新たな始まり
暦は2月、寒波に支配された列島で出歩くには、もはや手袋は必需品であった。
それはここ、東京都・豊島区の西部に位置する翁賀2丁目もその例外ではない。住宅街の一角に位置する、ブランコと滑り台のある公園で遊ぶ子供たちの手には、毛糸で編まれた可愛らしい手袋がはめられていた。
3人いる子供たちは鬼ごっこに夢中になっていて元気いっぱいだ。その様子を、母親たちが雑談も交えつつ微笑ましく見守っていた。
と、そのうちに1人の男の子が母親のところへ駆け寄って、服の袖を引いた。
「おかーさん、おかーさん」
「なあに?」
と、母親が柔らかな笑みを浮かべると、男の子は上目遣いで言った。
「すべりだいでだれかねてる」
「えぇ~、滑り台で?」
母親が聞き返すと、男の子はコクンとうなずいて、滑り台の方を指さした。
「誰が寝てるのかな?」
「しらないおとこのひと」
「……たくちゃん、それホント?」
「うん」
「……」
まさかと思いつつ、母親は他の母親たちと子供たちも連れて滑り台の方へ、そして目を疑う。
男の子の言った通り確かに滑り台で、若い男が滑り終える部分にスッポリとはまる形で寝ていた。
「誰かしら? 見たことある?」
男の子の母親が他の2人に話を振ると、2人は「知らない」と首を振った。
「ていうか、この人生きてる?」
「ピクリとも動きませんね……」
この寒空の下で眠ったならば、そのまま凍死していてもおかしな話じゃない。つい先日も、道ばたで眠っていた酔っ払いが病院送りになったばかりだった。
「わー、つめたい!」
「ダ、ダメよたくちゃん、むやみに触っちゃ」
「こおりみたい」
「ええっ!!」
恐る恐る男の体に指先で軽く触れてみると、その体は確かに氷と錯覚するほど冷たい。結局3人とも男に触ってみたが、みな感想は同じ。男はすっかり寒空の下で冷たくなっていた。
これはもう通報するしかないだろうと主婦たちは決めた。しかし警察か救急か、この場合どちらに掛けるべきなのか? それを決めかねていると、にわかに信じがたいことが起きた。
「……うっ………………」
くぐもったうめき声が発された。母親たちは思わず背筋を伸ばす。
「い、今何か声がしたわね!」
ここにいる全員が声を発した覚えは無い。
母親たちは関節が錆び付いたロボットのように振り向いて、再び眠る男に視線をやった。
「……うっ…………」
疑念が確信へと変わった。
「間違いない……この人の声です」
そう気づいた3人の母親は、それぞれ我が子の体のどこかを掴んで、男からそっと距離をとった。
てっきり死んだものと思った男がうめき声をあげたのだ。怖いに決まっている。
さらに信じられない出来事は続く。
「………………はっ!!」
なんと、男は突如体を起こした。
完全に死んでると誤解していたものだから、母親たちは皆一様にたいそう驚いた。
そして視線を集める男はそんな母親たちのことは特に気にせず、まるで意識不明だった人が数ヶ月ぶりに目を覚ましたような、そんな風に首を回して周囲を見渡す。
「あの、大j――」
男のふるまいに心配を覚えた母親が尋ねようとするも、その男――佐野ヒカルは聞く耳を持たず、突如嬉々とした表情で、滑り台から公園の入り口の方へ駆けていった。
「そうだ、やっぱり! 翁賀2丁目公園!」
公園の名を示す看板を見つけると、ヒカルは興奮した様子でその名称を叫んだ。
そしてそれが現実であることを確かめるために、ヒカルは自分の体を何度も何度も叩いた。その感触が本物であると分かると、「よっしゃあぁぁ!!」とその両手の拳を掲げて、喜びを全身で表現した。
「ねぇ……やっぱり通報したら?」
周りにいた母親たちはそんな彼の奇怪な行動にドン引きし、スマホに手を伸ばしかけていた。それは当然の反応だ。
「やったぁあー!! アハハ」
しかし、ヒカルがここまで喜ぶのもまた当然である。何しろ彼が帰ってきたのは隣町とか、はたまた外国とか、誰もが行き来出来る場所からではない。本来ならば、誰もが行こうと思えば簡単に行けるが、絶対に帰ることの許されない場所………………そう『死後の世界』だ……。
しかし、それならばどうしてヒカルは帰ってこれたのか、その話はかなりだいぶ前に遡る……。
