツリがカオルにゆとりがあると思ったのは、お金は当然として、その背後にある見えない労力を思ったからだ。


「このパンって今朝買ってきたでしょ?」


「まぁ朝なら焼きたてが買えるからな」


「他になんか買いました?」


「いや、別に」


 そのことを聞くと、テツリは「やっぱりね」と意味深に笑う。


「僕が言いたいのは、食パンを買うためだけにパン屋に行くなんてこと、僕たちはしないです。そんな発想もしませんし」


 なぜならわざわざそんなことをするよりも、行く頻度の高いスーパーとかコンビニで買ったほうが効率的だし、財布にも優しい。

 わざわざ近所でもないパン屋へ、食パンだけを買いに行くような真似はしない、少なくともテツリは。

 だが、カオルはやっている。本当に小さなことだが、日常に小さな手間、面倒をかけている、かけられるところが、ゆとりあるところにテツリには見えた。


「なんていうか、普通は気を遣わないところに気を遣ってるところを見てると、その人にはゆとりがあるように見えるんですよ」


「つまりなんだ、テツリは細部にも気を配れる精神を持ってることをゆとりと言いたいわけか」


 カオルの問いかけに、テツリはトーストを頬張りながらコクコクとうなずいた。


「ふぅん……それはまぁ、あるかもしれない」


「でしょう」


 テツリは得意げな様子で言った。


「それにその気配りの精神を誰の目にも見えるようにするには、結果的に金も必要になってくるか。

 なるほど、金持ちにゆとりがあると言われるのはそれが原因なのかもな」


と、カオルが密かに納得する中、ずっと食事の手を止めることのなかったテツリはトーストをすっかりたいらげていた。


「……もう食ったのか」


「だって美味しいから」

 

 そう言いながら、もう手はミネストローネが入ったカップへ伸びていた。


「熱っち!」


 一口飲んだだけで温かいのスープが唇を刺した。テツリは慌てて中身が飛び散るほど勢いよくカップを置き、冷たいスムージーにオアシスを求める。


「……そんな熱いか?」


 確かめるためにカオルは自分の分のスープを飲んだ。


「……」


 まぁ熱いか冷たいかでいったらそりゃ熱いが、普通に飲める程度の熱さだ。

 そんな、小籠包を一口で食べちゃったみたいなリアクションをするほどでは無い。

 とすると……


「……もしかして猫舌?」


 まだ舌を冷やしていたいテツリは、コップを口につけたままその問いにうなずいた。


「へぇ、テツリは猫舌か」


「そうなんれすよ」


 ようやく言葉を取り戻したテツリは、口をモゴモゴとさせながら言った。


「本当、この舌のせいでだいぶ苦労してるんですよ」


「ふぅん、そんな苦労するほど大変か」


 本人にとっては深刻な問題なのだが、意外と人には分かってもらえない問題であるらしい。


「冷ませばいい話じゃないのか?」


と、カオルはよく考えもせず発言するも、それが少しばかりテツリの気に障った。


「みんなそう言いますけど、それでも大変なんですよ」


 ご立腹したテツリは語気を強めて言った。


「なんたって、熱々のうちが美味しい食べ物は1番良い状態で食べれないし、忘年会のシーズンは鍋のシーズンと被ってて、ずっと息吹きかけなきゃだからほっぺが筋肉痛になるし、何より……」


 最後の不満を言う前に、テツリは大袈裟にうつむいて力を溜める。


「何より?」


「何より……」


 顔を上げたテツリはカッと目を見開く。


「せっかく買ったティ○ァー○が宝の持ち腐れ状態です!」


「……はぁ?」


 トリに持ってきた割にはどうでもいい情報……。

 そう感じたらしく、カオルは白々しい表情をする。


「それは大変だな……」


 スープを難なくすすりながらカオルは適当に相槌を打つが、その様子にテツリはキッと睨みを利かせた。(あんま怖くない)


