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第14章 崩れゆく午後

「私は部屋に戻りますけれど、皆さんはごゆっくり。台所と厨房は開けておきますので、何か飲食したいものがあれば、ご自由にどうぞ」


 (かすみ)はコーヒーカップを置いて立ち上がると、出入り口に向けて歩き出した。乱場(らんば)が何か声を掛けるかと思ったが、黙って見送るだけだった。もう何を訊いても無駄だと諦めたのかもしれない。が、霞のほうは、乱場の座ったソファの横を通り過ぎるとき、横目で彼のことを窺うような素振りを見せていた。乱場もそれに気付いたのだろう、霞のことを見返す。すると霞は、その視線を受け流すかのように乱場から目を逸らしてしまった。その間、一切歩調を緩めることのないまま、霞はドアを開けて廊下に出た。かたり、と小気味のよい音を立ててドアが閉じられると、


「あとで片付けますので、カップはそのままに」


 火櫛(ひぐし)も席を立った。彼女は、誰に注意を払うでもなく、正面だけを見据えたまま、まっすぐにリビングを出た。

 二人が退室してから、数秒ほど沈黙が部屋を支配していたが、


「そういえば、河野(こうの)さん、遅いな」


 汐見(しおみ)が閉ざされたばかりのドアを見た。と、そのドアが開き、霞、火櫛と入れ替わるように河野が姿を見せた。河野は、リビングを出る前に座っていた席ではなく、さっきまで火櫛が使っていたひとり用ソファに腰を落ち着けた。


「河野さん、コーヒーを淹れなおすよ」


 村茂(むらしげ)が声を掛けたが、


「いりません」


 素っ気ない返事が返ってきた。河野は村茂謹製のコーヒーをカップの半分も飲んでいなかったはずだ。彼女が置いていったカップには、砂糖とミルクを投入され、ブラウンに色を変えたコーヒーが、冷たい澱のように溜まっている。そんな河野は、ちらちらと盗み見るように高井戸(たかいど)に目を向けているが、当の高井戸は、まったくそれに気付いた様子もないまま、別の一点に視線を注いでいた。それは、霞が使っていたサイドテーブルで、その上には空になったコーヒーカップが置かれている。カップの縁には、桜色の口紅の跡がほんのりと残っていた。河野も高井戸の視線の先に気付いたらしい。小さなため息をつくと、怒りと悲しみがない交ぜになったような表情を顔に貼り付け、鉄格子の被った窓外に目を向けた。オオムラサキはいなかった。


飛原(とびはら)さん、村茂さん」


 乱場が口を開いた。呼ばれた二人は、飛原は目だけを、村茂は顔ごと動かし、乱場を見る。


「午前中に火櫛さんに頼まれた作業というのは、どんなものだったんですか?」


 その質問をされると、飛原は乱場に向けていた視線を元に戻してしまい、それに気が付いたのだろう、仕方がない、というふうに村茂のほうが語り始めた。


「屋敷の裏手にある倉庫内の掃除と整理だったよ。普段掃除をほとんどしていないんだろうな、結構な汚れ具合だったから、掃除といってもかなりの力仕事だったよ。俺と飛原で行って正解だった」

「倉庫の中には、どんなものがありましたか?」

「段ボール箱がたくさん積んであったな。火櫛さんに言われて、それらの仕分け作業みたいなこともやらされたよ」

「中には何が?」

「分からない。全て厳重に梱包されていたから。段ボール自体にも何も書かれていなかったしな」

「そうですか。他には?」

「農作業に使うような道具がいっぱいあったな。鎌とか、籠とか。実際、倉庫の床に草や葉っぱなんかが落ちていたし。あと、軽トラックも一台あった」

「軽トラックですか?」

「そうなんだ。しかも、ナンバープレートが付いていなかったから、車庫にあった車とは違って、公道には出られないな。完全に私有地内だけで乗り回すためのものだよ、あれは」

「農機具に軽トラックですか。近くに畑でもあったんですか?」

「いや、確認できなかった。俺たちが一旦倉庫に入れられてからは、たったひとつの出入り口には火櫛さんが門番みたいに立ってたから、作業中は外に出られなかったし、倉庫の周辺もあの通りの霧だったから、近くに森があるということくらいしか分からなかった」

「何か、おかしいと感じるようなことはありませんでしたか?」

「そうだなぁ……マスクをさせられたが」

「マスク?」

「ああ、倉庫に入る前に火櫛さんから渡された。倉庫内が埃っぽいから、これを付けて作業しろって。こき使う割には変なところで配慮されてるなって、ちょっと面白かったけどな」


