第三編・その3 ケモノ
「お前は誰だ?」
ヒカルは目の前に立つ、外套を纏った男に尋ねた。
もちろん、この男が自分と同じようにゲーム参加者であることは分かっている。
この男は、自らの体の部位を鳥とかゴリラに変え、霊獣と戦っていた。そんなこと普通の人間には出来ない。
だからヒカルは、この男の名前を尋ねたつもりでこの質問をした。
しかし男は答えず、ただ鼻で笑うだけだった。
「何がおかしい?」
「……お前は、甘ちゃんだな」
男は言った。
流石にヒカルも、いきなり罵倒されるとは思ってもみなかったので、たじろぎ、言葉を一瞬忘れた。
「どういう意味だよ」
「そのまんまの意味だ。佐野ヒカル、お前は甘い」
驚くことに男はまだ名乗っていないヒカルの名を知っていた。
当然、ヒカルが疑問に思わないわけがなかった。
「お前、なんで俺の名前を知ってる?」
ヒカルが尋ねると、また男は鼻で笑った。
「お前と、そこに寝ている男……確か上里テツリとか言ったな。
俺は、お前たちがこの前蜘蛛みたいな霊獣と戦っていたのをずっと見ていた。
その時お前らは、馬鹿みたいに自分たちの名前を名乗りあってたからな。だから俺も覚えた。一応、お前らも参加者だからな」
「見てた? もしかして俺があの時感じた気配はお前だったのか?」
「……まぁな。別にあの時、顔くらい見せてやっても良かったんだがな。
だが、お前たちに絡むと面倒そうだったからやめておいた。……ところで—」
男は視線をヒカルからテツリへと移す。
「ソイツ、随分と体調が悪そうだな。大丈夫なのか」
ヒカルの背後では、テツリが壁にもたれかかっていた。
爆風のせいで体調不良がぶり返したらしく、顔が真っ青だった。
「俺が診てやるよ」
「は?」
唐突に男は言った。
「俺は医者だ。遠慮するな」
そう言うと、男はヒカルたちの方へ歩みを進めた。
「待て!」
しかしその途中、ヒカルが立ち塞がり、男を制止した。
「……お前、本当に医者なんだよな?」
「なぜ疑う?」
「……本当にお前が医者だと言うなら、医師免許を見せろ」
そう言うと、男はムッとしたような顔をした、ようにヒカルには見えた。
「見せられないなら、コイツを診るのはお断りだ」
「……悪いが見せられないな。生憎、死んだ時にそういうのは全部処分されたらしくてな。今は免許持ってないんだ」
「……なるほど、俺も車の免許証どっか行ったし、お前が今、医師免許を携帯していなくてもおかしくはないか」
「そうだ」
「……へぇ。お前、やっぱり医者じゃないだろ」
男の返答をきいたヒカルは確信した。
「まだ続けるのか、その下らない問答」
「いや、続けない。お前は医者じゃない、フリをしているだけ。もう分かってるんだよ」
お互いがお互いを目で牽制し合う。
剣呑な雰囲気がそこには漂っていた。
「一応最終確認だ。お前の口ぶりだと、まるで生きてた頃は医師免許を携帯してたみたいに聞こえたんだが、その認識でいいんだな?」
「……何か、問題があるのか」
「今ので本当に確信した。やっぱりお前は違う。
言っとくけど、医師免許って運転免許みたいに手軽に持ち運べるようなサイズじゃないんだよ。携帯義務もないし、普通身につけてる奴なんていない」
ヒカルは勝ち誇ったかのような表情を浮かべ、一方男は若干イラつきを見せながらもあくまでクールを装う。
「それにさ、仮に百歩譲ってお前が医者だったとしても、お前は信頼できない。
お前さっき『ずっと見てた』って言ってたよな」
「さぁ、どうだかな」
「あの時俺たち、結構危ない状況に何度かなったのに、お前はただ見てただけだったんだろ? そんな奴が急にコイツを診せろって言って、裏がないと信じられるか?」
刑事時代さながらの鋭い目で、ヒカルは男を問い詰める。
一瞬男は顔を落とすも、再び顔を上げると笑い出した。そして目まぐるしく表情を変え、今度は冷ややかな目でヒカルを見た。
「ほう。お前にも警戒心はあったのか」
「一応これでも刑事なんでね。そういう何か良からぬことを考えてる奴を見分けるくらい出来るさ」
「そうか。それは少しお前を舐め過ぎていたようだな」
すると男はヒカルに背を向け、もはや用は無いと言わんばかりの態度でどこかへ去ろうとした。
しかしヒカルはそれを良しとせず、男を呼び止めた。
「待てよ! まだ話は終わってない」
男は声に反応して背中を向けたまま、ヒカルの方を向く。
「お前、何をするつもりだった」
「知りたいか?」
