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第9章 モノクロームの親子

「皆さんは、映画を撮っているんですってね」


 食事の最中に(かすみ)が訊いてきた。誰に問いかけるともない口調だったが、ここはやはり、代表して監督の飛原(とびはら)が「そうです」と答えると、


「どのような映画を?」


 霞の視線も彼に向いた。


「わ、我々は大学生――今日のスタッフには高校生もいますけれど――ですので、あまり大掛かりなものは撮れません。ですので必然、現代を舞台にした人間ドラマなどを……」

「恋愛もの?」

「ええ、今撮っているのはそうですけれど、それに限らず、サスペンスやSFなんかも」

「あなたが監督さん?」

「は、はい。飛原といいます」

「飛原監督、作風が幅広いのね」

「できるだけ予算の掛からないものを選んでいるだけです。サスペンスでは、大胆なアクションや爆発なんかは当然無理ですし、SFにしても、特撮を全く必要としないドラマ重視のものになってしまいますが」

「お金よりも頭を使って面白くするタイプの作品ということね」

「自分で言うのも何ですが、そういった部分は心懸けています。私は脚本も書くので」

「多才なのね。凄いわ」


 突然持ち上げられて、飛原監督は照れたように笑みを浮かべる。霞も同じように微笑んでいたが、その表情には本気で飛原のことに感心しているというよりは、どこか彼を品定めしているような怪しい雰囲気があった。少なくとも私の目にはそう映った。

 霞は次に、その怪しい微笑を小さく白い顔に貼り付かせたまま、


「キャストの方は、どちらになるの?」


 テーブルを見回した。「あ、はい」と彼女の隣に座る高井戸(たかいど)は即座に、離れた席の河野(こうの)は、無言のままゆっくりと、それぞれ手を挙げた。霞は出演者二名を交互に見つめると、


「美男美女の取り合わせなのね。お二人が並んで立っているだけで絵になりそう」


 立っているだけなら。高井戸の演技力に疑問を持っている私は、心の中で付け加えた。その男優は「そんなこと……」と謙遜するような口ぶりながらも、満更でもないふうに照れ笑いをする。その「照れ」の部分には単に褒められたということ以外に、隣に座る霞が、ぐっと体と顔を寄せてきたことも起因しているに違いない。河野はというと、同じ賛辞の言葉を投げかけられたとは思えない、高井戸とは対照的な反応を見せる。何も返事を返すことなく、黙々と食事を再開してしまった。時折上げる視線は心なしか鋭さを帯びており、霞と接近している高井戸を捉えている。霞のほうでも、そんな河野の反応に気付いているような節があった。河野の視線が自分から外れた隙を見切ったかのように、逆に彼女の顔を見返していた。が、その視線は河野のように鋭いものではなく、高井戸や飛原に向けたのと同じような、品定めをするような色を帯びていた。霞は、次に村茂(むらしげ)に視線を移して、


「あなたが、カメラマンさん?」

「んっ……そ、そうです」


 自分に話を振られるとは思っていなかったのか、村茂は口に中にあった食べ物を急いで咀嚼し、飲み込んでから答えた。


「やっぱり。そうじゃないかと思った。カメラを構える姿がとても似合いそうだから」

「い、いや。うちのサークルで使ってるのなんて、家庭用に毛が生えた程度のもので。それに俺、一応カメラマンなんて肩書き持ってますけれど、カメラのこととか映像のこととか全然分からなくて、飛原――監督に言われたとおりに撮ってるだけなんで」

「そうなの。でも、あなたなら業務用の大きなカメラも楽々担いじゃうんじゃない? 体大きくて逞しいから」

「ま、まあ、体動かすの好きで、鍛えてますから」


 高井戸とは違い、肌が触れあうくらいの隣からとはいかなかったが、それでも霞ほどの美女に見つめられながら自慢の(?)肉体を賞賛されたせいか、村茂も照れ笑いを浮かべた。


