第三編・その4 俺は誓った
男が飛び立とうをした瞬間に、ヒカルは男の狙いを察していた。
おそらく男はこのまま空を飛び、そして安全な場所で時間を稼ぎ、そして変身が解けた瞬間に急襲を仕掛けるつもりだ、と。
そうなれば敗北は必至。
だからヒカルは男が飛び立った瞬間に跳びついた。
ブリリアンの最高跳躍点は15メートル、流石にすぐにはその距離を超えることは出来ず、男は脚をヒカルに掴まれた。
そしてヒカルは怪力で男を無理やり地面に叩き落とした。
「ほぉう、そんなことも出来るのか」
男は服についたホコリを払いながらいった。
しかし、この一言によってヒカルの中にある閃きが生まれた。
コイツが知ってるブリリアンの能力は、この間蜘蛛型と戦った時に使ったまでの範囲。
だったらアレが効くはずだと、時間がない今、そしてテツリを連れて逃げる必要もある以上、アレを使うべきだと。
「……受けてみろ。……ッゥゥオオオッ!」
妙にこもった声が響くと思うと、ヒカルの体は光に包まれ出した。
一体何をするのか? それが分からない男は警戒心を強め、ヒカルの挙動に注視を捧げた。
「ブリリアン……ダズリングッ!」
ヒカルの体は、その掛け声と共に激しく発光。あたりは一瞬、昼間のように明るくなった。目を瞑っても眩しいほどの光だった。
そんな光の間近にいた男は、その場で目を押さえ、ついで片膝をついた。
そしてそれを見届けるとヒカルは振り返り、走り出した。
「テツリ! お前もとりあえず変身しろ!」
「は、はい!」
訳も分からないまま、テツリは言われた通り能力を行使した。
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その能力によってテツリの姿もまたブリリアンへと変わる。
そして、ヒカルはそのまま瞬時に姿を変えたテツリをお姫様抱っこで抱えると、時速300キロを超えるスピードで脱兎の如く逃げていった。
「チッ、目潰しとは、随分と凶悪な技を持ってやがる」
両目から涙を流しながら、男は1人その場に取り残された。
「……フン、長居は無用だな」
そう呟いた男は、しばらくその場に留まったのち、空へと飛んで行った。
「……あの男、ヤバイ奴でしたね」
しばらく経って、ヒカルとテツリは大通りから少し逸れた大型コインランドリーへ逃げ込んでいた。
ここならある程度人通りもあるから見つけられにくいし、手も出しづらい。休むためのベンチもあるし、それに長時間滞在してても不審がられない。何より入るだけなら無料だ。
「最初、僕のことを診ようとしたのも方便で、本当はそれで近づいて殺すつもりだったんですよね。
もしヒカル君が見破ってくれなかったら、僕は間違いなく死んでましたよ。いやぁ、本当ありがとうございます」
「……ちょっと挙動が不審だったから。気になっただけだよ」
「流石警察官ですね!」
「……ありがとう」
ヒカルは通りの方をずっと見ていた。
テツリが座っているのは店内側の方だから、その顔は見えない。
返事もどこか上の空で、どうも心がこもっていない。
「……あの男のこと考えてるんですか?」
テツリが尋ねると、ヒカルは「ん〜」と返答に困ったような声を上げ、頭をかいた。
「……アイツに言われたことが、ちょっと引っかかってな」
「……もしかして、甘ちゃんって言われたの気にしてるんですか?」
「いや、そっちじゃなくて、願いのためならどんな手でも尽くせって言ってたのがな」
ヒカルの声にため息が混じった。
「ああ、そっちでしたか。あんなのきっとただの詭弁ですよ。ただ自分の行為を正当化するための言い訳なんじゃないですか?」
「……そうかもしれない。けど—」
一瞬ヒカルは息を呑んだ。そのせいで、次の言葉が喉の奥に引っ掛かった。
「俺は正直、あの時否定ができなかった。多分、心のどこかでは、アイツの考えに思うところがあったんだと思う。別に……おかしくはないって」
「へぇ……まさかヒカル君! ……僕のことを」
テツリは驚いた様子で自分を指した。が、ヒカルは笑いながら手を顔の前で振った。
「……殺さないよ、絶対殺さない。死の重さに関しては、俺は誰よりも知ってるつもりだから。だから俺は誰も殺せないよ。そんな簡単に選んでいい手段じゃないから、死は」
ヒカルは目を閉じた。
思い浮かぶのは何度となく立ち会った死の現場、悲しみがはち切れた顔、それを思えば、どんな理由があろうと殺しを認められるわけがなかった。
しかし同時に思う。どんなことをしてでも願いを叶えたいという思いは、決しておかしいことではないと。
「そうですか。良かった」
それを聞いてテツリはほっと胸を撫で下ろした。
自分とヒカルが戦えば、どうも勝ち目はないと思っているらしい。
「……たださ」
「ただ?」
「……ただ、アイツが言ってたみたいに、殺しに走る奴は他にも出るだろうなと思う。
だって誰だって考えるもん、このゲームの条件を言われたら。下手したら、もっと卑劣な手段を取る奴も出るかもしれない」
そこまで言うと、ヒカルは立ち上がった。
「そう考えてみると、このゲームで優勝するのって、トンデモなく難しいんだなって。
正直、なんやかんやで自分は生き残れはするだろうと思ってたけど、いつ死んでもおかしくないんだなって、今回のでよく分かったよ。
アイツの言う通り、俺は甘ちゃんだった」
「……ヒカル君」
「……なんだかな。ただ現れた霊獣を退治するだけだったらまだ何とかなっただろうに。申し訳ないけど霊獣は馬鹿だから。
でも場合によっては他の参加者も敵に回るってなると、ちょっと嫌だな。最悪の事態が起きるかもしれないから。それだけは絶対に、何としても阻止しなきゃいけない」
ヒカルは窓ガラスに映る自分に向け言った。そこに映る自分はまるで他人のようであった。
「だから今、1つだけ考えてることがあってさ」
「何ですか?」
「……ゴメン、テツリには関係ない。これは俺の問題だから」
そう言うと、ヒカルはテツリの方を向いて笑った。
笑顔には様々な意味があるが、この笑顔は他の感情を隠すための笑顔だと、テツリは経験から察した。
分かったからといって、何か言えるわけでもなかったが。
そして翌朝、東京には雪が降った。昨日、あれほどの事件が起きたにも関わらず、それに関係のないその他大勢の人たちは、まるで事件なんて最初から無かったかのよう、各々が思考を持ちながら雪が溶けてグシャグシャになった路を行く。
その中に、一際豊かな胸を持つ女性がいた。ヒカルの彼女、ナルミであった。
彼女も他の人と同じように路を行くが、途中思いがけない人物に会って、その足を止めた。
「あれ、ヒカル君? なにしてるの、こんななにもないとこで」
ヒカルが目の前に立っていた。しかも結構長く待っていたらしく、肩に雪をかぶっていた。
「……言いたいことがあって来たんだ、お前に」
「私に?」
雪のせいだけではない重い足取りで、ヒカルはナルミに歩み寄った。