第一編・その1 再会
そして現在、ヒカルはよく見知った街を、まるで初めて見るかのようにキョロキョロ見回しながら歩いていた。
「うんうん、見れば見るほど分かる。俺は生き返ったんだ」
再びこの世界に戻ってきた喜びと、そして何よりナルミに会えるかもという喜びから来るニヤニヤを必死に抑えつつ、ヒカルは意気揚々と、生前ナルミと2人で住んでいたアパートを目指していた。
「おっ、見えて来た来た、フフッ」
いよいよだ。いよいよアイツにまた会える。もうニヤけるのも抑えきれない。
ヒカルは完全に浮き足立っていた。
公園から歩くことわずか5分。ヒカルはアパートにたどり着き、その階段を跳ねるように登って、かつて暮らしていた301号室の前に立った。
「ヤバイ……緊張する」
今まで何千回も見てきたドアが、今はこの前見た地獄の大扉のように見える……。
「さぁてと……」
ヒカルは気を落ち着かせるために深呼吸、そして1つ長い息を吐くと、意を決して試しにインターホンを鳴らしてみる。
ピンポーン……。
『はぁい』
すると応答の後、中からドアが開かれた。いよいよ……と思いきやーー
「……え、どちら様?」
ドアから出てきた人の顔を見た瞬間、ヒカルはそう言った。
ドアから出てきたのはナルミではなく、全く知らないふくよかなオバさんだった。だから思わず面食らって、反射的にそう言ったのだが、そう思ってたのは向こうも同じ……、むしろ立場的には向こうの方がそう思うべきだった。
そしてその人は「アンタこそ誰だい?」ともっともなことを怪訝そうな顔で言った。
「俺ですか。えーと、なんて言えばいいかな」
今の自分って何なんだろう?
警官……はもう元だし、ゴーストハンター? ……そんなこと言ったら通報だな。
ヒカルは悩んで腕を組んだ。
「なに? 勧誘とかだったらウチは間に合ってるよ」
「いや、そういうのじゃないです」
「じゃあ何の用だい。これからウチでお茶するから、なるべく早く済ませてちょうだい」
そう言ってオバサンがドアを閉めかけたので、ヒカルはとっさに口を開いた。
「待って! その……前までこの部屋に友達が住んでたんです。それで近くに寄ったついでに顔を見ようと思って訪ねてみたんですけど……前に住んでた人について何か聞いてません? 引越したんですかね?」
上手いことごまかしつつ、ヒカルは部屋の情報を聞き出そうとした。しかしオバさんはつれなく「さぁ? アタシは知らないわよ」と言うだけだった。
「そう……ですか」
まぁ前居住者のことを現居住者が知っていることなんてレアケースなので「そりゃそうだよな」とヒカルは納得した。
「……そうですよね。じゃあ1つだけ聞かせてください。あなたはいつからここに?」
「どうしてそれをアンタなんかに」
「お願いします!」
ヒカルは頭を下げた。その必死なヒカルの姿に、オバさんの心が揺らいだらしい。
「……2週間くらい前だよ。前住んでたところが取り壊しになるって言うから、友達に手頃な物件を探してもらってここを紹介されたのさ」
「なるほど……」
つまり、少なくとも2週間以上前にナルミはここを出たと、ヒカルが聞き出した情報から判明したのはそれくらいであった。
「ねぇ人探しなら管理人さんに聞いたらどうだい? アタシなんかよりも詳しいだろう」
オバサンはさっさとこの会話を終わらせたいようだった。
粘っても仕方ない、本当に通報される前に、ヒカルは諦めをつけた。
「そうですねぇ……一応そうしときます。お邪魔してごめんなさいね。ご協力ありがとう」
ヒカルはオバさんに礼を言うと、管理人を訪ねるようなことはせずさっさとアパートを後にした。
しなかった理由は、まず管理人が自分に会えば間違い無くパニックになって大騒ぎになるだろうと考えたのと、あんまり今の自分の状況をむやみやたら人に知られたくないとヒカルが思ったから。
それともう1つ、別にわざわざ訪ねずともナルミの居場所の見当自体はつくからであった。
「引き払っちゃったのか、困ったなぁ」
たとえ自分がいなくとも、職場関係の利点からナルミはここに住み続けているだろうと思っていたので、この結果に内心ヒカルは結構落胆した。
さらにやはり問題になるのが現在の居住地、ここにいないのならナルミは別な何処かに住んでいることになるが、色々と推理を重ねるとその場所の筆頭に挙がるのが彼女の実家である。しかしその実家があるのはここから県を2つほど跨いだところにあり、そうなると移動に大変骨が折れるのである。
