第二編・その2 背反・相似
いたいけな女の子からの頼みごとで、看護師が落としたシャープペンシルを届けに行ったヒカルは、受付にてその事情を話した。
「というわけなんですよ」
銀色のシャープペンシルを取り出すと、受付のオバさん……もとい、お姉さんは「まぁ、わざわざどうも」と言い、懇切丁寧な対応でそれを受け取って感謝の笑顔を浮かべた。
「きっと鈴木さんのです。さっき私のところにも聞きに来てたから」
「そうだったんですか。見つかってよかったですね」
渡し終えることでお使いを終えたヒカルは、受付のお姉さんに別れを告げると回れ右した。
「……そういや今日って日曜だよな?」
待合所の光景にヒカルは思う。
日曜日なのに……いやむしろだからか、待合所は老若男女問わず人でいっぱいだった。
大きいだけあって、この病院はかなり多くの診療科を抱えているらしく、来客は多く、そしてそれも多岐にわたるようだ。
「……ま、何にせよ、みんなよくなっておくれ」
歩きながら、ヒカルはそう願った。
健康第一が一番幸せなのかもなぁ、と思いながら、ヒカルはふと今の自分が健康から最も遠い死人であることを思い出し、それが妙におかしくて笑い出しそうだった。
しかし気まぐれに、何の気もなしに横を見た時、その思考と、ついでに足が止まる。
一瞬見間違いかと思い、ヒカルは目を擦った。が、目に映る光景は変わらない。
だがしかし、どういう風の吹き回しだろうか?
「ツバサ?」
ヒカルが目撃したのは、さっきから見失っていたツバサであった。遠目の横顔しか見えなかったが、背格好からしてもまず間違いない。しかし……
「……何でアイツがここに?」
ヒカルが思考を再起動させながら目を見張っているうちに、ツバサは着ている外套を揺らしてエレベーターに乗り込んでいった。
その瞬間、ヒカルは冷静になってそのエレベーターの前に、病院内だから決して走らず、全速力の早歩きで移動した。おかげでツバサが降りた階数が分かった。8階である、説明によると病室がある階だ。
けれどここからどうするか? 追いかけるか? それとも放っておくか? しばらくの間、ヒカルは次の行動に窮し、その場で固まっていた。
「どうかされましたか?」
その時、そんなヒカルの様子を気にかけた1人の看護師の女性が横から声をかけた。
「え、あ、うん、えっっとぉ……」
不意打ちだったために、ヒカルの返答は錆び付いたファスナーのようにつっかえつっかえになっていた。言いたいことも上手くまとまらず、結果小声で「なんでもないです……」と言うに留まった。
「あら、そうですか? では」
そんな不審なヒカルにペコリと会釈すると、看護師は受付の方へキビキビと歩いていった。
「……あ、ちょっとお尋ねしたいんですけど!」
混乱が解けたヒカルはその看護師を呼び止める。
「なんでしょう?」
背中越しに看護師が振り返ったので、ヒカルは彼女の元に駆け寄り、「あの、藤川ツバサさんって人、知ってます?」と尋ねた。
「……申し訳ありません、こちらからはお答えは出来ません」
「ですよねぇ」
当然のことだ。誰かのプライベートに関わることを、看護師は答えられない。ヒカルも聞いたところで聞けるとは思っていなかった。
そしてその看護師は、申し訳なさそうに頭を下げると足早に去っていった。
「……でもあの感じだと、なんか知ってそうだな」
ヒカルは手を口元にやりながら、看護師の後ろ姿を見送っていた。
「何? あなた、ツバサ君の知り合いなの?」
「ん?」
ヒカルが振り向けば、そこにはボンレスハムみたいなジャンバーを着たおばあさんが、待合所の椅子に行儀良くこじんまりと座っていた。
「そう! あなたよ、あなた」
ヒカルが自身を指差すと、おばあさんは少し口調を強めた。
「あなた、ツバサ君の知り合い?」
「……あの、あなたが言うツバサ君って、いつも黒いコートを着ている?」
「そうね、確か最近はそんな感じのを着てるわね」
よっしゃ、ヒカルは心の中で指を鳴らした。
