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第7章 妖精館脱出作戦

「話は全て聞かせてもらったぞ!」


 突然、勢いよくドアが開け放たれると同時に、鋭い声が室内に響いた。


「うわあぁぁー!」


 高井戸(たかいど)は悲鳴を上げて跳び上がり、飛原(とびはら)も「うおっ!」と叫んだ拍子に膝をテーブルにぶつけ、ビールの缶を倒してしまった。ベッドの端に座っていた村茂(むらしげ)は、大きな体のバランスを崩して床に転がる。かくいう私も例外ではなかった。びくりと体を震わせ、喉から心臓が飛び出たのではないかという感覚を味わう。隣に座る乱場(らんば)は私の腕を掴み、唖然とした顔をドアのほうに向けていた。


「びっくりした?」


 声の主が敷居をまたいで笑顔を見せている。汐見(しおみ)だった。


「もう、悪い人ですね、汐見さん」


 その後ろから朝霧(あさぎり)も顔を覗かせる。


「計画立案したのはお前だろ。河野(こうの)さんも面白がってたし」


 朝霧の横では、河野が口に手を当てて横を向き肩を震わせていた。


「皆さん、お風呂どうぞ。いいお湯ですよ」


 部屋に入ってきた朝霧が声を掛けた。


「え、ええ……それより」と乱場は私の腕から手を離して、「いつからそこに?」

「一分くらい前です。乱場さんも部長も部屋にいなかったんで、もしかしたらと思って飛原さんの部屋の前に来てみたら、何だかひそひそ話し声が聞こえたもので」


 不穏な話題について話していたためだろうか、私たちは自覚しないうちに声のトーンを落としていたらしい。


「みんな」と村茂は床から立ち上がりながら、「脱衣所からここへ来るまでの間、誰かに会わなかったかい?」

「誰かって、火櫛(ひぐし)さん? いえ、誰にも」


 河野は、汐見、朝霧と顔を見合わせると、私たちに向き、


「ところで、何の話をしてたの? 男子だけで、ひそひそと」

「もしかして、お風呂を覗こうという計画だったんですか? 乱場さん以外は駄目です」


 朝霧が続けると、


「いや、そうじゃないんだ。実は……ちょっと、いいか?」


 倒れた缶を立て直して、飛原はこれまで、男性陣だけで話していた内容を聞かせる。私と乱場、村茂は、ベッドに腰を下ろすのを女性たちに譲って一緒に聞く。乱場は時折話の補足をするため口を挟んでいた。結局、狭いシングルの部屋に八人がそろうこととなってしまった。



「私たちを事故に見せかけて殺そうとしている?」

「声がでかいぞ」


 話を聞き終えた河野が目を丸くすると、飛原がドアのほうに目をやった。


「あくまで可能性、というよりも、僕のまったくの妄想に過ぎない話ですけれど」


 乱場が念押しする。


「でも、確かに」と朝霧が顎に手を当てて、「私たちのことが邪魔なだけなら、乱場さんが言うように、橋を架け直して追い払えば済む話ですよ。それを、こうして引き留めているというのは……。電話の件も怪しいですし」

「同感だ」


 汐見も腕組みをした。


「で、俺たちの対応としては、どうしたらいいと思う?」


 飛原が乱場に訊いた。


「そうですね。まず、本当に僕たちを事故死に見せかけて殺すつもりなら、ここで殺害に及ぶというのは考えがたいです。僕たち全員分、八体もの死体を運搬する――当然、ここからずっと離れていて、かつ事故死に見せかけられるような場所まで――というのは相当骨が折れる仕事ですし。現代の法医学なら、死体を調べれば、死後に移動されたことも簡単に看破されてしまいます。もし、本当に僕たちを殺すという段になったら、間違いなくここにいる全員を事故死に偽装する現場まで連れ出すはずです。だから、この館の人間から、どこかへ行こうという誘いを受けても、決して乗らないで下さい。これは人数は関係ありません。一度に八人を誘い出すのは困難だから、ひとりずつや数人に分けて、ということも考えられますから」

