閻魔の招待
ヒカルが進む先に待ち受けていたのは、分厚く赤い雲を裂き、天を貫くようにそびえ立つ階段であった。下からはその終わりが見えないぐらい高く、ちょっと登るのを躊躇うほどであった。
だが、閻魔様に会うにはここを登るほか無かったので、ヒカルもしぶしぶ一歩一歩、段を踏みしめた。
そうしてそれを上り切ったところには、クッ○城の最後の最後にありそうな大きな扉があった。
これこそが閻魔様がいる部屋へと続く大扉である。2人が前に立つと、扉はひとりでに煙をたてて、ゆっくりと開いていった。
鬼が部屋に入るように促したので、ヒカルは口を結び、真剣な面持ちでいよいよ部屋へ入っていった。
すると部屋に入ってすぐ、ヒカルの目には大きな大きな壁のような物体が飛び込んで来て、思わず面食らった。
「何これ……?」
ヒカルが尋ねると、付き添いの鬼は「これは閻魔様の椅子だ」と簡潔に答えた。
目測で10メートルといったところか? こんな椅子に座るってことは、閻魔様は鎌倉の大仏くらいには大きい!?
ヒカルはまだ見ぬ閻魔様に、早くも威圧されているようだった。
と、その時――
「やぁやぁやぁ、よく来たね、佐野ヒカル君」
椅子の方から声が響いた。
「誰だ?」
「フハハ、閻魔だ!」
「……えんま?」
えんまが閻魔であると理解するのに、ヒカルは少し時間を要した。なにせ、聞こえてきた声はかなりのハスキーボイスで、閻魔様のイメージとかけ離れていた。そしてヒカルは違和感から眉間にシワを寄せた。
「いかにも! 私が閻魔だ」
「……え?」
そして、現れた閻魔様の姿を見てヒカルは驚いた……いや拍子抜けした。
おそらく閻魔様の姿といえば、目をひん剥き、眉を逆立たたせた怒りの形相をした大男の姿が一般的だろう。しかしヒカルの目の前にいる閻魔は、彼よりもずっと背が低く、まるで幼稚園児がちょっと手の込んだコスプレしたような姿だった。
じゃあこの目の前にある椅子は何なんだ、ただのインテリアなのか? そう思いながら、ヒカルは自分のことを見上げる威圧感皆無の可愛らしい閻魔を見つめていた。
「……なんだその顔は」
「いや……なんというかその……いや……」
果たしてここで『子供みたい』と正直に答えていいものなのか? まぁ今後のことを考えると、黙っておいた方が吉だろう……。そう考えたヒカルは口ごもった。
しかし、残念ながらどうやら閻魔様はこういう態度を普段から取られ慣れているらしく、彼の言いたいことを察して不服そうに唇を尖らせた。
「ちっ、ここに来る奴は大体そんな顔をする。酷い奴は『小っさ』とか『坊や』とか平気で口に出しやがる。お前さんも心の中ではそう思ってるんだろ? なぁ?」
「いやいや、そんな」
「嘘ついたって分かんだぞ! 閻魔舐めんな!」
そうは言っても、金切り声をあげ、手をブンブンと振り回す姿はもうほぼ園児であった。
「いや、そんなこと思ってないです……」
と、ヒカルはそう言って機嫌を取ろうとしたのだが、5秒後にそのことを後悔する。
「ほう、嘘はついてないと言うか。じゃ、これ使っちゃおうかな」
かわいい声とともに、閻魔様はどこからか取り出した有名な舌抜き用の器具をカチカチ鳴らした。
「嘘をついていた場合、この器具は激痛と共に舌を引き抜きます。さぁいってみようか」
「え、待って。ちょいちょい」
「何だ?」
「いや……急すぎません?」
まだ出会ってから1分少々。流石にこの短時間で舌抜かれるのは嫌なので、ヒカルは慌てて待ったを掛ける。
「まだ何にも話してないじゃないでありませんか? ちょっと立ち話でもしようでそうろうよ?」
焦りから敬語がメチャクチャになるヒカル。しかし閻魔様はなおもカチカチと器具を鳴らす。
「ホラ、口開けろ。問答無用だ」
そして聞く耳を持ってくれない……。
「いやいやいや」
必死に抵抗するヒカルだったが、何故か体が動かない。その間に閻魔がジリジリとにじり寄る。
「おかしい! 展開が早過ぎます。待ち時間と実力行使が釣rーー」
釣り合ってない、そう言い切る前に閻魔様は「うるさい」とヒカルの口を片手で塞いでしまう。
「じゃ、抜くぞ」
縦に開いた口のわずかな隙間から閻魔様は器具を挿入する。
