第一編・その2 空はこんなに青いのに
それにしても今日はすげぇいい天気だなぁ—
ヒカルは思った。普段なら空を見たって何も思わないが、今日の空に関してはそう思わざるをえなかった。それほどまで圧巻だった。
午後の空は、まるで青いインクをぶちまけたようにどこまでも快晴で、文字通り雲ひとつなかった。
きっとこんな日には何かいいことがあるはずだ。そう思いながら、ヒカルとテツリは都内をうろついていた。
食事も終えた2人は、暇つぶしと食後の運動、それとパトロールも兼ねて街に繰り出していた。周りにいる人たちは、みな限りある時間に追われ、足早に歩いてはどこかに消えていく。
そんな光景を、ヒカルは密かに羨ましいなと思いながら見つめていた。
するとふと思いついたように、横を歩いていたテツリがヒカルに向けてこう尋ねた。
「そう言えばヒカル君は何座です?」
「へ?」
ヒカルは素っ頓狂な声を出した。
見渡す限りの青い空で、当然星座どころか、星だって1つも見えやしなかった。
なんの脈絡もない質問にヒカルは疑問符を浮かべたが、そっとテツリの顔を見て彼の目線を追ってみると、向かいのビルのスクリーンに向けられていることが分かり、さらにそこには星座占いの映像が映し出されていた。
『あなたの一週間を占う星座占い✳︎星は嘘をつかない✳︎』
なんとも胡散臭いタイトルだ。
だが、ともかくも府に落ちたヒカルは「山羊座だ」と端的に答えた。
「あ、ちょうど変わっちゃった」
「またすぐ出るだろ」
タイミングが悪いが、この手の広告なら少し待てばそのうちさっきの画面に切り替わる。2人は画面が切り替わるのをじっと立ち止まって見ていた。
今、スクリーンに表示されているのはおひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、4つの占いの結果、順番通りなら、やぎ座が表示されるのはこの次の次だろう。
「で、テツリの方は?」
ヒカルはテツリに視線を戻すと、暇つぶしも兼ねて尋ねた。
「あ、僕? 僕はね、アクエリアス」
「は?」
なんだコイツ、なぜに急に飲み物の話を……と、ヒカルは間抜けな顔をさらした。
もちろんこのアクエリアスは、あのアクエリアスのことではない。
「……水瓶座です」
「あー、はいはい水瓶座ね」
流石に水瓶座のことはヒカルも知っている。
「ごめんなさい、不親切でしたね」
「悪い悪い、教養の無さ出ちゃった」
アハハと笑いながら、ヒカルは呑気にそう言った。
「確かに水っぽい名前だわ、アクエリアス。結構好きよ俺、まぁポ—」
「あ、出ました」
そう言われたので、ヒカルもハッとなってスクリーンに視線を注いだ。
上から下へなぞるようにスクリーンを見ていくと、そこには控えめにやぎ座の占い結果が記されていた。
「え〜と、山羊座は……12位ですね」
実に申し訳なさそうにテツリは言った。12位、つまりは最下位である。
『人間関係で足元をすくわれる予感。あまり人を信じ過ぎるとかえって自分が傷つくかも。ラッキーカラーは白』
そう記されてあった……。
「……」
「……」
「……テツリ」
「は、はい」
ヒカルは顔を落とすと、そのままテツリの横を通り過ぎた。そして少し距離をとったところで足を止めると、わざとらしく振り返ってこう言った。
「……俺たちは何も見なかった、それが真実だ」
薄ら笑いでそう言うと、フッと息を吐いてスタスタと歩き去っていった。
テツリは一連の流れに呆気にとられ、その場で石像のように固まっていたが、人混みに消えていくヒカルの姿を見て、柄にもなく叫んだ。
「現実逃避した!?」
"臭いものには蓋をしろ"の見本を見せつけられたテツリは、去って行ったヒカルの後を追いかけて行った。
ちなみにテツリの方の順位はと言うと7位。ヒカル曰く「下位のトップ」らしい……。
⭐︎
ビルの壁時計によると、時刻は16時45分を回ったところであった。西の空はほのかにオレンジ色に染まり、オレンジとブルーのコントラストが街に影を落とし始めていた。だが都会に巣食うカラスたちの鳴き声が非常にやかましい、そのせいでその色は何やら不吉な前触れのように見える。
この時間帯、街にはだんだんと帰宅者らしき人たちが増え始めていた。その集団の中に、ヒカルとテツリもいた。
あっという間の1日だったと、2人はそう感じていた。
「……何事もなくて良かったですね」
テツリは言った。今日1日ヒカルと過ごしたが、別に何か不運なことは何も起こらなかった。
「まぁ占いなんてそんなもんだろ」
そうだ。占いの結果が最下位だからと言って、必ずしもそれが不幸に直結するわけではない。
大体同じ星座をした人なんて、探そうと思えばキリがない、数えきれないほど存在する。その全員が全員、その占いの結果通りの顚末を送るなんて、どう考えたって無理があるだろう。
当たるも八卦当たらぬも八卦、占いとはそういうものである。
「占いなんて、基本は気の持ちようだ」
「にしては落ち込んでたように見えましたけど?」
「そりゃあ……悪いよりかは良い方がいいだろ」
「それはそうですね」
口を尖らせながら言うヒカルの至極もっともな意見に、それもそうですねとテツリは納得した。
しばらくしてあたりが暗さを増していくと、2人も帰宅することにした。
新たにゲームの参加者に与えられたオプションでワープすれば、一瞬で帰ることが出来る。ただ、流石に人前で大っぴらにそれをするのは問題だと思うので、2人はまず人気のないところを探して歩いた。
「それにしても、便利になったよな」
「便利?」