その時、ヒカルは天国に行くか、地獄に行くかの審判を受けるための順番を待っていた。
⭐︎
「……長すぎる、いくらなんでも、待ち時間……。いつまで待てば、順番来るの? ……はぁ」
なぜか短歌風に愚痴ると、ヒカルは髪をかき上げ、人目も憚らずみっともない欠伸を一つした。
人の目とかどうでもいい……。
そう思ってしまうほど彼は退屈していた。だが、それは彼に限らず、彼の周りにいる数百万を超える人たちも、いちいち人の仕草を気にかける気が起きなくなるほど退屈していた。爪をかじっていても、鼻クソをほじっていても、延々と独り言をしゃべっていても、誰もそれをとがめたりしない。
心なんてみんな壊れかけている。
なんせ死後の世界には心を豊かにするものは全くと言っていいほどない。遊ぶ物もなければ、仕事もない。風にそよぐ草花のひとつなければ、大地は赤茶けた岩盤がどこまでも続くというつまらない有様。これで心を安らげろなど、人間には到底無理な話だ。
時間という概念もない。だが、これまで生きてきた間に時間感覚はすっかり刻まれており、それが時間なき待ち時間を作り、死者たちに耐え難い苦痛を与えてしまうのだ。
ヒカルもすっかり待ちくたびれていた。果たしていつ閻魔様に会えるのだろうかと、足下に転がっていた小石を蹴飛ばしてみる。
正確な時間は分からないが、もう1ヶ月は待たされているくらいの感覚。それでまだ待ち時間としては短い方なのだから、地獄はもう始まっているようなものだ。
「ショウイチさん、今頃何してるんだろ」
待ちくたびれたヒカルはこの間まで行動を共にしていた友の名を挙げると、当てもなくブラブラと彷徨い出した。
ショウイチというのは、こっちに来てからヒカルが友達になった人だ。ここで出来る、唯一の娯楽が人とお喋りすることなので、ヒカルのように死後の友達を作る人は多い。
ヒカルとショウイチは、お互い話が合うこともあって、まるで旧知の仲だったんじゃないかと思えるほど仲が良かったのだが、残念ながらしばらく前にショウイチがいよいよ審判に呼ばれたため、このコンビは解消となっていた。
きっと天国に行けたのだろう、そうヒカルは信じて疑わない。なんたってホントにいい人だったのだから。
いなくなってからも、ヒカルが彼への義理で新しい話し相手を探すようなことが出来なくなるくらいいい人だった。
だが流石に1人を貫くにも再び限界が来た。それに待ってたってショウイチは帰ってこない。だからヒカルはまた話し相手探しに乗り出した。
周囲には何百、何千もの老若男女がいる。そして周りにいる人たちはヒカルを含め、みんな死者らしく白装束を左前に着ている。
話し相手のえり好みはしない。ただ、出来れば同世代と話したいとヒカルはあたりを見渡した。
その条件の下、ヒカルが目をつけたのは、眼鏡をかけたゆるふわパーマの若い男だ。目をつけた理由はなんとなく喋りやすそうな雰囲気を醸し出していたからだ。
「少し話いいかな?」
さっそくヒカルが話しかけてみると、眼鏡の男は突然のことに驚いた様子。そして男は不思議な顔をして、1度後ろを振り返ったのち言った。
「……ボクですか?」
「どう見ても君でしょ。振り向いても誰もいないぞ」
眼鏡男のとぼけた様子にヒカルはツッコミを入れた。
「知ってます。ほんの軽い冗談ですよ」
「なぁんだ、冗談か。面白いな」
「よく言われてましたよ、君、面白いねぇって」
そう言って彼は眼鏡をクイッと上に押し上げた。
「へぇ……」
この時、すでにヒカルの中に抱いていた男の人物像と、実際の人物像にはズレがあった。直接的に言うと、もっと落ち着いた男だと思っていた。
とは言えこれはこれで楽しそうなので、ヒカルは気にしないことにした。
「で、ボクになんの用ですか?」
「ああ、そうだった。いやぁ、待ちくたびれちゃってさぁ! 全然順番が来る気配もないし、いつ来るかも分からないし、暇で暇でさ。それでなんでもいいから話したいんだ」
彼もそれには同意だった。それが分かると、ヒカルはにんまりと笑った。
「だから話して暇潰そうよ」
「ん~……」
え? この流れでまさかのダメなの?