「最後に名乗れ。お前さんの名は?」
「なんで! 訳分からん!!」
「いいから名乗れ」
閻魔様は強硬な姿勢を崩さない。
釈然としないが……ヒカルは諦めて、もう流れに身を任せることにした。きっと、痛いのは一瞬だと……そう信じることにして。
「……え〜、お……俺の名は…………佐野、ヒカルです!」
名乗りを上げた瞬間、器具がバチンと小気味良い音を奏で、と同時にヒカルは地面に崩れ落ちた。
すると閻魔様は硝煙を消すときのように、器具にフッと息を吹きかけた。
「決まった…………。なーんてね、嘘ぴょん。この器具は偽物なので舌は抜けませーん……。どう私の閻魔ジョーク? リラックスした?」
「もうヤダコイツ……」
子犬のように震えながらヒカルは嘆く。
その胸中には怒り、安堵、困惑、困惑、困惑……と複雑な思いを抱いていた。
「ねぇそろそろ審議入って良い? 今のうちに」
果たして今がどんなうちなんだろうと、ヒカルは無視したい気でいっぱいだった。だが、閻魔様に無理矢理立たせられてしまったので、本当にまもなく審議は開始されることになった。
まさに閻魔様の所業、やりたい放題である。しかも一連の流れ、閻魔は特に悪意無く、良かれと思ってやっているんだから最悪である。
本人にとっては緊張をほぐすための冗談だが、裁かれる方にとっては全くもって冗談になってない。これは閻ハラと言って良いだろう。
「では少しばかりかかったが」
「かけたの誰だよ……」
「これより審議に移る」
「……お手柔らかにお願いします」
ヒカルは姿勢を正し、泣きながら言う。ついでに閻魔に聞こえないように小さなため息をついた。
「うむ。善処する」
そう言うと閻魔様はヒカルの周りをぐるぐると回りながら話し出す。本当に、いよいよ審議が始まった。
「まずお前さんの基本情報」
閻魔様は懐から取り出した巻物に書いてある情報を読み上げる。
「名は佐野ヒカル、齢は25、職業は警察官、独身、そして死因は……トラックに轢かれたことによる轢死。ここまでに違いはないな?」
「……はい。ないです」
「家族構成は……なんだ身内はもういないのか」
「母は8歳の時に、父は15の時に亡くなりました。兄弟もいません。祖父母も20になる前に」
「そうか。それは苦労をしたんだな」
「別に、周りの人が支えてくれましたから」
「強がらなくてもいいぞ? 別に今更カッコつけなくてもいい」
「嘘なんて……ついてないです。俺は人並みの苦労しかしてません」
「ふぅん、それは周りには恵まれたな。しかしそれは運もあるだろうが、お前さんの人徳もあるだろう。人懐っこくて、優しい、思いやりのある性格をしていたと書いてある。基本的には嫌いな奴より好きな奴の方が多かったようだな。
さて罪の方はと……見たところ、とりあえず大きな罪は犯していないようだな、流石警察官」
閻魔様は巻物を指なぞって確認していく。気に留まる出来事もないらしく、眼球は左から右へと規則的に流れていく。
巻物にはヒカルの人生の記録がかなり詳細に記載されているだけあって、読み切るまでかなりの時間を要しているようだ。
これはまた待ち時間が長そうと感じ、ヒカルは欠伸を噛み殺すのが大変だった。
「……そう言えばお前さん、彼女がいるらしいな」
閻魔様は巻物を真剣に読みながら呟いた。
「え? いますけど」
不意をつかれた分返答は遅れたが、ヒカルその呟きを肯定した。
すると閻魔様はヒカル本人のことは見ずに、何故かその彼女のことについて話し続けた。
「……名は吾妻ナルミ、25歳、職業は幼稚園教諭、独身……お前さんと付き合ってるんだから当然か。
出会いはお互い12の時、そして付き合ってから10年、喧嘩はするが関係は相思相愛、お互い仕事に就いて……そろそろ落ち着くはずだった。が、お前さんが死んだせいでそれはご破算になった……だな」
閻魔は首を傾け同意を求めた。遠慮もデリカシーもない物言いに、若干モヤモヤを覚えていたヒカルにはその動作は煽りのように感じられた。
しかし閻魔様は閻魔様らしく、そんなヒカルの不服そうな顔なんてどこ吹く風、その飄々とした態度を崩さず、さらに加えて今度はヒカルに詰め寄りつつ続ける。