「カオル君、ティ○ァー○使ったことあります?」


「無いな」


「あれ、ホントにビックリするぐらいあっという間にすぐ沸くんですよ。しかも保温力もすごい優秀だし。珍しくCMが嘘ついてないんですよ」


「へぇそうなのか」


「でもね……それだと猫舌(ぼく)にはキツイんですよ!」


「へぇそうなの」


「あれは忘れもしません。2年前の春のこと……」


「……」


 何か始まった……と同時に十中八九面倒なことになると悟ったカオルは、思わず表情を引きつらせる。

 一方、テツリは窓際に立ち、陽の光を全身に浴びながら語り出した。

 本人的には割と悲しいというか、やるせない話だ。

 それが起きたのは2年前の4月、ちょうど今日のような暖かい日だった。

 さて、この話の前提なる事実として、テツリの眠りは基本的に浅い。それこそ普段の調子なら、小鳥が鳴く声だけで目覚められる。

 だが、春眠暁を覚えずと言う言葉があるように、その日のテツリの眠りは、まだ仕事にも慣れない時期で疲労が溜まっていたことも相まって、いつもよりも深かった。

 耳元でうるさく目覚ましが鳴り響いても起きられず、バッと気づいて起きた時には、すでに普段なら家を出る時間であり、もはや一刻を争う事態であった。


「その時、僕は思いました。新任の教師が初っ端から遅刻なんてしたら、色々まずいと」


 まず考えたのは、生徒にどんな顔をすればいいか?

 次に考えたのは、周りの同僚、先輩にどんな顔をされるか?

 この2つを一瞬で考えつき、そしてなんとしても遅刻は避けねばということになった。

 そして普段なら1時間はかける朝の準備の大体を5分で済ませ、とりあえず遅刻は避けれそうになり、ちょっとだけ時間にもゆとりが出来た時、事件は起きた。


「まぁ朝食は抜かざる得ないんですけど、せめて飲み物くらいはねと思ってたんです」


 といってもそんなに時間は無いので、さっさと済ませられるものがいい。

 そこでテツリが目をつけたのは、普段から使ってたティ○ァー○だった。

 もちろん自分が猫舌なことは知っているので、温度を抑えるため、沸かすのは普段の半分以下の時間で終わらせた。

 そうして沸かしたお湯を、カップに注いでコーヒーが完成。

 時間も無いので一気にそれを飲み干そうとして、テツリは口に含んだそれを全部吐き出した。

 そう、ティ○ァー○の過熱力を侮ってはいけなかった。たとえ半分の時間でも、テツリの舌は焼かれた。


「それだけなら問題無かった」


 それで済んだなら、ただテツリが舌を火傷しただけの話。問題が起きたのはその後。

 吐き出されたコーヒーは放物線を描き、壁にかかっていた買ったばかりの一張羅のスーツに飛び散った。

 すぐさまテツリは拭き取ろうとしたものの、もうコーヒーは日本列島のような形でシミになって取れなかった。そして、時間も無かった。


「どう思います!?」


 思い返すだけで腹が立つ。

 お金も無かったので、結局それからしばらくはそのシミ付きのスーツを着て勤務するはめになったのだ。

 テツリは鼻息荒く振り返った。


「…………あれ? カオル君?」


 だが、そこには誰もいない。代わりにテーブルの上に何やらメモ書きがあったので、テツリはそれを拾い上げた。


「えぇーと、なになに……」


『時間なので仕事してます。忙しいので部屋には絶対に入らないでください。あと、とりあえずご愁傷様』


「…………なんだよもう!」


 結局は、1人で自爆しただけのことである。

 テツリは時間が経って十分に冷えたスープを、腹いせに一気に飲み干した。





⭐︎





 2階の仕事部屋に移動したカオルは、6台あるパソコンの画面全てが見える場所に座った。


「やれやれ、上手いこと逃げられたな」


 カオルはパソコンに電源を入れた。

 どうでも良い過去の話を聞いてやるほど、()()()がある人間ではない。なぜならやるべきことが山のようにあるから。


「来てたか」


 机の上に置いたスマホの画面には、Limeの通知が来ていた。

 たった一行、一言の連絡を読んで、カオルはほくそ笑む。


「そうか、順調にいってるのか」


 『了解。頑張れ』とだけ返信し、カオルはパソコンの画面とにらめっこする。


「さて、こっちも負けずに取り掛かるとするか」


 カオルは目に力を込めた。





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