第九編・その8 Flame of Revenge ――復讐の炎――
テツリがミウを抱え降り立ったのは、東京と神奈川の県境にある割と大きな緑地公園だった。
真夜中の公園は薄暗く、人の気配も感じられなかったが、地面があって、敵もいないそこは、ひとまず彼らが身を落ち着けるには十二分であった。
「はぁぁぁ~、本ッッッ当に良かった」
安心してすっかり力が抜けたのか、テツリは体中に満ち満ちる疲労が空っぽになるほどの長い息をつくと、体育座り崩れの体勢で土の地面にへたり込んだ。
ミウは自分を救い出してくれたテツリのことを見つめると、
「……この度はご迷惑おかけしました」
と、手を揃えてペコリと頭を下げた。
「あれ? 口に出してました?」
心の中の呟きに返事をされ、テツリは困惑の表情を浮かべたが、ミウは「はい」と簡潔に答えた。
「あ、そう……まぁ何にせよ、無事で何よりです」
頬をかくテツリはもう一度深い息をついた。
「怪我はありますか?」
「えーっと……見た感じ大丈夫かな」
「良かった。アイドルなのに傷が残ったらどうしようかと」
「エヘヘ、私、ずっと助けられっぱなしですね」
「フフ、気にしないでください、悪いのは君じゃないんだから。それに助けたいって思って行動したのは僕の意思だから」
「ホント、テツリさんは底抜けに優しいですね」
そう言われて、テツリはなんとも言えない苦笑いを浮かべ「それが僕の償いだから……」と呟いた。
「…………ありがとう。また私を助けてくれて」
ミウが小さな声でお礼を言った。それは大勢の人がいる喧噪の中ではかき消されるような声であった。けれど喧噪から程遠い静かな公園で、たった1つの声はしっかりと聞こえる。テツリはうつむいていた顔をそっと上げた。
そしてミウは両膝を地面につき、テツリの両手を取った。
「テツリさんに会えて良かった。魔法少女にされて、失ったものは多かったけど……それでもテツリさんにこうして出会えたことだけは本当に良かったって思う。本当に、本当にありがとう」
「……感謝してるのは僕も同じです。ありがとう、生きててくれて、それが何よりも嬉しい。君を助けられたことが、僕の誇りだ。やっと、やっと僕の手は届いたんだ……」
テツリは穏やかな顔を浮かべ、感涙に咽ぶのを堪える声でそう言った。
けれど……。
「いやぁぁおいおい感動的な話だなぁ」
てっきり自分たちしかいないものと思っていたその場に、拍手と共に痩身で髪もボサボサの男が現れたのだ。
2人の視線がその男に向けられる。
一体誰だろう? テツリは疑問思ったが、ふとミウの方にチラリ脇目を振ると、彼女はあからさまに怯える表情を浮かべていた。
「それで、これでめでたしめでたしのつもりか?」
その男がテツリを上から覗き込むように尋ねる。テツリは困惑したが、
「……ふざけんじゃねぇよッッ!! このクソ正義野郎が!!」
と答えるより先にその男の膝がテツリの顎をかち上げた。
無防備だったテツリは地面に背をつき、衝撃でミウと繋いでいた手も解かれてしまった。
「テツリさん!」
「おいフラムてめぇ、そんな媚びた声が出せたのか。ボクにも出さないような声、何コイツなんかに聞かせてんだ? お?」
頭上の威圧感にミウは身をすくめ、震えていた。そしてテツリは確信した。
「お前が……氷上ハレトか……」
そう尋ねると、ハレトは得意げに笑う。
「いかにも、ボクこそが氷上財閥御曹司、氷上ハレトだ。上里テツリ、まさかお前とこうして直接会うことになるとはなぁ。何回も何回も、何回もボクの邪魔をしてくれてっ!!」
「……っ!」
その目に宿る狂気を見抜いたテツリは起き上がろうとするも、ハレトがテツリの胸を踏みつけ、体重をかけた。頭を地面に打ち付け、肺を潰されるテツリは呻く。
「そうだ。せっかく会えたんだ、その分くらいはお礼をしてやるよ」
そう言うなりハレトはテツリの胸ぐらを掴んで無理やり起き上がらせると、唸りをつけてテツリの頬を一発殴りつけた。ガッという鈍い音の数秒後にはドサリと言う音が響いた。
「痛って!?」
そう言ったのはハレトの方だった。初めて本気で人を殴ったハレトは、痛む右手に息を吹き付け、振った。
「骨って意外と硬いんだな」
しかし憎きテツリを殴れて少しばかり胸がすいたおかげで、ハレトは晴れやかな表情を浮かべていた。そして今度はテツリの髪を掴んで引っ張り上げると、苦痛に歪むテツリの顔を容赦なく地面に叩きつけた。それでもなお、鬱憤を晴らしきれないハレトはおもむろに地面の土を一掴みし、それをこじ開けたテツリの口に押し込んだ。
