第一編・その4 勘定奉行、今川カオル
夜、3人が入った店は鍋屋であった。手動の引き戸を開けると、その目と鼻の先には下駄箱があり、3人は履物をそこに入れた。その後、店員によって奥にある、人目につきにくい個室の座敷へと通された。
「はぁやれやれ、やっと座れる」
部屋に案内されるなり、ヒカルはいの一番に座敷に座った。
「ボコボコにされてましたもんね」
テツリはその様子を横目で見ながら、ヒカルの隣に座る。座るなりホッと息をついた。
「2人ともお疲れのようだな」
その2人の前に座る男は、店員から渡されたおしぼりを配り終えるとポキポキと指を鳴らした。
「そう言えば、まだ自己紹介をしてなかった。俺は今川カオルだ、よろしく頼む」
「あ、俺はヒカル、佐野ヒカルだ」
「僕は上里テツリです」
3人が挨拶を交わし、軽く会釈をしたところで店員がやって来た。
「ご注文は?」
「えっとだな……」
財布持ちのカオルが代表して、メニューを指差して答えた。
「とりあえずこのお手軽コースで、飲み放題は……どうする?」
カオルはヒカルたちに尋ねる。
「任せるよ、そっちの判断に」
飲みたい、本当はそう言いたいが、お金を払ってもらうという立場上、ここは2人とも謙虚であった。
なのでカオルの、「じゃあ、アリで」という注文を聞いた時、内心2人は心の中でガッツポーズをした。ヒカルの方はテーブルの下でもこっそりしていた。
それで注文を終えると、店員は行儀良くお辞儀をして出て行った。その足音が聞こえなくなると、ヒカルはポツリと言った。
「……なぁ、本当に大丈夫なのか、金は」
「僕たち、一銭も持ってないですよ」
テツリも心配そうにそっとそう付け加えるが、カオルはというと、「大丈夫だって、全部出すと言っただろう」と、心配する2人をよそに、カオルは少し胸を反らしてそう言った。
「でもなんでカオル、金持ってるんだよ?」
「なんで持ってるって聞かれても、働いてるから当然としか答えられないな」
「え? ウソだろ? 働いてんの!?」
「働かないでどうやって収入を得るんだ?」
カオルは哀れなものを見る目でヒカルを見た。
「他に方法なんてないだろう」
「いやでも……どうやって就職したんだよ」
ヒカルには不可解だった。
普通の人なら、職種を選ばなければ就職は誰にだって可能なことだ。ヒカルもテツリも以前はちゃんと職に就いていた。
しかし忘れてはならないが、ヒカルたちは1度死んでいる。それによってそれまでの職を失ったばかりか、応募に必要な個人情報とか、戸籍とかの名義も失われた。結果、今は新たに職を探すのも困難な状態、もはやヒカルたちは社会的に見れば存在しない者だ。
そんなフーテンがどうやって仕事に就くのか? それがヒカルには不可解だった。
「そうだな。厳密に言うと一般的な就職はしてない」
「へ?」
ヒカルは眉を潜めた。「どういうこと?」とその顔は言っていた。
「株だよ、デイトレーダーやってるんだ」
「あぁ! あのパソコンの前でピコピコやるやつね」
ヒカルが抱くデイトレーダーのイメージは、たくさんのパソコンがある部屋の中で、その画面に表示される理解不能なグラフと延々ににらめっこする仕事、そんなイメージであった。
「別に、パソコンの前に限った話じゃあないが……。まぁそのイメージに近い」
「なぁるほど、それなら個人業?だし問題ないな。そっかー、その手があったか」
そう言われてヒカルは納得しかけた。が、今度はテツリが首を傾げる。
「でも株の売買にも個人情報は必要ですよね?」
至極もっともな意見、カオルも「そりゃ当然だろう」と答えた。
「そうか……。あれ? じゃあどうやって?」
思考はまたそこに行き着く。しかしその答え、聞くと意外と単純であった。