「そちらの方は?」


 次に霞は私に顔を向けてきた。ちょうど、彼女と先輩方とのやり取りを観察していたため、目が合ってしまう。


「私は高校生で、先輩方の手伝いで同行しているだけですので」


 反射的に視線を逸らしてしまった。どうも彼女の目を見るのは苦手だ。


「あら、そうなの」と霞は意外そうな顔をして、「大人っぽいから、てっきり大学生かと思ったわ」


 すぐに怪しげな微笑に戻し、私以外の高校生組を順に見回して、


「他の三人は、みんな一目で女子高生って分かるけれどね。そっちの女優さんみたいな美人っていうのじゃなくて、かわいいって感じよね」


 乱場ひとりだけが、むむっ、という顔をした。まあ、全員私服姿のため、そう思われても仕方はないだろう。


「あの」その乱場が、咥えていたパンを口から離して、「僕、男ですから」


 それを聞くと霞は、また表情を意外そうなものに変えて、


「本当?」


 テーブルに肘を付いて乗り出した。


「本当です」


 乱場は上目遣いで見返す。


「へえ……」


 霞は舐めるように乱場の頭のてっぺんから、テーブルの上に出ている上半身、白魚のような指先までを眺め回した。


「じゃあ……」霞は目を細め、いたずらっぽい笑みを浮かべると、「あとで証拠を見せてよ」

「はっ?」


 一瞬で乱場の頬に赤みが差し、朝霧と汐見は表情を険相に変えて霞を睨み付けた、が、


「ひゃっ!」「おわっ!」


 二人そろって頓狂な叫び声を上げた。彼女たちの視線は霞から廊下との出入口に向いていた。私もそちらを見て、


「うわっ!」


 思わず声を出してしまった。それは他のメンバーも同じだったらしい。うっ、と声を詰まらせ、あるいは絶句して、皆一様に扉が開かれたままの出入り口を凝視している。霞もおもむろに顔を向けて、


「あら、お父様」


 そこには、ひとりの男が立っていた。豊かではあるが、黒いものはほとんど残っていない白髪。その下にある顔は、骸骨に直接皮膚を貼り付けたかのように()けており、自身の頭髪と同化しているかのように白い。ただ、陶器のような霞の肌とは根本的に違う、病的な白さだった。黒いシャツに黒いスーツを着込み、履き物も黒光りした革靴。「お父様」と呼ばれたことから、彼は霞の父親なのだろう。親子そろって白と黒で全身が形作られている。ひとつ違っているのは、霞は唇だけが桜色をしているが、この父親は唇に至るまでが病的に白く、完全にモノトーンで表現しうるというところだろう。


庸一郎(よういちろう)様」


 それまで無言を貫いていた火櫛(ひぐし)が立ち上がった。さらに何か言おうとしたらしいが、その前に霞の父親――呼ばれたとおり、庸一郎という名なのだろう――が片手を挙げてそれを制したらしかった。火櫛は何も口にしないまま、ゆっくりと椅子に腰を戻す。そのときに見えた庸一郎の手も極端に痩けており、指などは枯れ枝のように細く節くれ立っていた。


「お父様、お体はよろしいので?」

「今朝は調子がよい」


 霞の言葉に庸一郎は、娘の顔を一瞥して素っ気ない口調で返した。その霞のほうも、朝霧と汐見に向けていた悪戯(いたずら)っぽい笑みを残したまま訊いていたものだから、本気で父親の体を案じているようには私には見えなかった。


「紹介しますわ」霞が私たちのほうを向いて、「私の父で、ここの(あるじ)でもある、笛有(ふえあり)庸一郎です。この妖精館には、私とお父様と火櫛さんの三人で暮らしているの」

「お、お邪魔しています」


 飛原が立ち上がって挨拶し、それに倣い私たちも席を立って頭を下げた。その光景の何が面白かったのか、霞は口元に手を当て、声を上げずに笑っていた。挨拶をされた妖精館の主のほうは、何か言葉を返すでもなく、唇を結んだまま私たちに、娘にしたような素っ気ない一瞥をくれただけだった。

 私は改めて笛有庸一郎の全身を眺めた。娘の霞もだが、年齢不詳という意味では父親も負けていない。それなりに皺が刻まれてはいるが、顔つき自体は精悍さを残しているといっていいだろう。眼球は若干濁りを見せてはいるが、私たちを見る――睨むといっていい――視線も鋭いものを感じさせる。男性としては背は高くなく、痩けているのが顔や手だけでないことは、スーツの上からでも容易に察せられる。病に冒された三十代だとも、年齢なりに病症を重ねてきた七十代だとも通用するだろう。