「どうだ、美味いか? ん?」
だが有無を言わせずにハレトは次々と土をテツリの口に押し込んでいった。
飲み込めない固形物を際限なく詰め込まれてしまい、テツリは息が吸えない。手で地面を叩いて苦しんだがハレトは、そんな無言の訴えを知ってか知らずか、次の一掴みを構えていた。
「もうやめて!」
目も当てられない凄惨な行為に、ミウは出せる限りの声で叫んだ。だがハレトは
「もうやめて? もうやめてと言うんだったら、1つ方法がある…………。ボクと契約して魔法少女になれ!」
と言って、テツリをそのままむせるテツリをそのままに、ミウに顔を寄せた。
「そ、それは……」
「どうした? コイツを助けたいんだろ? だったら対価を払うべきだ! それくらい分かるだろう?!」
「……」
「良いのか? このままだとコイツ、お前のせいで死ぬぞ」
恩人の命を盾にされては、黙っていられない。ミウがその口を開きかけた時
「駄目です!!」
土を吐けるだけ吐き出し、涙目のテツリが必死になって叫ぶ。
「覚悟は、できている……。僕は、君を助けるために、命をかける覚悟はできている!! だから、君は君を生きて良いんだ。君は誰かに縛られて生きる必要は無い、僕にも……」
「おいおい誰が喋って良いって言った? ……誰が喋って良いって言った!!」
「んぐッ!!」
ハレトが両手でテツリの首を締め上げた。
すぐに息が続かなくなり、呻き声すら掠れ出せない。
「分かった……分かったから!」
そんなテツリの様子に、涙ながらにミウが訴えた。
「契約する、契約するから……それで満足なんでしょ……」
ハレトは振り返る。
「ああ、満足だ。加えてこれからは今後一切、ボク以外になびくな。ボクにだけ従え。それでコイツは助けてやるよ」
自分が優位であるという確信の元、ハレトは高圧的に言い放った。その背後で、テツリは怒りを燃え上がらせていた。
「馬鹿なこと……言うなぁぁああああッッッ!!」
「?!」
テツリはハレトの一瞬の隙を突いて躍りかかり、馬乗りになった。
「絶対に……絶対に許さない!!」
怒りにまかせテツリが拳を振り上げただけで、ハレトは情けない悲鳴を上げて顔を腕で覆った。
テツリにもはや躊躇はなかった。
けれど振り上げた腕を誰かに掴まれた。
「誰だ!」
テツリは振り向くも、その瞬間脇腹を蹴られ退かされた。
「やっと追いつきましたよ」
その声に腕を顔の前からどけたハレトは、パァッと顔をほころばせ、歓喜の声を上げた。
「マイ!! …………お前、何まんまと奪われてんだよ」
照れ隠しにハレトは詰問したが、
「まぁ良いじゃありませんか。終わりよければ」
と、マイは答えた。そして彼女はミウの方を見やる。
「さて、おおよそ話の流れは把握してます」
「お前見てたのか?」
「とりあえず、あなたが魔法少女になれば上里テツリを助ける約束でしたね」
「…………約束は、絶対に守ってよ」
そうミウが言うと、ハレトとマイはニッコリと笑う。
「もちろんさ。勘違いしないで欲しいんだが、ボクは君のことを本気で大切に思ってるんだ。君が本心からイヤなら、まぁそれくらいは許してあげるよ」
「だったら契約も嫌なんだけど……」
つい本音を零すと、ハレトはミウの目の前で思いっきり自分の手のひらでピシャリと、もう片方の手を叩き脅した。
「契約するの? しないの? コイツ助けるの? 見殺すの? どっち?」
「駄目です……どうせコイツらは約束なんて守らない!! だかr――」
「駄目ですよ。選択は自分自身で決めさせないと」
背後に回り込んだマイが手を回し、テツリの口を封じる。なんとか言葉を伝えようとするも、もはやテツリに振りほどけるだけの力は残っていなかった。
「さぁちゃんと考えて答えろよ。【ボクと契約して……魔法少女になってよ】」
ハレトが言霊を込めて尋ねる。
『駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!! 駄目だ!!!!』
テツリは心の中で叫び続けた。
するとミウと目があった。そして彼女はテツリにニッコリと笑いかけた。
「…………【はい】」
契約は、交わされた。彼女の目からは光が消え、彼女の胸から生まれた赤い光が赤色のコンパクトへと変化した。コンパクトは左手で握り、彼女はその手を前に突き出して構えた。
「変身……」