「お前さんらは死んだから色々不自由なんだろ? 戸籍とか口座とか」
2人ともその問いにうなずき返す。
「俺もまぁ死にはしたんだが、それが誰にも知られなかったんだ。独身だし、親元は離れてて、人との関わりも薄かった。だから結果誰にも死を認識されず、社会的にはずっと生き続けてることになってるんだ」
つまり死ぬのが発覚するよりも、今回のゲームによる蘇生の方が早かったのだ。よって世間的にはそもそも死んだことにすらなってない。ただちょっと長い間寝てたくらいの扱い。
だから当然、カオルの戸籍なども失われず、生前のままそっくりそのまま残っているのだ。
「ふーん、それで個人情報とかも止められなかったのか」
「そういうわけだ」
「ある意味、ラッキーだったな」
「その代わり税金は納めなきゃだけどな」
カオルはそう言って、お冷に手を伸ばした。
「なるほど。……で、どうなの儲かんの?」
「儲けか、実はデイトレーダーで儲かるのは上位10%までだと言われている……がここだけの話、俺は儲かってる」
「うへーすごいのねぇ〜。どんぐらい? 億?」
「ヒカル君すごいグイグイ聞きますね、金のこと」
横からテツリが口を挟んだ。
「いやだって気になるじゃん。気にならないの?」
「そりゃ気になりますけど……初対面の人間に年収聞きます?」
「う……」
テツリに半ば非難され、ヒカルは言葉に詰まった。
確かに言う通り、初対面の人に年収を聞くのが失礼なのは確かだろう。
自分の振る舞いに小っ恥ずかしさを覚えたヒカルは、それを誤魔化すためにカオルに向け愛想笑いをした。
「あ、悪い。そうだな別にお金のことは一旦置いとこう。それよりももっと有意義な話をしよう」
申し訳なさそうにヒカルが言う横で、テツリはうんうんとうなずいていた。
「別に話しても良かったんだがな。まぁ自慢話なんてつまらないだろうし、今日はそんな話をしに来たわけじゃないからやめておくか」
「そうだ! ……それで話ってのは?」
それを聞いて、自分たちがここにいる理由を思い出したヒカルは、一転して真面目な顔をした。
しかしちょうどその時に注文したビールが先に運ばれて来たので、3人はまずはそっちの応対にあたった。
「ほら、飲むだろう?」
カオルはそう言ってビールの瓶を突き出した。
「飲みながらでも話せることだ。キンキンに冷えてるうちにいけよ」
「……まぁそうだな」
「ほれ、テツリ君も」
「あ、どうも」
冬でもビールはキンキンが最高だ。そしてそれを盛り上げるのが熱々の鍋である。
火にかけられた鍋はグツグツと煮えていた、今日はキムチ鍋だ。赤く染まった牛肉、ホルモン、白菜、ネギ、豆腐と、中心の緑のニラが鍋の彩り、辛そうな匂いを含んだ湯気が食欲をそそる。食べるまでもなく分かる、美味いと。
「……いただきます」
我慢することなど出来ない、3人は大事な話なんてなんのそので、次々に箸を伸ばす。
「ん〜ん、やはり鍋にして正解だった」
鍋はフレンチとかに比べたらマナーが緩い、変に肩も凝らないから、若い男たちがワイワイやりながら食事するのに適している。今みたいに、お酒のツマミとしてもベストマッチだ。
「まだまだ冬ですもんねぇ」
それに今は冬、あったかい鍋は身に染み渡り、心まで温める。
「お前ら肉ばっかだな、少しは野菜も食えよ……。肉は高いんだから」
栄養も満点、もっともそれに関しては人それぞれだろうが……。
「じゃあ梅酒でも頼もうか?」
グラス片手にカオルはイタズラな表情を浮かべる。
「えぇ〜、それ野菜カウントすんの!?」
「野菜みたいなものだろ。元は果物だし」
「横暴な意見だなぁ……」
「僕、コーラ頼んでいい? ビール割ると美味しいし」