「だそうだ。(かすみ)さんに誘われても、ほいほいついて行くなよ、高井戸」

「何で俺なんです」


 村茂に向かって高井戸が声を荒げる。


「何でって、笛有(ふえあり)霞さん、凄い美人だったから。なあ」


 村茂が同意を求めてきたため、私は頷いた。


「えっ、高井戸さんって、やっぱりそうだったんですか?」

「何だよ朝霧さん! やっぱり、って!」

「そうだ」と再び村茂が、「高井戸は美人と見ると見境なくなるから、二人とも気をつけたほうがいいよ」

「はい」


 と汐見が返事をしたのを見た朝霧は、


「汐見さん、今の河野さんの言葉に肯定の言葉を返すということは、自分が美人だと認めることになるんですよ」

「ん? 何で?」

「だって、村茂さんは、『高井戸さんは美人に見境がない』『だから、気をつけろ』という論法で来たんですよ。つまり、この言葉を肯定するということは、自分が気をつける立場の人間であるという自覚がある。すなわち、自分は美人だと認めているということになります」

「そういうことか」

「ですから、汐見さんの場合は『お気遣いありがとうございます。でも、私は心配いりません』と答えるべきです」

「なるほどな……って、納得するか!」

「汐見さんは、もっと謙遜の美学を持って下さい」

「じゃあ、お前は何て答えるんだよ」

「もちろん、はい、気をつけます、と」

「おい!」

「いやいや、二人とも美人だよ」


 高井戸が割って入ると、「ほらな」と村茂が笑い、飛原もそれに続いた。河野ひとりだけが笑顔を見せず、浮かない顔をしていた。


「ありがとうございます。じゃあ、私も高井戸さんには気をつけることにします」

「うぉっ!」


 汐見に言われて、高井戸はのけぞった。多分、汐見に悪気はないのだと思いたい。その汐見は朝霧に向き直ると、


「ほれみろ、やっぱり私も、美人のテリトリーに入っていいんだ。分かったか」

「汐見さん、そこはなわばり(テリトリー)じゃなくて、範疇(カテゴリー)と言うべきかと」

「あ、あとですね……」と、誰かが止めに入らないと延々と続いてしまうと懸念したのか、乱場が、「気をつけるとすれば、口に入れるものですね」

「食べ物とか、飲み物ってことか? どうしてだ?」


 村茂が訊いた。


「まさか……毒でも入れられるってことか?」


 飛原が青い顔をした、が乱場は首を横に振って、


「いえ、さっきも言ったように、この場で僕たちを殺害して死体を運搬するというのは、あまりにリスクが高いはずです。毒殺に限らず、直接殺しにくるなんて真似を仕掛けてはこないでしょう。懸念されるのは、睡眠薬です」

「そうか、眠らせて運搬をしやすくするという」


 飛原は納得した声を上げた。


「そうです。ですから、僕たちだけに対して出された料理や飲み物には、注意を払う必要があるでしょうね。この館の人たちと同じものを口にするのであれば、問題はないかと思いますが」

「自分たちも睡眠薬入りのものを口にするってことだからな」

「ええ。そこで、どうでしょう、明日の朝は特別早起きをして、僕たちで朝食を作るというのは」

「なるほど、何か盛られる前に先手を打つというわけか」

「はい。泊めてもらって何もしないのは悪いからとか、言い訳はいくらでもつくと思うんです」

「朝食は七時と言っていたな。なら、六時前には厨房を占拠したいところだな」

「そうですね。万が一、僕たちが間に合わずに先に朝食を出されたとしたら、半数の四人は食べないでおいたほうがいいかもしれませんね。で、朝食を終えたら、食べたメンバーと食べなかったメンバーを一緒の部屋にして閉じこもるんです」

「もし、睡眠薬が混入されていたとしても、食べていないメンバーが一緒にいれば問題はないということか」

「はい。それと、もし明日、首尾良く僕たちで朝食を手配できたとしたら、食後にこの館の周囲を散策してみませんか? もしかしたら、あの橋を渡る以外に、山を下りられるルートが見つかるかもしれません」

