第四編・その4 暗中の光明
「…………う、うーん……!」
ヒカルは薄暗い小屋の中で目を覚ました。体を起こし、じっと自分の手を見つめる。変身は解けていた。
全身がぐっしょりと濡れて、周りには水溜りが広がり、天井から絶え間なく水滴が落ちて来ている。
それを見たヒカルは、自身を呑み込んだ大波の規模を思い知った。
なんとか生き延びはした。しかしヒカルは胸を撫で下ろすよりも先に、あたりの様子を確認しようと立ち上がる。まだここが安全であるとは限らないからだ。
白装束の男に外套の男、ヒカルには敵が多い。もし見つかれば、彼らは容赦なく襲い掛かって来るだろう。自分の身を守るためにも、今の状況を知っておく必要がある。
「ヴェッ、ベトベトだ、気持ち悪り。しょっぺ、これ海水か?」
海が近かったこともあり、地中から噴き出した水は塩気を含んでいた。それの大波に巻き込まれたから、今のヒカルは全身隈無くしょっぱくなってしまっていた。
しかしそのことを気にする前にやることがある。ヒカルはドア扉が大破して、開けっ放しになっている入口の影からそっと外を覗き見る。
「……近くにはいないかな?」
幸いにもあたりに不審な人影は目視では確認できなかった。万が一今、ヒカルが彼らと鉢合わせたら、まず勝ち目はない。本当に幸運だった。
ヒカルはやっと胸を撫で下ろし、壁にもたれかかりながら地面に座った。
「ったく、なんなんだアイツの能力は……。色々持ってたな」
座りながらヒカルは頭を抱えた。
なぜ、あの白装束の男はいくつもの能力を行使出来るのか。
閻魔様の言葉が正しければ、使える能力は1人1つまでである。実際ヒカルは、ブリリアンに変身することしか出来ない。それ以外は普通の人間と同様だ。
しかしあの白装束はまず風を操り、火球を放つと、最後には大波を操っていた。さらにヒカルは知らないが、加えて重力も操れる。
色々と不可解だが、考えられる可能性はあった。
「……自然を操る能力か」
火も水も風も、系統としては全部自然現象だ。自然を操る能力ならば、それら全てを1つの能力として使うことが可能だろう。
「なんかズルい気が……」
そんな何でもありなチートに近い能力を持つ相手、どう戦えば良いのかさっぱり分からない。どう考えたって強いに決まってる。
そりゃ態度はでかくなるし、好戦的にもなるよなとヒカルは1人納得した。
が、その場にいたのはヒカル1人ではなかった。
「……お前も、生きていたか」
「!」
ヒカルはうつむいていた顔をバッと上げ、自分のことを呼んだ男—さっきまで戦っていた1人である、外套の男を見つめた。
彼もまた全身ビショビショになっている。しかしへたれこむヒカルと比較すると、彼はまだピンピンとしていた。
男の姿を見て、ヒカルは直ちに立ち上がった。
「……元気そうだな」
ヒカルが尋ねると、彼は歩みながら答えた。
「まぁな。どんな過酷な環境にも、獣は適応出来るからな」
あの大波に呑まれかけた瞬間、男はとっさに自身の能力を行使して、コウテイペンギンに変身した。
泳ぎが得意で、息継ぎなしでも20分は水の中で活動出来るコウテイペンギンは、大波を堪えるのにうってつけの動物であった。
激流だったために沖の方まで流されてしまい、帰ってくるのに少々時間がかかってしまったものの、おかげで彼はあの大波に呑み込まれながら大した傷も負わず、こうして無事に歩けているのだ。
そして白装束と決着をつけようと、わずかな気配を頼りにこの小屋に裏口から侵入したところ、偶然ヒカルと出くわして、今に至る。
「さて、ここで俺と出会ったのが、お前の運の尽きだ。残念だったな」
男は腕から鋭利な角を生やす。やはり戦う気満々なようだ。
「まだ戦うのか」
「言っただろう。勝つまで……戦うと!」
水しぶきをたてながら、男は走り寄る。
「くっ!」
「逃げられると思うな」
男はヒカルの前に立ちはだかる。
「うっ、変……」
「させない!」
男は矢継ぎ早に攻撃を繰り出してくる。ヒカルは変身をする間もなく、徐々に壁際へと追い込まれていった。
「!」
ヒカルの背中が壁に触れた。
終わりだ—
男が腕を振り上げた。
バキィッッ!
「うぐっ!」
ヒカルの顔が苦痛に歪んだ。角で打たれた左肩から骨が砕けた音が響く。だが……
ゴッッ!
