第四編・その3 もえる魔法少女
非常を知らせるベルの音と、人々の走り去る音が、彼らの悲鳴をもかき消す。
いつもならこれから賑わいを見せ、憩いの場となるはずのアウトレットから、蜘蛛の子を散らすように人々が飛び出してくる光景は、日常に突如現れた異常の存在を如実に伝えてくれる。
幸いにして平日なこともあり、人の数は控えめだった。おかげで中央広場に入った段階で、ヒカルたち3人は狼のような獰猛な霊獣の姿を見つけることが出来た。
だが、見えてはいけないモノも見えてしまう。
「まずい!! 喰われる!!」
霊獣の前で尻餅をついて泣き叫ぶ女の子を見つけたヒカルは、全速力よりも速く駆けた。
「子供に手を出すんじゃねぇ!!」
女の子に噛みつこうとした狼型の霊獣を、生身のままヒカルは殴り飛ばした。
「大丈夫!! 怖かったね……」
「うう……おかあさん」
「……大丈夫、お兄さんたちが守るからね」
ヒカルは視線をカオルに配り、それで察したカオルは歩み寄った。
「この子を安全なところまで、お願い出来るか」
ヒカルが尋ねると、カオルは深くうなずいた。
「よし、ここはお前とテツリに任せる」
「任せておけ!」
「はい!」
力強く答える2人を見届けると、カオルは女の子と目線を合わせるため身をかがめた。
「俺と一緒に逃げよう。君はもう安全だ」
カオルの一言は女の子の不安を和らげたようだ。
事実、カオルが女の子を抱きかかえると、女の子は自分の親にもするように身を委ねた。
「……無事で頼むぞ」
そう言い残すと、カオルは女の子を抱えて、逃げる人たちが行く方向へと走り出した。
「……さぁテツリ、俺たちも行くぞ」
「分かってます」
ヒカルとテツリは霊獣と睨み合う。餌を盗られた怒りからか、あるいは命ある者を憎む本能か、霊獣はくぐもった唸り声をあげ、牙を剥き、白く濁った唾液を滴らせる。
そして霊獣はヒカルへと飛び掛かった。
「変身ッ!」
ヒカルが叫ぶと目の前に星形のエネルギーの壁が発現。それは霊獣を弾き飛ばし、飛ばされた霊獣は子犬のような情けない悲鳴を上げる。
さらにエネルギーの壁を潜り身に纏ったヒカルの姿は輝くヒーローのものへと変わる。
「さぁ、宇宙に輝く一番星になれ!!」
啖呵を切ったヒカルは勢いそのままに霊獣に殴りかかる。
さらにその背後ではテツリが右腕を肩で回す。
-copy-
テツリの姿は寸分違わず、ヒカルと同じヒーローのものへと変わる。
「よし! 受けてみよ霊獣!」
そう言うとテツリはいきなり跳び上がった。
太陽に照らされ、高まったエネルギーは両脚へと収束され眩い輝きを放つ。
「え!? 嘘だろ!?」
輝きに引かれ、上を見上げたヒカルは驚き焦る。
「いや、待て待て待て!! いくらなんでもそりゃ急だ!! やめろテツリ!! おい!! 止まれ!!」
当然コピー元のヒカルにはテツリが何をしようとしているのか分かる。
だからそれをやめるよう身振り手振りで訴えかけるが、テツリには届かない。そのうちにテツリの体は竜巻のように回転しだす。
「くっ……アイツ!!」
テツリが止まらないことを悟ったヒカルは慌てて霊獣と距離を取る。その時だ、テツリの大声が響く。
「サンシャインスパーク!!」
回転するテツリはそのまま抉るような軌道で霊獣へ迫り、2、3度、エネルギーが収束した脚を蹴り下ろす。
ズガガガッッ!!
