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第4章 さらに閉ざされる

「食事の用意が出来ました」


 火櫛(ひぐし)がロビーに戻ってきて告げた。

 私たちは、いささか所在なげに彼女のうしろをついて廊下を歩く。最初に見えた両開きの扉の前まで来ると火櫛はそれを押し開いて、私たちに入るよう促した。


「冷凍食品などで手早く作ったものですが」


 広い食卓の上には、炒飯やハンバーグ、コロッケなど、確かに冷凍食品らしい料理が並んでいた。量は豊富に用意されており、私たち八人の胃袋を満たすには十分だろう。


「お好きな席に」


 火櫛に言われ、全員が席に着いた。椅子は長方形のテーブルの長辺に五脚ずつ、全部で十脚の用意があった。食卓もだが、この部屋自体も広い。置かれた調度などからすると(こうして食事を出されていることからも明らかなことではあるが)ここは食堂なのだろう。壁に(しつら)えられた高級そうな食器棚には、これも見るからに高級と分かる食器が詰め込まれている。当然、食卓にならぶ料理が盛りつけられたそれも同様だった。料理は人数分に分けられてはおらず、大皿に盛ったものを各人が食べたい分だけ取る形式だ。わざわざ作った物を八等分するのも手間なためだろう。


「いただきます」


 私たちのほとんどが躊躇を見せる中、まず先陣を切ったのは汐見(しおみ)だった。彼女は手にした取り皿に次から次へと料理を載せていく。その一挙手一投足には、遠慮というものがまるで見られない。


「ほい。これは乱場(らんば)の分な」


 汐見は山盛りにした取り皿を、隣の乱場の前に置いた。


「あっ! そういうことだったんですか! 汐見さん、ずるい」


 乱場を挟んだ席に座る朝霧(あさぎり)も食卓に身を乗り出して、取り皿を料理で埋め始めた。これも恐らく乱場の前に置かれることになるのだろう。二人が盛った分を合わせれば、優に大人三人前くらいにはなりそうだ。

 朝霧の隣には私が座り、対面の席には大学生四人が占めていた。向こうでは河野(こうの)が取り皿を手にし、バランス良く料理を盛り付けたそれを、まず高井戸(たかいど)の目の前に置いた。「ありがとう」と高井戸は礼を述べたが、そこには感謝というよりも、この状況に未だ戸惑っている、といった響きが感じられた。飛原(とびはら)村茂(むらしげ)の二人は自分で取り皿を手にしたが、まだ料理には手を付けないまま、ちらちらと出入り口方向、食卓の扉側の短辺に座る火櫛に視線を送っていた。


「どうかしたのですか」

「あ、いえ……」


 彼女と目が合った飛原が俯く。すると、


「あの」村茂が火櫛を見て、「ここは、どういうところなんですか?」


 質問をぶつけたが、火櫛は黙ったまま、借問してきた男を見やっていた。数秒ほど経ってから、村茂はまた、


笛有(ふえあり)さんでしたか。こんなに立派な家――というか、屋敷と言っていいでしょうね――をお持ちで、近隣の山まで私有地だとか。かなりの資産家でいらっしゃるのでしょうね」


 だが、火櫛はまだ無言を貫いていた。その射すくめるような視線を浴びてもなお、村茂は引き下がらなかった。額に汗を浮かべながらも、彼女を見返している。


「あなたたちこそ……」火櫛の口が開いた。「何者なのですか? 何の目的で、この山に入ってきたのです」

「お、俺――私たちは、映画の撮影で――」

「映画?」


 火櫛の眉根が寄り、表情に険が見えた。


「あっ、いえ」村茂はその表情の変化に一瞬たじろいだようだったが、「映画と言っても、私たちは大学生で――向こうに座っている四人は高校生ですけれども――とどのつまり、大学サークルのアマチュア映画の撮影ということでして」

