(3ー2)
『急を要してごめんなさいねー。何せ、今人気絶賛中の絵本の大事件なのー。可及的速やかに対応してくれないかしらー』
そろそろ聞き飽きました可及的な要件でやってきたる絵本は、白雪姫だ。
「白雪姫が、人気……?」
定番であり、訪問初体験の人には定評ある物語ではあるけど人気絶賛中とはこれ如何に。絵本は一冊ごとに若干と言えども違いはあるため、私が今いるこの物語界はどこか一風変わっているのか。
「普通、ですよね」
森の小道を抜ける。木々の葉で暗かった印象のある風景が一気に明るくなった。日差しから目を庇いつつ、木で出来た簡素な小屋を見る。ログハウスというには少々年季の入った佇まいだが、赴きがある。敷地内には畑や井戸、物置があり、小屋の煙突からは甘いパンの香りが漂ってきた。
「さて、右よし左よし。後ろよし」
小屋の扉をノックする前に安全確認。『そそのかし』対策はもとより。
「今日は前から抱きしめられたいんだね!」
その対策すらも通じない彼から熱烈な抱擁を受けてしまった。きゃあぁっと悲鳴を上げようとも、つむじから鎖骨の匂いをすんすんする残念な人にはどこ吹く風。煽りにしかならないと、このままどこへともなく連れ去る気満々だった。
「最近、雪木の姿や声だけでなく匂いまでも脳内再生が余裕でね。その内、触感までも空気で再現出来るようになるかもしれない。というよりも、幻覚ばかり見てしまって毎日が辛いんだ。この君も俺が作り出した幻覚かと確認せずにはいられない。姿と声と匂いは確認出来たから、後は触感だーーいっ!」
幻覚でないことを分からせるためにチョップしておく。間違いなく雪木だっ、と感激されてしまった。
「図書館の制服着用ってことは、雪木は今日もお仕事か。たまには俺との逢瀬がためだけに来てほしいものだな。そういったことに気が利く奴らの本を知っているから、君は今度その本を抱いて眠るといい。君が来れば消えてもらうように話はつけておくから」
「残念な人への心遣いを改めてもらいたいものです……」
「それまで待てないって言うなら、辺り一面を消し炭にしておこう。大丈夫。崩壊前には終わるだろうから」
「あ、な、た、はああぁ!」
と、構えば構うほど彼のペースだと手刀を下げておく。後ろで色々、官能小説類いの表現をされているが無視して小屋の扉をノックする。
「すみませーん、図書館の者ですがー」
パタパタと階段を降りるかのような音。扉前にまで来たが。
「あの、図書館司書補統括の彩阪雪木と言いますが」
再び声をかけたのは扉が開かれなかったからだ。居留守をするにはお粗末過ぎる。扉越しに相手の気配が分かるほどなのに。
「ドア、蹴破る?」
「いえ、そこまで暴力的でなくとも」
私に構われなく暇で、地面に相合い傘(互いの名前入り)を描いた乙女な人の申し出はさておいて。三度、すみませんと名乗る。
「出ないね。というよりも、今回の仕事は小人たちのトラブル解決?」
「はい。小人たちが白雪姫を家から出さないようでして」
「そうか、監禁か」
「あなたはもっと、まろやかな言い方は出来ないので?」
「監禁、良い響きじゃないか。愛する人を閉じ込めておけるなんて。他からの害を気にすることなく、自分の作った部屋の中でその帰りを待ち続けてくれる愛しい人。一人っきりの何もない空間に置き去りにされて、俺が帰ってくるのを今か今かと涙して待つ君。俺の姿を見るなりに『寂しかった』と飛びついてきて離れようとせず、次に出かけるときは『行っちゃうの?』なんて捨てられたような子猫の眼差しで見上げてくる君……、くっ、行くわけないだろう!足を縫いつけでも君のそばにいるからね!」
「物語を改竄しないように」
もはや私じゃない誰かです、それ。ともあれ、この小屋に七人の小人と白雪姫がいるのは確実だろう。だからこそ、呼び出されたのだし。こうして返事もないところを見ると相当拒絶されているらしい。武力行使はあまり好きではない。話し合いの長丁場になるかと覚悟していれば。
「お、見ない顔だね?」
小屋の裏手から、赤髪の青年がやってきた。赤髪、赤ベスト。人懐っこいような笑顔を浮かべる青年。話せる人が来たことに安堵する。
「あ、はじめまして。図書館『フォレスト』の者で、彩阪雪木と言います」
「ああ、図書館の人か。最近は特にそっちの人が多く来るから、またお相手しなきゃと思ったんだけど。今日はどうかしましたか?」
好青年=雪木を狙う奴に該当するため私の背後より威嚇する彼をたしなめつつ、赤髪の人と対面する。
「えっと、あはたは?」
物語の登場人物では間違いないが、まさか『小人』なわけではないだろう。こんな、八頭身の男前が。
「ん?そんなの決まっているじゃないか。小人の一人ですよ」
小人だったー!
「は、え、えぇ……」
どこがっ、と付け加えたくなる。見るからに『小人』じゃない、ただの男前な『大人』なくせに小人を語っている!
「ーーレッド。気をつけることですね。そいつらが図書館の連中である確証はないのですから」
今まで沈黙だった扉向こうからの声。それを聞いた赤髪の青年ーーもとい、小人が扉をトントン叩く。
「だいじょーぶだって、ブルー。お前は心配性だな!優しそうなお姉さんと、あと、久しく見なかった聖霊さんまでついているんだから、平気だって!出てこいよ!」
今から一緒に遊ぼうぜ的な雰囲気で中の人に話しかけていた。
「あ、セーレさんもやはりここの世界に来たことがあるんですね」
「いや、来たことには来たけど……雪木を狙う男はこの世界にはいなかったはずだが」
珍しく首を傾げる彼だった。話している内に扉が開き、青髪でメガネのこれまた好青年が出て来た。
「レッドは慎重になるべきです。もしも彼女たちが変装していたら?図書館とうそぶいて我々から金品を奪い取る強盗である可能性も大いにある。それは前から申しているはずですが……はっ、まさか!レッド、そもそもあなたが偽物なのでは!?」
「すみませーん、こいつ頭いいのにかなりの慎重派で全てを疑ってかかる奴ですが根は良い奴なんで、許してやって下さい」
青髪をくしゃくしゃしながら、片手でごめんのポーズをする赤髪さん。というよりも、先ほどからレッドやブルーだなんて。
「小人さんたちに名前ってありましたか?」
「あ、いえ、名前はないんだけど、それだと何かと不便で。とりあえず髪の毛の色は七人それぞれバラバラなのでそう呼んでます」
「ブルーと名付けられたのは嬉しいが、そもそも僕の髪色は青色なのでしょうか。藍色とか、紺色とか、日の当て方、見る角度によって色と言うものは変化するのですから、青色などとつけるには色々な検証を経てすべきだったのに!」
間違いなく青色ですから、安心してほしい。分かりやすくていいけれど、赤髪ーーレッドさんから聞き捨てならないことを聞いてしまった。
「みんな、『バラバラ』?」
「そうそう。名前がない分、色でそれぞれの個性を出そうとしたんだろうね。あ、どうせなら紹介しますよ。おーい、みんな!図書館の人と、懐かしい聖霊さんが来てるよ!下りてこいって!」
一緒に学校行こうぜ!的な雰囲気でレッドさんが叫べば、扉からーー
「まずは、小人が三男!あ、長男が俺で、次男がブルーね。えほん、イエローです!」
大きなキノコをマイク代わりにして、一人一人紹介をしてくれるらしかった。
「うぃーす。三男のイエローでえす。趣味はーーあんたみたいな可愛い子を口説くことでえす」
は?と思っている内にイエローから薔薇を渡された。
「マジちょー可愛いじゃん。やべえって、ほんとやべえ!スタイルよくね!?俺さ、今フリーだから一緒にーーぐえっ」
「雪木、ちょっとこいつ、捨ててくるね」
「……なるべく遠くまで行かないように」
ニッコニッコな彼により絞め落とされたイエローはズルズルと森の中へ引きずられていく。
「まったく、イエローは。では、気を取り直して!小人が四男!グリーンです!」
弟が捨てられるのに気を取り直してしまったレッドさんに紹介された緑髪の子はぼうっとした様子で佇んでいる。拭けば飛ぶような小柄で、四男だからか兄たちと違い少年ほどの体躯だった。
「ほら、グリーン。挨拶は?」
「こんにちは……」