負けじとヒカルも男を殴り返した。強烈な一撃に、殴られた男は背中から倒れた。
「くっ……意外と効くな」
頬をさすりながら男は立ち上がる。
「……変身」
すかさずヒカルは再び変身、痛みが引くことはないが、これから受ける痛みを和らげることは出来る。
しかし再変身なため、その変身維持時間は本来のものより大幅に短くなる。その時間、およそ2分。
だから変身した途端、ヒカルは一気に男との間合いを詰めた。
だがヒカル側の事情を知ってか知らずか、男はあまり積極的に攻めようとはせず、ひたすら回避と防御に徹する。
痛む左肩と、疲労のせいで、ヒカルも体が思うように動かせない。攻めあぐねているうちに、あっという間に時間は過ぎていった。
「ん? もう時間切れか」
ヒカルの体から光の粒子が溢れ出すのを見て、男は口の端を吊り上げた。
「思ったより早かったな。まぁ手間が省けていい」
「さてはお前、最初っから俺の変身が解けるまで待つつもりだったな!」
「フン、わざわざ相手が強い時に真っ向勝負してやるほど、俺は優しくないんでな」
男は飛び退いて一定の距離を保つ。互いに手を伸ばしても届くことのない距離、肉弾戦主体のヒカルの能力には厳しい距離だ。
「その変身が解けた時、それがお前の最期だ」
「お前、前もそんなこと言ってたなッ。でも俺は生きてるッ」
「俺が同じ轍を踏むと思うか。あのつまらない目眩しは、もう通用しない」
「あれは、秘密兵器だからな! そうポンポン見せるもんじゃない!」
「そうか……。ならどうする」
「……ッ」
「動きが鈍くなってきたぞ。もう限界か?」
「……まだだ。これくらいでへばるような鍛え方はしてない!」
「そうか。だがお前は大丈夫でも、変身能力は限界のようだな」
「あっ…………くっ!」
ついにヒカルの変身が解除された。それを皮切りに男は一転攻勢に出た。様々な動物の力を駆使し、男は生身のヒカルにも容赦なく襲い掛かる。
ヒカルはと言うと、男の猛攻から逃げるだけで精一杯だ。やはり生身で、実質能力ナシで戦うのは厳しい。
「ちょこまかと」
「さっきまでのお前と一緒だ」
その指摘に、男は一瞬顔をしかめた。
「だが、逃げてたところでお前が有利になることはない。ただ寿命を少しだけ伸ばせるだけだ」
男がヒカルに殴りかかる。だが殴りかかったはずの男は1秒後には水たまりに背をつけていた。
ヒカルに巴投げの要領で投げられたのだ。
—全く、まだそんな力があったのか
そう思いながら男は手についた水を舐めた。海水だからかしょっぱい、その味が男の意識を研ぎ澄まさせる。
「……甘ちゃんにしてはやるな」
「ハァ……ハァ、そりゃどうも」
礼を言うヒカルは左肩を押さえていた。さっきの投げで痛みがピークに達したらしい。
もう気絶してもおかしくない痛みだが、ヒカルにも願いがある。"恋人であるナルミと結婚する"という願いが……。その願いを叶えるためには、ここで死ぬわけにはいかない。その一心で、ヒカルは懸命に意識を繋ぐ。
「だが、結局勝つのは俺だ、諦めろ」
「諦める?」
ヒカルは「フッ」と笑った。
「諦めたら死んじゃうだろ……。俺はな、死が嫌いなんだよ」
ヒカルは眼球が落ちるのではと思えるほどに目を見開いて言った。
その鬼気迫る表情に、圧倒的優位に立っているにも関わらず男の背中には冷や汗が伝い、髪が逆立つような感情が芽生えた。
「……この死に損ないが」
芽生えた感情を否定するかのように男は首を振った。
「ありえない、俺が負けるはずはない!」
男は威勢よく走り出すと、勢いそのままにヒカルの腹を蹴った。
「!」
が、その脚をヒカルが掴んだ。そして掴んだ脚をヒカルが投げ上げると男は尻餅をつき、そこをヒカルが追撃する。
ガッッ!
男は壁側まで滑った。幸い両腕でのガードが間に合ったので大したダメージにはならなかった。
一方ヒカルの方は荒かった息がさらに荒く、顔も青くなっていた。
しかしそんなボロボロの状態で、男にまとわりついていた。
「ホント……つくづく面倒な奴だよ、お前は」
男は呟いた。気づかずも内に抱くその感情に、若干の変化が現れていた。
そんな時、男はヒカルとは別の気配が近くにあることを察した。どうも、白装束の男がここに近づいて来ているようだ。
「……ハァ」
そして男はため息をついた。
「ここで、白装束に会うのは都合が悪いんだ。だから、とりあえずお前の相手はまた後だ。……おめでとう、お前の粘りが実ったよ。……忌々しい」
そう告げると男は本当にヒカルを1人放置して小屋を後にした。駆け音が何処かへと遠ざかっていくの聞き、ヒカルは膝をつき、そして地面にうつ伏せになった。冷たい水溜りが、肩を冷やして癒してくれる。
「た……助かった」
ヒカルは肺から全ての息を吐き出す勢いでため息をついた。
「今度ばかりはホントに運のおかげだ……。あんまり無茶はするもんじゃないな、これじゃ命がいくつあっても足りねぇ……」
ヒカルは自分に呆れると、次いで「逃げるなら今しかないな」と残された力を振り絞って立ち上がった。
幸い折れたのは肩の骨だから、走ろうと思えば走れなくはない。(それで逃げ切れるかはさておき……)
「あれ? なんだこれ?」
水溜りに光るものを見つけ、ヒカルはそれを拾い上げた。
「……ペンダントかな?」
デフォルメされたフクロウの飾りが付いた、金色のペンダントであった。まるで新品のように、汚れ一つなくピカピカに手入れされていた。
「……」
ヒカルはそれをポケットにしまうと、さっさと小屋を立ち去った。
緊張から解放されたからか痛みが増し、そのせいで足取りはふらついていた。