「※ディーゼルか、比率は?」
※カクテルの名前、ビールをコーラで割る。
「8:2くらいかな、普段は」
「割とガッツリだな」
「?? ……なんの話なんだ?」
あまり酒には詳しくないヒカルであった。
さて会はつつがなく、終始和やかムードのまま進行していった。同年代の男3人が揃ったとなれば、それはノリも良くなる。
しかし本当の目的に関しては皆、置きっ放しになっていた。それを再び持ち直したのは、鍋のコンロのガスが切れる頃であった。提案者はヒカル。
「あのさ、そういえば何か話すことがあるんじゃなかったっけ?」
野菜ばかりが余った鍋の奥底に沈む宝石(肉)を探しながらヒカルは言った。
「まぁ話というか、実のところ単なる提案、お願いがあってな」
「お願い?」
ヒカルは伸ばした箸を止め、カオルの顔を見る。
「……単刀直入に言わせてもらう。俺は、この3人で同盟を結びたいと思っている」
同盟、あんまり普段は聞き慣れない言葉だ。「どーめい……」とヒカルは口に出した。
「難しく考えないでいい。要は君たちがやってるように、行動を共にする仲間になりたい。つまり俺と、ヒカル、テツリ君の3人でチームになろうってことだ」
それを聞いて、ヒカルとテツリは無言のうちにアイコンタクトを交わし合った。
「このゲーム、最近は参加者同士の戦いがイヤになるほど活発になっていてね。まぁルール的には何も問題はないらしいが、そのせいで生き延びるのがかなり難しくなっているのが現状だ」
遠い目で語るカオルの言葉に、そのことが身に染みているヒカルは「嫌な現実だよな……」とため息混じりに呟く。
「俺なんかはこの間、寝込みを襲われてね、危うく死ぬとこだった」
「よく無事で済んだな」
「まぁ命からがら逃げたよ。だが、結局その日は一睡も出来なかった」
嫌な思い出を語っているのに、カオルは何故か……酒のせいか?笑っていた。
「そうでなくても、俺たちには元々敵がいるからね」
「霊獣か……」
「そう。その霊獣も決して雑魚じゃない。強い奴はちゃんと強いし、それだけの理由がある」
ヒカルとテツリは今まで遭遇した霊獣のことを思い返す。
蜘蛛の奴は、8本の手足を用いた隙のない格闘術に優れた難敵だった。蝶の奴も、出した被害でいうなら未曾有のものであった。さっきのカメレオンも、おそらくあのままカオルの助けがなければ2人とも返り討ちにされていた。
「確かに、僕も何回か殺されかけましたね」
実際に死に目に遭ったテツリはゾッと身震いした。
「この殺伐としたゲームを生き残るために、たった1人で戦うのはいささか心細いってもんだ。仲間がいるなら、いるに越したことはない」
ヒカルは「まぁそれはそうだ」と程々に同意。一方テツリの方は思い当たる節が多さから、赤べこの如く首を振って心の底からの同意を示した。
「"三本の矢"の話にもあるように、たとえ1人の力は弱くとも、徒党を組めば簡単には折れない太く強靭な力になり得る」
と、カオルは有名な逸話を交えてさらに説得力を補強する。
「さっきのように3人で力を合わせれば、強力な力にも対抗出来るようなる」
そして実例を示せば、もう力を合わせることのメリットは疑いの余地もない。
「この先ゲームを生き残るため、より優位に立つためにも……。
どうだろう? 俺たちで組まないか? 嫌なら別に、断ってくれても構わない。だが、自分で言うのもなんだが、悪くない話だと思う」
カオルは鼻を高くして言い、2人の反応を伺った。
「まぁ悪くはないな」
そう言ったのはヒカルであった。
「……そう言ってる顔には見えないが?」
しかしその顔にはまだ疑念が疑念が残っていたようだ。少なくともカオルにはそう見えたらしい。
「そうかな?」
「何か問題が……?」
