第九篇・その7 伸ばす手が掴むもの
マイほどの女がひとたび本気を出せば、例え手負いでも4階の現場まで辿り着くのにそう時間はかからなかった。
息せき切り、靴裏を滑らせて登場した彼女は、倒れ伏す累々や、淡黄色の髪をした魔法少女に抱えられるミウの姿を一見すると、一瞬、息を呑み、そして目を丸くさせた。
「でかしました! よくぞ大義を果たして下さった!」
と、マイはミウの奪還を成功させた魔法少女――呼び名はトールのことを手放しで労った。
「さぁ、今果たすべき目的は達しました、直ちに帰還しましょう。急いで!」
せっかく振り切ったのだ、また追いつかれるようなことはまっぴらだった。
気絶するミウのことをマイはキビキビとした動きで背負うと、逃走経路を確認する。
この状況で1番手っ取り早いのは、廊下の先に好きな窓から飛び去る経路。そう判断したマイたちは、彼女たちの行く手をも遮る電撃の格子を消した。
これでもはやマイの視界に何の障害もない。
最後に振り返っても、ツバサが追ってきている様子もナシ。余裕で逃げ切れる……そう思ったマイに、慢心が無かったと言えばウソになる。
マイは足下をすくわれた。
転倒した瞬間、マイは脚に何か違和感を感じていた。転げた体勢のまま後ろを振り返ってみれば、脚が1本、ピンと張られていた。この脚に引っかけられたせいで、マイは転んだのだ。そしてその脚を突き出したのは、テツリだ。
「行かせない……」
床に顔をつけながらテツリは呟く。
「ミウさんを……お前たちなんかにはやらない! 絶対に……行かせるもんか!!」
腰から立ち上がったテツリは怒声上げると同時に、床に転げるマイにダイブした。
「うぐっ?!」
ミウに加えて、テツリの積量まで加わったマイは呻いた。流石に大人2人分の積量を持ち上げることはマイにもできず、立てない。
振り払うための肘打ちを何発も打ち込んで抵抗するも、テツリは決して離れようとはしない。むしろ痛めつければ痛めつけるほど、反骨心からもっと増した力で押さえ込もうと。
「ッ!! ああもう!!」
時間がないというのに芋虫のように這っていることに苛立ったマイは、この事態にも無感情で棒立ちする魔法少女トールに鬼気迫る表情で叫ぶ。
「早く引き剥がすのです! 早く!!」
そう命じられるとトールは、右手からテツリの体に電流を流し込んだ。
小刻みに震え、徐々に徐々に電撃による負荷を与えられ、テツリの力が弱まっていく。その機に乗じ、トールはテツリを引き剥がした。
「……余計な手間ぁ取らせやがって」
触れていたマイも電流の余波を喰らっていて、電撃による痺れと刺激された脇腹の痛みですぐには立てなかった。
マイは四つん這いの体勢で、脇腹を押さえる。
だがその時、階段の方からの荒々しい足音が響き、マイは表情を変えた。足音は廊下を走ってだんだんと近づいてきている。
「ッ、追いつかれましたか……」
マイたちはツバサを視認するが早いか、これ以上の邪魔立てを良しとせず、もう一度電撃の格子を張って廊下を分断した。
そうして足止めに成功すると、マイはホウキを杖代わりに立ち上がる。荒い息で、向こう側にいるツバサ、そしてテツリのことを恨みがましく見つめる。
「もう……邪魔はお腹いっぱいなんですよ……。これ以上はノーセンキューです」
1度立ち上がると、後の行動は実に迅速で、マイと魔法少女はミウを連れて、ガラスを豪快に割りながら飛んで行ってしまった。
「待て!!」
イチかバチかツバサは、電撃の格子を右手から伸ばした一本角で切り裂くのに躍起となった。おかげで格子は打ち破れたが、彼女らの姿はもう目を凝らしたその先にいた。
「おい、起きろ! いつまで夢見てる」
苛立つツバサが脚で小突く。するとヒカルはガバと飛び起きた。
「どうなった?!」
弾みで口をついたが、通夜か、あるいは裁判の傍聴席かといった張り詰めた空気に察する。
「くそっ……」
「今は……後悔している場合じゃないですよ……」
怨嗟のこもった底冷えする声でテツリは立ち上がった。
「まだ間に合います……。今すぐに、今すぐに追いかければ、ミウさんを取り返せるはずなんだ!!」
語気を強め、テツリは窓から外に飛び出ようとしたが、それに待ったをかける声がツバサから発された。
「おい待て……」
ヒカルとテツリの視線がツバサに集まる。少しばかり居心地悪そうにしながら、ツバサは続ける。