「金は無いか」
身体中まさぐるも、1円たりともお金がない。
「……せめてスマホがあれば声くらいは聞けるんだけど」
空っぽのポケットに手を突っ込みながらヒカルは恨めしそうに呟いた。
調べた結果。現在の所持品はナシ、所持金もゼロであることが分かった。
よって、今ヒカルは公衆電話を使うことすら不可能である。
「ハァ素寒貧って辛いな……」
金さえあれば新幹線で1時間ちょっとで着く場所なのに……。そう思いながらヒカルは半ば途方に暮れ、あてもなく歩いていた。
「…………ん?」
ヒカルはふと反対側の歩道に目をやった。そこに、何か黒い長方形の物体が落ちていた。
「なんだろ?」
試しに近くに行ってみて、それを観察するとヒカルは目を丸くした。
「これ……財布じゃん」
しかも手に取ったそれはまだ傷一つないくらい状態が良かった。持ち主が落としてからそう時間は経ってないだろうと予測が立てられる。つまり……
「……重」
やはり中身も結構入っているようだ。振ってみると小銭がジャラジャラ音を立てる。そしてすぐ近くには図ったかのごとく電話ボックスがあった。
ヒカルは財布と電話ボックスを交互に見た。
「……いやいや。……いやいやいや」
財布から盗った小銭を投入口に入れる……。思い浮かんだそのイメージを消すためヒカルは頭を振った。
『腐っても警察官だぞ、お前は正義感に嘘をつくのか』
『何言ってんだいっぱい入ってんだろ、10円くらい抜いたってバレやしないって』
『バレるバレないは問題じゃない。たとえ10円でも盗みは盗みだ。お前はそんなことして恥ずかしくないのか』
『10円だぞ、たった10円。それだけで愛しのナルミちゃんの声が聞けるんだぞ? いいのか、この機会を逃して』
『犯罪なんてしたらナルミも悲しむぞ。絶対ダメだ!』
『うるせぇ! この期に及んできれい事なんぞ言ってられるか!』
ヒカルの心の中ではそんな意見が激しく格闘する。
交番に行こうとする自分と、電話ボックスに入ろうとする自分に代わる代わるに引っ張られ、ヒカルは周囲を何度も行ったり来たりした。
「なにやってるんです、さっきから」
と、まぁそんな側から見たら不審な動きを繰り返していたものだから、ついにヒカルは声をかけられてしまった。
「まだ何もやってないですぅ!」
突然かけられた声に驚いたヒカルは反射的に財布をまるで拳銃のように突き出した。
しかし相手はそれでフリーズした。
「…………あ?」
「…………え?」
お互いに、息を飲んだ。そして、その息は一気に吐き出された。
「ひ……ひひひヒカル君!」
「ナルミ!! どうしてここに!!」
「どどどどどうしてって!!」
ヒカルに声をかけたのはまさかのナルミであった。そして、2人とも絶対に会うことのないはずの人物に会ったことに激しく動揺した。
そのせいでとてもわちゃわちゃしてしまい、おかげでせっかくの運命の再会、しかも奇跡に近い再会なはずなのに、ムードという物は著しく欠落していた。
「……そ、そんなこと忘れちゃったよ! 衝撃で」
そう言って、ナルミは目の前に立つヒカルを上から下隅々までじっくり観察した。
「姿も声も完全に本人……。でもありえない、ヒカル君は死んだはず……」
「うん。あり得ないことだけど俺はホントに本物なんだ。間違いなく、俺は佐野ヒカルだ!」
「本当?」
「ああ!」
「本当に?」
「……そうだ。なんか問題出してよ」
自分しか知り得ない情報に答えて、それを身分証代わりにしようとヒカルは考えたのだ。
「問題? じゃあパンはパンでもーー」
「違う。そうじゃなくて俺に関すること」
「あぁ、なるほどね」
そしてナルミはウンウン唸って、悩んだ末にまず1つ目の質問を切り出した。
「じゃあ血液型」
……4択だけどいいのかな、と思いいつつヒカルは正解の「B型」と答えた。
「誕生日」
「6月7日。あの……もっと俺しか知らないような問題にしてよ。免許証拾われてたらアウトじゃん!」
「え? 免許持ってないじゃん」
「いやいや持っとるわ。何回もドライブ行ったし、警官で持ってないわけないだろ」
「知ってる。カマかけた」
「なるほど少しは考えたんだ」
「そのとおり」
得意げにナルミは言った。体を反ったせいで、胸のボタンが飛びそうになっていた。