若干不満げにカオルは問う。ヒカルは腕を組んで考えこむと、その後に
「そうだなぁ、強いて言えば……なんで俺たちなんだ?」
と、首を傾げて尋ねた。
それを受けて、待ってましたと言わんばかりにカオルは即答した。
「君たちの、特にヒカルのことは風の噂で聞いている。この殺伐とした戦いの中で、非殺を掲げる勇気ある男がいると、その考えに俺も賛同した。だから同盟を結ぶなら、君たちしかいないと考えたんだ」
「なるほどねぇ……」
思いがけず賞賛され、ヒカルはちょっぴり恥ずかしかった。が、悪い気はしなかった。
今までずっと非殺の精神を馬鹿にされてきただけあって、それを肯定する意見は非常に喜ばしいものだ。その背中をテツリが叩いた。
「良かったですねヒカル君、分かってくれる人は分かってくれるんですよ」
テツリがそう言うと、ヒカルは「あぁ!」と、満面の笑みで言った。その目は感激でちょっと涙ぐんでいた。
「それで、答えは?」
「いいんじゃないか」
笑みを崩さずヒカルがそう答えると、カオルは「そう言ってくれると思ってた」と控えめに笑った。
「俺1人じゃこの戦いを止めるのは無謀かもと最近思ってた。けど仲間がいるなら……それも変わるかもしれない」
「……やはり戦いを止めるために戦うんだな?」
カオルが不思議そうに尋ねる。
「あぁ、みんなに幸せになって欲しいからな。殺し合いなんてさせないさ! あっ……でももちろん無理強いはしないけどさっ」
「……噂通りか」
「ん? 何か言ったか?」
「いや、何も」
「あっ、そう……」
「…………それじゃあ」
そう言って、カオルは左手を差し出した。
「ん?」
「交渉成立だ。これからはよろしく頼む」
「あぁ! これからよろしくな、カオル」
その手を取ると、ヒカルは握りしめた。続けてテツリも、同じように。晴れて、チーム結成だ。
「そうなると色々決めておくべきこともあるだろう」
「それに関しては今じゃなくていいんじゃあないか。この雰囲気で真面目な話は出来ねぇだろう」
「それはあるな。だがなるべく早く決めておきたい。とりあえず、可能なら明日も会いたい」
「じゃあ明日会おうか?」
「それがいい」
ヒカルがテツリにも確認の目配せをすると、彼は頷いた。
「じゃあどこにする?」
「また、この店の前に集まろう。そっから移動だな」
「はい、承知ノ助」
「何はともあれ、俺たちはこれで晴れてチームだ。共に力を合わせ、精一杯頑張ろうじゃないか」
「じゃあお祝いの乾杯でもしましょうか!」
「乾杯か……ハハッ、粋でいいじゃないか」
テツリの提案に、カオルも乗っかった。
「じゃ、音頭は……」
周りを見ると2人の視線は自分に向けられていた。
「あ、俺なのね」
ヒカルはそう察すると、ゴホンと1つ、咳払いした。
「えー、ではでは、我ら3人の、えー、希望ある、前途を祝しまして…………乾杯!!」
「「乾杯!」」
「……変じゃ無かった?」
「別に」
「強いて言うなら平凡だったな」
口々の意見に、ヒカルはわざとらしく肩を落とす。
「はぁ、俺こういうのあんまやんないんだわ」
「まぁでも、平凡が1番さ。さ、まだまだ付き合えるだろ」
そう言って何本目かも分からないビール瓶をカオルはヒカルの前に突き出した。
「空にしてやろうじゃないか、店のビールを」
「ハイッ、僕おかわり! コーラも!」
「おいおい、明日も何あるか分かんないんだから程々にしとけよ」
完全に酔いがまわってタガが外れた2人を諫めながら、一抹の不安がヒカルの頭をよぎる。
「……大丈夫かな? このチーム……」
しかしそれでも心中は嬉しい限りだ。共に戦う仲間がいることは、励みになるのだから。ヒカルはそう思っていた。憂いなんて微塵も、露ほどもなかった。