 私たち外様全員を見たあと、庸一郎は、


「霞、薬は飲んだのか?」


 私たちにはまるで無関心かのように、娘に問いかけると、


「あら、忘れてましたわ」


 対する霞は面白そうに答えた。すると庸一郎は口をへの字に結び、


「食前に必ず飲めと言っているだろう!」


 その針金のような痩躯からは想像もつかない声を張り上げた。場は水を打ったように静まりかえる。さすがにばつが悪く感じたのだろうか、庸一郎は私たちを見回して「ううん」とくぐもった咳払いをひとつすると、


「お前の体のためだ」


 先ほどの一喝とは一転、その病的な外見に似つかわしい口調で付け加えた。すると今度は霞も、はい、と素直に返事をし、懐からピルケースを取りだし、中のカプセル剤をひとつ口に入れて水で流し込んだ。それを見届けると庸一郎は満足そうに頷き、(きびす)を返した。


「お父様、いつものように、朝食は後ほど――」

「今朝はいらん」


 霞の声を振り払うように体を揺すりながら、笛有庸一郎は食堂を出ていった。彼の姿が完全に見えなくなってから、私たちはゆっくりと椅子に座り直す。


「びっくりした?」


 例によって霞は、悪戯な笑みを浮かべながら私たちに訊いてきた。まさか肯定の返事を返せるわけもない。と思っていたら、


「うん、めっちゃビビった」


 汐見が呆然とした表情のまま、恐らく全員が抱いてはいたが口には出来ない心境を吐露してしまった。「汐見さん!」と朝霧が諫め、私は――恐らく他のメンバーも全員――心の中で、こら、と突っ込んだ。横目で窺うと、火櫛も案の定、渋い表情をしている。が自身の父に対し「ビビった」と言われた霞は、


「でしょう。まるで幽霊よね」


 浮かべていた笑みをさらに広げた。


「え――い、いや……」


 汐見、今「ええ」と肯定しかけたな。それを聞いた霞は、さらに目を細めて面白そうな顔をした。気まずい空気が漂う中、雰囲気を変えようとしたのか飛原が、


「霞さん、何か病を患っているのですか?」

「ああ、さっきの薬?」

「はい」

「ふふ、何でもないの。お父様が極度の心配性だというだけです」


 飛原に微笑みを返した。


「そ、そうですか」飛原は、その妖しさを秘めた笑みから視線を逸らして、「お、お父様のほうも、どこか具合を悪くされているのですか? 失礼ですけれど、顔色が優れないように見えたので」

「そうなの」霞は、まるで我が意を得たりとでも言いたげな嬉しそうな顔をして、「お父様はね……もうすぐ死ぬのよ――」

「霞様」


 すぐに火櫛が言葉を挟んだ。霞は火櫛の顔を見て、ごめんなさい、と詫びたが、それは言葉の上だけのことだったように私には思えた。表情は変わらず微笑を浮かべたままだったからだ。対する火櫛は、呆れと諦めがない交ぜになったように嘆息した。


「庸一郎さんは、いつもはお二人と一緒に食事を?」


 乱場が訊くと、火櫛が、


「いえ、庸一郎様は、ほとんど自室からお出にはなりません。私たちと一緒に食事をするというのは稀で、普段は霞様が食事をお部屋まで届けに行くのです」

「霞さんがですか。失礼ですが、そういったことは普通――」

「ええ」と霞は乱場の先手を取り、「火櫛さんの役目なのですが、私が無理を言って代わってもらっているのです。やっぱり、親子ですから。自分の目でお父様の様子も確認しておきたいですし」

「そうなんですか。お父さん想いなんですね」

「うふふ」霞は、面白そうな笑い声を漏らしてから、「では、私はこれで」


 と席を立ち、もう一度私たちを見回してから、先ほど父親がしたように出入り口に向かって踵を返した。


「待って下さい」


 乱場が立ち上がった。霞は足を止め、顔と上体だけで乱場を振り返る。捻られた細い腰に服の皺が螺旋模様に浮かんだ。


「なに?」


 霞は微笑とともに返事をする。


「僕たち、朝食をいただいたら、お(いとま)しようと思うのですけれど」


 そうだ。その話題を出すのをすっかり忘れていた。笛有霞、そして父親登場のインパクトで、私自身圧倒されてしまっていた。霞は少しの間何も答えず、黙ったまま乱場の目を見つめ返していたが、