「あり得るな」と、それを聞いた村茂は、「無理に車を使わなくとも、徒歩なら下山は可能かもしれない。ここらは、そんなに標高のある高さでもないだろうしな」

「でも、もしルートが見つかったとしても、全員で下りるのは難しいんじゃないですか? 女の子もいますし」


 高井戸は三人の女性に目をやった。確かに河野はスカート履きで、さらに履き物も山道を歩くには向かないパンプスだった。朝霧はスカートこそ履いているが、足下はスニーカーで固めている。汐見だけがデニムパンツにスニーカーという、山歩きにも何とか対応できそうな格好だった。


「私、着替え用にデニムのパンツを一本持って来てるぞ」


 汐見が手を挙げた。朝霧と河野はスカートしか用意がないという。


「朝霧さんか河野さんがそれを借りれば、何とかいけそうだね」

「私はパンプスだから、朝霧さんが履くのがいいんじゃないかしら?」


 河野は自分の足下を見た。


「では、明日は一応、朝霧さんは汐見さんから借りたデニムを履くことにして下さい」


 乱場の指示に、朝霧と汐見は、了解の返事をした。


「それで、具体的にどうする」飛原が腕組みをして、「全員一度に下山するのはさすがに無理だろう。仮に男二人くらいだけで下山して助けを呼びに行こうにも、俺たちの人数が少なくなったら確実に怪しまれるだろうしな」

「気分が悪くなって、ずっと部屋で寝ている、ということにしてはどうでしょう」

「朝霧! 冴えてるな!」


 汐見が朝霧を指さした。ふふん、と朝霧は腰に手を当てると、


「では、下山担当は汐見さんおひとりに任せましょう」

「どうしてそうなる」

「なるべく人数が少ないほうが誤魔化しが効きますから」

「まあ、いいぜ、こんな山くらい、ひとっ走り駆け下りてやるぜ」

「途中に熊が出ても、汐見さんなら大丈夫です」

「そんなわけあるか」

「たまにニュースであるじゃないですか。お爺ちゃんが偶然遭遇した熊を撃退したっていう」

「あれって、どうしていつも爺さんばっかなんだろうな」

「だから、汐見さんも」

「どういう意味だよ」

「汐見さんには、得意の〈熊殺し〉があるじゃないですか」

「そんな必殺技、持ってないから」

「相手の左脚に右脚を絡めて、前屈みにさせた相手の首に左脚を引っかけると同時に、右腕を抱え込んで締め上げるという」

卍固(まんじがた)めじゃねえか」

「そ、それと、ですね……」またしても、このまま放っておくと、いつになっても終わらないと思ったのか(同感だが)、乱場が小さく手を挙げて、「この館の中でも、行動を起こしたほうがいいと思うんです」

「何をだ?」


 飛原が訊くと、


「電話を探すんです。あと、できれば橋を架ける装置を動かすスイッチも」

「なるほど」と飛原は、「下山組と、館内捜索組、明日は二手に分かれて行動するというわけだな」

「はい。でも、僕としては、あくまで穏便に事を運びたいと考えています」

「どういうことだ?」

「下山組は、あからさまに山を下りる素振りを見せるのではなく、ちょっと外を散歩してくる、みたいな気軽さでここを出てほしいんです。館内捜索組も、この館が珍しいな、とでもいうふうにしながら。というのも、今まで僕が言ったことは完全な推測でしかないからです」

「この館の人たちが、俺たちを事故死に見せかけて殺そうとしている、ということが?」

「ええ。僕たちをここに泊めさせているのは、犯罪性などとは無関係の、何か他愛のない理由によるものという可能性もありますから。もしそうだった場合、あまりに僕たちが向こうを怪しんだり、警戒した素振りを見せるのは得策ではないと思います」

「まあ、そうかもな。俺たちがここに来てしまったのは、完全なアクシデントによるものなんだからな」

「はい。この館の人たちが僕たちを拘束しておきたいのは今晩だけで、もしかしたら、明日の朝、朝食を終えたら即、『橋を架けるのでお帰り下さい』と言われるかもしれませんしね」

「であれば、今話している計画も実行に移す必要はなくなるわけだ」


 飛原は幾分か安堵した表情になる。


「熊が汐見さんに倒される必要もなくなるわけですね」

「それが目的じゃねえから。熊に遭遇しないに越したことはないから。というか、どうして戦う前から私が勝つことになってんだ」


 朝霧に汐見が突っ込んだ。


「そうよね」と河野も表情を和らげて、「何か凄い犯罪が行われる前兆かもしれないって思って調査したら、何てことはない事柄を曲解していただけだったみたいな、事件とも呼べない事件、結構あるそうだしね」

