第一編・その1 進歩・進捗・成長
ゲーム開始から、12人の亡者たちが現世に帰ってからすでに早1週間が経過。
そしてそれを機に、閻魔によって新たなオプションがゲーム参加者たちに与えられた。そのオプションとは「任意の場所に自由にワープが出来る」であった。
今まで参加者は霊獣が現れた場合に限り、その付近にワープが出来るというオプションが与えられていたが、今日からは行ったことのある場所に限り、自由にワープが可能となった。
このワープを行うには30秒間、一切動いてはいけないという制約があるため、戦闘中に利用するのは厳しい。しかしこれによって、参加者はあることが可能になった。
行ったことのある場所になら自由に移動が出来る、つまりは拠点を設けることが可能になったのだ。
「よっしゃ、これで徒歩帰宅地獄ともオサラバだ」
そのことを知った佐野ヒカルは、早速嬉々として拠点作りに勤しんだ。
工事が途中で頓挫してしまった廃ビル、その5階。日当たり良好、広さも十分、惜しむらくはライフラインの喪失、しかし別に体を休めるだけならそんなもの大して重要じゃない。
ここに決めた—
場所を決めた後は、ある程度の整備が必要だった。肩の痛みも忘れて、ヒカルは床に散らばるガラクタの片付けに没頭した。
もちろん廃ビルに住むことは立派な違法行為である、ではあるが、何というか子供の頃に秘密基地を作ってワクワクしたような高揚感、童心に帰った心がヒカルにその違法性を薄いものと感じさせていた。
ただ一応もし追い出されたら、ズコズコと引き下がろうと決めてはいた。
それを防ぐためにも、ヒカルは黙々と片付けを続けていた。
「ふいー、まだかかりそうだな」
どれだけの時間、作業していたのか。ヒカルが気づかないうちに、朝日だった太陽はすっかり天辺まで昇っていた。
「暑っちぃな」
冬とはいえ、ずっと作業していたヒカルの額には汗の粒が吹き出していた。おそらく半袖でちょうどいいくらいだ。
しかしそれだけやっても、まだ床は大部分がガラクタに覆われていて、その敷き詰められたタイルの全容を見ることは出来ない。その事実に、ヒカルはハッキリとしたため息をついた。
「……あんまりやってると嫌になるな」
ヒカルは思わず独り言を呟いた。ハッキリ言って、流石に飽きた。たった1人で単純作業を永遠と続けることは、かなりの重労働、苦痛、つまらない。
それにもう1人で寝っ転がれるだけのスペースは確保出来ている。見栄えはともかく、正直自分1人で使うだけなら、もうこれだけで十分な気さえしてくる。
それにどう頑張っても、この残ったガラクタの山を見れば、今日中に作業が終わらないことは明白だ。だったら今、無理して作業を続ける必要もない。急いては事を仕損じる、ともよく言うし……。
「まぁ根を詰め過ぎるのもあれだしな」
「うんうん」とヒカルは自分で勝手に納得した。やり過ぎてここを嫌いになるのも悲しいことだ。
というわけでヒカルは、今日の作業はここまでにし、いっちょ気分転換をすることに決めた。
しかし何をするか? 選択肢は限られていた。
「……せっかくだし、使ってみるか」
早速ヒカルは、新しく手に入れたオプションを使うことにした。
その前準備のため、特に何の意味もなく掃除した床に体育座りした。
⭐︎
都内・某廃校
「おー、いたいた」
扉を開けると、お目当ての人物が畳の上に座っていた。相変わらずのジャージ姿に、ヒカルはなんとも言えない安心感を覚えた。
「ヒカル君、何となく来るような気がしてましたよ」
その返事を聞いて、ヒカルはほっとした表情を浮かべた。
そして部屋の中に入ると、ヒカルはその男の隣の畳に腰掛けた。
「久しぶりだなテツリ、いつぶりだっけ?」
「3日、でしたっけ」
「あれ、意外と経ってない」
「経ってないですね」
いつも通りの丁寧語で、テツリは答えた。
「……何かしらあったんですね?」
「え?」
「顔に書いてありますよ」
そう言われると、ヒカルは反射的に顔を手で覆った。その様子を見たテツリは、まるで街中で無邪気な子供を見た時のような微笑みを浮かべた。