「ええ、知り合いですよ」
ニッコリ笑って、ヒカルはそのおばあさんの前に立つ。
「まぁホント! お友達なの?」
「まぁ……トモダチでしょうね」
一般的な友達じゃなくて、強敵と書いてともと呼ぶほうだけど……
そんなことはつゆ知らず、言葉の額面通りに受け取ったおばあさんはとても嬉しそうにしていた。
「へぇ〜、初めて会ったよ、あの子の友達なんて」
そう言うと「座って座って」とおばあさんは自分が座る隣の席を叩いてヒカルに座るように促した。
「マジですか。俺が初ですか」
腰掛けながらヒカルは答えた。
多かねぇだろうと思ってたが、まさかの0とは、少し同情する。
「えぇ、あの子とはもうずいぶん長い付き合いになるけど、そういう話は一切聞いたことないわ」
「随分? アイツ、昔っから病院に通ってるんですか?」
「ええそうだね。確か私が白内障やった時だから、もう5年以上ねぇ」
「へぇ、5年も……」
「確か初めて会った時は、まだ制服だったかな。それがもうあんなに大きくなって。可愛いかったのにすっかりカッコよくなっちゃって、おばあちゃんドキドキしちゃうのよ」
おばあちゃんは胸に手を置いて、肩を上下させた。
「まぁアイツはイケメンっすわな」
「そうよねぇ。でもドキドキする理由は不整脈なんだけどね」
「……」
ヒカル、黙り込む。
こういう病気とか、身体的特徴が絡んだギャグへのリアクションは悩みがちだ。ヒカルも昔から悩んでいたが、大人になってからある結論に達した。
こういう時は笑顔と言われれば笑顔で、違うと言われれば違うという絶妙な表情をすればいいと、大抵はこれで切り抜けられる。
そして今も、その表情を浮かべている。
「この歳になるとあちこちガタが来ちゃってねぇ」
どうやら切り抜けられたらしい、ヒカルは徐々に、自然に口角を吊り上げた。
「今日は腰と膝と、首も診て貰わないとなの」
「首も!? それは大変ですね」
「ねぇ〜、より取りみどりでしょう?」
「え〜、大変ですね……」
「鍬持ってる時は痛くなくなるんだけどねぇ、不思議でしょう? でもいつも鍬持ち歩くわけにもいかないし」
「まぁ、サイズ知りませんけど、多分ギリ法的にアウトですもんねぇ……」
「あら! 鍬って駄目なの? 銃刀法?」
「いや、多分軽犯罪の方だったかな、法律家じゃないし細かいところは知りませんけど……」
「あらそう。でも詳しいのね? お仕事はどちら?」
「えっとぉ、一応警察官……」
「まぁ警察官! 偉いねぇ、ご苦労様です」
「いや、どうも」
褒められたのが嬉しく、ヒカルは目を細めて笑った。が、肝心の話題からはだいぶズレていることに気づき、改めて話の軌道を修正する。
「でも知らなかったなぁ、ツバサが通院してたなんて」
聞きたいのはツバサのこと、なぜアイツが病院に通っているのかだ。
別にそれを知ってどうこうするつもりはない、ただ純粋に知りたいだけだ。
「あらそうなの?」
「まぁこう言っちゃなんですが、あの性格ですからね……自分のこと喋りたがらないんですよ」
そう言うと、おばあさんの方もそれについて納得する部分があるようで、おそらく笑いを堪えていた。
「まぁそうねぇ。ちょっと冷たすぎるわよねぇ、必要以上に刺々しいって言うか」
「ハハッ、俺はアイツに刺されぱなしですわ」
言葉だけでなく、実際にも何度か刺されかけた。
ホントおばあさんの言う通りだと、ヒカルは腹を抱えて笑った。
「でも仲良くしてあげてね。なんだかんだ優しいところもあるんだから」
「それは本人次第っていうか……まぁ」
ヒカルは頬をかく。
流石にどんな優しくても、自分のこと殺しに来る奴とは仲良くは無理だなと思う。ついでに優しいところなんて見たことないし……。
「……で、何で通院してるか知ってます?」
「知ってるわよ」
「……教えてもらえません?」
「うーん、そうねぇ」
おばあさんは困ったように明後日の方向を見る。
むやみやたらに言えないことなのだろうか?