そう唱えると、コンパクトから伸び出した炎の帯が、生きた触手のように彼女の体中を巡り、巡った跡が装束へと変わる。
「再誕だ! 炎の魔法少女、フラムが蘇ったぞ!」
ハレトは諸手を掲げ、狂喜した。
テツリが必死になって取り戻したミウの自由と名前は、彼女をフラムと呼び続ける者たちによって、無情にもテツリの眼前で再び奪われてしまった。
「そんな、ミウさん……」
不甲斐なさに打ちひしがれるテツリはガックリとうなだれた。
さっき耐えた涙は、形を変えてポロポロと際限なく溢れだしてきた。
「哀れですね」
テツリにそう言い捨てたマイはミウの前に立ち、彼女の目を覗き込んだ
「さて、フラム。これから先、【私たちの命令には絶対服従しなさい……絶対に服従です】」
催眠をかけられたミウの目の色はますます仄暗さを増した。
「これでもう大丈夫。フラムはハレト様の元に帰還しました」
「そうかそうか」
ハレトは手もみすると、膝をついて背中を丸めたまま微動だにしないテツリに語りかける。
「ここまで生き延びたお前への手向けだ……。お前が守りたかった人の手で、あの世に送ってやるよ。…………【やれフラム】」
彼女の体は、彼女に意に反して動かされた。
たった1つの約束さえ、踏みにじられて……。
仕込みホウキから引き抜いた剣は、剣身に赤い炎を帯びており、テツリの頬を染めた。
「死ね、上里テツリ」
剣は、振り上げられた。そしてゆらり揺れる。
もういっそ、このまま楽にしてくれ…………。
辛い現実に心折られ、そんなこと思い始めていたテツリはそっと目を閉じ、その時が訪れるのを待った。
ザシュッッッッ!!
そう待つことなく、小気味良い肉を貫く音が響き渡った。
それから少しの間、永遠とも思える少しの間、静寂が流れ続けていた。
「…………」
つぶっていた目をテツリは開いた。そして見上げる。てっきり常闇が広がっているものだと思っていたのに、ミウが自分のことをジィッと見つめている。
一体何が起こったのか、分からなかった。
けれど自分の足下に滴り、赤い水たまりを作る血と、穏やかだけど両方の口の端から血を垂らすミウの顔を交互に見て、少しずつ何が起きたのか理解し始めていた。
けれど理解しようとはしなかった。したくなかったのだ。
しかし目の前の光景は、いつまで経っても消えてくれなかった。
「………ごめんね」
フラム……いやミウは、その言葉を絞り出した。
彼女は振り上げたその剣で、自らの胸を貫いたのだ。
「な、何やってんだテメェ!?」
ハレトが驚きふためき叫ぶとミウは、
「私は、あんたらのお人形さんになるくらいなら……私の存在が、大切な人を傷つけ、くらいなら…………死んだ……ほ……が…………」
と、彼女なりに最大の性悪の笑顔を浮かべ答えた。
「な、なんてことを……」
「ホント、ご……めん……ね………。でも……わ……た…………し………」
最期の言葉を伝えることは出来なかった。ミウは剣に胸を貫かれたまま、力なく地面に横たわった。
「ミ、ミウさん! ミウさん!!」
テツリは慎重に剣を抜き、ミウの名前を呼んだ。
「…………」
けれどもう、薄目を開く彼女から返事はなかった。
どうしようもない悲しみに覆われて、テツリは拳を握った。
どうして……どうして……なんでミウさんが死ななければならないのか……。
考えて考えて、悲痛にくれるテツリは、吸い寄せられるように引き抜いた剣が目についた。ミウの血がついた剣を手に取ると、剣は小刻みに震えていた。その震えは、剣身に反射する己の感情によるものだと……。
息が荒い。それに自分の体が自分の物で無くなったような、そんな感覚がテツリにはあった。
全身の毛が総毛立つ激情。
身中を駆け巡るソレが、行き場を失い絶叫となって溢れ出た。
「う……うぁぁぁぁあああああああッッッ!!!!」
怒り、悲しみ、憎しみ、絶望――万感を孕む叫びが轟いた。
テツリはミウが遺した剣を手に立ち上がる。
そして復讐心が、その剣身を黒炎で燃え上がせた!
「お前さえいなければ……お前さえいなければッッッ!!!!」
鬼の形相で睨み付けてくるテツリに、ハレトは恐れおののいた。
「待って、待ってくれよ。こ、こんなのボクも望んでないって。ていうか大人しく明け渡してたら死ぬことはなかったし……」
言い訳を並べ立てるハレトだったが
「うぁぁああああッッッ!!」
テツリは何ら一切のためらいもなく、剣をハレトの鼻先に突き刺そうと突っ込んだ!