「映画の撮影で、こんな山奥まで?」

「ええ。監督が」と村茂はここで一瞬、隣の飛原に視線を向けて、「ロケーションにこだわったものですから」

「私有地だとは知りませんでした。申し訳ありません」


 飛原が小さく頭を下げた。火櫛は、私たち全員を軽く見回してから、


「撮影ということは……当然カメラも持っているわけですね」

「はい。もちろん、プロ用の立派なものではありませんが」


 村茂が答えると、


「そう……」


 火櫛の視線は、彼の足下に置かれた鞄に向いたが、すぐに顔を起こして、


「ああ、私のことは気にしないで、食べて下さい」


 未だ料理に手を付けていない飛原と村茂に箸を勧めた。はい、と、ようやく二人は取り皿に料理を盛りつけ始める。

 少しの間、私たちが食事をする音、食器の触れあう音だけが広い食堂に響いていたが、


「あの、すみません」


 箸を止めた乱場が口を開いた。乱場は、自分に向いた火櫛の視線を受け止めつつ、


「僕たち、ここへ迷い込む前に、橋を渡ったんですけれど――」

「少ししたら戻って来ます」火櫛は突然立ち上がり、「ゆっくり食べていて下さい」


 そう言い残すと廊下に出て振り返り、私たち全員を見回してから両開きの扉を閉めた。カチャリ、と扉の閉じる小気味の良い音が鳴った。

 火櫛がいなくなったためだろう、食堂内には明らかに安堵するような空気が流れ始めた。それを証明するように、


「何だか肩が凝ったわ」と河野が両肩をさすりながら、「あの、火櫛って人、何なの? 乱場くんの質問を思いっきり無視して、感じ悪いわね」

「橋に関する質問はするな、ってオーラをびんびん出していたな」


 村茂が同意すると、飛原も、


「というより、橋に関わらず、俺たちからの質問は一切受け付けないって雰囲気だったな。車庫での態度とかも」

「そのくせ、向こうはこっちのことをやけに監視していましたよね」


 高井戸が火櫛が出て行った扉を見やると、村茂が、


「高井戸は別に嫌じゃないだろ。女性に見つめられるのは」

「まあ、態度はともかく、美人ですしね」

「ははは」


 村茂は笑った。火櫛がいなくなったことで緊張が取れたのか、再開された食事の雰囲気は、先ほどよりも和やかなものになっていた。

 十数分後、出された料理があらかた私たちの胃袋に収まった頃、河野が懐から取りだしたスマートフォンを操作した、が、


「駄目。やっぱり圏外」


 ため息を漏らした。私も自分の携帯電話を見たが、やはり電波は来ていない。他の全員も同じだったようだ。スマートフォンのディスプレイを見つめ、河野と同じように嘆息し、あるいは落胆する表情を見せていた。


「さてと」


 汐見が、テーブルに手を突いて立ち上がった。


「汐見さん、どちらへ?」


 朝霧が訊くと、


「決まってるだろ。入ったらその分出るのが自然の摂理だ」

「まあ、下品な」

「お前が訊いたから答えただけだろ。それに、便所とかうんことか、直接的な言い回しは避けてやったんだから、全然下品じゃなかっただろ」

「言っちゃってますから」


 私と乱場と、対面に座る大学生たちは、そろって微苦笑を浮かべた。

 満腹になって上機嫌なのか、汐見は鼻歌を奏でながら扉まで歩き、ノブを掴んだ、が、


「……ん? あれ?」


 ノブを握ったまま、いつまで経っても扉を開ける様子がない。ガチャガチャとノブが回される音が聞こえるだけだった。


「もしかして……汐見さん!」


 その様子を見た乱場が席を立って走った。汐見を脇に除けさせて扉の前に立つと、自分でもノブを握って数回捻り、


「……鍵が掛けられてます」


 振り返って告げた。


「何だって?」


 私たち全員も立ち上がって扉に駆け寄った。その扉は、ノブの上に鍵穴が空いているだけで、ノブ自体にもその周囲にも、解錠するためのサムターンのようなものは見当たらない。私もノブを握ったが、


「確かに、施錠されているね」


 ガタガタと音を立てるだけで、ノブは僅かに回れども扉は開かない。どれ、と次に村茂もノブを握ったが結果は同じだった。


「な、何なんです? いったい……」


 高井戸が閉ざされた両開きの扉を見る。


「閉じ込められたってことなの?」


 河野の、いや、その場にいる全員の表情に不安の色が戻ってきた。


「窓は?」


 と飛原が扉と反対側の壁に駆け寄って、掛けられた厚いカーテンを左右に引き開けた。そこには確かに縦長の窓があったが、


「……鉄格子が」


 透明なガラス越しに、数本の鉄格子が並んでいるのが見えた。飛原はクレセント錠を回して窓を引き開け、鉄格子を掴んで前後に揺すったが、やはりびくともしない。格子の間隔は大人の頭が通るか通らないかという寸法だ。飛原は頭部を差し込みかけたが断念したらしい。中途半端に頭だけが抜けて、そのままはまってしまったなどとなったら目も当てられない。

 私たちはさらに室内を見回す。窓を背にして右側に、片開きのドアがあった。


「厨房に続いているドアでしょう」


 乱場が言い終えぬうちに、村茂がそのドアに飛び付いたが、


「こっちも施錠されている」


 ノブを回しながら力ない声を漏らした。サムターンはなく鍵穴が空いているという構造も、廊下に通じる扉と同じだった。


「何事が起きたっていうんだ……」


 村茂はノブから手を離し、高い天井を見上げた。照明に使われている豪奢なシャンデリアがぶら下がっていた。


「ここは、汐見さん、出番です」

「そうなっちゃうよな」


 朝霧の声に、汐見は左手で右拳を握り、パキパキと骨を鳴らした。


「さあ、得意技フェイバリットホールド卍固(まんじがた)めで、あのドアをぶち破って下さいな」

「ちょっと待て! どうやったら固め技でドアを破ることが出来るんだよ!」

「かつて、アントニオ猪木(いのき)は、『(ほうき)が相手でもプロレスを成立させられる』と、その試合巧者ぶりを謳われていました」

「お前、よくそんな古い話題を知ってんな」

「だから、汐見さんもドア相手にプロレスが出来るかなと」

「いや、朝霧、この場に必要なのは、プロレスじゃなくて、徹底して相手を叩きのめす喧嘩殺法だぜ」汐見は右拳を固く握ると、「いくぜ……握力×(かける)体重×(かける)速度(スピード)(イコール)破壊力……」