「早くに親を亡くしたお前さんにとって、ずっと仲良くしていた彼女はお前さんが最も愛する者。彼女の幸せはお前の幸せ、彼女の痛みはお前の痛み、そして彼女の願いはお前の願い。
お前さんにとって彼女は決して引き裂かれたくない、何にも変えられない大切な存在。彼女のためならお前さんは何だってできる」
閻魔様はヒカルに触れるほどの近さから指差して、言った。
「そうだろう?」
「……そうですけど、それに何か問題あるんですか」
「さぁ……」
「じゃあなんでこんなこと聞くんです! その質問が、俺が天国に行くか地獄に行くかに関係するなんて思えない!」
ヒカルにとってナルミは、自分が死んだことを後悔させる唯一の存在。そして何にも変えられない大切な存在。そんな存在を勝手にベタベタと触れられたものだから、ヒカルは目の前の相手が誰であるかを忘れ、つい怒鳴ってしまった。
しかしその態度に閻魔は怒るどころか笑った、さっきふざけた時とは違って冷ややかに。
「……別にまだ、そのどっちかにお前さんが行くと決まってるわけではない」
「……どう言う意味です!?」
「フフ、これを見ろ」
閻魔が指をパチンと鳴らした。すると空中に映像が映し出された。
「は? なんだコイツ」
その映像を見たヒカルは唖然とした。そこに映し出されていたのは、自分がこの前まで生きていたよく知る世界のどこか。そしてそこで暴れる見たこともない化け物。鋭く生えそろった牙と爛々と光る目を持ち、白い犬のような姿なのに二足歩行をする化け物が逃げ惑う丸腰の人間に飛びかかり、その喉笛を食いちぎって血しぶきを上げさせる様子だった。
まるでモンスター映画の一幕ような、衝撃的で残虐な映像にヒカルは反射的に目を逸らす。しかしそれは断じて作り物ではなく、現実のことだった。
「今見せたのは、お前さんが死んだあとになって現世に現れ出した化物だ。とりあえず私は"霊獣"と呼ぶことにしている」
「霊獣……」
「見て分かるよう獰猛な性格をしていてな。しかも現世のいかなる兵器を用いても倒すことは不可能という、とんだ厄介者だ。
しかし何より厄介なのはその食性だ。何たって、コイツラの飯は人間だからな」
「食べるのか! 人間を」
「そうだ。逆に人間以外は喰わん」
驚くヒカルに閻魔は淡々と返す。
「なんだってそんな……」
「おそらくコイツラのルーツのせいだ。実を言うとコイツラは元を辿れば人間でな」
「は、人間? これがか!」
驚いてヒカルは二度見する。これを見て人間だと思えるわけがない。
なにしろ人間らしさもない上、面影もかろうじて二足歩行をしているくらいで、他には人間を感じさせる要素が全くないのだから。
「まぁ本当に元の元まで辿るとそうなる。実態は地獄に送られた人間の魂の成れの果てだ。耐え難き苦痛の中、奴らはいつしか人間であることを忘れ、その苦しみから逃れるために体を異形に変えてきた。そしてたまたま運良く逃げ出し……現世に戻れた奴らは人間を襲う。なぜ人間を喰うのか、詳しいことは分かっておらんが、おそらく人間を喰らい、因子を取り入れれば自分たちもまた人間に戻れると本能的に思っているのだろう。無駄なのに」
ヒカルはちらりと映像を見る。そう知ると、その化物が上げる咆哮も悲鳴のように聞こえなくもない。
「……さて本題に入ろう。お前さん、ちょっとゲームに参加してみないか?」
「ゲーム?」
疑問の声を上げたヒカルに閻魔は「そうだ」と返し、さらにこう付け加えた。
「そうだな。お前さんのやる気を煽る情報を教えると、優勝特典は……"願いを1つ叶える"だ」
「願いを?」
「そうだ。1つだけ、お前さんの願いを叶えてやる。優勝すればの話だが」
「……しなかった場合は何かあるのか?」
「何もなし。まぁ参加賞として審議に手心加えるくらいはしてやるぞ」
アハハと笑う閻魔に、ヒカルは「随分と落差がすごいな」と思った。しかし願いを叶えるという条件はかなり魅力的だ。だからヒカルにも参加意欲はあった。
「それで……ゲームって何をやるんだ?」
「お、乗り気だな」
「優勝特典は豪華だからな。確認だが……その願いってのはどこまで叶えられる。例えばーー」