「でもねぇ……男性だと8割の人は免許持ってるんだよ。だから……俺が仮に偽物でも持ってる言うわ! ヘッタくそ!」
ヒカルは頭痛を覚えてため息をついた。
ダメだ、これじゃ埒があかない。ここはもう俺からなんとかせねば……。そう察したヒカルは口を開いた。
「全く……ナルミイズムはまだ健在だな」
「ん? 今なんて」
「ナルミイズム。ちっちゃなアホからとんでもないアホをすること。ザリガニが海に行ったらロブスターになると勘違いして、ザリガニの水槽に大量の塩をぶっ込んで危うく全滅させかけた吾妻ナルミさんを揶揄して広瀬コウタ君が作った造語」
目をパチクリするナルミにヒカルは「面白かったから覚えてたんだ」と鼻息混じりに言った。
これは中学1年時に起きた出来事、それを知り得るのは当時のクラスメートのみ、ヒカルもそうだ。
ちなみにヒカルはこの造語を聞いたとき、机にめり込むくらい突っ伏して笑った。
「本物だ……。何、神ったの?」
「いや神ったってなんだよ? あれか、イエス的なあれを言いたいのか」
さすが彼氏、彼女の謎言語も即座に理解する。
「イエスイエス」
「……絶対言うと思った」
そして次に言うことも分かる。
「だって言えみたいなフリだったじゃん」
ヒカルが「そんなフリしていない」と一蹴すると、ナルミはそのほっぺを膨らませた。その様子を見てヒカルは「ホント、(中学から)何も変わってないんだな」と薄ら笑いを浮かべた。
「でもまぁ少し安心した、元気そうで。もし塞ぎ込んでたらどうしようって思ってたけど、杞憂だったみたいだな」
「……私もあれからいろいろあったけど、今は順風満帆だからね」
「そうか。じゃあちゃんと上手くやってけてるんだな」
「まぁね」
ナルミがニコッと笑う。まるで親に褒められた子供のような笑みだ。
「それで、結局こんなとこで何してるの? なんかグルグル行ったり来たりしてたけど」
「あぁー……それはだな…………」
それからヒカルは一連の経緯をナルミに説明した。果たして彼女がちゃんと内容を理解出来ているのかは分からないが、とりあえず目の前のヒカルが本物であることはもう完全に信じたようだ。
「ふぅん、大変だね。でもだからって、財布盗っちゃダメだよ」
「だから盗ってない。ちゃんと届けただろ」
財布を交番に届け終わった2人は、仲良く並んで住宅街を歩いている。
「でも私が来なかったら、しれっと中身盗ってたんじゃない?」
「俺は警官、正義の子。そんなことするわけない。閻魔様のお墨付きだぞ」
「そうだった。よく考えたら色々すごいね、ソレ。よく閻魔様からお墨付きなんて貰えるよね」
「だろー。真面目に生きてきたからだぞ」
ヒカルはドヤ顔で胸を張ってた。そしてその顔はこの上なくニヤニヤしていた。
「どうしたの、ニヤニヤして」
ヒカルの顔をのぞき込んだナルミが言った。
こうして歩くことなんて、前は当たり前のことのように思っていたけれど、それは決して当たり前じゃなくて貴重な時間だったんだな。
そうヒカルは思っていた。
しかし、それを口に出すのは恥ずかしかったヒカルは「別に」と話をはぐらかした。
バレバレ過ぎてナルミにすら「嘘だー」とか「ホントのこと言ってよぉ」とやいのやいの言われたが、ヒカルはその全てを華麗にスルーした。
「そう言えばアパート引っ越したんだな。さっき行ったらもう次の人が住んでたよ」
適当に話題を挙げてヒカルはごまかした。
「えー、まぁね。いつまでもあそこにいるのは気が滅入っちゃうから」
「あー……」
何気ない一言にヒカルは言葉に詰まった。死んだ人は死んだ人で辛いが、遺された者には遺された者の辛さがあることは警察官であるヒカルは知っている。しかしこうして自分がそれを大切な人にやってしまったと思うと、いたたまれなさは別格であった。
ナルミ本人がそんな辛そうな素振りを見せないのがヒカルには救いであった。
「なんか私について言ってた?」
「……いや。知り合いには会ってないから特に何も」
「ハハ、だよね」
まるで会ってたなら何か言われるのが確定しているかのような口ぶりにヒカルは「また何かやったな」と察した。
まぁナルミがやらかすのは日常茶飯事なので、いちいち追及するような真似は疲れるからしない。
「ねぇどこか行こうか?」
「どこに?」
「そうだねぇ……あっ、そうだ」
ナルミは何か閃いたようだ。
そしてしばらく歩いているうちに、2人は住宅街から外れて駅前の商店街へとやってきた。
