(2ー3)
前回の世界と違い、今回は夜の世界だった。狼さんが吹き飛ばしてもビクともしないようなレンガの家が並ぶ表通りは圧巻なものだが、暗さもあって非常に沈鬱な雰囲気だった。家から明かりは漏れていない。家人が寝ているわけではなく、皆一様に出払っているからだろう。遠方より、体の芯まで震わせるような音が何発か。夜空に色を与えたのは花火だった。
「お嬢さん、危ないよ」
すみません、と後方よりかけられた声に謝罪する。入れ違いで、馬車が走り去っていった。行き先は白亜の城。花火が上がったのもあの付近だ。今まさに、あそこでは盛大なパーティーが開かれていることだろう。
『シンデレラが、お城に来ないそうなのー』
と、端的かつ明快なお達しがあったため、シンデレラの物語に『訪問』をすることになった。連絡してきたのは司書長からだった。大概、こういったトラブルごとは司書統括に回して、それから司書を通じて、司書補統括後に、スタッフの誰を派遣するか書面でまとめて提出するのだけど。
「お気に入りではなくて、ただの扱いやすいだけなのでは……」
可及的速やかに解決する必要があると判断された場合、司書長権限で手続きを踏まずとも事件解決がための人材を派遣することが出来る。のだけど、受け取った当人からしてみれば、あの口調はどう考えても『可及的速やかに』よりは『とりあえず、やっといてー』な印象だ。司書長の中ではとりあえず、私に頼んでおけという公式が出来ているのかもしれない。入って間もない私に任せっぱなしではと、最初の頃は司書統括含め司書長の職権乱用っぷりに物申していたけど。
『あの子には物語界において、最強の旦那さまがついているじゃないー。可及的速やかに、かつ安全に事件を解決してくれるよー。可及的速やかにー』
「もはや、『可及的速やかに』を使いたいだけでは!?」
言葉覚えたてのオウムかっ、と一人で叫ぶ。脳内司書長に物申したところで、虚しくなるだけだった。ともかくも、司書長の性格改善は諦めるしかなく、電話一本で何でもこなします的な立ち位置が落ち着いてきてしまった。
「それに、旦那じゃないって言うのに」
まったくもー、と石を蹴っとく。どこまで転がっていくのかと見ている最中。
「そーそぎっ」
ガバッと背後から抱きつかれた。背中から感じるのは温もりなはずだけど、鳥肌びっしり。
「な、ななっ」
「無防備だよ、雪木。もしもこれが俺じゃなかったら大変なことになってたねぇ。このまま人気のない路地裏に連れ込もうか?」
「あなたであっても大変です!」
彼の足を思いっきり踏む。体にまとわりつく腕から逃れ、そのまま走り出したというのに。
「そう逃げられると、アリスの気持ちがよく分かるよ。どこまでも追いかけて追いかけて、捕まえた暁にはーークッ」
「想像の先を実行しないように!」
難なく捕まってしまっては、もう諦めるしかなかった。このまま、一緒に暮らそうか?などど、『暮らす』の言葉には不釣り合いな鎖を出されるのも見慣れた光景だ。
「ウサギ以上に可愛いなぁ。もう俺は君の虜だよ。匂いだけで、どうにかなりそうだ」
「つむじの匂いを嗅がないで下さいよ……」
身長が高い彼にとって、さぞかし嗅ぎやすい位置にあるとしても頭頂部より毛が薄くなりそうなほど没頭しないでほしい。ジャンピング頭突きをくらわし、今度は逃げずに距離だけ開けておく。
「今回も仕事で来ました。あなたに会うためではありません」
「いいよ、それでも。俺は雪木に会えて嬉しいのだから。今日は何を手伝おうか?」
「手伝い不要です!私の力のみで何とかしてみせますから」
「はいはい」
母親的笑みを向けられるほど、やはり私は無能なんだと思い知らされる。恥ずべき点だからこそ、何事も率先して一人で行おうとしているが、分不相応な仕事を押しつけられているのも事実。周りが私を有能扱いするのは、彼とセットで見た話。逆説、彼がいなければ今頃私はリーディングルームで寝ている子どもたちの相手をしていたことだろう。彼なしの私など、無能な頑張り屋さん程度の能力しかない。事実なのに、それが悔しくて分不相応な仕事だからこそ一人でやり遂げ結果を残したかった。