挨拶はしてくれたけど、グリーンくんは私とはまったく違う方向を向いている。
「こらこら、グリーン。挨拶は基本だ。図書館の人たちにはお世話になっているんだから、な?」
「風さんに、こんにちはしたの」
ひゅうぅっと、暖かな気候には似つかわしくない冷気が流れた気がした。
「ははっ、お前はまだそんなこと言っているのか。風が呼んでいるとか、誘っているとか、操れるとか、それが許されるのは14才までだぞー!」
「いえ、レッド。この子は僕たちに見えない何かを捉えていると考えるべきです。この物語外の何か未曾有の危機が迫っていると考えるべきかと。いえ、そもそもこの子がそれらを運んでいる可能性だって」
「風さんたちが、今日はクリームパンだって言っているの」
「後で食べさせてやるからなー。とりあえず整列!図書館の人に挨拶してからだ」
礼儀正しいレッドさんに、もう色んな意味でお腹いっぱいなんだと言いづらく次の人は。
「小人が五男!ブラックです!ーーあれ、ブラックー?どこにいるんだー?ブラックー?」
呼んで探していれば、うるせえとした声が聞こえてきた。
「ぐだぐだうるせえよ、バカ赤兄貴。別に挨拶なんていいじゃねえか。俺は忙しいんだ」
ケッと吐き捨てるかのような物言いで出て来た黒髪のーー
「まあたお前は言葉悪くなって。そんな小さいのに凄んだって誰も怖がらないぞー」
子供をからかう青年の図。額を小突くだけで尻餅をついてしまうほど小さい。可愛い。水色のポンチョと黄色い幼稚園帽を被せて一緒におててを繋ぎたい。
「おい、あんたも俺をガキ扱いしてんな。あんま、舐めるなよ」
無自覚に膝を折って『おいでー』と両手を広げてしまっていた。前の赤ずきんさんの件もあるんだ、申し訳ないことをしたと謝っていれば。
「やる」
ふんっとぶっきらぼうに差し出されたのはクリームパン。出来たてほやほやのパン、まさかの物に戸惑っていれば。
「女子供の面倒みんのは、大人の男の仕事だからな。黙って食べろ」
「あー、お前。なかなか出てこなかったのは図書館の人にパンをあげようと釜から取り出していたのか!」
「そう推測するのはどうかと思いますがね。何せ、パンを焼く釜は小さな子供が火傷しないよう高さを設けております。僕たちの膝丈もないブラックが釜まで手が届くはずが。いえ、そもそも、それは我が家で焼いたクリームパンである確証もないっ」
「風さん言ってたの。幼き子、椅子をずるずる引っ張って、懸命に手を伸ばしてたって」
「ほっこりとした空気で俺を包むな!あと、女ぁ!どさくさに紛れて俺の頭を撫でるんじゃねえ!」
ぺしっと払われた手だけど痛くないです、もちろん。クリームパンをかじりつつ、次の人物を待てば。
「あー、ごめん。図書館の人、六男なんだけど、今、森に行ってて」
「え、一人でですか」
五男ブラックくんがこんなにも小さいなら六男とてそれ以上に小さく可愛いはず。このどうでもいい小人紹介に胸躍ってきたというのに、まさかのいない宣言とは。
「森のキノコを取りに行ったにしてもーーはじめてのおつかいにしてはハードル高すぎませんか。こんな森ならば鹿はもとより、猪、熊もいそうですし」
「ああ、うん。熊はたくさんいるね」
「なら、なおさら!」
「その熊を狩りに行ったんだ」
へ?と思えば、背中に衝撃。噂の熊に体当たりされた!?と思ったけど。
「あれは駄目だ、あれは駄目だ。見るだけで目から腐る。雪木、雪木、癒してくれ。心身共に重症だ。今一瞬でも君から離れれば、俺は死ねる」
背後霊にも近しい真っ青な彼がいた。
「ど、どうしたんですか!ま、まさか、熊に!?」
血とか出ていないか確認するも特に外傷はない。しかして、彼の顔色は変わらず、私の体に重くのし掛かる。
「もうこのまま、君を連れて帰りたい衝動に駆られる。自身の命の危機が及ぶほど、本気で求めるものが何かというのがよく実感出来る。走馬灯とて君一色だった。そうして君を置いていけるかとここまで来れた。やっぱり俺には君しかいない!このまま監禁してもいいよねぇ!」
「よくないっ!」
混乱のあまり本能に従う彼を制止しつつ、彼がいたはずの森を見る。彼がここまで狼狽するなんて、もしや、とんでもない化け物がそこに!
「……って、これも一種のフラグですよね」
分かっています分かっています。私は彼と違って狼狽えません。どうせ、持ち上げるだけ持ち上げて結局は下らないものに決まって。
「お、木が次々となぎ倒されていくなー」
「恐らく多分、地響きらしきものが」
「風が止んだ」
「鳥たちが一斉に飛び立ちやがった」
「あなたは何を引き連れてきたあああぁ!」
前言撤回!とんでもない物が急接近中!
『そそのかし』ですかっ、超巨大化した『そそのかし』が人を丸呑みするためにやってきたと!?
こんな時は逃げるに限るけど、もうすぐそこにーー
「キャワワワー、聖霊さまああぁ、私の愛を受け止めてええぇ!」
地鳴りめいた声が奏でるは乙女の想い。愛した相手との間に立ちふさがる障害をへし折るは丸太のような両腕。全身を桃色のハートコーディネートで決めるは身長二メートル越えのピンク頭。
「あ、六男のピンクです!」
「ろく!?なん!?」
あれのどこが!との声量が出てこないほど、六と男に使ってしまった。ブラックくんよりも年下を想像し、さぞや可愛い男の子だろうと思ったのに。
「見つけたわぁ、私の運命の相手!あなたに相応しい相手になるため、あの日、あなたに言われたとおりに!自身を磨きに磨きあげたのよ!どう!この!美しさ!さあ、聖霊さま!私と性別の垣根を超えましょうおおおぉ!」
磨きに磨き上げた筋肉を持った男性もとい。
「セーレさん、よもやオネエさま系にまで声をかけているなんて!」
オネエさま系六男ピンク。ここに来て、最大の個性派がやってきてしまった。お腹いっぱいでもはや吐きそう……
「知らない知らない!あんな怪物に声をかけたことなんかない!」
「そんなっ!はるか彼方のことだけど、私は鮮明に覚えているのにぃ!お忘れなの!?森のオコジョにお菓子を取られて泣いていた私を慰めてくれたあの時を」
「……」
「あ」な顔したよ、セーレさん。しかしてすぐさま、否定をする。
「い、いや、確か、あの時泣いていたのは小人、で……というよりも、なんだこの物語は!どこにも小人がいないだろうが!かろうじてなのが一人いるだけで!」
ブラックくんが俺も大人だっ、と訴えるのを写真に撮りたいのはさておき、確かに『小人』はいない。
「こらこらピンク、あんまり聖霊さんをこわがーーあ、いや、びっくりさせるなって。お前があんまりにも破壊的にーーじゃなくて魅力的に成長したから、混乱しちゃっているんだ。改めて、自己紹介をしよう!」
「赤兄さま……」
面倒見のいいレッドさんにあやされながら、ピンクさんも整列する。
「さて、図書館の人、お待たせしました!これが今の俺たちの姿です!」
ドヤァと弟たちを紹介されても……。赤、青、黄色(不在)に、緑、黒、ピンクだなんて、戦隊ヒーローか。七人の小人じゃなくて、七人のイケメン戦隊になんと言葉をかけたらいいものか。
「そういえば、人気ある絵本だって言っていたけど……」
これ、か。確かにこのイケメンたちは人気を勝ち取るだろう。丁寧な紳士的赤に、クールな青、チャラ系の黄色に、不思議系の緑、超絶かわいい黒と、ラストにオネエさま系のピンク。定番から通向けまで幅広すぎるジャンルを取り揃えているのだから。
「お前ら……、ページ外で何をしていたんだ……。下手すれば物語崩壊寸前だぞ」
呆れきった顔は全てを察したかのようだった。彼は昔の小人たちの姿を知っているようだから、この変貌ぶりを認めたくなくとも受け入れなければならない。ストーリー内での出来事はお話として、また始まりに戻ればリセットされる。しかして、こうして住人たちがそれぞれの意思で行動出来るページ外で起こったことは修正不可。ーーにしても、七人の小人とは程遠い姿になりすぎだ。