「今のお前に何ができる。そんな体たらくでついてこられたら、かえって足手まといだ。病人は病院で大人しく寝てろ」
そう言って独り窓の方へ向かうツバサに、テツリが言う。
「イヤです……それじゃ駄目です!! ミウさんは、僕が守らないと……助けないと駄目なんだ!! 僕が……僕がやらなきゃ……」
テツリの叫びを聞き、そしてツバサはため息をついた。
「俺はお前がいると足手まといだって言ったんだ。お前が来ない方が、あの子が助かる可能性も高くなる。お前、身勝手であの子を殺す気か?」
「…………」
ツバサは話しにならんと言わんばかりに背を向けた。
テツリは言い返す言葉も無く、ギュッと口を結んでしまった。
と、落胆するテツリの肩がポンと叩かれた。テツリが顔を上げればヒカルが真面目な顔で見つめていた。
「ツバサ、俺たちも行かせてくれ……」
「はぁ?」
ヒカルの言葉にツバサが振り向き険悪な顔を覗かせると、ヒカルは苦笑いを浮かべつつ口を開く。
「まぁまぁお前の言うこともよーく分かるさ。でもさ、1人より3人の方が弱いなんてこと、俺は無いと思うぜ。それにマイだけだったらともかく、あのお供してる魔法少女もかなりの手練れだった。あの2人相手に1対2で戦うのは骨が折れるぞ」
と、ヒカルがなだめるよう言えば
「お願いします。最悪、捨て石にしてくれても構いません。それで死ぬことになっても、少しでもミウさんを救うのに貢献できたなら、僕は決して後悔なんてしない!!」
と、テツリも便乗してまくし立てた。
「…………ハァ」
ツバサはため息をついた。
「……ついてきたいなら好きにしろ。どのみちここでいたずらに時間を消費するよりかマシだ」
諦念の心境からそう告げたツバサに、テツリは目を潤ませた。
「1つ聞く……」
歩きかけたツバサが足を止めて振り向く。視線が向けられたのはヒカルだ。
「今テツリが言った言葉、お前も同じか? あの子を救うためなら、お前もその命を投げ打って、捨て石になる覚悟があるか?」
その問いに、ヒカルは迷う素振りも見せず、口角を上げて首を深く縦に振った。
「なら1つ、やってみるか」
ツバサはこの夜空に飛び立つための白き翼を広げる。そして3人の男が見据える先は、同じ空であった。
⭐︎
冷徹な夜風にも負けずに、マイは先を急いだ。しかし、ミウを背負っての飛行ともなると、いつもよりも飛行速度が落ちてしまう安全運転になってしまうのは必然であった。
けれど時間は皆に平等に、同じように流れている。
時間が経つにつれ、逸るマイが後ろを振り向く頻度は間隔を縮めていった。
飛び立ってからどれほどの時間が経ったろうか。
「!? ……ここまで追ってきましたか」
マイは視界の端に大きな白い鳥を捉えた。
「見えた!!」
鳥となって飛翔するツバサの背中に立ち、強風に涙を流しながらも目をこらして前方を見通していたヒカルが叫んだ。しかし見えたと言っても、まだ追いついたわけではない。
「いいか! チャンスは1回きりだ! 必ず一発で仕留めろ!」
ツバサはスピードを上げ、ジワジワと距離を詰めにかかる。
「全く……目障りですね!」
なんとしても追いつかれるわけにはいかない。だがスピードで振り切るのは無理だ。
マイは随伴していた魔法少女をけしかける。彼女は空中で静止、振り返って待ち構えた。
「来るぞ! 落ちるなよ」
「任せろ! 遠慮無くやってやれ!」
ヒカルとツバサは全神経を鋭敏に澄み渡らせる。
魔法少女は両手から電撃を放った。青白い電撃は血管のように枝分かれ、拡散しながら四方八方から2人に襲いかかった。
「熱ッ!!」
一筋の電撃が頬を掠めたヒカルが、頬の黒い切り傷を叩きまくった。
「電熱か。俺たちを斬り伏せる腹らしい」
「一発でも当たったらお終いだぞ!」
「……当たればだろ」
ニヒルな笑みを浮かべ、ツバサは身を翻す。急降下、急旋回、時には翼を畳んで身を小さくすることで、次々迫り来る電撃の一閃を紙一重でかわし続ける。
「ヒカル! 分かってんだろうな!?」
「答えなきゃダメなのかよ!! うぉい!? もっと丁寧に飛べないのか!?」
なお、ヒカルはその間もずっと生身でへばりついていなければならなかった。
「これ以上続くと落ちちまうよ……。せめて天地大逆転はやめろ!」
「無理に決まってるだろ! 振り落とすぞ!」