しかしヒカルを見て大丈夫だろうと判断したのか、意味深な笑顔を浮かべた。
「まぁ詳しくは知らないんだけどね……」
ヒカルは顔を近づけた。
「実は—」
「他言は無用だ!」
凄みのある声が響いた。
「うわっ! 出た!」
振り返って、自分を見下ろす顔を見たヒカルは椅子から飛び起きた。
「人をまるでお化けみたいに、失礼な奴だな」
冷たい目で、その男はヒカルを睨む。黒い外套に、胸にぶら下がるペンギンのペンダント、その男こそが話題にのぼるツバサであった。
「あらツバサ君」
おばあさんは変わらない態度でその名前を呼んだ。
それでツバサも少し顔を和らげた。
「レンばあ、あっちで看護師さんが呼んでましたよ」
「あらそうなの。じゃまたね」
そう言うとおばあさんは2人に手を振って、奥の受付へと向かって行った。
そして2人になると、ツバサはさっきにも増して恐ろしい形相でヒカルを睨む。
「まさかとは思ったが……何故来た!?」
「いや、たまたま—」
「正直に言え!」
ツバサは怒鳴った。ヒカルも元警官で怒鳴られ慣れてはいるが、それでもちょっと怖くて気後れした。
「まぁいいけど……ここ病院だぞ、あんまりうるさいとみんなが見てる……」
「なに?」
「ほれ……」
待合所の人たちの視線は、2人に集中していた。
針のような視線を全身に浴び、ツバサは居心地の悪さから逃れるよう視線を左右に動かした。
そして最後には舌打ち混じりでヒカルを見た。
「ちょっと来い!」
「へ?」
「いいから来い!」
そのままツバサは、ヒカルの手首を血管が浮き出るほど強く掴んで、病院の通路奥にある薄暗い非常口前まで連行した。
ヒカルの背中は扉にぶつけられ、重低音が響く。
「正直に答えろ。何故ここに来た?」
「……尾けました、ごめんなさい」
「尾けただと? いつから?」
「ハンバーガー屋の前あたりから」
そう答えると、ツバサの目線は左上へ、何か思い出そうとしているようだ。
「……あそこか。そんな前から尾けてたのか……」
「全然気付いてなかったよな」
ツバサの結んだ口が少し動く。
「……少し、お前のことを甘く見過ぎてたようだ」
ツバサはため息をついて、髪をすいた。
「それでどこまで聞いた?」
「……何にも」
「……嘘だろ?」
「いやホント。お前が5年くらい前からこの病院に通ってることは聞いた。けど、その理由までは聞けてない」
「……そうか」
相変わらずツバサは険しい顔をしていたが、それを聞いて少しは……ほんっっっとに少しは表情を和らげた。
「ならいい……。命拾いしたな」
再度ため息をつくと、ツバサは踵を返して歩いていった。
「これがお前の戦う理由か」
その背後からヒカルが静かに叫ぶと、ツバサは立ち止まる。
「さぁ、どうだろうな……」
「お前も同じだ。誰かのために戦っている!」
ツバサは振り返った。
「……違うか」
「……あまり詮索するな。せっかく拾った命、落としたくなければ」
言い終えるとツバサはまた歩き出した。
それをヒカルは追いかけようとした。だが……
バチッ……ビリビリビリィィ!!
「!!!?」
「ッ!!!?」
突如、凄まじい電流のような衝撃が2人の脳内に流れた。数値にしたらきっと10万は超えていただろう。
これはゲーム参加者に霊獣の出現を知らせるシグナルだ。だが2人は驚いた、知った上で驚いた。
「なんだ今の!? 今までのとは比べものに」
すでに何回も味わった、同じ理由の衝撃とは格が違った、思わず膝をつくほどに。
「キャァァアアアア!!!!」
「「!!!?」」
遅れて聞こえた悲鳴に、2人は嫌な予感を感じずにはいられなかった。
そして待合所でざわつく人たちを横目に、2人はほぼ同時に病棟の外へと出た。
「!? 何だよこれ!!」
病棟外にある駐車場は、黒い霊獣の集団によって埋め尽くされんばかりだった。