「いやぁ、俺たちも最初は普通の小人だったんだけど、そっちの世界の人が『七人もいるんだから、それぞれ個性を出した方がいいんじゃない?人気出るわよー』ってアドバイスくれたから、確かに自分のやりたいようにしたいって思ってね。努力に努力を重ねたら身長伸びたし、みんなから『きゃー、かっこいい!』って誉められちゃうほど顔も変わったし、物語が崩壊するわけでもないし、このままでいようかってことになりました!」
なんか、可及的速やかに問いただしたい人が増えるような声が聞こえてきたような。
「あんな、小人とは程遠い姿でもセーフっておかしくないですかっ」
「とりあえず、七人いるし、主役ほど重要な役でもないから、話さえきちんと進めればオーケーってことで判断されているんじゃないのか」
「物語界のルールって、そんなユルユルでいいのですかっ」
「本一冊一冊に限度値は設けられているから、それさえ超えなければいいんだ。ルールの限界は俺も不可視でね。どうやって決まるかも知らないが、とりあえず共通するのは物語を進めることにある。どんな姿になろうとも……だけど、ここではあのピンクが白雪姫の代理やろうとも許されそうだ……」
彼すらもため息をつくほどの有り様らしい。
「聖霊さま!思い出してくれましたかっ、私もうオコジョなんかに負けないほど強くなりましたよ!」
「ピンク、熊はどうしたんだ?」
「キャワワワ、二頭ほど担いでいたのに、黄兄さまを捨てる聖霊さまを見たものだから一緒に投げ捨ててしまったわぁ」
「セーレさんはモテモテデスネー」
「あれは論外だ。第一、オコジョごときに泣かされるガキがうるさいから、『それぐらいで喚くな。強くなって、もう泣くなよ』って言ったのは覚えているが、あれは違うだろう!」
彼の言うとおり、違う路線に行ってしまったピンクさんは、熱烈なウィンクを彼に投げつけている。
「そ、雪木。いくら愛する俺が他の奴から求愛されているからって、あれを絞めて落とした後、森に捨てるだなんて考えはやめてくれ。いくらっ愛するっ俺がっ他の奴から求愛されているからって!」
「強調された部分がまったくもって理解不能なあげく、ピンクさんには到底立ち向かう勇気はありませんので、あなたを差し出しても文句はないですよね」
「おい、そこのピンク!俺はこの通り、彼女と健全なるお付き合いをしているんだ!お前の頭よりも桃色の幸せを育む俺たちの仲は、何人たりとも邪魔立ては出来ないぞ!」
差し出される前に一芝居打ったよ、この人は。ピンクさんが、あからさまにショックを受けている。
「そ、そんなっ、私の初恋、だ、だったのにぃ」
「うるせえぞ、ピンク。ガキだからってわんわん泣くなよ。ほら、ハンカチやるから不細工な顔を隠せ。お前は泣いてない方が……いい」
チューリップのアップリケがついたハンカチを差し出し、ナイスフォローをするブラックくんを抱っこしたい衝動に駆られています。
「そっかあ、聖霊さん。そっかそっかぁ!ピンク、諦めなって、良かったじゃないか!見つかって」
「え」と、聞く間もなく彼が私より前に出た。その様子に、レッドさんは失言だったと口を塞ぐ。
「というより、お前ら。俺が捨ててきた黄色抜きにしても、六人しかいないが?」
あまりの個性派揃いで数の数え方も忘れていた。確かに、六人しかいない。配色からして、白が控えているのだろうか。
「ああ、七男、ね……」
ゲノゲさんが七男であれという妄想をよそに、レッドさんは小屋の入り口についていたパイプーーその穴に話しかけていた。二階に繋がっているのかと思えば、パイプは離れの物置小屋まで繋がっている。一連の流れからして、あの小屋にいる七男にレッドさんは声をかけているとは分かるけど。
「ほら、七男。聖霊さんもいるし、彼女連れてきたんだぞ?お祝いしようって!え?全て消せ?いやいや、物騒だぞー。お前なぁ、日の光を浴びないから、性根が腐っちまうんだぞ。は?ともかく消せ?はあ、彼女いないからって、聖霊さんを妬むなって!お前も努力すれば、すぐに彼女が出来るぞー。ああ、もう、好きにするよ!」
レッドさんでも怒ることがあるんだ。すぐに柔和な顔に戻るが、どこか申しわけなさそうだった。
「すみません、図書館の人ーーええと、雪木さん、聖霊さん。あいつ、かなりの出不精で。物語が始まる以外は絶対に出てこなくて。それでいて知識はあるから、俺たちの助言者としてなくてはならない存在なんですが……飯寄越せとパイプ叩いたり、昼夜逆転生活しているから朝に起こすと怒りまくって、夜はガタガタと好き勝手にやったり」
「風さんが言ってるの、ヒキコモリノテンケイだって」
「待ちなさい、そもそもあの小屋にいるのは果たして七男でしょうか。慎重に考えて、兄弟たちに迷惑をかけて好き勝手生きているワガママな末っ子など、果たして我らのかわいい末っ子と言えますかっ」
「現実逃避すんなよな。末っ子だからって、赤兄貴たちが甘やかしたのがわりいんだよ。飯置いていかなきゃ外に出るってのに、三食きっちり小屋の前に置いてよぅ」
「あら、黒兄さまだって甘やかしているじゃない!小屋から投げ出された洗濯物を集めては洗って、干して、畳んでいるのを私見たわ!」
「外に洗濯物を起きっぱなしなんて不衛生じゃねえか!七男の、ええと、ええと」
「ハッハッ、そういえば七男の髪色は何色だったかなー」
「物語上で会いはしますが、なんとういか、末っ子だからいつも後ろにいてよく見られないというか。順当に行けば白ですが、いや、そもそも今見ているこの景色が偽りならば、色の認識も大きく変わってしまうのでは!」
「風さんが言ってるの、忘れたって」
「そうよねぇ。あの子、妙に影が薄いのよね。お日様の光を浴びないとやっぱり人は薄くなっちゃうのね!」
とりあえず、七男がとてつもない駄目男で影が薄いというのは分かった。
「皆さん揃ったところでお聞きしたいのですが、『そそのかし』という黒い虫をご存知ではないですか」
この現状は『そそのかし』のせいかと思えど、先ほどレッドさんの言った通りにみんな自分の意思で変わったようだ。肉体改造レベルで。
「『そそのかし』にこだわるね、雪木。業務でも増えた?」
「まあ、はい。『そそのかし』が人々を『そそのかす』のは栄養補給のためだと話されました。人々の欲求により成長するそうですから」
「仮にもこいつら全員の欲求を呑み込んでいたらとんでもないね」
「はい。捕獲命令は出ていませんが、情報の収集と、自身とその他の安全確保に徹するようにと言われてますが」
どうやら肩すかし。いつも通りの業務をこなせそうだ。この七人のイケメンに対しても物申したい気分に駆られるが、本題は彼らが白雪姫を外に出さないこと。
「白雪姫さんの件で話を聞きたいのですが。いますね?」
端的な質問をしただけでも、小人たちはあからさまに動揺していた。小屋の中にいるのは間違いなさそうだ。
「物語を進めないことは確実に崩壊へと繋がります。白雪姫さんをストーリー内に戻してもらえませんか」
「あー、でも、俺たちがこんなに変わってもセーフなんだから、大丈夫なんじゃないんですか?」
「ルールを軽視してしまう気持ちも分かりますが、先も言った通りストーリーを停滞させて産まれるのは崩壊です。終わりがこない物語にはじまりはない。本としての役割を失うのにこれほど明確なことはなく、だからこそ簡単に崩壊を招いてしまうのです」
それは困るとは小人さんたちとて分かっているだろう。歯切れ悪そうなレッドさん、でもと言葉を続けた。
「やっぱり、出来ないです。俺たちは、白雪姫を愛してしまったのだから!」
握り拳つきで、訴えられた。
「やっぱり愛故の監禁だったか」
「『わかるわかる』と頷かないように犯罪脳。ーーええと、あなたたちが白雪姫さんを、その、監禁しているのは、王子さまに取られたくないからとかですか」
「ああ!白雪姫は必ず王子さまと結ばれてしまう。それが俺たちは納得できなかったんです!」
「ええ、まったくもって。王子さまなどという、終盤にしか出番がないような、一目惚れだとかで眠っている乙女にいきなりキスをするハレンチ極まりない男に白雪姫を渡したくなどない。そんな犯罪行為をする男が王子さまであることも怪しいですからね!」
「風さんも言ってるの、白雪姫好きって」
