第27章 死の口づけ
私が話を聞く準備を整えると、それに呼応するように、乱場も息を吸って、
「まず、僕は、霞さんを毒殺したトリックについて考えてみることにしました。というよりも、今回の事件は犯人の動機面というものが全然見えてこなかったので、そこから手を付ける以外に方法がなかったという事情もありますが」
「トリック、か」
「はい。あの状況、あの時点で、霞さんを毒殺できる手段というものがあるとしたら――実際に霞さんは殺されてしまったので、それは必ずあるはずなのですが――どういった方法が考えられるのか。今言ったように動機面から犯人に迫ることは事実上無理でしたから、僕は、あの場にいた人たちから、性別や性格、資質、そういったものを一切排除して、全員をただの駒として割り切って見ることにしました。同じように、凶器となった青酸カリについても、あの場にいた誰もが入手可能だったとして考えることにします。ここに僕の記憶と、現場で確認できた事実を組み合わせて推理していきます。ただ、僕の記憶というのは、当然ですが僕自身の主観でしかありませんし、記憶違いが生じてるということもあり得ますから、ここに高井戸さんがこっそり撮影した映像を持って来て、客観的事実の補完材料とします」
「よく分かったよ」
「はい。ちなみに、全員――現在拘留中の火櫛さんも含めて――に訊いたことなのですが、石上先輩にもお訪ねします。あのコーヒータイムの中、誰かが、霞さんのカップに何かを混入したような動き、もしくは、明らかにおかしな動作をしたということはありましたか?」
「……いや」
私が首を横に振ると、乱場は頷いて、
「分かりました。皆さん、そう答えてくれました。僕たち外様組に火櫛さんを加えた九人もの人間がいたにも関わらず、誰からも目撃証言が聞かれないというのは、そういったことは実際なかったと考えていいと僕は思います。つまり、霞さんのカップや本人に対して、毒を混入する、飲ませるなどの目に見えて怪しい動きをした人間は、あの場にはいなかったということになります。当然、九人の中にいる犯人自身は『怪しい動きなど見ていない』と証言するはずですが、それでも他に八人もいましたからね。その全員の目を欺くというのは現実的でありません」
「同感だよ」
「次に、毒が前もってコーヒー豆や、抽出された直後のコーヒーに仕込まれていたという可能性も考えられますが、実行は不可能であると断言してもいいと思います。コーヒーは村茂さんが淹れたもので、同じコーヒーメーカーで作られ、同じデカンターから注がれたものです。毒の混入したコーヒーだけを分離したり、分けて注ぎ入れるというのは不可能でしょう」
「それじゃあ、カップのほうは?」
「あのカップは、ソーサーとセットになったものが、全部で一ダース、つまり十二個、リビングの戸棚に用意されていて、あの日、僕たちが使ったのは七セットだけでした。なぜか」
「乱場くんたちがコーヒーを飲まなかったからだね」
「そのとおりです。僕と汐見、朝霧の両先輩は、苦いコーヒーが苦手ということで、グラスに注いだジュースを飲んでいました。グラスもジュースも食堂にあったものです。そのため、あの日リビングに集まった十人引く三人、つまり七人分しかカップとソーサーは使われなかったのです。鑑識が調べた結果、戸棚に残る使われなかった五セットには、毒物が仕込まれているとか、そういったことはなかったそうです。それに、霞さん以外の全員は無事だったわけですから、もしカップにあらかじめ毒が仕込まれていたとなると、その毒入りカップはただのひとつだけで、それが霞さんの手に渡ってしまった。ということになります。ここで考えたいことは、もし犯人が、なにかしらの目印を付けて毒入りカップを区別できる状態にしていたとしても、それを霞さんにあてがうことは不可能だったということです」
「動画でも見たけれど、霞さんは自分でカップを選んでいたからね」
「そうです。霞さんがリビングに姿を見せたのは、僕が石上先輩を呼びに行っている最中のことで、その時点で村茂さんのもとには、まだ所有者が未決のカップが三つありました。村茂さん、石上先輩、霞さんの分です。それ以前にカップを配る段階で、犯人がうまく場をコントロールして、毒入りカップをその三つの中に残すことが出来たのだとしても、霞さんが自分の意思で選んだ以上、犯人の思惑が介入する余地はありません。ここまで来たら三分の一の確率に賭ける、というのも乱暴すぎます。下手をすれば、村茂さんか石上先輩に毒入りカップが回されることになっていたのですからね」
「それに対する反論はあるように思うけれど」
「はい。今僕が話したのは、あくまで、犯人の殺害対象が霞さんひとりに限られていたという場合です。犯人が、霞さん、村茂さん、石上先輩、この三人全員を殺すつもりでいたのであれば、何の問題もありません。毒入りカップをあの三つに残した時点で、犯人の勝ちというわけです」
「そうなるね」