しかしマイがそれを阻んだ。
「どけ!! 僕はコイツをッ!!」
「ならば先に、私の死体を踏み越えるのです」
マイは目をひん剥いて怒りを露わにするテツリにも怯まず言い放った。
「どけって言ってるだろッ!!」
マイごと斬り伏せるつもりでなおもテツリは怒り狂うまま襲いかかる。
叫び声に近い奇声を上げ、テツリは黒炎を帯びる剣を振り回した。
だが心得もない、ただ感情に従うだけの野獣のような剣は、マイにしてみれば脅威に当たらない。
ハレトを庇いつつ、大ぶりの剣技の隙を突いてテツリの腹を殴る。
「ハァ……ハァ……ッッッ!! えぁぁあああッッッ!!」
「【動くな】!」
「?! っ……ぁあっ…………」
果敢に立ち向かうも催眠にかけられたテツリ。
マイが繰り出したパンチは、テツリの左目を抉った。
体勢を崩し、テツリは回転しながら吹っ飛ばされる……が、その間に黒い炎刃をやみくもに撃った。
「ン゛ッッ!?」
それが図らずもマイの左目を切り裂く。
さすがにこれはたまらず、マイは目を押さえて膝をついた。
「おい大丈夫か?!」
「……撤退しましょう……まさか『日本で目には目を』をされるとは」
「チッ、仕方ないなぁ分かったよ」
そう言うが早いか、ハレトとマイは長いホウキに2人乗りでまたがって飛んだ。
「逃げるな! 戻れ!」
剣で指さしながら叫ぶも、彼らは止まらない。
「何で……何でお前らが逃げられる!!」
紛糾は天まで轟くも、何も……誰も帰ってはこなかった。
⭐︎
「テツリ!!」
街を一望できる高台に佇むテツリの後ろ姿を見つけ出したヒカルは、草木をかき分け、血相を変えて駆け寄った。その荒い息と、肌寒い夜だというのに額に浮かぶ大粒の汗が、ヒカルの必死さを物語っている。
テツリに遅れて公園に連れ立ってやってきたヒカルとツバサは、テツリの気配の残滓を頼りに公園内の探索をしていた。そこで彼らは発見するに至った、既に魂を還し終えたミウの肉体を……。
2人は狼狽を隠せず、言葉を発することもできなかったが、しばらくしてヒカルはふと、その場にテツリの姿が見当たらないことにようやく気づいた。
ヒカルはいてもたってもいられなくなり、後をツバサに託すと半泣きになってテツリを探しに奔走することになり、そして今に至る。
「…………すまないテツリ……。俺が、俺がもっとしっかりしていれば……」
後悔の念を口に出し、ヒカルはうなだれて涙を流した。だが、その時ヒカルは信じられないものを聞いた。
「…………フフ」
テツリが笑ったのだ。今1番、ミウが死んだことに悲しんでいるはずの、テツリが笑ったのだ。
一瞬耳を疑うも、呆気にとられるヒカルを余所に、淡々とした口調で語り出した。
「…………悲しくなんてないですよ……、全然……悲しくなんてない。そんなくだらない感傷に浸るよりも、僕にはすべきことがある」
そう語るテツリの手には、ミウが変身に使った赤いコンパクトと、剣が握りしめられていた。剣の方を見つめ、テツリは続ける。
「この剣だけは消えなかった。ミウさんが死んで……魔法少女の力は消えたはずなのに……。きっとこれは、ミウさんが残した遺志なんだ…………。僕は……僕はその遺志と共に、必ずや氷上ハレトを……奴を抹殺する!!!!」
真っ赤な目を吊り上げて、テツリは高らかに叫んだ。
怒りのあまり、握っていたコンパクトも砕け、地面に散った……。
その時テツリは確かに聞いた。
風の音に似たすすり泣く声を……。
声の出所を探して、テツリは首を振った。
と、その時――
「!?」
テツリの足下から、人魂に似た黒炎がスゥーッと浮遊した。
黒炎は決して幻覚でなく、しっかりヒカルの目にも見えている。ヒカルがよくよく見れば、砕けたコンパクトの破片が黒炎へと変貌していた。
「ミウさん……」
テツリが手を伸ばす。
すると漂う無数の黒炎は、突如テツリの体に次々飛び込んでいった。まるで卵子に飛び込んでいく精子のようだ。
地獄のような苦痛だ。
けれどテツリは自らの体に纏わりついてくる黒炎に悶えながらも、その全てを受け入れた。
全身を覆う黒い炎……。そして――
「ぐ……うぉぉぁぁぁあああああ!!!!」
テツリは雄叫びを上げる。
その体に纏わりついていた黒い炎は、いつしか黒い鎧と化した。
「僕はもうためらわない。必ずこの手で、氷上ハレトを殺す。この復讐を阻む奴も……容赦はしない!」
身も心も変わり果て、テツリは黒い光を放ちながら暗い空に飛んで行く。復讐という、哀しき宿命を背負って。