「俺は白雪姫のこと何とも思ってねえけど、兄貴たちの恋を応援すんのが弟だからな。兄貴たちになら、白雪姫を絶対幸せにするって分かってるし。俺の兄貴だから……。こんな姿じゃあいつ守ってやれねえから、せめて、俺は」
「白雪姫って、すっごく肌が白くて、色んなお洋服を着せたり、一緒にお化粧したいんですっ。私の唯一の親友、ズッ友の仲なんだから!」
「因みに黄色も白雪姫のことが大好きなんだ。Dカップあるから。七男はーーまあ、好きなんじゃないかな。なので図書館の人、ここは一つ放っておいて下さい!何とかなりますって!」
「そんなふわふわした動機で帰れるわけがないです!」
「どの程度の愛かと思えば、浅すぎる。監禁するからには、自身の内臓全てが溢れるほどの愛情を吐き出せばいいものの」
「それは単にグロ注意映像です。何とかなりませんよ。まだ崩壊の兆しはありませんが、予告なくそれは訪れます。よく話し合って下さい」
「話し合うってもなー。ブルー、どうする?」
「そもそも彼女たちの話に信憑性がない。でしょう、グリーン?」
「風さんが言ってるの、白雪姫といたいって」
「ここはメルヘンなんだからさ、兄貴たちの恋は成就すんじゃねえのか。お姫様は必ず幸せになるように決まってんだ。白雪姫だって、幸せになんなきゃ間違ってんだろ」
「あらでもぅ、最後に王子さまと結ばれるなんてすっごくハッピーエンドじゃない?」
「えー、でもさ。結婚してから男は変わるって言うらしいだろう?」
「釣った魚に餌はやらないとは、あちらの世界の言葉だとか。嘆かわしい。お姫様一人も愛し抜けないとは」
「風さんが言ってるの、白雪姫は絶対に不自由させないって」
「兄貴たちがそんな男じゃねえのは、俺が保証してやるよ。白雪姫を不幸にするようなら、何回でも殴って目を覚まさせてやるよ」
「ならやっぱり、私たちといる方が幸せねっ。ーーということで、図書館のお嬢さん」
話し合いは良くない方向にまとまった。ならば、強硬手段もやむを得ないのだけど。
「しらゆきんんは渡さなくてよっ!」
素手で大木を引き抜き、担いでニッコリなピンクさんには到底勝てる気がしませんねっ!
「まっ、待って下さい!話し合い、話し合いで解決をー!」
「雪木っ!ここは俺がピンクを!」
「きゃわわわわ!聖霊さんとくんずほぐれつになれるなんてええぇ!」
「本気で殺してやる」
「あなたは下がってて下さい!」
本気でやりかねない彼に待ったをする。強行手段決定だ。白雪姫と直談判する。白雪姫のためと言ってやっているなら、白雪姫にストーリーに戻ると言わせればいい。小屋にいるのは確かだから、中に入れば。
「ブルーさん!そこにいるレッドさんは実は、我々図書館のスタッフです!まんまと罠にハマりましたね!」
「へ?」
「なにぃ!やはりですか!我が長男ながら、ひどく間抜けな顔をしていると思ったのですよ!正体を現しなさい!」
呆けるレッドさんにつかみかかるブルーさん。後は、風に囁くグリーンさん。ーーは、何もせずとも私を止めない。
「ピンクさん!こちらの世界の恋のおまじないで、手のひらにピンクの文字で好きな人の名前を書くとその人との愛が成就するそうですよ!」
「きゃわわわわ!」
落ちた大木が地面にめり込む。ピンク色のペンなんてどこにあるのようううと、頭を抱えていた。
「雪木、雪木。ピンクに近い赤でも大丈夫だろうか。今から血を流そうかと思う」
「あなたまでどつぼにハマるな!」
彼はさておき、残りは。
「白雪姫は渡さねえよ。女の幸せ守ってこそ、大人の男だからな」
誰よりも果敢に勇ましく行く手を阻むブラックくん。
「だが、お前も女だ。手荒な真似はしたくねえ。互いに怪我しねえ程度に、やろうか」
拳を突き出すブラックくんと、私はーー
「ジャンケンっ、ポンっ!ーーあ、負けたぁ!もう一回。ブラックくん、もう一回いですか」
「はあ?じゃあ、三回勝負にしてやるよ。ほら、ジャンケンっ、ポン!ーーって、お前弱いな。三回するまでもねえし」
「五回!五回勝負にしましょう!『あっちむいてほい』もつけて!」
「ったく、仕方がねえな。ジャンケンっ、ポン!お、お前の勝ちか。ーーって、俺のほっぺたつんつんするんじゃねえよ!」
『あっちむいてほい』をするつもりが、指がもっちりほっぺに吸い付いてしまった。ああ、もう、癒やし。何やかんやで遊んでくれるブラックくんが可愛い。
「雪木は可愛いもの好きだよね。この前もゲノゲがたまたま物語に入ってきたら、はぐれないようにとかでずっと抱っこしてたし。……この世から可愛いものを排除してもいいかな?それか俺が可愛くなろうか。君にとてつもなく甘えよう」
「子供の前でベタベタしないで下さい」
俺は子供じゃねえというブラックくんの頬をむにむにしておく。そういえば、白雪姫と直談判しなきゃいけないのだけどもうちょっと。職務放棄ではありません、職務する上で必要不可欠なことですと自分に言い訳をしていれば。
「もう、やめてー!」
小屋から出てきた白い肌の美女。ハンカチ片手に涙をこぼしながら。
「私のために、争わないで!」
悲痛満点な叫びをあげていた。鶴の一声らしく、周りが静まる。小人たちがそれぞれ、白雪姫のもとへ行き、皆一様に慰めていた。
「もう、こんなことしないで。私のために争うだなんて。私はみんなに幸せになってほしいの!ごめんね、私がいるからみんなの仲が崩れちゃうんだね……本当にごめんなさい、私のせいで。でも、私もみんなと一緒にいたいの!例え許されることじゃなくても、みんなが私を幸せにしてくれた分、私もみんなを幸せにしたいの!だから、こんなことはやめて!私、見たくない!仲のいいみんなが、私のために争うだなんてー!」
「……悲劇のヒロイン」
それはもう、文字通りのヒロインだった。涙を拭うためのハンカチから時折チラチラと周りの様子を窺っては、私のせいで私のせいでと言ってみたり。小人さんたちがそれは違うと慰めても私のために私のためにとまた泣いて。
「自分の立ち位置に酔いまくっているね」
セーレさんの言葉には頷いてしまう。本人には悪気はなく自覚さえもないのだろうけど、かなり厄介なヒロインだ。無自覚ながらも十分にヒロインとして活躍できる場を見つけてしまった。小人たちの監禁に白雪姫が同意しているのもこのことあってか。
「あの、白雪姫さん。私、図書館『フォレスト』の彩坂雪木と申しますが」
「図書館の方!ごめんなさい、私のせいで!物語が崩壊すると思っても、私はみんなと一緒に暮らしたくて!本当にごめんなさいっ!」
「えっと、謝るならばストーリーを進めてほしいのですが……」
「いっそ、私だけがいなくなればいいのに!そうしたら大好きなみんなが傷つくこともないのにっ。こんな私がみんなのそばにいたいだなんて!謝って済むことじゃないけど、私もみんなと幸せになりたくて……」
「ですから、物語を」
「ああ、運命はなんて残酷なのかしら!叶わない願いと分かりながらも、願ってしまえば祈り続けるしかない。私はどうなってもいいの!だからどうか、みんなが幸せになる道へとお導き下さい!私は、どうなっても、いいからー!」
「……」
話し合い不可能です。歌劇的な言い回しでも、小人たちは口々に『そんなことない』『白雪姫は悪くない』と甘やかしまくっているから、彼女の悲劇のヒロイン度は高まるばかり。自分を卑下しているように見えて、その実、周りからの評価を得て悦に入っているようにも思えた。
「どうして、ああいったことに騙されてしまうのでしょうか……。いえ、彼女自身自覚のない酔いしれにせよ、誰かが諭すべきでしょうに」
「愛は盲目と言うからねぇ。目を覚まさせようか?」
物理の拳には遠慮しておく。にしても、困った。白雪姫自らがストーリーに戻りたくないと言っているならば、小人たちの目を覚まさせるしかないのだけど。
「あなたの盲目的な愛はどうしたら覚めるのでしょうね」
「さあ。この命が尽きようとも、君にまとわりつく執念があるから」
「あなたを例に対応策を考えようとしたのが愚かでした……」
「俺を例にするのがそもそもの間違いだよ。同等の対象がいない。俺の愛は他と比較出来ないほど法外だから。ーーそれを言えば、あいつらの盲目的な愛も浅いものだ」