言いよどむ男の姿に一抹の不安を覚え、そんな表情を向けると、男はイタズラっぽく笑った。
「全然いいですよ。ボクも暇してますし」
「なぁんだ、もったいぶるなよな」
「えへへ」
「あ、じゃあ名前教える、俺は佐野ヒカル。君は?」
「ボクは鬼塚イッセイ」
「イッセイか。よしもう覚えた」
そう言ってヒカルはイッセイの隣に腰を下ろした。ヒカルが横の地面をポンポンと叩いて促すと、イッセイもその場に腰を下ろした。
「えっと、佐野ラー○ンさんでしたっけ?」
「は?」
突然のことにヒカルは面食らった。
全然違うし……ボケだとしても雑が過ぎて拾いにくい……。
が、せっかくの新しい友達なので、なんとか拾いはしようとした。
「……あんまりボケると心のシャッター下ろすぞ」
どうだ? やってやったぞ。
そんな顔でヒカルはイッセイを見たのだが、彼はポカーンとしていた。
「……つまんなかったですか? ボクのボケ」
「……つまるつまらないとかじゃなく、ずっとそのテンションはキツいよ、流石に……。てかうまいこと返したつもりなのにスルーされてるし」
結構頑張ったのに……。
ヒカルは唇を尖らせたが、それでもイッセイは分からなかったらしい。
「返し?」
「もういいぜ」
お笑い芸人っぽくヒカルは話を止めた。これ以上、この会話を続けるのは分が悪かった。
「……で、何から話す? 時間はたっぷりあるだろ。ちなみに俺は話すのは好きだけど、話し下手だから。何話したら盛り上がるのかは分からない」
「こういう時は共通の話題から話すのが良いです」
「あ〜、それは鉄板だよな」
「そうなると、死因になりますね」
「……死因。……盛り上がるか、それで」
「……自分で言っておいてなんですが、確かに盛り上がりますかね?」
その指摘にイッセイも同意したが、今度は逆にヒカルが意見を翻した。
「まぁお互い死人なのは確かだからな。あくまでこれをキッカケにして、そっからうまいこと話を広げればいいんじゃないか? と言うわけで……俺は轢死だな。トラックに轢かれて死んだんだと」
「えぇトラックに!」
トラックと聞いて、イッセイは一瞬で思い浮かんだ。夜の道路をガタガタと揺らし、ネオンライトを照らしながら走る爆走トラックの姿が。だが、あいにくそのイメージは正解では無かった。
「そんな驚くほどデカいやつじゃないけどな。割とちっちゃいやつ、軽トラに毛が生えた程度の」
だが、結果的にはねられた時の打ちどころが悪かったらしく、ヒカルは即死してしまった。
それでも苦痛を伴わなかったのは不幸中の幸いだとイッセイは言ったが、「死んだのに幸い……?」とヒカルは甚だ疑問であった。だがイッセイは幸いだと決めつけて続けた。
「どうせ死ぬなら痛くない方がいいですよ。痛い上に死ぬとかマジ最悪ですもん」
「ふぅん。そっちはどんな死に方だったんだ?」
「ボクはあれです。転落死です。階段から落ちて、それで打ちどころが悪くて……」
ちなみに落ちた原因は単純にコケて足を踏み外したからである。最近若い人がやりがちな歩きスマホとか、よくある酒に酔ってたでなく、本当にただ落ちたのだとイッセイは言う。
「流石にその若さで何もしないで落ちるか?」と、ヒカルは納得しかねたのだが
「本当にボク何もしてないです。何の変哲もない階段で普通にコケてそのままゴロッと、そしてコロッと」
と身振り手振りも合わせてイッセイは面白おかしく説明した。が、それに対するヒカルの反応は引きつった笑いだけだった。
やっぱり冷静に考えて、死んだ時の話で笑うなんて無理なのだとヒカルはようやく気づいた。
「……上手いこと言おうとするなよ。そして普通にコケるな」
「初めは捻挫だけだと思ってたんですけど時間差で来やがりましてね。おまけにその時には手遅れでした」
「そうかぁ。お気の毒に」
「生まれて初めて落ちた階段で命落とすとは思いませんでしたね。……どうしました? そんなチベットスナギツネみたいな目をして」
「やっぱ思ってたキャラと違ったなぁ〜……って」
もう正直な感想をヒカルは言った。少なくともイッセイがこんなふざけたキャラとは思ってはなかった。そして、眼鏡をかけている人が必ずしも知的キャラじゃないんだということを、ヒカルは人知れずインプットしていた。
「そうっすか」
「まぁいいけどさ。人の性格に文句つける筋合いなんてないし」
そう返事をするとヒカルは地面に寝っ転がった。その目の前に広がる空はもう青くない。固まった血のような色をしていた。