 村茂は笑みを浮かべて、同じ作業に当たった飛原を見たが、彼は何も反応を返さず、例によって難しい表情を浮かべて黙っているだけだった。


「それよりも」と今度は村茂のほうから、「みんな、どうして外に出られた?」


 彼は私を見た。朝、私に対して送ったジェスチャーのこと言っているのだろう。私が「あれは、やっぱり」と口にすると、


「ああ、俺は外に出るとき、ここの玄関扉が内側にも鍵穴がある構造だと気付いたんだ。昨夜、石上(いしがみ)くんと一緒に見た裏口と同じだと分かって、これはもしかしたら、と思った。で、俺たちが外に出ると案の定、火櫛さんが扉に施錠したんで……」

「このままでは僕たちが外に出られない。つまり、計画が頓挫してしまうと思ったんですね」

「そうなんだ。火櫛さんのあとに付いて倉庫に向かう途中、屋敷の裏を通ったから、誰か見ていないかと思って二階を見上げたら、ちょうど石上くんの姿が見えたんでね」

「それは僕たちにも分からないんです。どういうわけだか、僕たちがロビーに下りた頃には玄関扉は解錠されていました」

「そうだったのか。確かに火櫛さんは鍵を掛けたはずなんだ。最後にドアノブを握って揺すり、施錠されたことを確認していたし。それで、作業を終えて玄関前に戻り、火櫛さんが鍵穴に鍵を差し込んだんだが、そのときに、あれ? という顔をしてね。そこで扉が解錠されていることが分かった」

「どんな様子でしたか?」

「舌打ちをして、いらついた感じだったな。『まったく』と呟いていた。直後、火櫛さんは俺と飛原を屋敷内に押し込んで、リビングで待っているよう言いつけると、また扉に施錠して車庫に走っていって車を出した。窓からじゃ霧が濃くて車は見えなかったけれど、シャッターを開ける音とエンジン音で分かったよ」

「僕たちを迎えに――いや、連れ戻しに行ったときですね」

「そのようだね。それからすぐに、乱場くんと石上くんを除いた四人を乗せて戻ってきたから」

「ええ、車の定員上、僕と石上先輩は徒歩で戻りましたから」

「ところで、どうする? これから――」

「ちょっと待って下さい」


 村茂の言葉を止めたのは朝霧(あさぎり)だった。彼女は、ことさら声を顰めると、


「これ以上ここで話すにはまずくありませんか? もしかしたら、このリビングのどこかに盗聴器や隠しカメラでもあるかも……」


 広い室内を見回した。


「二階に戻るか? だが、あの個室も盗聴とかされていないとも限らないしな」


 村茂が天井を見上げると、


「そうはいいますけれど」と今度は汐見が、「私たち、昨夜に飛原さんの部屋で、がっつり話し込んでましたからね」

「そうだったな。であれば、今さらどこで何を話そうが関係ないってことか……名探偵くんは、どう思う?」


 村茂に水を向けられると、乱場は、


「そうですね、確かに、昨夜いきなり話し込んでしまったのは不注意だったかもしれませんね。ですが、あのあと僕は寝る前に自分の部屋を調べたんですけれど、盗聴器やカメラの(たぐ)いは発見できませんでした」

「さすがだね」


 村茂が、感心と呆れが入り交じったような声を上げた。


「じゃあ、個室は大丈夫ということか?」


 汐見が訊くと、


「いえ。あくまで目に見えて調べきれる部分は、ということです。この屋敷が建てられる段階で壁にマイクを仕込まれるとかされていたら、お手上げです。さすがにカメラを仕込むとなったら、何かしらの穴を開けないといけませんから、盗撮の心配はないかと思います。そういったものは発見できませんでしたから。だから、僕たちの会話が何者かに聞かれているという心配は、するだけ無駄だと僕は思います。それに、どうせ向こう――妖精館の側の人たち――にとっても、僕たちがこの館や火櫛さんたちに不信感を抱いていて、隙あらば逃げ出そうという算段をしていることは先刻承知のはずですから」