勝ち誇ったかのような彼。続けて、任せてと言わんばかりの笑みを向けられた。
「図書館スタッフでもないあなたに頼るのは非常に申し訳ないと思っていたのですが……」
赤ずきんの時だったり、彼には助けられてばかりだ。貰いっぱなしでは気が引ける性分な上、仕事をこなせていない自分の未熟さを痛感してしまう。ギリギリまで考え、一人の力で何とかしたいと思うけどーー行き詰まれば結局、彼の能力に頼ってしまうあたり卑怯に捉えてしまった。
「シンデレラの時も言っていたね。それほど気にすることかなぁ?」
彼には似合わないおちゃらけたような言い回しーーつまりは、気にしなくていいと。
「あなたもあの小人さんたちのように、私を甘やかし過ぎですよ」
「それは、自覚はしていることではあるな。好きな人のためなら何でもしたくなるから。けど、俺が雪木のために出来ることってこれぐらいしかないから」
「私はあなたに、何も返せていませんよ」
まさか、そばにいるだけでいいと言うつもりか。それで彼は物足りないと思わないのか。
「俺が今、“返している最中”だから。雪木には返しきれないほどのものを貰ったんだ」
気にしなくていいよ、と微笑まれる。
「それにさ、ヒロインのピンチを助けるのがヒーローの役目だろ?雪木の頑張りを俺は見ているからね、最後に少し手を貸すぐらいいいじゃないか。俺から言わせれば、君はもっと誰かを頼るべきだよ」
気持ちが軽くなる言葉だった。司書長といい、本当に優しい人に溢れている世界だ。だからこそ、私もまたそこで頑張れ続けるのだろう。行き詰まろうとも、挫折しようとも、すぐそこに。
「お願いします」
「任せてくれ」
私の手を取ってくれる人がいるから。彼の物語改竄能力。いったいそれをどう駆使し、小人たちの目を覚まさせるのかと見ていれば。
「そうして、時は流れて一年の月日が経ちました」
淡々と、さながら絵本の一文を読むかのようによく分からないことを口にした。は?と思っている最中、周りの景色が目まぐるしくなる。日が落ち、月が出て。緑が枯れ、また芽吹き。鳥が巣立ち、また卵を産み落とし。早回しで進む世界が止まれば、また同じ風景が広がるも空気が一変した気がした。
「セーレさん」
「一年経たせた」
端的に現状説明されても、把握には至らない。
「悪い王妃は白雪姫を探すよう狩人に命令するも、方向音痴な狩人のため度々森で遭難し、白雪姫を見つけるまで一年の月日が経ってしまいましたとさ」
「『とさ』と付ければ何でも物語らしくなると思ってます!?」
「この本はかなり崩壊までの限度値が緩いようだから、一年経たせるぐらい大したことはないと思って。周りの風景も変わらないし」
「でも、一年経たせたところで小人さんたちの愛が風化するとは思えません、が……」
と、口にした矢先、小屋の中から小人たちが一斉に出てきた。綺麗に整列し、真剣な顔で。
「俺たちが間違っていました!」
カラフル頭の深々な謝罪を受けてしまった。
「あの時、素直に図書館の人の言うことに従っていればとずっと思ってました。俺たちはとんでもない過ちを犯してしまった!」
「自身の考えが正しくないと疑うべきでした。今度からは自身のことなど信じず生きていこうと思います……」
「風さんが言ってるの、もうムリって」
「ほんと、どうしようもねえざまになっちまったよ。ったく、愛した女一人も守れねえなんて」
「きゃわわわわ!聖霊さまよー。相変わらずかっこいいですわぁ。やっぱり私が真に愛すべきなのは聖霊さまだったのよぅ!」
「そう!俺たちは白雪姫を愛してはいけなかったんだ!なあ、みんな!というわけで、図書館の方。白雪姫を解放します!なので、どうか、どうか!白雪姫をもとに戻して下さい!」
まとめたレッドさん。白雪姫の監禁をやめてくれるのは嬉しいことなのだけど。
「戻す……?」
やけにつっかかる言葉を繰り返せば、小人たちは全員私から顔を背けた。
「見てもらった方がいいだろうね。待っててください。ブルー、起こしに行って」
「それならイエローがやっています。ーーが、一人では無理でしょう。仕方がないピンクも手伝いに行きなさい」
そうブルーさんが言った途端に小屋から悲鳴が上がった。続いて、何かが壊れていく音。
「風さんが言ってるの、イエロー死んだ」
「それよか、また床ぶち抜いたんじゃねえのか。また張り替えかよ」
「木はいくらでも持ってこれるけど、毎朝起きる度にこれじゃあ、いやん!腕に変な筋肉ついちゃうじゃないっ」
小屋の中で何が起こっているのか、先ほどから地響きが止まらない。ピンクさん登場時よりも重々しくゆっくりとした速度で現れたのはーー真っ白な鏡餅だった。
「はい?」
自分でも不可解な光景に目をこすって再確認する。外に出ようとするも、その鏡餅は巨大なためつっかえて出てこれない。やがて入り口の枠が悲鳴を上げて壊れる。その拍子にごろりと転がるはやっぱり鏡餅なのだけど。
「やめてー、ふ、ひふっ、私のためにー、ふーふー、争わないでー」
聞き覚えのある台詞を話すのは鏡餅で、よくよく見ればてっぺんに頭がついていて。
「し、白雪姫さん!?」
顎の贅肉で首が埋もれ、背中にも胸があるかのように肉が突出し、その胸よりも大きいウエストの段々腹はその重みで鬱血しており、尚も肥大化している臀部はさながら土台のように体を支えていて、まあ、つまりは太ったということなのだけど。
「どこをどうしたら、一年でそこまでなるのですか!?」
尋常じゃない太り方をした白雪姫は、100キロやそこらの話ではないだろう。もはや人間を超越してしまったかのような、人間ってここまで太ることが出来るのかと一周回って人体の神秘すらも感じてしまうほどだけど。
「健康に悪いです!長生きしましょう!」
「いいのよ、ふひー、私なんか長生きできなくたって、ふっふっひー、みんなが幸せなら、それ、ふひー、ふひー、ご、ごめんなさい、息を整えさせ、て、ふーはー、久々に歩いたから、息が、そ、外にも久々に、ふーふー」
「あなたたちが白雪姫を監禁しているからああぁ!」
思わずレッドさんに詰め寄ってしまう。レッドさんとて自覚あるのか最初は謝っていたものの、弁解を始める。
「い、いや、俺たちも白雪姫がどんどんデーーげふん、変わっていくのはまずいと思ったから、少しは元の状態に戻れるようしたんだけど。ブルー!お前がいつも白雪姫にお菓子を持って行くから!」
「そ、それは、白雪姫が空腹を訴えるから。例え、数分前に食べたとしても白雪姫がお腹空いたと泣くなら与えるしかないではありませんか!グリーンだって、毎回食事をあげてましたよ!」
「風さんが言ってるの、白雪姫に不自由させないって」
「食わせた分、運動させれば良かったんだよ!なのに兄貴たちは外に出たら王子に取られるとかなんとか!好きな女ぐらい他に行かねえように惚れさせろよな!」
「でも運動しようとしても、あの子すぐにバテるのよねぇ。一緒に丸太を担いで森をウサギ跳びで五十周しようって誘っても余計に引きこもっちゃったしぃ。部屋から出なくてもブラック兄さんが身の回りの世話をしてくれるから、あの子しばらくベッドから動かなくなったのよねぇ」
「というわけで、図書館の人!白雪姫を愛するがあまり甘やかし過ぎてしまったみんなの責任だが、白雪姫がデブーーげふん、変わってしまったのは彼女自身が動かず食べまくったせいでもあるんです!」
「連帯責任で罪が軽くなると思ったら大間違いですからねっ」
小人たちの目は覚めたが、取り返しの付かないことをしてしまった。うわぁとうなだれるしかない。
「ね?浅い愛だろう。好きな人が少し変わっただけで、目が覚めるほどの愛だ」
「そんなあなた曰わくの深い愛は?」
「雪木が寝返りも起き上がりも出来ず、着替えも食事も、排泄さえも、外に出ることも出来ないほどになるなんてーー俺なしでは生活することもままならない状態になることを想像しただけでも興奮する。愛する人の全てを管理し、その行動一つ一つが君の生命維持に繋がると思うとーークッ」
「その興奮は私の老後にとっておいて下さい……」
明らかに健康体でいられる年齢でやるべきことではないだろう。