テツリの攻撃は見事に命中し、たちまち爆煙と、埃っぽい臭いが立ち込める。
「よし、どんなもんだい!」
「いきなり無茶すんじゃねぇよ……」
そう言うヒカルの体からは、今し方のテツリの攻撃の余波で煙を立ち昇っている。まぁ幸いにして逃げ出すのが早かったので無傷であった。
「ていうかいつのまに出来るようになったんだ」
「前にヒカル君が使ってたのを見ましたからね、それを見様見真似でやってみたら出来ました」
「練習もなしにか?」
「はい! コピーの恩恵です。知ってれば遜色なく使えるんです」
「そうか……。でも、いきなり必殺技を撃つのはちょっとなぁ……」
あまりいただけないのだが、そう思ってるのはヒカルだけのようでテツリは
「先手必勝!!ですよ」
と、おそらく仮面の下で満面の笑みを浮かべて言う。……が
「いやぁ、いきなり大技撃つのはむしろ……」
負けフラグな気がする……と対照的にヒカルは表情を曇らせた。
「大概ロクなことにならないんだよな。確か本家も6話とかで……」
「ヒカル君、現実と虚構を一緒にしちゃダメですよ」
「でも元気なうちにやると、避けられるか、耐えられるパターンが……」
「大丈夫です。感触は確かでしたからまず当たってます、耐えられたとしても、あの威力からすれば瀕死ですよ」
そう言って親指を立てたテツリであった。
だが立ち昇る煙が晴れた時、最もうろたえたのはテツリであった。
「…………あれ、消えちゃった。もう倒したってことですかね?」
冷や汗を流しながらテツリは言った。
目の前から霊獣は消え失せていたので、一瞬そう思ったのだが、それは一瞬であった。
なぜなら、倒せてたとしたらおかしなことが起きているから。
「でも気配がなんとなく……」
「なんとなく?」
ヒカルの低い声に威圧され、テツリは訂正する。
「……全然しますけど、どうしたことでしょう」
霊獣特有の気配はまだ色濃く残っている。それが示すところはつまり、まだトドメを刺し切れていない。
「…………」
黙ってテツリのことをジッと見つめるヒカル。
表情も言葉もないのに、テツリは自分がヒカルに何と思われているのか分かる気がした。だからそれに答えるつもりで言った。
「で、でも感触は確かにちゃんとありましたから。今頃は這う這うの体で、ボロボロで、見つければすぐトドメ刺せますよ……きっと」
だがこの期待というか、半ば願望は結局裏切られることになる。
このテツリの発言の直後、空まで響き渡る力強い獣の遠吠えが駆け巡り、場の雰囲気を完全に重苦しく支配したのだ。
遠吠えの主が誰かは、もはや言わずもがなだ。
「……」
「……」
「……ごめんなさい」
「……顔を上げなよ。まだ戦いの途中だぜ」
言われてテツリは下げていた顔を上げた。
「何もかも終わったわけじゃないんだ。失敗もこれから取り返せばいい」
「ヒカル君……」
「それに失敗って言うほどの失敗じゃないし、そんな気にすることないさ。もう1回倒せばいいんだ」
「はい!」
2人とも士気を取り戻した。
そして返事の直後、再び遠吠えが響き渡る。
「テツリ、気を引き締めるんだ」
「頑張ります!」
2人は構え、霊獣が襲いかかってくる瞬間を全神経を研ぎ澄ませて待ち受ける。
「どこから来る!」
気が立つ2人を焦らすように、霊獣は中々その姿を現さない。
気配はあるが、その姿をハッキリと目に捉えることは出来ない。
2人は敏捷な足跡に囲まれ、遠吠えがするたびにその方向へと体を向ける。
「!! テツリ、後ろだッ!!」
ついに霊獣は2人の背後にある建物の影から飛び出した。そして霊獣は反応の遅れたテツリにのしかかり、前足を何度も叩きつける。
「離れろっ!」
ヒカル渾身のパンチが横っ面を捉え、霊獣は跳び退く。
だが怯むこともなく、今度はヒカルを標的に定め、お返しといわんばかりの突進をしかける。
「くわっ!!」
闘牛士のようにギリギリで突進を回避すると、ヒカルは横から霊獣の首を締め上げ、さらにそのまま頭部を殴打する。
「コイツ!? なんだコイツ!?」
ヒカルは驚いた。
どんなに殴りつけようと、霊獣が傷を負うことも、ダメージを受けた様子も無い。
しまいには殴り続けるヒカルの方が疲労し、そのせいで力が緩んだ隙を待っていましたと言わんばかりに霊獣は大暴れ。
ついに拘束を脱した霊獣は、尻尾を体ごと鞭のように水平に振るい、ヒカルに手痛い一撃を与える。
さらにそのまま後ろ脚でヒカルを蹴り飛ばした。
「大丈夫ですか!? ヒカル君!?」
「ああ……なんとk!? よそ見するな!!」
叫んだ時には遅かった。
倒れ込んだヒカルを引っ張りあげようとテツリが手を伸ばし、ほんの少し目を切った隙を見逃さず霊獣は凄まじい跳躍力で飛びかかったのだ。
「うわぁぁああああ!!」
喉笛に噛みつく霊獣に恐怖し、テツリは震えた。
「くっ、今助ける!!」
ヒカルは霊獣の背後から馬乗りになり、噛みちぎられる危険も承知で上顎を引き上げる。
おかげでほんの少しゆとりが生じ、おまけに霊獣が暴れてのけ反ったはずみに、ヒカルはさらに霊獣の上顎を引っ張り、自分ごと霊獣を転げさせた。
だが、結果それはさらなる悲劇に続く。
「くっ!!」
霊獣の体使いの上手さはヒカルの想像を遥かに上回っていた。
わずかに、本当にわずかにだが霊獣の方が先に体勢を立て直し、まだ仰向けのままだったヒカルにのしかかり、追撃で噛み付きにかかった。
間一髪。ヒカルは両手で霊獣の口を掴んだ。だが押し返そうにも力は互角、どころか体勢込みなら霊獣の優勢で、徐々に牙はヒカルに迫る。
なんとか立ち上がったテツリがそれを阻止しようと、横からあれこれ手と脚を試すも、ヒカルよりも非力な彼の攻撃では引き剥がすには至りそうもない。
このままだとヒカルを死なせてしまうと焦るテツリは再び跳び上がった。そしてそれが悪手だった。
「な!?」
「と、と、と、跳んだ!?」
一体どこにそんな身軽さがあったのか。
ひとっとびで霊獣はテツリと同じくらい、いやそれより少し高く飛んだ。
そして呆然とするテツリに向け、尻尾を勢いよく振り下ろした。
ズガシャッッッ!!