「とか言いつつも、最後に結局、俺を頼っちゃう雪木が可愛いよ。物凄く葛藤するあの表情とかたまらない。頼りたくないけど仕事を終わらせるためにと、俺しか頼る人はいないからと、けど一人で何とかしなきゃとも考え苦悩し、そもそも図書館と関係ない俺を頼ってしまっていることへの罪悪感まで持っちゃって。思わず、『助けてあげる代わりに』と交換条件を出してしまうほど嗜虐心をくすぐられる表情だよ。ーーあ、もちろん俺は雪木の願いを何でも聞くよ。悪い意味で虐めたいわけじゃないんだ。ただ、もう俺なしでは何も出来なくなればいいのにと思ってしまうだけ」
「人が真剣に考えているのに、あなたはー!」
バカみたいな思考だったと、切り替える。
「で?今日はどうしたの?」
「……、シンデレラが、舞踏会に来ないそうです」
「そう。ーーそれと、君のお友達から何か聞いていない?」
彼にとっての本題がそちらだったか。聞く前に辺りを見つつ、誰もいないのを確認している。
「この世界に『訪問』をしているのは私だけですよ」
一冊の物語に複数人『訪問』を行うことは可能だが、事件解決のためこの本は今、私が持っている。
物語の世界の単位は、一冊。この本を持って眠りについた時、周りには誰もいなかった。他の図書館スタッフが途中から『訪問』ーー『割り込み』をするには、同じ本を手にして目を瞑ることになるが。
「いや、念のためだよ。君と添い寝する男はいないかと思って」
「言い方を考えて下さいよ……」
もっとも、そうなってしまうため非常事態でない限り進んで人と眠る人はいないだろう。あるとすれば、時折、何も分からずただ添い寝してしまったゲノゲさんが『割り込み』してしまう程度の話だけど。……いないか、残念。
「ーー、持ち帰れました」
なんと言うべきか迷ったが、率直に言う。聞いた彼は、初めて見る顔をしていた。驚愕。目を見開いている。今にも口を開けそうになるも、自覚したかいつもの表情に戻す。野々花曰わくの見てくれだけがいいという顔に。
「今まで、こんなことありましたか?」
「ない、な」
人間らしい見た目で忘れてしまいそうになるが、彼の種族は聖霊。聖霊は不老で寿命で死ぬということはない。彼らの『死』の概念は『消失』となり、それに至るには外的要因ーー他害によるものでしかない。平和な世では、聖霊を傷つける人はいなく、半ば不老不死にも近しい存在となっているが、彼もまた私が考えているよりも長い月日を生きている。少なくとも図書館創設時よりいる古株。当初はそれほど『訪問』をする人間と関わりは持っていなかったそうだが、『どの物語にも存在し、そこのみで存在する聖霊』として資料に残っている。
「持ち帰った『そそのかし』は、君のお友達が保管しているのか?」
「いえ、それが司書長に」
司書長より電話があった際、その件についても触れようとしたが、司書補たる私が立場的に関わっていいのかと迷い聞けず終い。いくら『お気に入り』とされていても、あの方と私の立場は大きく違うんだ。仮にも上が機密情報扱いをするならば、なおのこと。
「司書長……、『ブック』のネイバーか」
彼と司書長が顔見知りであるかは愚問だろう。図書館創設時よりいたんだ。同じ聖霊の『ブック』とも話が出来るほど彼は影響ある人だ。司書長に関しては私たちの上司かつあの性格がため、入社当時より誰でも話す機会はある。しかして、上位聖霊『ブック』は、まさに雲の上の人だ。世界において、上位聖霊は数体しかいない。ゲノゲさんの時からいくら位を上げていこうとも、上の下止まりの聖霊が多い。上位聖霊とは上の上ランクの聖霊を指す言葉で、このお立場にいる方の数も半ば固定されていると言っても過言ではない。
誰もたどり着けない場所にいるモノたち。その中の一人に、私は彼も入っているのではないかと思っている。セーレさんにしてみれば、私たちの世界が取り決めた『位』など関係ないとした考えだけど、物語界においていくら制限があっても『何でも出来る』とはこちらの世界では『かの方』に近しい能力だ。本来なら、上位聖霊は敬うべき存在なのだけど、彼は性格が非常に、ひっじょーにっ、難ありな人なのでそこは置いておく。
「私の薬指に皮を巻き付けるのはなしです、よ」
「ハハッ、あんまりイヤイヤするとしたくなっちゃうんだけど。大丈夫しないよ」
どこか肩を落としながらも、諦めていると割り切っている彼は笑顔だった。
「でも、羨ましいな。あんな虫けらが君の世界に行けるだなんて」
「野々花は、何かあるんじゃないかとーーその、大変なことが」
「その時こそ、俺が君の世界に行くべきなのかもね」
「えっ」
「フラグ、立ててみた。こうしとけば行けるかなって。ヒロインがピンチな時、ヒーローが助けるべきだろう?」