「半年やそこらで元通りになるレベルではありませんよ……。あ、セーレさんの改竄能力を使えば」
「この周回が終わればまた使えるけど、そもそもその必要もないよ。この白雪姫が太ったのは物語上での話だ。ページ外で変化してしまった小人どもはともかく、白雪姫だけなら次の『はじまりはじまり』で元の姿に戻る」
セーレさんの解説に、そうかと納得する。改竄能力で一年経たせたのは物語上でのお話。はじまりになれば、物語上でのことは全てリセットされる。光明が見えたと思えど。
「因みに、これからのお話は?」
「ようやっと猟師が白雪姫を見つけ、継母に報告。老婆に変装し、毒リンゴを持った継母が白雪姫を訪ねる。白雪姫は毒リンゴを食べ、深い眠りにつく。小人たちの手によってガラスの棺に入れられたところで王子が現れ、白雪姫に一目惚れをする。口付けをしたところで白雪姫は目覚めて、ハッピーエンド。ってなところだね。他の白雪姫だと、棺を運んでいる最中に落としてしまい、その衝撃で毒リンゴが口から吐き出されて目覚めることもあるけど」
「継母さんー!毒リンゴを持った継母さんー!」
ガラスの棺にそもそも入るのかとか、王子様が一目惚れしてくれるかとか、かなりの問題があるが、とりあえず進めるしかない。呼んでみれば、待機していたらしく、黒紫のローブに身を包んだ老婆が現れた。
リンゴがたくさん入ったカゴを持ち、その一つを差し出してくる。……私に。
「なんと美しいお嬢さんなのだろうか。どれ、このリンゴを一つお食べ」
「継母さん、継母さん。現実を見たくないのは分かりますが、白雪姫はあっちです」
継母さんも美しかった白雪姫の姿に現実逃避中だった。老婆の格好でさめざめ泣くのを見るのは精神的につらい。それでも話を進めなければと、継母さんは鏡餅ーーじゃない、白雪姫にリンゴを差し出した。
「ふっ、ひー。お、おいしそうな、リンゴ!ちょ、ちょうど、外に出て、疲れたところだったから、ふーふー、おなか減ってたの。いただきまーす」
しゃりっと一口かじるではなく、ぺろりと丸ごと一つ呑み込んでしまった白雪姫。まだ足りないらしく、他のリンゴも黙々と食べてしまった。
「ふー、まだ、足りないわー!小人さん、こ、小人さん!もっと何かない?」
「いや、そんなこと言ってもさ。今朝焼いたパンは白雪姫がほとんど食べちゃったし。あるとすれば小麦粉ぐらいだけで」
「小麦粉で大丈夫ー!いつものあれと、ふーふー、混ぜればいいの」
「これから王子もくるし、毒リンゴも食べたんだから」
「減ったのー、小人さん、ふーふー、減ったから、王子様の前でお腹鳴っちゃうからー」
色々と言い聞かせていたレッドさんだったが、諦めたらしく袋に入った小麦粉と大きなスプーンを持ってきた。そうして、壺に入った。
「まっ、あれってマヨネーズですか!?」
白くてねっとりとした調味料は見慣れたものだった。小麦粉の袋にマヨネーズを入れて混ぜ、アイスでも頬張るかのように満足げに食べている。
「あはは、白雪姫が色々食べるようになってから、俺たちの食料もなくなってきてね。最初は近くの街から余った食材や、捨てる食材とか貰ってきたんだけど、それでも足りなくて。どうしようかと思ったんだけど、ふと、前にそちらの世界の人から聞いたどんなものでも美味しく感じられる調味料のことを思い出してね。俺たちの世界でも作れないかと作ってみたら、白雪姫に気に入ってもらえまして。それから、食料がどうしてもないときは、そこら辺の木の実やきのこや草をあの調味料と混ぜて食べさせてました」
「なんで作った太るもとををををを!」
一年でここまで太れる訳はあの雑食さだろう。食べ物を食べるではなく、もはや物を詰め込む。底無しに近い胃袋が満腹になることはなく、白雪姫は黙々と小麦粉マヨネーズを飲み込んでいった。
「というか、毒リンゴは!?」
継母さんから与えられた毒リンゴを過剰摂取したというのに、白雪姫が眠ることはない。まさかと思いたいけど。
「風さんが言ってるの、白雪姫お腹壊したことないって」
「もはや白雪姫の胃袋は、人を超越した胃袋となったのかもしれませんね。いえ、もしかしたら、僕たちが生み出したあの調味料に何か仕掛けが!?」
悪食に耐えうる胃のせいで、毒が吸収されないらしい……。
「こ、このままじゃ、お話しが進まない……。とりあえず、今の周回さえ終われば良いのですから、私が白雪姫の変わりに……」
「その時は問答無用で俺が王子様役だね!」
「白雪姫さーん。とりあえず、ガラスの棺は用意したので寝たふりして下さい」
眠る前から私にキスをしようとする彼に体当たり拒否をしつつ、白雪姫に指示を出す。小人さんたちが用意したガラスの棺なんだけどもーー白雪姫が寝そべるなり、ベチャッと潰れた。『パリンッ』ではなく、『ベチャッ』。脂肪は音すらも吸収する万能性を秘めいてるらしい。
「ふー、ふーっ。お、王子様、こ、こんな私でも愛してくれるかしら」
「大丈夫だって白雪姫!お前は可愛いまんまなんだからさ。ほら、もっと可愛くなるようにお花をたくさん置いとくぞ」
「ええ、心配は要りませんよ。一見すると、以前の白雪姫と大きく違いますが、よくよく見れば白雪姫に見える気もしなくはありませんし、そも、我らが思うかわいいという法則が何者かによって植え付けられたイメージでしかない可能性もあります。なので、あなたは可愛い白雪姫でしょう。分かりやすいように『可愛い白雪姫』との看板を置いときます」
「風さんが言ってるの。大丈夫。これ、幻覚を見せる胞子が飛ぶキノコ。風さんが胞子を運んでくれる」
「大事なのはハートだ、白雪姫。今も昔も俺にとっちゃ、お前はただの女の子だ。ほら、ベトベトになった口元を拭いてやるよ。顔も脂でベタベタだしな」
「そうよぅ、しらゆきんん。女の子はみんな恋するお姫様。可愛い生き物って決まってるの。自信を持って、お化粧してあげるわぁ」
ナイスフォローをしているようで、みんな必死でごまかそうとーーあ、いや、白雪姫を可愛くしていこうとしているけど。
「赤い奴の花布団でさらに“かさ”が増し、青のあからさまな看板で疑惑度が上がり、緑のキノコは早速当の白雪姫に食べられ、黒ガキがリンゴのアップリケついたハンカチで健気に口や顔を拭こうが、ピンクの化粧を落としまくっているね」
「しーっ、しーっ」
事実だけど、必死な方々に突きつけるべき現実ではない。セーレさんにお口チャックを命じておく。
「みんな、ありがとう。ふーっ、ふー。わ、私分かったの。みんなが私のために争うことが、とても、く、ふーふひーっ、苦しかったけど、そこまで大事にしてくれたんだって。だ、だから、私も、大事なみんなの願いを叶えたい。ふひー、わ、私、王子様と結婚するわ!」
ああ、もう、さっさとそうしておくれ!と言わんばかりの拍手が起こる。私としても問題が解決して助かるのだけど。
「釈然としない……」
「そうか。雪木はそんなに白雪姫役をやりたかったのか。王子様たる俺と口付けをするために!」
「釈然としましたー。王子様ー!王子様ー!白馬に乗った王子様はおりませんかー!白雪姫がお待ちですよー!」
私は私で彼の相手をするのが疲れてきたため、継母さん同様にどこかで待機していた白馬の王子様を呼んでみる。ややあって、蹄の音が響いた。
「おお、なんと美しい女性なのだろうか」
颯爽と現れた白馬に乗った王子様は、これまた白かった。全身を純白コーデで決め、唯一ある頭の王冠は金色に輝くが、肌からして白い。漂白剤入り洗剤で入念に洗い、清々しいお日様のもとで乾いたタオル並みに透き通った白さだ。……この例えもどうだと思うけど、王子様を見た瞬間に洗剤のCMが脳内に流れてしまったのだから仕方がない。そんなホワイト王子様。睫毛が長い白馬より優雅に下り、美しい女性だと。
「花の園で眠るあなたは、そうか『可愛い白雪姫』と言うのか。呼吸と共に七色の息を吐き出し、お顔全てが日の光を反射するほど神々しく潤い、華美なデザートのような創作性溢れる化粧をされたあなたはーーああ、どうしてこのような場所で眠っておられるのか。美しき女性よ。私は一目見ただけであなたに恋をしたというのに」
ホワイト王子、本当に王子様だったああああぁ!