「移動のことさ。前までは徒歩で行けるとまでしか行けなかったのに、ワープ出来るようになったおかげで割と遠出も出来るようになったじゃんか」
今日もそうだ。今まで通りだったら廃校の近所をウロウロするだけで、なんの面白味のない徘徊で終わるところを、ワープのおかげでこんな都内まで出ることが可能となった。
「最初からこの仕様にしてくれれば良かったのにな」
「まぁ……あの閻魔様のやることですからね」
テツリがそう言うと、ヒカルも妙に納得して「確かに」とため息をついた。
あの閻魔は全くもって分からない。何を考えているか、何が目的なのか、何が見えているのか。
内心も子供じみている時もあるが(というかそれが大半だが)、妙に達観していて不気味な時がある。そのせいか、一応2人にとっても生き返りのチャンスをくれた恩人なのだが、閻魔に対する2人の印象はあまり良いものではない、イマイチ信頼を欠いていた。
しかしまぁ、立ってるものは親でも使えという言葉があるように、せっかく与えられた新オプションを使わない手はないだろう、何しろ便利過ぎるのだから。
「その気になれば沖縄と北海道を日帰りで回れるのか」
「そうか……。そう考えるとやっぱすごいですよね」
「まぁ俺はどっちも行ったことないけど」
西は広島、東は秋田、それがヒカルのワープでの移動可能範囲である。
「僕も北海道はあるけど、沖縄はないなぁ」
「へぇ、海より雪派か」
「いえ違います。ちょっと問題がね」
「問題?」
「飛行機、嫌いなんですよ。北海道は電車1本で行けますけど、沖縄は無理ですから」
「そもそも電車ないもんな」
折しも踏切を渡りながら、ヒカルは答えた。
「まぁ仮に僕が飛行機に乗れたとしても、沖縄なんて行かないでしょう」
「なんで?」
「いや、教師の仕事しながら、沖縄に何泊もする余裕なんてないですもん」
「……そっか」
ちょっとヒカルも納得しかけたが、「でもそれなら北海道も同じじゃ?」と、新たに疑問に思って尋ねると、テツリは「北海道には祖父の家があったから」という、答えになってるようななってないような微妙な答えを返した。
「休日も部活とか、授業の前準備しなきゃだし、保護者の意見は飛んでくるし、生徒が問題起こしたらその対応に追われてと、気が抜けないですから」
「大変だな」
「まぁ僕はなりたくてこの職についたから、仕事の量が辛いくらいで折れたりしませんけどね!」
むふんと、テツリは胸を張ってそう宣言した。
しかしその態度に、元警官のヒカルの目は若干の違和感を捉えていた。
「なんか強がってない?」
いつものテツリと比べると言動に違和感というかズレを感じる。嘘をついているのではと、ヒカルは疑ったのだ。
「いえ、強がってなんていません。仕事が辛いとは何度も思いましたけど、それで教壇を降りようと思ったことは1度たりともありません」
そうキッパリとテツリは否定した。ただ、
「けれど前にも言った通り、その教師が激務なせいで子供たちには……苦労をかけてますね」
と、重々しい口調で付け足した。
……初めて会った時も、そう言ってたな—
テツリの過去に何かあったのだろうというのを察することはそう難しいことでは無かった、それについて聞けるかは別問題だが。
「そう言えば、今ヒカル君は拠点を作ってると言ってましたね?」
瞬時に笑顔に表情を切り替えたテツリに、その豹変っぷりにヒカルは正しい反応が分からず、つい目を泳がせた。
「違いましたっけ?」
「いや、合ってるさ。まだ散らかってるけど、そのうちキレイになるよ」
「その時は、僕のことを招待してくれますかね?」
「え、あ、あぁ、もちろんだ」
ヒカルはちょっと口ごもってしまった。少しばかり寒気がしたのは、夜のせいだけではないはずだ。
「約束ですよ、楽しみにしてます。どんな部屋を用意するのか」
「まぁ、多分大した部屋にはならないぞ、センスないんだよなぁ、俺」
そう言ってヒカルは首に手を当てた。
逆にナルミの方は、意外とこういうセンスはある。ヒカルとナルミが生前一緒に住んでいた部屋も、インテリアから壁紙、ついでに部屋の間取りまで、全て彼女が決めたものだ。ファッションも、彼女が口出しした時の方が評判が良い。
「……外れると良いですね」
「? 何が?」
突然の話題の変更に、ヒカルは何のことなのか聞き返す。
「占いのことです」
「ああ、占いね。別にもう気にしちゃいないし、明日には忘れてるさ」
ヒカルは静かな笑顔を浮かべながら、さらりとそう言ってのけた。
しかし、果たしてその占いが引き寄せたのか、あるいはまた別の必然か……。ヒカル、そしてテツリの脳内にも電流が流れたような衝撃が走った。
この感覚の正体、2人はすでに分かっている。
「!? 今の感覚!」
「……その反応、そっちも来たんですね」
お互い歩みを止め、その場で顔を見合わせた。間違いない、またどこかに霊獣が現れたのだ。すぐに駆けつけなければ、でなければ、多くの人命が失われる。
「チッ、また夜なのか」
ヒカルの保持する能力は、晴れ間じゃないと本領を発揮できない。にも関わらず、霊獣が現れるのは夜が多い。やはり死んだ魂は夜を好むのだろうか?
「大丈夫、力を合わせれば、何とかなりますよ」
ヒカルと同じ方向を向きながら、テツリは言った。
「そうだな。こうしちゃいられない」
「前みたいな大惨事は、もう起こさせやしない!」
今、2人の思いは同じ、霊獣を倒し、より多くの命を救い出す。その思いに、ゲームの勝敗は関係ない。
「行くぜテツリ!」
「はい!」
2人の若者は、まるでその存在が幻であったかのように、一瞬のうちにその場から消えた。