「現実はそう甘くないんですよ……」
「夢がないなぁ」
「子供のままでは、大人になれないんですよ」
現実主義で結構。可愛げのない私に幻滅してしまえと思ってもみたが。
「俺は本当の君を知っているよ。優しくて、かわいらしい頑張り屋さん」
恋は人を盲目にするらしい。あばたもえくぼ。何をしても可愛く映るそうだが、彼の場合は出会った時から私を美化し過ぎている。本当の君を知っている。彼が時折、私に使う言葉だ。本当の私なんて、現実主義の無能な頑張り屋さんだというのに。
「難しい顔してるね」
「あなたのせいです」
まったくもってそう。顔を見られないように、背を向けて歩く。後ろからは含み笑いと、足音。今日もついてきてくれるーーじゃない、付きまとうらしい。
「シンデレラの家なら、そこの角を右に曲がった先にある。三階建ての立派な建物だ」
彼の言葉通りに立派な建物があった。城下街とあって富裕層が多い。シンデレラも本来ならば、貴族の娘であるのだが意地悪な継母と連れ子二人にいじめられている。今日はお城で舞踏会。本来ならば、魔法使いと出会って今頃お城に向かうべきなのだけど。
「意地悪な継母たちが、自分が王子様と結婚したいがため、シンデレラを閉じ込めているのでしょうか?」
「あー、それは違うと思うけどね」
推測を苦笑いで否定された。
「では、いったい?ーーあ、いえ。今回は一人で何とかしますので、セーレさんはついてこなくてもいいです。あなたがいると、残虐的ストーリーになるかもしれませんから」
危険危険と、引き離す。抵抗されるかと思ったが、彼はふと大通りに目をやったあと、すんなり私の言い分を聞いてくれた。
「分かった。何かあったら、『大好きなセーレさん、助けてにきて』と叫んでくれ」
「それはもはや、『叫ぶ』じゃなくて『呼ぶ』です」
一人になり、立派な建物を前に「たのもおおぉ!」じゃなかった。上品にノックをしようとーー
「シンデレラは、渡さないわ!」
華やかなドレスを身にまとった女性が、扉を大仰に開けた。開き戸のため、目の前にいた私に扉が直撃。立派な建物に相応しい頑丈な作りであったのが不幸中の不幸。ものの見事に負傷した。(鼻から)折れた!?と本気で心配したが、人って頑丈ですね。と冷静になれるほど、鼻の形は変わっていないし、どうやら鼻血も出ていないようだ。負傷訂正、無傷。あの衝撃を受けても痛いだけで済むとは、私って頑丈ですね。
「つっー!」
「きゃー、お母様!扉はもっと上品に開けなければ」「きゃー、お母様!うら若き乙女が痛みに悶絶していますわよ」「きゃー、ごめんなさい!とりあえず、中に入って!」
今、冷やしますわよ!と、ズルズルと引きずられた。私の部屋の何倍も広い玄関ホールにある赤いソファーに座らせられる。
「きゃー、お母様!冷やすための氷がなくなっていますわ」「きゃー、お母様!お客様にお出しするお菓子が切れていますわ」「きゃー、大変!とりあえず、濡らした布とお紅茶だけでも持ってきて!」
はい、お母様!といなくなる二人。多分は、あの二人がシンデレラの異母姉妹で、目の前であたふたしている女性が継母。お話では大変意地悪な人たちと語り継がれているけど。
「きゃー、大丈夫!?痛くないかしら?お顔に傷はなくて?あるなら魔法使いに治してもらうから安心してね!きゃー、良かった!傷はないみたいね!きゃー、安心したわ!綺麗なお顔は無事よ!ちょっと赤いけど」
「きゃー、お母様!冷たい冷たい水で濡らした布を持ってきましたわ」「きゃー、お母様!お詫びも兼ねて最高級の茶葉で淹れた紅茶をお持ちしましたわ」
「きゃー、あなたたちったらなんて気が利く子たちなの!もう、本当に可愛らしいわ!」
「きゃー、お母様!もったいないお言葉です」「きゃー、お母様!お美しいお母様の子として当然です」
「きゃー、幸せだわ!こんなにも可愛らしい娘たちに囲まれて、そうして可愛いシンデレラが娘になってくれたのだから!」
「きゃー、お母様!私たちも幸せです」「きゃー、お母様!私たちも妹が出来て幸せです」
シンデレラバンザイ!と最終的にまとまった三人。シンデレラは、優しい優しい継母たちに囲まれて幸せにくらしましたとさ、めでたしめでたし。にまとまるぐらい、シンデレラ愛が伝わってきた。
「あの……。申し遅れました。私、図書館『フォレスト』にて司書補統括をしている、彩坂雪木と申しますが。今回、シンデレラさんが舞踏会に」