「もし、ひとりの遅刻者もなしに全員が同時にリビングに集まっていたとしたら、犯人は率先してカップを配るなどして、毒入りカップを殺害対象者にあてがってしまうだけです。ですが、この、殺害対象者が霞、村茂、石上の三人だった説も、僕は現実的ではないと考えます」
「それは、どうして?」
「ひとり殺した時点で、全員が警戒してしまうからです。実際、僕たちは霞さんが殺されたあとは自室に籠もって、一切の外来を拒否し、飲食物も自分で選んだものだけを口にするようにしていました。当然ですよね。なにせ、あんな事件が起きたあとのことですから。いくら犯人が、『まず、ひとり。さあ、あと二人殺すぞ』と意気込んでも、状況がそれを許すはずがありません」
「確かに、ひとり殺した時点で、二件目の殺人というのは相当にやりにくくなるだろうね」
「そうなんです。だから、もし犯人が殺したい人物が三人いるとしたなら、その三人はほぼ同時に殺してしまわないといけないんです。もしくは、被害者が出たという事実を隠蔽しつつ、二件目、三件目の犯行に及ばないといけないんです。ああいった〈閉じられた輪〉内において連続殺人を行う場合は、殺人の間隔に間を空けるのは本来愚策です。警戒させる隙も与えず速やかに、間髪入れずに殺してしまうべきです」
かわいい顔で怖いことを言う。その童顔の探偵は、続けて、
「これに対する反論としては、『犯人がそこまで考えていなかった』というのが挙げられますね。いざ、ひとり目を殺したはいいけれど、それでみんながびびってしまい、犯人の思惑以上に極度に警戒を強めてしまった。そのため、予定していた二件目以降の殺人は断念せざるを得なかった、という」
「何だか間抜けな話だね」
「ですが、この説も却下されます。なぜなら、今に至るまで二人目の被害者が出ていないからです。それほどまでに殺したい人物であれば、犯人は必ず行動に移すのではないかと思います。〈クローズド・サークル〉という限定された世界よりは、実社会のほうがはるかに殺害機会、手段の幅は広がりますからね。しかも、犯人がターゲットのひとりとしていた石上先輩は、凶弾に倒れて入院中の身です。これほど与しやすい状態でいるターゲットを放っておくことは考えられません」
「そうかもね。今の私なら、朝霧くん相手でも軽くひねり潰されてしまいそうだよ」
「しかし、こうして石上先輩は健在――と言っては語弊がありますが――で、犯人の手にかかることなく、ベッドの上にいるわけです。ちなみに石上先輩、入院中に誰かに襲われかけるとか、命の危険を感じるといったようなことはありましたか?」
「いや、いたって平穏な入院生活だよ」
「村茂さんにも訊いたのですが、やはり、そういったことはないそうです。つまり、犯人は妖精館から解放されたあと、石上先輩にも村茂さんにも何も攻撃を加えていない。それはつまり、犯人の狙いが霞さんただひとりだけだった、と考えてよい根拠になると思います」
「同感だよ」
「ですが、この説にはまだ反論の余地があります」
「なんだい?」
「起こしたくとも、犯人が行動を起こせない状況にあるという場合です。犯人は霞さんに加えて、石上先輩、村茂さんの三人を殺すつもりでいて、妖精館では首尾よく霞さんを毒殺した。しかし、残る二人の命を奪えぬまま妖精館から解放されることになり、結果、残る二人に手が出せなくなってしまった、ということです」
「その説に当てはまる犯人は、ひとりしかいないね」
「そうです、火櫛さんです。彼女は現在、麻薬取締法違反、銃刀法違反、その他もろもろの容疑で送検され、留置場にいる身ですからね。石上先輩や村茂さんを殺しに行けるはずがありません」
「犯人が火櫛さんであると過程したならば、今までの全ての説を包括できるわけだね」
「はい。ですが、僕は火櫛さんは犯人ではないと考えています」
「どういった理由で?」
「石上先輩、憶えていますか? 霞さんが殺された直後、汐見さんが『自殺かもしれない』という意味のことを言ったとき、火櫛さんはこう反論したんです。『霞が自殺なんてする玉か』と」
「ああ、憶えているよ。それが火櫛さんが犯人でない根拠?」
「ええ、火櫛さんが、霞さんに続いてあと二人――石上先輩と村茂さんを――殺すつもりでいたなら、あのときの汐見さんの発言には、よくぞ言ってくれた、とばかりに乗っかるべきです。だって、他殺よりも自殺と断定されたほうが、あとの殺人が俄然やりやすくなるからです」
「それは……そうかもしれない」
「絶対にそうですよ。二件目以降の殺人のハードルが上がってしまう理由は、正体不明の殺人鬼に対して怯えることで、ターゲットが警戒してしまうからです。ですが、ひとり目の被害者を自殺ということに出来るなら話は違ってきます。殺人鬼の存在が消え失せてしまうからです。結果、残りのターゲットが警戒するということはなくなります。ひとり目の被害者のことを、他の誰かが『自殺かも』と口にしてくれたなら、これ幸いにと支持にまわるはずです。少なくとも、わざわざ全面的に否定することはない。何の得もありませんから。