「なんでここ?」
「だってせっかく帰ってきたなら、こっちの食べ物食べたいでしょ?」
「まぁ、それは……」
確かに商店街には所狭しと千差万別の飯屋が立ち並んでいる。店頭に並ぶ商品はどれも美味しそうだ。
「でも、俺お金持ってない」
しかし、お金を持っていないんじゃそれもただのハリボテ、サンプルに等しい。
「そういえばそっか」
「忘れてたのかよ」
「うん。でもさ、それまずくない? お金なきゃご飯もロクに食べれないじゃん」
「んー、別に食べなくても大丈夫らしい、この体は」
そう閻魔が言っていた。じゃなかったら所持金ゼロではやってられない。
「そうなんだ。じゃ適当に見るだけ見てみる?」
「うん」
「じゃあ行こっか」
とナルミが言ったので2人は店を巡った。
「久しぶりだな、この感覚」
「ん?」
「いや、随分と会ってない気がして」
「それは言えてる」
だから2人とも昔に戻ったように、まるで付合いたての時のような初々しい気分で満喫していた。
そして、そんなラブラブな2人はたこ焼き屋の屋台の前で足を止めた。
「たこ焼き……よし!」
そう言って、ナルミはたこ焼きを買って来ると、ヒカルに差し出した。
「はい。ヒカル君、たこ焼き好きだもんね」
「いや、そうでもないよ?」
「あれ? そうだっけ」
思わぬ返答にナルミは首を傾げた。
「いつもお祭りで買ってたよね?」
「だって、シェアしやすいから」
「あー、なるほど」
確かにたこ焼きは、お祭りの定番といえる他のかき氷とか、りんご飴とか、お好み焼きとか、その辺に比べたら分けやすい。
とは言え、毎回のように買っていた理由はそれだけではない。
「てかナルミが好きなんだろ、たこ焼きは」
「……うん、まぁね。タコが好きだし」
そう言って、ナルミは真っ先にたこ焼きにかぶりつこうとした。
「でも水買ってから食えよ。猫舌なんだから」
だがヒカルの提案に、たこ焼きを丸ごと頬張りかけたナルミはその手を止め「確かに」と言った。
「水、水と」
そしてたこ焼きにさらにドリンクが追加され、なかなか悪くない感じになった。
「それじゃ改めていただきますか?」
「フフ」
ニッコリと笑ったヒカルは、熱々たこ焼きに楊枝を突き刺した。
「ごちそうだな」
そして大口を開けた……その瞬間ーー
バチィッッ!!
「!?」
突然脳内に電流のようなものが走り、ヒカルは顔を歪めた。
「あ、たこ焼き落ちちゃったよ……もったいない」
はずみでたこ焼きも地面に落としてしまったが、ヒカルはたこ焼きには目もくれず、固まっていた。
「……どうしたの?」
ずっと固まったままのヒカルにナルミは低い声色で尋ねた。
「……ごめん。出たみたいだ、霊獣が」
「霊獣が?」
ヒカルはうなづいた。
このゲームが始まる前に閻魔様は言っていた。
『霊獣が現れたら、ゲームの参加者には電流のような衝撃を流して知らせる』と。
だから今の衝撃はどこかに霊獣が現れたシグナルなのだ。
「……俺、行かなきゃ」
ヒカルは立ち上がった。そして、ナルミを見た。彼女は悲しそうな顔をしていた。
「ごめん、せっかく会えたのに。でも、俺が行かないといっぱい犠牲が出るんだ」
「そう……変わらないんだね、ヒカル君は……いつまでたっても」
ナルミはたこ焼きに刺した楊枝をつまんで持ち上げると、それを遠い目で見つめながら竹とんぼのように回転させた。
ヒカルはなんで返せばいいか分からず、再度立ったままその場で固まった。
「何でも無い。ただの独り言」
ナルミは微笑んで言った。
「ヒカルくんはホント良い人だね、やっぱり。……行っておいで、みんなが待ってる。だから迷わずやるべきことをやって!」
「……ありがとう、ナルミ」
ヒカルは少し顔をほころばせ、ナルミはそれにサムズアップで返した。
「じゃ、行くよ」
「うん、またね」
「ああ、また……」
ヒカルはナルミに背を向けると、そのまま走り出した。
「ふふ、いってらっしゃい」
ヒカルの後ろ姿は、人混みに紛れてすぐに見えなくなった。
プロフィールNo.1 佐野ヒカル
栄えある今作主人公。25歳で元警察官の青年。
子供の頃からヒーローに憧れてて、その夢を叶えるために警察官になった。
その正義感は力であると同時に、時に彼を窮地に陥れる。
若くして死別を何度も経験しているため、人が死ぬことを何よりも忌避している。
今はとりあえず生き返りたいらしい。