それを見ているとヒカルの顔も同じように曇りそうだった。
「……ちなみにイッセイって歳いくつ?」
「26でした」
「マジか……俺より上じゃん。俺は25だった」
「あ、ボクの方が上っすね。てっきり(自分の方が)下だと思ってましたっす」
「俺も。まぁ死んでんだしそこんところはテキトーでいいだろ。ていうか敬語使いたくない」
「そうっすね。死んでまで年功序列なんてアホらしいですもんね。……どうしました?」
ヒカルが大きなため息をついたので、イッセイは不思議そうな顔で覗き込んだ。
「なんでもない。なんか……急に本当に死んじまったんだなって思ってさ。正直まだちょっと実感湧かないんだよ、自分が死んだって」
「ボクはもう分かってきたっす。甘んじて受け入れました」
イッセイ曰く、それを受け入れたのは死んでからこの岩盤にたどり着くまでにくぐった2つ目の門あたりからだそうだ。
確かにそこあたりから景色も現世のソレから大きく変わり、鬼っぽい人物も現れ出したのでヒカルも納得するところがあった。
「……ところでヒカルは2つ目の門、どれくぐりました?」
「門? えーと確か……右から2番目だったような」
「マジっすか。あそこ門番がボインのネェちゃんだったところじゃないっすか!」
「そうだっけ? 覚えてないな」
「えぇ〜覚えてないんすか、もったいない……。ボクだったら目に焼き付けてましたよ」
「……死んでまで業を積むなよ……お前は」
ヒカルはまた呆れ顔でそう言った。そして起き上がるとイッセイを見下ろした。
「でも、巨乳見ておぉっ、て思わない男います? いないでしょ? いませんよ」
まるでそれが世の常だとでも言わんばかりの勢いでイッセイは言った。が、ヒカルは「どうだろう?」と苦笑いした。
「正直……そんなこだわるほど良いものでもないぞ」
「……ん? ……どういうことっすか! 今の発言!!」
叫ぶと同時に、イッセイは自分の顔をヒカルの顔にズイと近づけ、詰め寄った。
「うわ近い近い! 落ち着け」
「これが落ち着いていられますか! あなたは何を知っている! まさか実はあんなことやこんなことをしたんですか! どうか是非教え――」
「落ち着けよ……お前26の大人でしょーが」
ヒカルは興奮して詰め寄るイッセイを押し除け、そして乱れた服を正した。
「別にそんな大した話じゃない。俺には彼女がいて、ソイツがたまたまそういう属性を持っていた。ただそれだけ」
「大したことありますよ。一体前世でどんな徳を積めばそんな彼女ができるんすか」
「知るかよ。俺だってアイツと付き合うことになるなんて思ってなかったんだ」
ヒカルは頭痛を抑える時のような格好で頭を抱えた。
「どんな×××したんす? あ、何でもないでーす」
ヒカルのヤベえ表情に流石のイッセイも空気を呼んだ。
だから当たり障りの無い質問を選ぶ。
「名前は?」
「……ナルミだ」
「へぇ可愛いっすか」
「まぁ……結構な。まぁ性格がアレ過ぎてモテてはなかったけど」
「ヤバイんすか」
「あぁ、ヤバイぞ。最上級のポンコツだ。料理を作ればダークマター、洗濯すればする前よりシワッシワ、掃除をすれば何故かより散らかってる、くらいのポンコツだ」
「家事全くできない系っすか」
イッセイが尋ねると、ヒカルは首を振った。この否定は少しは家事が出来る……というわけでなく、彼女のポンコツは何も家事に限ったわけでないと言う意味の否定だ。
「別に頭は言うほど悪くないんだけどな。赤点取ってるとこは見たことないし」
「高校から一緒だったんすか?」
「付き合い出したのはそっからだ。会ったのは中学の時。その時はこんなアホと付き合う物好きなんていないだろうと思ってたけど、まさか俺がその物好きになるなんて想像もしなかったよ」
笑いながらヒカルは言う。
ちなみにどうでも良いが、付き合い初めた当初の彼女の双丘はまだそんなでも無く、むしろ小さい部類だった。彼女が一線を画し、頭角を現しだしたのは高2の夏からである。
なので、そうなる前に付き合い始めたヒカルは間違いなく物好きであった。……単に幼馴染馬鹿だったところもあったが。
そして同棲までしていた。その事実を知るとイッセイは悔しがり、ヒカルは勝ち誇ったようにドヤ顔した。
「ていうか、巨乳で幼馴染で天然って、ずいぶん属性過多ですね。髪型はツインテだったりします?」
「なわけないだろ。俺とタメだぞ。25でツインテールは流石にやらんだろ……?」
「なんで最後疑問形なんす?」
まさに竜頭蛇尾な口調に、イッセイがツッコミを入れる。