あっという間も無く、テツリは地面に打ち付けられていた。砕け散った石畳がその恐ろしい威力を克明に物語っていた。
「テツリ!!」
幸いにして、変身していたおかげで辛うじて命は繋がれた。
「す、すみません……ヒカル君……僕は……ここまでのようで…………」
「テツリッ!!」
だが限界を迎え、変身も解除されるとその意識は失われ、ガッカリと首を落とした。
「ぐっ…………おのれっ!」
敗北し無防備な姿を晒すテツリの前で、勝利の勝どきにも聞こえる遠吠えを上げる霊獣に怒りを燃やしたヒカルは単身抵抗を続ける。
「ビートミルキーウェイ!」
だが、数十発のパンチをボディに打ち込もうが霊獣はビクともしない。
「自転蹴り!」
ヒカルの思いも虚しく、この霊獣はヒカルの攻撃を一切受け付けない。
パンチもキックも、分厚い体毛に守られる霊獣の前にはこけおどしにしかならない。
ヒカルとこの霊獣の相性は最悪だった。
にもかかわらず、今この状況では逃げるという選択も取れない。
よって、無謀でも戦う道しかヒカルには無かった。
何度倒れても立ち上がり、投げに、関節技に、絞め技と、この場で打てる限りの手を打った。
「ぐっ……ちきしょう……」
だが、ヒカルは追い詰められた。
体当たりをくらわされた弾みでめり込んだレンガの壁から、半ば落ちるように抜けると、息荒く地面に這いつくばった。
目の前には憎っくき霊獣がいると言うのに、震えて何も出来ない。この震えも武者震いではなく、立ち上がるのを邪魔する。
「どうしたら勝てるんだ……どうしたら」
唇を震わせながらヒカルは、そんな恨み言を口にする。
「何か……手はないのか」
諦める気など微塵も無かったヒカルだったが、ついに霊獣は引導を渡すべくヒカルへ迫った。
ふらつく体ながらも足を踏ん張り、なんとか回避の行動をとった、その瞬間であった。
「インフェルノチャージ」
何やらよく分からない詠唱のようなものが、地面にへばりつくヒカルの耳に届いた。
「オールアンリーシュ」
続けての声によって、ヒカルは向かい側の店の屋根に立つ声の主を見つけた。
正確に言うと放たれる熱波に引きつけられ、見上げたところでその声の主を見つけた。
「……まさか」
周囲の熱量が急激に上昇している様を感じ取ったヒカルは、分からないなりに何がなされようしているのか察して、残りの力を振り絞って駆け出した。
とりあえずなるべく距離を取った方が良いだろうと、本能と理性の両方が告げていた。
「アッシュ・ザ・ワールド!」
「ほれみろぉぉ!!」
そしてその予感は残念ながら的中。
紅炎のような無数の業火は各々自由な軌道を描き、たった1つの標的、つまりは霊獣目掛けて次々と着弾、たちまち霊獣はヒカルの背後で、何も出来ないまま炎に呑みこまれる。
そして衰えることを知らない炎は留まることも知らず、同心円状に広がり、アウトレット全体が紙細工だったかと誤解してしまうほど豪快に、一挙に焼却してしまった。
アッシュ・ザ・ワールド!!
まさにあたり一面は灰塵と化した、元の面影をわずかに残し。