男は尋ねながらヒカルの下へ歩みを進める。
2人の距離はとても近かった。腕を伸ばせば、相手の顔に触れるくらい近かった。
「なら教えてやるよ」
ヒカルは腹に痛みを覚えた。
男が突然、ヒカルの腹を膝蹴りしたのだ。さらに男は躊躇なくヒカルの顔面を素手で殴る。
殴られたヒカルはゴミ置き場に倒れ込み、そして男に馬乗りで押さえつけられると、首を絞められた。
男はその腕をゴリラの物へと変える。
息が出来ない。いや、それどころかこのままでは首をへし折られしまう。
この苦境から逃れるため、ヒカルは能力を行使することを決断。
「……ぐッ! 変身!」
変身する際に、エネルギーの壁が前面に展開される。それは馬乗りになる男を吹っ飛ばし、同時にヒカルの姿をブリリアンへと変えた。
「そんなことが出来るとは知らなかった。結構便利じゃないか、お前の能力」
「お前、何しやがるんだよ」
解放されたのにまだ首を絞められる感触が残っていたヒカルは首をさすっていた。ヒカルは今、本気で死を垣間見た。
「なんだ、分からなかったのか。お前を……殺そうとしたんだ」
さらに男は腕の先を長細い角に変形させ、襲いかかった。何度も繰り返される突き、男は本気でヒカルのことを突き刺そうとしていた。
もしこんな鋭利な角が刺さったら、部位によっては即死だろう。
しかしなんだかんだ言って運動神経の良いヒカルは、突きをなんとか回避し、反対に角を掴んで男を引き寄せた。
「理由を言え! なんで俺たちを殺す必要がある!」
「フン、そんなことも分からないのか」
男が変形を解除すると、ヒカルが握るのは空気であった。
そして、男の回し蹴りが綺麗にヒカルの胸に打ち込まれる。
「お前、このゲームをまだ理解出来てないようだな」
「な……なんだと」
男はヒカルを見下ろした。
「閻魔様が言ってたこのゲームの条件、忘れたのか」
「忘れるわけないだろ!」
「なら、俺がお前たちを殺そうする理由も分かるはずだ」
男はそう言うが、ヒカルには理解が出来ない。いや、本当は男が何を言いたいことは分かる。だが、それを理解できなかった。
そんな風にヒカルが黙っていると、男の方から説明を始めた。
「閻魔様が言っていた、願いを叶える条件は何だ?」
「……"最も多くの霊獣を退治した人"だ」
「そうだ。だがそれとは別に、もう1つ、言ってたことがあるんじゃないか?」
「……」
「何だ、言われなかったのか?」
「……いや、言われたさ。言われた、しっかり覚えてるよ!」
ヒカルは男のことをマスクの下から睨みつけた。
「……万が一、このゲームの途中で死ぬようなことがあった場合、"ソイツの討伐数は0"になる、そう言ってた」
「……その通りだ。つまりはこのゲーム、他の参加者を全員脱落させれば、その時点で残った1人の勝ちだ」
だから男はヒカルたちに襲い掛かった。
全ては自身の願いを叶えるため、その権利に近づくために、2人を蹴落とそうとしたのだ。
当然、そんな男のやり方にヒカルが納得いくはずはなかった。
「だからって、こんなやり方はないだろう! こんな誰かを傷つけるやり方、どう考えてもおかしい!」
ヒカルは男を紛糾した。
しかし男は意に介さず、反対にヒカルのことを紛糾する。
「何もおかしくはない。むしろ、俺にはお前の言い分の方がおかしく聞こえるよ。
お前が言う殺すなは、勝つために手を尽くすことの否定だ。確かに殺しが良いことじゃないくらい、お前に言われるまでもなく、俺にも分かる……。
だが、本当に心の底から叶えたいと思っている願いがあるなら、そのためにありとあらゆる手を尽くすのが当然だろう! それのどこがおかしい!」
「……」
ヒカルは何も言えなかった。
確かに男の言い分も一理ある。それどころか人間ならきっと誰しもそう考える、もちろんヒカルも。
ただ、そう思うと同時に、やっぱりそれを実行出来るかどうかは、少し分からなかった。
なぜならヒカルは、人間だから。
「まぁいい。お前の意見なんて聞く気はない。それにそろそろ頃合いだろう」
「え?」
「お前の能力、確かタイムリミットがあっただろう」
ヒカルが「あ!」と小さく声を漏らす。そしてブリリアンのボディから光の粒子がこぼれ出す。著しく光量のない状況では、変身時間は3分とない。
少し喋り過ぎた、もう変身していられる時間は1分もない。
「その変身が解けた時、それがお前の最期だ」
そう言うと、男は腕を白い翼に変えた。
そして星が輝く夜空に向けて飛び立った。