「〈日常の謎〉ってやつですね」乱場は自分の得意分野の専門用語を出し、笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締めて、「でも……楽観視はしないほうがいいと僕は思います。この館がおかしいことに変わりはありませんから」

「この館が?」


 村茂は室内を見回す。はい、と乱場は、


「おかしいですよ。どうして鍵付の、しかも使われていない空き部屋が、こんなにたくさんあるんですか。まるで、ちょっとした宿泊施設ですよ」

「本当にそうなんじゃないか? 山奥に建つ、隠れ家的旅館――ていう雰囲気じゃないな、隠れ家的ホテル、かな」


 改めて村茂はぐるりを見回した。


「〈ホテル妖精館〉ってことか?」飛原は、にやりと口角を上げて、「休息を求めてホテルに入ったはいいが、立ち去ることは出来ないってか」

「案内してくれたのも女性だしな。俺たちは心の中で呟くべきだったな、『ここは天国か、それとも地獄か』」


 村茂も笑った。他のメンバーはきょとんとした顔を見せている。若い彼ら、彼女らは(飛原と村茂、もちろん私も、十分「若い」という範疇に入れていいとは思うが)、イーグルスの歴史的名曲「ホテル・カリフォルニア」を知らないようだ。


「ホテルなら、窓という窓に鉄格子がはまっているのはどういうわけなんです?」


 高井戸の疑問に答えるものは誰もいなかった。


「あ、そうそう」と河野が、「鉄格子といえば、脱衣所とお風呂の窓にも、しっかりあったわよ」

「そんなことだろうと思ったぜ」


 村茂が呆れた声を上げた。

 飛原は、とうに空になったはずのビールを形だけ飲み干すと、


「まあ、いいさ。全ては明日の朝になったらはっきりする。俺たちも風呂に入ってこようぜ」

「同感です」


 高井戸と一緒に立ち上がった。


 が、ここでも女性陣が(というか、河野が)「女性だけになるのは怖い」と言いだし、結局男性陣は二組に分けて入浴を済ませることになった。最初は、飛原、村茂、高井戸の大学生組が、続いて最後に、私と乱場の高校生組が風呂を使うことになった。


 女性陣の護衛で来たときに見た脱衣所の規模から察してはいたが、浴場そのものも結構な広さがあった。数人が一度に使用するのに十分で、少なくとも一般家庭のそれは遙かに凌駕している。


「広いお風呂ですね。本当にホテルみたいです」


 私の隣にいる乱場が天井を見上げた。事実、こうして二人並んで湯船に浸かっていても、全く窮屈とは感じない。これなら三人一度に入った女性陣も飛原たちも、互いに気を遣うことなく入浴を済ませることが出来ただろう。


「乱場くん、正直、どう思う?」


 私が、額に前髪を貼り付けた乱場の顔に視線を向けると、乱場もこちらを見て、


「どう思うって、この館についてですか?」

「そう、この〈妖精館〉乱場くんは、どう見る?」

「全く分かりません」と乱場は天井に顔を戻し、「用心するに越したことはない、というしかありませんね」

「そうだね。確かに、普通じゃない」

「ええ。消えた橋、車を入れて施錠された車庫、食事中に扉が一時的に施錠されたことも――火櫛さんは、すっとぼけていましたけれど――まず、間違いありませんし、あらゆる状況と事実が、僕たちをここに留めておくつもりだということを表しています」

「留めておく、というのは、つまり、ここから逃がさない、ということ?」

「そう言い換えることも出来るでしょうね」

「何のために……」

「本当、何なんでしょうね」


 乱場は立ち上がった。浴場の薄暗い照明が、彼の白い裸体を浮かび上がらせる。


「石上先輩、お背中流します」

「悪いね」


 後輩に微笑みかけられ、私も立ち上がった。



 入浴を済ませた私と乱場は二階に戻り、ドアに施錠することを忘れないよう確認し合い、それぞれ自室に戻って床に就いた。

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