そんな口調になった原因は自身の無さに起因する。つまり……
「やりそうなんすね」
「……やるかもしんない」
と言うか、美容師に「似合いますよ」とでも言われれば何の疑問も抱かず、間違いなくやるだろうとヒカルは思った。
ツインテールにしたナルミ……。
案外悪くないと彼氏心に思うと同時に、やっぱり25にもなってツインテールは似合う似合わない以前の問題で、自分が生きていたなら全力で止めていただろうなとヒカルは思う。
「マズい……。アイツについて話してたらすっげぇ不安になってきた……」
そんな彼女の所業……もとい彼女との思い出を振り返っていたヒカルは、そのやらかしっぷりに音を立てて青ざめた。
「どうしよう……。アイツ、1人でやっていけてるのかな。悪い男に騙されてたら……詐欺に遭ってるかも……」
ヒカルは頭を抱えた。ナルミはポンコツな上、危なっかしくて、簡単に人を信じてしまう。だから誰かがそばで支えてやらなきゃならない。
今までは自分がいたけれど、もういない……。
ヒカルは心配でしょうがなくなった、1人になってしまう彼女のことが。
自分が現場にいて当事者なら笑えるが、自分の知らないところやらかされるとなるちょっと笑いより恐怖の方が勝る。
「なんてこった……」
「大袈裟な。いい大人なんだから。大丈夫ですよ」
だが、そんなよく考えていない軽はずみな発言に、ヒカルは感情が沸騰した。
「お前はナルミのこと知らないだろ……。ほっとけないやつなんだよアイツは」
そう言うとヒカルの顔から明るさが消え、陰鬱さが影を落とした。
その様子を見て流石にイッセイもちょっと言葉を詰まらせたが、そんなヒカルのため、彼は彼なりに励ましの言葉を考えた。
「いや……やっぱり、大丈夫ですよ」
「また適当に――」
「適当じゃないっすよ!」
イッセイは強い口調で言い返した。
「大丈夫ですって。そんな愛される人なら、きっと最後には大丈夫になりますよ。そういうモンでしょ?」
イッセイはヒカルの肩に手を置いた。死人だからその手は冷たかったが、心は人間味に溢れてとても温かった。
「信じましょうよ。彼女さんのこと。信じれば夢叶うってやつです」
ちょっと意味がズレているいるような気がする……とヒカルは思った。だがしかし同時に、その言葉には形容し難い力があるように感じられた。
「……そうだな。それしかできないもんな。うん、お前の言う通りだ。意外といいこと言うんだな」
「意外とってなんすか」
「そのまんまの意味だよ」
そう言ってヒカルは笑った。イッセイは若干不服だったが、まぁ元通りに戻ってくれたならいいかと納得することにし、とりあえず笑った。
「でも良かった。笑ってくれて。きっと彼女さんも喜びますよ」
「あー、そうかもなぁ」
「じゃ、もっと笑えるよう。楽しい話しましょうよ。なんかすごいのが出てきそうな予感がします。よかったら聞かせてくださいよ」
「ハハ、大した話はないけど。まぁでもいいだろう。いっぱい教えてあげるよ」
「猥談は?」
「却下だ!」
「デスヨネー」
それから2人は色々な話をした。よく通ってた店の話、好きな映画の話、面白い知り合いの話、ちょっとやらしい話、そしてかつて夢見たことの話、色々とたわいもない話を交わすうちに、ヒカルとイッセイはなんだかんだ言いつついい(凸凹)コンビになっていた。
何から何まで忘れてしまうほどに2人は語り合った。しかしその関係は、ある時突然終わりを迎えた――
2人の下に厳つい鬼がやって来たのだ。それを見てヒカルは察した。
「……順番ですか」
ヒカルが尋ねると鬼はその問いを肯定した。いよいよヒカルに審判を受ける番が回ったのだ。しかし、それは同時にイッセイとの別れを意味する……。
友達との別れはいつだって辛いものだ。2人は1分でも、1秒でも長く話そうとした。だが、迎えに来た鬼が元から厳つい顔をさらに厳つくさせたので、ついに2人はここらが潮時だとため息をついた。
最後にヒカルが感謝を伝えると、イッセイも「楽しかった」と屈託の無い笑顔を浮べた。
「またきっと、今度は天国で会いましょう」
「ああ!!」
それが2人が交わした最後の会話。
ヒカルは振り返りながら歩き、イッセイの姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。イッセイもまた、ヒカルの姿が見えなくなるまでずっと手を振って見送っていた。
そして鬼に連れられたヒカルは、閻魔様に会うべく大きな大きな最後の門をくぐっていった。