心の絶叫は、みんな一緒だったろう。何の迷いもなく、横たわる鏡餅ーーじゃない、白雪姫のもとまで行き、童話の一枚絵さながらに美しき白雪姫が目を開けないことに嘆き悲しまれている。
「そこの者。この美しき彼女は、どうして目を開けないのだろうか」
「……へ!?」
あまりの出来事に台詞を忘れているレッドさんだった。ブルーさんが耳打ちして、思い出したかのように言葉を繋ぐ。
「あ、ああ、ま、魔女の毒リンゴで眠ってしまいマシター。彼女はもう、一生目覚めることはないデショー。シクシク」
大根役者でもこの際目を瞑ろう、そうしよう!全てをお許しになるホワイト王子様が気にせず、「そんな、ことが……!」と返して下さるのだからいいに決まっている!小人さんたちがみんなして、シクシクと涙を言葉で表現している中、王子様は本気で涙を流している。天気雨に打たれたタオルのように周りに悲しみを与える涙だった。
「神はなんて残酷なのか。こんな、奇跡にも等しい美しさを持つ彼女に呪いをかけるとは。ああ、可哀想に。せめて、許されることならば私はあなたと結ばれたかった」
憂いを帯びた唇が、白雪姫へと近づく。定番の目覚めのキス。誰もが羨むキスなのに、王子様が口付ける前に掃除機がごとく唇を合わせる白雪姫は性格まで変わってしまったらしい。おおよそながら、口付けの音に似つかわしくない。カレーは飲み物だっと豪語するかのような吸い取り音がする中で白雪姫は目を開けた。
「お、王子様ー!や、やっぱり、私には、ふひー、あなたしかいないわー!こ、こんな私になっても愛してくれているなんてー!」
「美しい人よ、あなたはどうあっても白雪姫のままだよ。さあ、結婚式としようか。そうしてまた、私と出会えるその日まで待つとしよう」
王子様は、どこまでも王子様だった。あまりの言葉に小人たちも芝居泣きから、本気で泣いている。自分たちは白雪姫を本当に愛していなかったんだと。ごめん、おめでとうと白雪姫の周りを囲んでの祝福。既存の物語とは違う感動を目にした気がした。
「セーレさんが言う本当の愛を、初めて見た気がします」
「本当の愛なら、いつも見せているつもりだけどね。まあ、あいつの愛もかなり深いけどね」
そうでしょうそうでしょうと頷いていれば、白雪姫を真に愛するホワイト王子がやってきた。白雪姫の口紅でべとべとになった顔を拭きながら。
「図書館の方と、ああ、聖霊さんまで来てくれたんですか。ご足労おかけします。まったく、与えられた役割も満足にこなせない腐ったインクばかりで申し訳ありません」
は?な気分を味わっていれば王子様スマイルで続けられた。
「平坦な毎日の中、少し変わったことをしたがるのは致し方がないことにしても、今回は度が過ぎましたね。単調な場面と台詞ばかりですから、飽きるのも無理ないことですがーーだからこそ、それをこなすことなど造作もないというのに。図書館の方々にはいつもご迷惑をかけます。なるべくこちらで解決出来ることは手を尽くすのですが、今回は小人や白雪姫たちの身勝手が過ぎた。私も時折、ページ外より語りかけていたのですが、暖簾に腕押しという耳にした言葉を思い出すほどにどうすることも出来ませんでした。ですので、本当に助かった。場面一つも動かせない腐ったインク共ーー失礼、方々を説得し、こうして無事にまた物語を終えることが出来ますので。鮮やかな手腕でした。おかげで私は、無駄な労力を使わず単に醜い肉玉にーー失礼、台本通りに美しき姫君にキスをするだけで済んだのですから。私たちはまた物語として生きる価値を得ることが出来た。ありがとうございます」
色々と言いたいこと、主にツッコミ方面の言葉が湧いてきたのだけどあまりのことに言葉が出ない。代わりと言わんばかり、隣にいる彼が言葉を出す。
「相変わらず、お前は役者として一流だな」
「本来あるべき形であり、今となっては理想的な形でしょう、聖霊さん。産まれた場所と意味を私は自覚しております。何万回でもこのストーリーを繰り返すつもりですよ。例え、会うことが出来ない相手であっても、役者として他の腐ったインクに口付けすることになっても、私を生み出し育んだ愛する作者のためならいくらでも私は『王子様』としてあり続けましょう」
「報われない想いだな。被虐心の塊にしか見えない」
「ええ、でも。それでも、愛情とはそんなものですよ。分かっていても消えてはくれない。想い続けてやれることをやるしかないですから」
ね?と、セーレさんに向けられた瞳が私に移る。そうして、「聖霊さんをよろしくお願いしますね」とお決まりの言葉を言われた。
「聖霊さんは報われたようで何よりーーおっと、これはまだ彼女には秘密でしたか。すみません、意地悪です。物語のネタバレはやめておきましょう。私は、私の物語を進めます」
では、ごきげんよう。と、私の手の甲に口付けをした王子様。反射的に彼が王子様に食ってかかろうとしたところで、物語は『はじまりはじまり』に戻った。
「っ、あの腹黒王子が!」
忌々しくも、いない人には拳は振れない。消毒だと『上塗り』しようとする彼をかわしつつ、前々から疑問に思っていたことを口にした。
「セーレさん。私たちってーー」
口にしたはずが、出てこない。ここまで来れば、ネタバレも何もないだろう。誰でも最初から予想出来る。絵本の中でセーレさんと行動してから、住人たちに『良かったね』と祝福される彼。そうして、何より彼は私にーー私が“初めて出会ったと思っているあの時から、既に”。
「……」
その食い違いは彼に聞けば、“最初”から話してくれるだろう。でも、終ぞ言葉に出来なかったのは何故だか罪悪感にかられてしまったから。罪を被った自覚はないのに、罰に怯えてしまっている。自身から自身へ向けられる強烈な“軽蔑”だ。ネタバレとはよく出来た言葉だ。その本を持ちながらにして、そちらは読まず、あえて別の場所でその内容を知ろうとするなんて、失礼にもほどがあるだろう。私が彼に聞こうとしているのは、正にそんなことな気がした。これは私自身が読まなければならない物語であり、彼にとってはきっとーーずっと、想い続けてきたたった一つの感情なのだから。
「雪木は、本当に優しいな」
いいこいいこと撫でる手の平。私の心を見透かすのが得意な人は、その方が“出来ればいいな”と返す。
「知ろうが知るまいが、どのみち、雪木は俺のお嫁さんなのは変わりない事実だからね」
「……あなたという人は」
文句を言いたくなるも、幸せそうな笑顔に水差すことは出来ない。ため息一つついて終わることにする。ーー後は。
「図書館の方!本当にありがとうございました!」
カラーバリエーション豊かな感謝のされ方ーー小人さんたち全員のふかぶかーな感謝を受け取った。
「今頃、白雪姫はお城からスタートしていることでしょう!いやぁ、本当に良かった」
うんうん、としみじみと喜びを噛み締めるレッドさん。それに合わせて他の五人(イエロー復活含む)も合わせて頷いていた。私の仕事もこれで終わりだ。問題は解決され、後は対策として今後のことについて話し合う。
「もう分かったと思いますが、今後白雪姫を監禁しないようにお願いします。あと、過度な肉体改造は禁止でお願いします。それ以上イケメンになったら、物語が破綻しかねませんから」
前回のシンデレラ同様、対応としては口頭での注意喚起で十分だろう。監禁の果てにあるものもしっかりと目に焼き付けたようだし。
「あ、あと一応、助言者の最後の小人さんにも話をしたいのですが」