「な、なんだよその顔……恥ずかしいな」
微笑みを受けて、ヒカルはそっぽを向いた。
「分かりやすい人ですね」
「むっ!」
「良い意味で言ってるんですよ、良い意味で」
「良い意味で?」
「そう、良い意味で」
「……なんか、それ言ってりゃセーフみたいに思ってない?」
ヒカルがそう言うと、テツリは大げさに手を振って否定した。それでもなおヒカルが懐疑的な目を向けると、「素直な人間性を褒めたんです」と付け加えた。
「そっかぁ……」
そう言われたら、ヒカルも納得するほかなかった。
そしてテツリは人知れず、ホッと息をついた。
「まぁ、でも確かにテツリの言う通り、この3日間色々あったのは事実だな」
そう前置きすると、ヒカルはこの3日間の出来事のあらましについてテツリに説明した。
最初のうち、テツリは「へぇ」とか「ほうほう」とか適当に相づちを打っていたが、話が終盤になるにつれて聞くことに真剣になっていったのか、だんだんとその頻度が減り、ついには無口になった。
そして話が全て終わった時、テツリはかしこまって畳の上で正座すると、ヒカルに向かって深々とお辞儀してこう言った。
「なんと言っていいか分かりませんが、とりあえず婚約おめでとうございます」
「いやいやそんな丁寧に、こちらこそ」
そう言って、ヒカルも同じく正座して深々とお辞儀した。
「何か覚悟してたのは察してましたが、まさかプロポーズだったとは」
「へへ、驚いたろ?」
「そりゃあ驚きますよ」
「まぁ1番驚いたのは俺なんだけどな。本当はプロポーズするつもりじゃなかったし」
「へ? どういうことです?」
「ん〜……なんというか、気持ちを押し殺して、必死に考えたことを言おうとしたら、ついウッカリ本音の方が出ちゃった……みたいな」
「……?」
「いや、本能が暴走した……みたいな?」
「……??」
要領と合理性を得ない話ぶりに、テツリはただ上手く理解が出来ず困惑するばかり、かといってヒカルにもこれ以上適切な説明は出来ない。だってこれが紛れもない事実なのだから。
「……まぁ結果良い方に転んだ気はするよ。今のところはな」
そう言って無理やり話をまとめて断ち切った。
そしてヒカルはおもむろに、来た時から持っていた風呂敷包みの小箱を間に置いた。おかげで注目の的はそちらの方にずらされた。
「それは?」
「これはその彼女から貰った差し入れ、一緒に食おうぜ」
「え! そんな悪いですよ」
そう言ってテツリは両手を揃えた。
「せっかくの彼女さんの弁当なんだから、ヒカル君が堪能してくださいよ」
「いいって、いいって、今まで散々ご馳走になったんだからこれくらいさせてくれよ」
ヒカルが弁当箱をテツリの方へ押す。
「いやいや……ご馳走って、ただの乾パンだし」
テツリも押された弁当箱をヒカルの方へ押し返す。
「いいからいいから、俺1人じゃ食べきれるか分からんし」
「この大きさなら余裕でしょう」
「……いやこの場合、量は大した問題じゃない」
「……は?」
「……」
「どういう意味で?」
「まぁ食えよ……」
「……いやいや」
遠慮の精神で、2人は弁当箱を押し合った。そんな無駄なやりとりを繰り返すこと3回、「じゃあお言葉に甘えて」の一言がテツリから飛び出したところで、このやりとりはやっと終わった。
「じゃ、食おう」
「何が入ってるんでしょうね」
「多分分かるぞ」
そう言って、ヒカルは弁当箱をテツリの鼻先に近づけた。
その瞬間、息をした瞬間にテツリはその中身が何なのか完璧に理解した。
「……分かった、カレーですね」
その答えにヒカルは指パッチンをし、次いで結果発表と言わんばかりに弁当箱の蓋を外した。
外すとより一層香ばしいカレーの匂いが漂ってくる。じゃがいも、ニンジン、ブロッコリー、彩り豊かな野菜と、茶色のルーがベストマッチな比率で弁当箱に込められていて、なかなか美味しそうなカレーだ。
「あっ、美味しそう」