「生き返りか」
皆まで聞かず、閻魔はヒカルの心情を言い当てた。ヒカルがそれを無言で肯定すると、閻魔はニッコリと笑った。
「まぁ簡単なことではないが、何とかならなくもない」
「本当か!」
「うむ。もっとも優勝すればの話だがな」
「そうか……。でも優勝すれば、またナルミと一緒に暮らせるんだ」
ヒカルはそう小声で呟いた。
そう分かると、いよいよゲームに参加する気も俄然高まってくる。しかし問題はその内容だ。
だが詳しくは分からないが、何となく……何をするのかはヒカルにも分かった。
「で……ゲームって何をするんだ」
改めてヒカルが尋ねると、閻魔は今度こそ内容について語り出した。
「何、簡単なことだ。さっき見せた霊獣を……より多く倒した者が勝ちっていうゲームをやる」
まぁ話の流れからしてそんなとこだろうな、とヒカルは大して驚きはしなかった。
しかしあの映像を見た限りだと、自分じゃあの化物を倒せる気がしない、ともヒカルは思った。
そして閻魔はもっと詳細な内容について話す。
「参加者は12人を予定してる。その12人には、仮初の肉体と命、霊獣を殴り倒せるくらいの身体強化、それとそれぞれが望んだ"能力"を1つ授け、現世で暴れる霊獣を退治してもらう」
「能力?」
「そうだ。お前さんが欲した能力を1つやろう。性能に限界はあるが、その範囲内なら何でも構わない。火を吹けるようにもしてやれるし、空を飛ぶことも出来る。あの椅子に座れるくらい大きくだって出来る」
「なるほど」
つまりどんな能力を選ぶのかも重要だ。ヒカルは想像力を目一杯働かせたが、どんな能力がいいか、すぐには思い浮かんでこない。
幸運にも能力を決めるまではまだ時間があると閻魔が言ったので、ヒカルはとりあえずそれはあとで落ち着いてからゆっくり考えることに決めた。
そして閻魔はなおもルールについて続ける。
「期間は49日、50日目の朝にゲームは終了。その時までに倒した霊獣の数が最も多かった者が願いを叶える権利を得る。……と、こんなところを予定してる。細かいところはこれから決めるが、何か質問はあるか?」
「……参加するデメリットはあるか?」
「……そうだな」
閻魔が笑う、なんとなく嫌な笑みだった。
「身体強度にも限界はある。故にそれを超えた致命的なダメージを負えばゲーム中に2度目の死を迎える可能性もある。
それで……、もしそうなった場合、お前さんは天国にも、地獄にも行くことは出来ず、その魂は永遠に転生することも出来ず、闇を彷徨い続ける」
「闇?」
「私もよくは知らないが、何もない真っ暗な空間だ。そこでお前はただ1人で終わらない時を過ごすんだ。極めて退屈だぞ」
「それは……嫌だな」
死んでから過ごしたあの時間を思い出し、ヒカルはそう言った。多分そんなことになったらどんなに精神が強くても発狂する。
「それと途中で死んだ場合、討伐数はゼロになる。つまりその時点でどうあがいても優勝は無理だ」
つまり、優勝するには最低でも生き残らないといけない。
そうなってくると、やはり当然だが1つしかない能力をどう選ぶかは慎重にやらねば、ある程度バランスも考慮して。
「さて、大体話した。どうする? お前さん、参加するか?」
「……させてもらおうか」
閻魔の問いに、一拍おいてヒカルは答えた。
「こんなチャンス2度とない、優勝できればもう一度やり直せるんだ。そしたら俺はもう一度ナルミの側にいられる。それにそれを抜きにしたって……、この惨状を知って見て見ぬフリなんて出来ない」
再びヒカルは映像に目をやる。このままこの化け物を放置すれば、いずれ最悪の事態は避けられないだろう。それだけは阻止しなければ……今現世に暮らす大切な人のためにも、そうヒカルは思っていた。
「では参加を認めよう。全てが決まり次第、お前さんにも報告する。そこで最終確認も行い、確認次第では現世に向かってもらう。それでいいな?」
「ああ!」
閻魔の問いにヒカルは力強く返事をした。
それからしばらく経って、ようやく舞台の準備は整えられた。
改めてヒカルは参加を承諾し、間もなく現世へと向かっていった。
以上が死後の世界から佐野ヒカルが帰ってきたまでの顛末である。