「だから落とすなって言ってるだろ!」
2人はトークを弾ませる(?)余裕まで見せながら、じわじわと魔法少女に接近していた。
「! ツバサこの距離なら行けるぞ!!」
その言葉に呼応して、ツバサが高度を上げた。魔法少女がいる高度よりも上に。そしてヒカルはツバサの背中で立ち上がった。
「行ってくる!」
そう言うとヒカルはツバサの背中で助走をつけ、頭を踏みつけ跳び上がった。
「頼む、この一瞬……少しだけでいいんだ! ブリリアン、俺に力をください! 変……身ッッ!!」
果たしてそれはヒカルの地力か、それとも真摯な願いにブリリアンが応えたのか。
奇跡の光は瞬いた。
その輝きを身に纏ったヒカルは魔法少女に飛びかかった。電撃の直撃をただの気合いで堪え、ついに組み付くことに成功する。
「ツバサぁあ! 後は頼んだぞ!!」
飛びついた勢いのまま魔法少女と絡まりあって落ちながら、ヒカルは絶叫した。ちょっとして水しぶきが上がったのを目視して、ツバサはスピードを上げる。再びマイを視界に捉えるのにそう時間はかからなった。
「ここまでだ! 今度こそ追いついたぞ!」
「ッ! 突破してきましたか……」
張り上げられた声に反応し、マイは振り向いた。
「死にたくなければ素直にソイツを渡せ。もう逃げられると思うな」
「まるで悪役みたいな言い草じゃあありませんか」
「……つべこべ言わずに渡せ」
「はいはい、分かりましたよ」
そうは言ったものの、マイが寄越したのは長刀によるいきなりの斬撃である。だがツバサはひらりとかわし、その贈り物は受け取らなかった。
「見え透いてるんだよ」
ツバサは背後を取った。真後ろならば、簡単に斬りかかることはできない。ホウキでの方向転換よりも、ツバサの方が小回りが利く。
そして交渉に応じない答えとして、ツバサは無理やりミウを奪い返しにかかる。美しき白き翼をしならせて、マイの頭を羽ばたく要領で何度も殴打した。
マイは反撃できない。この長刀を安易に振るえば、ミウのことも傷つけかねない。
だから耐えた。耐えて耐えて耐えて、マイは機を待った。
そしてもちくちゃになる中で、マイはそっとツバサの目を覗き込んだ。目と目が合った瞬間、ツバサはこの瞬間が妙にゆっくりに見えた。
「【墜ちろ】!」
そう唱えるともう抗いようもなく、ツバサは金縛りに遭ったように固まって、歯を食いしばった表情で微動だにせず落下していった。
マイは落ちていくツバサを見送りながら、鼻を鳴らして勝ち誇った。だがツバサは「誰か忘れちゃいないか」と、心の中でほくそ笑んだ。
「何が捨て石だ……お前は要石だ」
マイが勝利を確信した瞬間、一瞬彼女の気は緩んだ。
その隙を突いて――
テツリが直上からの急降下を仕掛けた。
その姿はツバサと同じように鳥と成っていた。そう、テツリの秘めた能力は『コピー』、右手で触れた他のゲーム参加者の能力を、自分のものとして使うことができる。この動物への変身能力は、ツバサが託した力だ。
そしてテツリが変身した、鳥界最速、ハヤブサの落下速度は、一説には時速300キロを誇るとされる。もっとも人間のサイズで速度は出し切れていないが、その質量と速度は、さながら人間ミサイルであった。
「な?!」
気づいた時にはもう遅い、瞬きする間もない。滑空するテツリを拒否することは出来ない。
「ミウさぁぁぁあああああんッッッ!!」
そう心から叫んだ時、ミウがまぶたを震わせる。
ゆっくりとその目が開かれ、微睡みから醒めた時、その瞳一杯にテツリの姿が映っていた。
そんなテツリの体当たりを喰らい、マイは空に弾き出された。そして
「……え?」
ミウも不可抗力で、着の身着のまま空の旅へ……。
これは一体、何がどういうことなのだ?
ミウはたじろいだが、とりあえず気づく。このまま落ち続けることは、非常にマズいと。
「……う……うゎぁああッッッ!!」
命の危機に悲鳴が上げる。が、悲鳴を上げたところで、上昇できる訳でもなく……地面はどんどんと近づいてくる。
けれどテツリがミウを片手で抱えた。
「こ、怖かった……」
「すみません、ちょっと、いやだいぶ、手荒になってしまって」
ミウは恐怖心から、がっちりとテツリに抱きついていた。
温かい……。
テツリはその温かさを確かめるように、抱き返した。
良かった、助かって……
そんなことを思いながら、2人は星の見えない夜空を静かに飛んだ。