テツリは素直にそう言ったが、色々彼女の料理スキルに関して理解が深いヒカルは、その出来栄えになんとも言えない微妙な表情を浮かべた。
美味しそうと言ったテツリの方も、あることに気づくと顔を上げ、ヒカルの方を見る。
ちょうどお互いに目が合い、そして2人とも同時にカレーに目を落とす。
「……ルーだけですか?」
「……ルーだけだ」
2人とも悲しげに、弁当箱いっぱいのカレーのルーを見つめた。
しばらくの間、沈黙がその空間を支配した。
「いやだってさ、満面の笑みで『これ食べて元気出してね』って言った彼女に『米くれ』って言えるか?」
何か言いたげに自分を見るテツリにヒカルは尋ねた。
「……まぁ、言いづらいでしょうね」
「まぁ言ったんだけど……」
「言ったんですか!?」
「直接言ったわけじゃないぞ。でも『他に渡すものとかない? あるならちょうだい』って聞いて『ない』って即答されたら、諦めるしかないだろ、もう『ありがとう』しか言えねぇよ」
そもそも突然アポもなしに訪ねておいて、そのくせ差し入れに文句を言う権利なんてあるはずがない。
さらに言うなら、人の彼女の料理を分けてもらっておいて、その中身に苦言を呈する権利なんてもっとあるはずがない。
2人とも言葉に困り、何度も何度もお互いの顔をチラチラ見た、何か言ってくれと願い。
「とりあえず食べましょう」とテツリが言った、まではよかったのだが、肝心のスプーンとか、食器の類も一切ついてなかったので、2人ともゴッチャゴチャの感情で食器を探し回った。
「……やっと食えるな」
「え、えぇ」
それらを探し出した2人は疲労感満載でカレーの前についた。
「「いただきます」」
パクリッ
「! 美味しいですね、うん、これは美味しい。給食のカレーにも負けないかも。……ヒカル君?」
二口目をすくおうとしたテツリはギョッとした。
「どうしました?」
目の前にいるヒカルは、一口目のスプーンをくわえたままフリーズしていた。
鳩が豆鉄砲を食ったよう……違う。
天にも昇る心地……違う。
雷に打たれたような……違う。
言葉には形容し難いが、とにかくヒカルは衝撃を受けた顔をしていた。
そしてカレーの匂いで我に帰るなり、こう言った。
「う、美味い!」
そして二口目、三口目、四口目と、止まることなくスプーンでカレーをすくっては、それを口の中へ送り込む。
十二口目で再びフリーズすると、震え出した。
「そんな馬鹿な……。アイツが、こんな美味いカレーを作れるなんて……」
「いや……失礼過ぎません?」
テツリのもっとも過ぎるツッコミをよそに、ヒカルはなおも同じ調子で続けた。
「(生)前に食べた時はシャバシャバの謎スープカレーだったのに、このカレーはトロミがあるじゃないか!
野菜もちゃんと皮をむいて、適度な大きさに切ってある……。火もしっかり通してあってシャキシャキ言わない!?
見た目だけじゃない、味も前までは濃けりゃいいだろって言わんばかりのドギツイ味だったのが、カレーの王道を行く味にまで整えてある!
これが本当にあのナルミが作ったカレーだと!? 一体アイツ……何があった!?」
ヒカルの脳内をおびただしい量の思考が駆け巡る。この間、わずか2秒弱、理解の範疇を超えた衝撃にヒカルはしばらく放心した。
「……おーい、ヒカルくーん」
「はっ! 悪い、危うく気を失うところだった」
「どんだけ衝撃なんですか……。カレー食べたくらいで」
流石に懐の深いテツリといえど、このヒカルの一連の言動には呆れを隠せなかった。
しかしカレーの魔、ひいてはナルミが料理をちゃんと作ったという事実に痺れていたヒカルがそれを気にすることはなかった。
「驚いた……。アイツいつの間にこんな美味しいカレーを作れるようになったんだ」
「人間は日々成長する生き物ですからねぇ」
ようやく二口目にありついたテツリはそれっぽいことを言った。
「くそ! こんな美味いと知ってたならなんとかして米も貰っておけば良かった!」
ヒカルが後悔に打ちひしがれる中、カレーはみるみる減っていき、あっという間にたいらげられた。食べた比率的には9:1くらい。