「なるほどな。こちらの音声的な情報は筒抜け覚悟のうえで行動しなければならない、ということか」村茂は腕を組んで、「で、どうする? 今後取るべき何か具体的な策は?」

「それは、まだ……」


 答えながら乱場は、懐からスマートフォンを取りだして画面の操作をすると、それをローテーブルの上に置いた。そこには、


『何かいい案が浮かんだら、こうして筆談で教え合うことにしましょう』


 と、メールソフトの文面欄に打ち込まれていた。それを覗き込んだ私たちは、顔を見合わせて頷き合う。が、その輪に入っていない人物が三名いた。


「高井戸」


 村茂から声を掛けられた、そのうちのひとりは、


「あっ? ああ……はい」


 とスマートフォンを覗き込むと、了解した、という意味だろう、黙って頷いた。


「河野さんも」


 続けて村茂が名前を呼ぶと、河野も面倒くさそうに頷く。この二人は態度こそ無関心だったが、決して私たちの話を聞いていないわけではなかった。高井戸のほうは、間違いなく笛有(ふえあり)霞の毒香に当てられているのだろう。そして、河野のほうは、そんな高井戸の態度を気に病み、そのことで頭が占められているのだと思われる(これは私には少々意外だった。私が特別、男女の色恋沙汰に無頓着なせいなのかもしれないが)。だが、最後のひとりは、私にはどうしてもその心中を察せられない。


「飛原」


 村茂に名を呼ばれても彼は、腕を膝の上に置いて手を組み、視線を絨毯の上に注いでいる姿勢から微動だにしなかった。


「おい、飛原」

「――えっ?」


 先ほどよりも鋭さを増したカメラマンの二声目で、ようやく監督は顔を上げた。村茂は、指でとんとんと、乱場のスマートフォンの横を突いて視線を誘導する。それを見た飛原は、ようやく、「ああ、分かった」と返事をした。


「飛原、お前、どうしたんだ? さっきからおかしいぞ」

「いや、そんなことは――」

「あるだろ」

「す、すまん」飛原は詫びの言葉を口にすると、「ちょっと疲れただけなんだ。少し休ませてもらう」


 残っていたコーヒーを一気に飲み干して、ソファから立ち上がり、その足でリビングを出て行った。


「飛原さん、いったいどうしちゃったんでしょうか?」


 ドアから視線を戻した朝霧が訊くと、


「わからん」


 村茂は、うーん、と唸った。


「飛原さんの様子がああなったのは、いつからですか?」


 今度は乱場が質問すると、


「今から思うに、倉庫での作業を終えて……いや、作業の途中、終わり頃くらいからだったと思う。その辺りから、あいつとはひと言も口を利いていなかったな。館に戻り、玄関に施錠がされていないことに気付いた火櫛さんが車で出ていって、俺と二人でここに残されたときは、俺もくたびれてたから、喋るのも面倒で特に話し掛けたりはしなかったから、特におかしいとは思っていなかったが……」

「何か、心当たりはありますか?」

「あったら、とっくに話してるよ」

「ですよね……。今の村茂さんの話だと、飛原さんは倉庫で何かを見て、もしくは知って、それが原因でああなったように思えますね」

「俺は何も見なかったが……」

「村茂さんと飛原さんは、同じ場所で同じ作業をして、同じものを見た。にもかかわらず、飛原さんだけが知る何かが、その倉庫にはあった、ということが考えられますね」


 倉庫でのことを回想しているのか、村茂は首を傾げて虚空を見つめていたが、


「俺があとで、二人きりで話してみよう」


 視線を正面に戻した。思い当たることは何もなかったようだ。


「で、そっちのほうは、どうだったんだ?」


 村茂は今度は私たち探索組の成果を訊いてきた。私と乱場が各班を代表して、それぞれの情報を村茂に教える。館の東館ブロックは、トイレ以外全ての部屋に施錠がされて入れなかったこと。発電機が備わった地下室があるらしいこと。館を囲む森にはマムシが出ること。その話をしたときは、汐見の表情から明らかな緊張の色が見て取れた。もし、この会話が盗聴されているのだとしたら、私たちが館の中を捜索したことがばれてしまうが、そもそも館の中に閉じ込めている以上、私たちがそういう行動に出ることは承知済みのはずだ。だからこそ全室に施錠がされていたわけで、知られたとて何も問題はないだろう。


「今聞いたことは、あとで俺から飛原の耳にも入れておこう」と村茂はため息をついて、「どうだ、飛原じゃないが、俺たちも少し自室で休まないか?」

「そうですね。お昼ご飯を食べて眠くなってきましたし」


 汐見をはじめ皆がそれに賛同し、私たちはソファから腰を浮かした。河野、朝霧、汐見の三人は、使用されたコーヒーセットとカップを厨房に持って行くべく片付け始めた。「コーヒーメーカーの手入れは俺に任せてくれ」と村茂が名乗り出たため、人手はそれで十分と判断し、私、乱場、高井戸の三人はいち早く二階に戻らせてもらうことにした。霞が使用した、桜色の口紅が付いたカップだけを、河野がぞんざいに扱っているように見えたのは気のせいだろうか。

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