「お昼ご飯はリビングでとりましょう。ここよりもゆったり出来るわよ。朝食が早かったから、十一時半でいいわよね」

「は?」

「リビングは、ロビーを挟んだ向こう側の一番最初の部屋よ。それじゃ」

「――ちょ、ちょっと」


 全く答えになっていない答えを残して、霞は廊下に出ていった。彼女が使った皿を見てみたが、霞が口にしたのは僅かばかりのサラダだけだった。

 しばしの間、食堂に流れる、いや、滞留する沈黙を破って乱場が、


「火櫛さん、一宿一飯――いえ、二飯の恩は大変ありがたかったですけれど、僕たち、本当にもう帰らないと」


 矛先を館の使用人に転じた。だが、火櫛は乱場の焦燥もどこ吹く風とばかり、冷静な態度を崩さないまま、


「私は雇われの身ですので、私の一存で何をどうこうすることは出来ません。要望があるのでしたら、霞様か庸一郎様に直接おっしゃって下さい」


 その霞の反応があの通りだったから言っているのだが。当然、火櫛としてもそんなことは百も承知だろう。しかも、さっきの調子では、庸一郎のほうに嘆願したとて、似たような要領を得ない返事しか返ってこないのは明らかだろう。


「では、せめて車だけでも出してもらえませんか。車庫の鍵を開けて」

「車では、ここからどこへも行けませんよ」

「何をおかしなことを言ってるんですか。現に僕たちは車でこの館まで来たんですよ、橋を渡って」


 火櫛の眉が一瞬、ぴくりと動いた。不用意な発言をしたと思ったのかもしれない。


「ごちそうさま」と火櫛は立ち上がり、「食器などはそのままにしておいて下さい。あとで片付けますので」


 テーブルを廻り、足早に出入り口に向かった。何を言っても無駄だと思ったのか、乱場は食堂をあとにする火櫛を黙って見送るだけだった。


「な、何なんだ、いったい……」


 ため息混じりに村茂が漏らす。


「まったく、わけが分からないな」


 飛原もフォークを置いて困惑顔をした。ええ、と乱場も同調したが、


「でも、たったひとつだけ分かったことがあります。この館の人たち、少なくとも霞さんは、やはり僕たちを帰すつもりはないということです」

「何が目的なんだ?」


 乱場が何か返すよりも早く、河野が、


「やっぱり……事故死に見せかけて、皆殺し……」


 恐怖を滲ませた表情で手を下げた。握っていたフォークが皿に当たり、乾いた音が鳴った。

 

 それから私たちは、とりあえず半端になっていた朝食を掻き込んだ。正直、食欲はあまり湧かなかったが、この食事に問題はないと判断されたため、安全と分かるものを少しでも腹に入れておこうということだ。汐見ひとりだけは普段と変わらない食欲を見せていたようだったが。火櫛はそのままでいいと言っていたが、私たちは食事の片付けも行った。

 片付けを終え、食堂を出てロビーに差し掛かったところで、乱場が「ちょっと見てきませんか」とロビーの向こうを指さした。霞の話では、東館に当たる廊下の最初の部屋がリビングだと言っていた。昼食はそこでとるということのため、先に中だけでも確認しておこうということになり、私たちは全員で東館最初のドアを開いた。ここは施錠されていなかった。中は、なるほど、数脚のソファとローテーブルが置かれた、リビングと称するにふさわしい内装の広い部屋だった。棚などの調度も格調高いものばかりで、明るい色調の壁紙、シャンデリア風の照明と、実に趣味の良い洒落た作りといってよいだろう。窓にはまった鉄格子さえなければ。

 リビングを出た私たちは、そこで火櫛と鉢合わせた。


「すみませんが、男性二名ほど、手を貸してもらえませんか。裏の倉庫内の整理をしたいものですから」


 どうやら彼女は、突然の闖入者ながら男手があるのを幸いに、力仕事を片付けてしまいたいらしい。朝食の席など受けた言動はともかく、私たちがこうして寝食をやっかいになっているのは間違いない。手伝えることがあるのであれば手を貸すにはやぶさかでないと私は思った。すると、同じ考えだったのか、乱場が飛原と村茂の二人に対して、火櫛を手伝ってあげられないかと口利きをした。顔を見合わせてから二人は承諾し、このあと十分ほど後にロビーに集合してもらうこととなった。腕時計を見ると、現在時刻は七時半過ぎを指していた。

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