徹頭徹尾、姿を表さなかった末っ子。彼の助言もあって白雪姫を監禁した経緯もあるんだ、言葉だけでもかけておかなければ。言えばレッドさんは聞き受けてくれ、さっそく離れの小屋と繋がるパイプに声をかける。
「七男、図書館の人が話がしたいって!俺たちの白雪姫を助けてくれた恩人だ!きちんとお礼して、言うことをーーはあ?お前まだ言ってんのか?白雪姫を監禁しろってーー思うがままに行動しろって言った次は、全て消せとか、は?なに?『物語の先に行け』?どうした、七男。悪いものでも食べたのか?」
「ちょっと待ったあぁ!」
レッドさんをパイプから引き剥がす。代わりに私が耳を近づけようとしたが、セーレさんがいつの間にやら私のやりたいことをしていた。
「……」
深刻そうな顔が私や小人さんたちを見る。
「この『七男』の姿を最後に見たのはいつだ」
「あー、ええと。ブラックはよく世話やいてたけど」
「ふるなよ、赤兄貴。あいつ、もとから引きこもって日の光や外の空気が害悪とかほざいてる奴だったから、その……一切出てこなくても仕方がないと思ってたし……その」
つまりは、気が遠くなるほど昔に見たわけで。
『仮にもこいつら全員の欲求を呑み込んでいたらとんでもないね』
セーレさんが言っていた言葉を思い出し、鳥肌が立った。冷や汗を流しながら、離れの小屋に目をやっても外観に変わった様子はないがーー『いる』と分かった途端、禍々しいもやでも纏っている錯覚を感じてしまう。ここは、危険を考えて一度、野々花と合流し迎え打つべきか。司書長からは捕獲する必要はないとのお達しだったが、野放しにするには危険に思えた。ーーでも、問題が解決した今、『養分』が摂れないと分かれば“あれ”はあの場に留まるのだろうか。グルグルと散らばった考えをまとめている内に、セーレさんが歩みを進めたことでそれら全てを投げ捨てる。
「物語界で生活するあなたの方が危険です!」
出てきた言葉がそれだった。目を丸くし、驚いた彼が私の方を振り返る。こちらとて、どうしてその言葉が出て来たのか自問自答中だった。散らばった考えは全て図書館司書補としての役目に則ったものだったというのに、最終的にかかしとなった足を動かしたのがその言葉。言葉が先に出て、理由を後付けで考えてしまうほどの有り様。それだけ、危険だと思ったんだ。
ーー何かあってからじゃ、遅いのだから。
「私が行きます。何があっても、最悪、私には逃げる場所がありますから」
何か言わんとする彼を遮り、強引に前に出た。新しい周回になり、改竄能力が使える彼に任せた方が安全だろう。だが。この物語界でしか存在出来ない彼には逃げ道がない。起きたいと強く願えば強制的に元の世界に帰れる私が予測不可能な危険を回避し、それを確認した彼が対処する形の方がより確実だろう。仮にもまた、野々花の件のようにあれが私の世界に来ようともあちらには司書長や野々花たちがいてくれる。いくらでも対応出来るんだ。ーーだから。
「雪木の優しさは時に残酷だな。俺だって同じ気持ちであることを忘れないでよ」
私の隣につく彼は、この案に乗ってくれなかった。しかもか。
「なんかよく分かんないけど、ともかく大変なことですね!弟たち、もうこれ以上、図書館や聖霊さんに俺たちの尻拭いをしてもらっちゃ悪いよな!」
おー!とそれぞれスコップやクワなど、思い思いの武器を手にする小人さんたちも加勢してくれるようだった。
「セーレさんが言う、残酷な優しさという言葉が身にしみるようです……」
「だったら、諦めて。ほら、ピンクなんか巨木担いでいるのだから、頼もしいことこの上ないよ」
手を繋いでくる彼には苦笑するしかない。諦めた。そも、これだけ味方がいるならば何があっても対応出来る自信までついてしまった。
「でも、最初に中の様子を見るのは図書館司書補たる私の役目ですからねっ!」
彼も彼で諦めたように頷いてみせる。意を決して、離れの小屋へ。近づくのは造作もなかった。窓はカーテンが閉まっているのか、暗く、中を確認することは出来ない。ドアは一つだけ。順当に考えれば開けるしかないのだけど、ドアノブを手にした途端、心臓が早鐘となる。知らずとセーレさんの手を強く握っていたようだ。後ろに控えている小人さんたちの緊張も背中から伝わるようだった。行きますよ、との意味でみんなに目配せをする。全員の心の準備を感じたところで、ドアノブを回し、勢いよく扉を開いたーー
で、素早く閉める。
間にして一秒もなかった。後ろの小人さんたちはおろか、隣のセーレさんとて事態を呑み込めていないだろう。あれだけ最初に見ると啖呵を切った私がやったのは、扉の開閉。きちんと確認せずに臆病風に吹かれたと思われようが。
「……、うぞうぞ」
「え」
「うぞうぞ、してました」
ことのあらましを、私は語る。一瞬にして判断出来た。あれは、『うぞうぞ』していた。何がどういうことだとは私も教えてほしい。けど、これは誰もが経験し得ることだ。人が嫌悪感を抱く生物がいる。一部の人はそれが好きだと言うだろうけど、残念ながら私はおおよそ大多数の部類に入る。台所の引き出しを開けたらカサカサ蠢くものがいました、靴をはいたらぶちゅっと何かを潰しました、寝ていたらボトリと顔に何か落ちてきました。ーーそう、正にこれはそういった形容しがたい恐怖の塊。正体を知る前に本能的反射的に現実から逃避してしまいたくなるような悲鳴すらも絶句する物がいて。
「雪木、俺が中を確認してもいいか?」
全力で首を横に振る。しかして現実は厳しい。怖いもの見たさという言葉がある。文字通りで、そこまで人を恐怖させるものは何だと彼ではなく。
「んもうっ、焦れったいわねぇ。いったい中はどうなってーー」
誰よりも好奇心旺盛な大男ならぬ大乙女が扉を開け、フリーズした。扉を開け放たれたままのフリーズだったので、今度は全員が確認出来ただろう。小屋にみっちりと詰まった『うぞうぞ』するものを。
カーテンが閉まっていて中は真っ黒だと思っていたが、それは誤り。真っ黒な体であり、小屋という器に隙間なく詰まっていただけ。それでも尚も動こうと、芋虫のような小さな丸い歩脚ーー巨体全体に何万と敷き詰められたかのようなそれを賢明にうぞうぞと動かし小屋の中で移動している。やがて、外の空気を感じ取ったか頭と思われる部位ーー六つの赤い複眼が解放された扉から覗き込んできて。
「い、いぎゃあああああああぁ!」
ようやっと秒針が刻まれた気がした。けたたましいピンクさんの悲鳴と重なる重低音は小屋が瓦解する音。何のことはない。乙女はあれを目にすれば、こうする。大乙女のピンクさんともなれば、担いだ巨木で小屋ごと巨大黒い芋虫を吹き飛ばすことは造作もなく。私が出来ることと言えば、丸太で行われたホームランに巻き込まれないよう彼に押し倒された先の光景ーー宙を舞う巨大な黒い芋虫こと成長した『そそのかし』を見ることしか出来なかった。
「うぞうぞ……」
絶対、しばらく夢に出るタイプの芋虫だった。それを退治してくれたピンクさんにお礼を言うべきなのだけど、あまりにも衝撃的な恐怖で体がついていけない。彼の案じる声も、泣いているピンクさんがそんな彼を後ろから羽交い締めにして抱きついたり、小屋の残骸の下敷きになるもやしのような影の薄い人物に「七男ー!」と駆け寄る小人さんたちにさえも反応を返せないがーーとりあえず。
「帰ったら、ゲノゲさんに囲まれよう」
そんな目標があるからこそ、人はまた仕事を続けるのであったとさ。