「理屈では確かにそうだね。でも、さっきの話をぶり返すことになるけれど……」
「分かっています。こう言いたいんですよね、『犯人がそこまで考えていなかったのではないか?』って」
私が頷くと、乱場もそうして、
「はい。でも、さっきの場合と今回の場合とでは、決定的に違うことがひとつあります。それは、今は火櫛さんが犯人だという前提で話をしているということです。つまり、今の場合だと、『犯人』という代名詞が『火櫛さん』になるので、正確にはこういうことになります、『火櫛さんがそこまで考えていなかったのではないか?』僕はこの文章にとても違和感を持ってしまうんです。一番最初に『全員を駒として見る』と言っておきながら、個人のパーソナルな部分を持ち出して何ですけれど、全然火櫛さんらしくありません。あの人は頭の切れる狡猾な人です。汐見さんの『霞自殺説』を聞いたら、それに乗っからないわけはないと思うんです」
「それは、私も思うよ」
「ですよね。それに、火櫛さんが犯人じゃないという理由はまだあります。霞さんに加えて、石上先輩と村茂さんも殺したいと思っていたなら、さっさとやってしまえばよかったんですよ。火櫛さんほどの手練れであれば、素人を殺害することなど赤子の手を捻るようなものでしょう。拳銃も所持していましたしね。それに、少なくとも、霞さんが死んだ日の夕方以降なら、火櫛さんの手にはマスターキーがありました。それを使えば、いくら二階で僕らが籠城しようが何の意味もありません。一方的に鍵を開けて部屋に踏み行って、引き金を引いて終わりですよ。いえ、それどころか、火櫛さんは僕たちを葬るために殺し屋の手配を付けていたんです。わざわざ自分の手を汚す必要が、そもそもありません」
「なるほど」
「以上のことから、犯人が殺すつもりだったのは、霞さんただひとりだけで、その犯人は火櫛さんではない、と考えることが出来ます」
乱場はここでひと息ついた。私も、今までの乱場の話を頭の中で整理するために休憩してから、
「……異論はないね。だけど、それらの説を全部ひっくり返す反論はあるよ」
「無差別殺人説、ですよね」
さすが、分かっている。私は頷いて、
「そう、犯人はカップのひとつにだけ毒を仕込んでおいて、それを使った誰かひとりが死ぬのを見ることだけが目的だった、という場合も考えられるね。その不運なターゲットが、たまたま霞さんだったというわけだ。もちろん、犯人は自分の手に毒入りカップが渡るのを巧妙に避けたんだ。特定の誰かに目的のカップを渡らせることに比べて、自分がそれを選ばなければいいだけというのは、難易度も相当下がる。しかも、この無差別殺人説では、あの場にいなかった庸一郎さんも新たな犯人候補として挙がってきてしまう。毒を前もって仕込んでおけば、そもそも現場にいる必要すらないのだからね」
「まったくそのとおりです。正直、無差別殺人説を否定する確固たる根拠はありません。でも……」
「でも?」
「どうにもしっくりこないんです。というのも、あれが無差別殺人だったのであれば、あの場にいた僕たち十人の誰が被害者になってもおかしくなかったということですよね。死ぬ確率は全員等しく十分の一です。僕たち高校生三人がコーヒーを飲むのをやめるということを、犯人が事前に予見できたとは思えませんから。
ちなみに、毒入りカップが、あの日使われなかった五個カップの中に残る可能性というのは排除してよいと思います。犯人が本気で僕たちの中の誰かを殺すつもりであれば、まず必ず使われるであろう、戸棚の手前側のカップに毒を仕込めばいいだけですからね。
話を戻しますと、被害者になる確率は十分の一。僕たち三人を除いても、それでも七分の一です。この決して高いと言えない確率に、よりによって霞さんが当たってしまったというのは、偶然にしては出来すぎだと気は思うんです」
「何が気になっているんだい?」
「あのとき、霞さんにある違和感、普通じゃないことがあったからですよ。そんな普通じゃない人に、普通じゃない被害者のお鉢が――十分の一ないし七分の一の確率で――回ってくるとは、やっぱり出来すぎです。霞さんは、狙われるべくして狙われたんだと考えたほうが、ずっと自然です。でも、さっきも言いましたが、無差別殺人説を否定する根拠というものはないわけですから、これは一旦棚上げにさせてもらいます。僕がこれから話す推理を聞いてもらったうえで、それには納得できない、穴がある、となった場合に、再び無差別殺人説を考慮してみることにしましょう」
「分かった」私は頷いて了承してから、「で、乱場くんが抱いている、霞さんの違和感というのは?」
「石上先輩と一緒に遺体の確認をして知ったことです。あのコーヒータイムのとき、霞さんのある部分は、いつもとは違う状態になっていたんです」
「あっ」
「思い出してくれましたね。そうです、霞さんは、口紅をつけていなかったんです」