 そのとき、ガチャリと音がして、廊下に続く両開きの扉が開け放たれた。

 汐見は固めた拳を振りかぶった姿勢のままで、その他全員は呆然と立ち尽くして扉のほうを見やる。食堂と廊下を隔てる敷居の上に火櫛が立っていた。


「……いったい、どうしたというのですか」


 慌てふためいていた私たちとは極めて対照的な、変わらぬ冷静な態度と口調で、火櫛は室内をぐるりと見回した。


「ひ、火櫛さん、あなた――」


 食ってかかろうとした村茂だったが、火櫛と視線を合わせると、石化してしまったかのように言葉を止めた。そのままテーブルの上に目をやった火櫛は、


「食事は終わりましたか? もう下げてもよいでしょうか?」


 確認を求めてきたが、誰も返事をするものはいない。沈黙を諒解と取ったのか、火櫛はテーブルのそばまで歩き、空になった皿を重ね始めた。


「火櫛さん、どうしてドアに鍵を掛けたりしたんですか」


 乱場が口を開いた。火櫛の手が止まり、皿同士が触れあう甲高い音も止んだ。火櫛は皿を重ねる前屈みの姿勢のまま、乱場と目を合わせる。上目遣いのようになったためもあるのか、意図してそうしたのかは知らないが、私は彼女が乱場を睨みつけたように感じた。


「なにを言っているのですか」


 が、すぐに火櫛は視線を外して口角を――形だけでも――上げ、皿を重ねる作業を再開する。陶器や金属が触れあう音も戻ってきた。


「そこの扉が施錠されていましたよ」


 しかし、乱場は引き下がらない。白魚のような指を開け放たれたままの両開きの扉に向けた。火櫛も少し振り返り、乱場の指さすほうに目をやったが、


「あの扉は少々建て付けが悪くて、たまに枠に引っかかるんです。それで勘違いをしたのでは」


 私は、乱場がすぐに扉に走り、扉がスムーズに開閉できることを実際に開け閉めして確認するのではないかと思ったのだが、それ以上は何も言い返さず、皿を重ねていく火櫛を見ているだけだった。


「て、手伝います」


 沈黙に耐えられなくなったとばかりに、河野がテーブルに駆け寄ったが、


「結構です。それよりも、皆さんをお部屋に案内しますので」


 あらかた皿をまとめ終えると火櫛は扉の前に立ち、私たちに食堂を出るよう促した。全員が廊下に出ると火櫛は扉を閉める。両開きの二枚の扉は滑るように軸回転し、例の小気味良い音を立ててぴたりと閉じ合わさった。


「先ほどのロビーから二階に上がってもらいますので――」

「そ、その前に」と汐見が手を挙げ、「トイレ、いいですか?」

「手洗いは二階にもありますので、用はそこで足して下さい。先に部屋を案内しますので」


 汐見の要請は却下され、火櫛を先頭に私たちはロビーまで歩いた。


「二階に上がると、一階と同じように左右に廊下が走っています。部屋は九つありますので、好きな部屋を使って下さい。手洗いは階段を上ってすぐ右にあります。浴室は一階の先ほどの食堂側廊下の奥です。お湯は温くなっていますので、追い炊きをして入って下さい。明日の朝食は七時としますので、それまでに食堂まで下りてきて下さい」

「は、はい……」


 私たちを代表するように飛原が返事をすると、火櫛は、


「一応、部屋には鍵が用意されていますので」


 それだけ告げると、今度こそ「おやすみなさい」と言い残して歩き去ろうとした、そこを、


「待って下さい」


 乱場が呼び止めた。火櫛は――まるで彼の声に無視を決めようとしたかのように――数歩歩いてから、仕方なくというふうに振り向いた。


「電話を貸してほしいのですが」


 乱場の訴えに、火櫛は数秒間の無言で応えた。


「予定していなかった外泊なもので、家族に連絡をしないと。ここ、携帯の圏外ですよね」


 さらに乱場が言葉を繋げると――今度もまた、仕方なくという雰囲気をまとわせながら――火櫛は、


「申し訳ありません。この家には電話がないので」


 ちょこんと、申し訳程度に一礼して、食堂と反対方向の廊下に向かった。もう乱場も声を掛けはしなかった。

 私たちは、すぐには何も行動できず、階段の下で立ち尽くして火櫛を目で追うだけだったが、廊下の入り口付近に差し掛かった彼女が壁のスイッチに手を触れ、ロビーの照明が落とされたことで、襲いかかってきた闇から逃げるように階段を上り始めた。踊り場の高い位置にある窓から差し込む月明かりだけを頼りに。

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