「シンデレラは、渡さないわ!」
はい、振り出し。先ほどまで友好的に思えたけど、一気に敵対。それでも紅茶は淹れてくれるので、話し合い可能なようだ。
「言葉からして、あなたたちが閉じ込めて、シンデレラさんを舞踏会に行かせないと受け取りますが」
「し、シンデレラは、風邪を引いているの!そんな状態で舞踏会には行かせられないわ」
「きゃー、お母様!機転が利きますわ」「きゃー、お母様!そう言えば諦めなければなりませんよね」「きゃー、あなたたち!それを言ってはダメよ!」
「本当のことを話してもらえませんか?」
責めるつもりはなかったけど、顔つきが厳しかったか、ややあって継母さんが観念したかのように口を開いた。
「シンデレラは、真実の愛に目覚めたのよ」
「……はい?」
「シンデレラは王子様とではなく、魔法使いと結婚したいそうよ!」
バンっと机を叩いて熱弁を開始する継母さんだった。
「お母さんを亡くしてまだ日が浅く、心の傷も癒えていない内に私たちが来て、美しさを妬んだ私たちによってたかって意地悪をされてしまう可哀想なシンデレラ。本来なら、貴族の娘として誰もが羨む生活をしていいのに、屋根裏部屋に住まわされ、奴隷のように扱われるシンデレラ。そんな彼女の幸せのためなら、私たちは例え図書館の方々の命令であっても、シンデレラを守るわよ!」
「きゃー、お母様!凛々しいですわ」「きゃー、お母様!私たちもシンデレラの幸せのために頑張ります」
「そうよ!シンデレラは幸せにならなきゃいけないのよ!本当なら虐めたくなんかない!屋根裏部屋ではなく、私たちと同じベッドで並んで寝たり、可愛いドレスを着せてあげたり、一緒にお買い物したり、きゃっきゃっうふふな生活を送り続けていきたいのに……!物語はなんて残酷なのかしら!図書館の方、これが私たちの役目と我慢し、今までやってきましたが、もうそうも言っていられないのよ!シンデレラの最初で最後の願いを叶えるため、ワタクシたちはあなた方にシンデレラを渡しません!」
「シンデレラは屋根裏部屋ですね。この階段ですか?」
「ええ、階段を三階まで上ってもらって、左の廊下つきあたりにーーって、きゃー、つい口が!」
「きゃー、お母様!素直すぎますわ」「きゃー、お母様!でも憎めない素直さですわ」
「ダメよ、お待ちになって!図書館のお嬢さん!きゃー、いやー!うら若き乙女なのに結構力強いわ!」
「図書館業務は案外、重労働なもので」
知力よりも、体力と腕力が必要な職務だったりする。定期的な清掃は、本全てを棚から下ろすことから始めるからなぁ。このまま継母さんごと階段を上がるかと思っていれば、姉妹二人が立ちはだかった。
「きゃー、お母様!今、助けますわよ」
「きゃー、お母様!私たちも加勢致しますわ」
そんな彼女たちの手には、それぞれバケツとはたきが。
「きゃー、あなたたち!まさかそれは!」
「いい加減、『きゃー』と叫ぶの禁止でお願いします」
「き……こほん、お母様の思っている通りですわ!このバケツの水は、昼間屋敷中の廊下を拭いた水が入っています!」
「き……げほん、お母様が考えている通りですわ!このはたきは家中のホコリを取ったものです!」
「き……えっほん、ま、まさかあなたたち、お客様にそれで抵抗するつもりなの!?な、なんて恐ろしいことを!お客様が汚れてしまうわよ!それはもう、汚く!」
「でも、お母様!シンデレラのために私たちは心を鬼に致しますの!」「そうよ、お母様!シンデレラの幸せのために私たち」
「「まいりますわ!」」
「そ、そう、決心は固いのね。なら、ワタクシは!」
後ろから羽交い締めにされた。
「ワタクシが図書館の方を捕まえている間にさあ!」
「お、お母様!?そんなことをすれば、お母様にまで汚水がかかってしまいますわ!」「お、お母様!?下手をすれば、はたきのホコリを吸ってしまいますわ!」
「構わないわ!例えこの身が汚れ咳き込もうとも、愛するシンデレラのためなら!っ、さあ!ワタクシごと、やりなさい!」
おかあさまー!あなたたちー!と涙必須なやり取りの真ん中にいる私はいったいどうすれば……。逃げる、逃げない、撃退。の選択肢の中から、決断を迫られる。ここは彼女たちの思いを挫かないよう、甘んじて汚れるべきか。うーんと、悩んでいれば。
「雪木ー!そこの宝石店で君に似合う結婚指輪を買ってきたんだー!」
「綺麗な花が咲いていたから摘んできたぐらいのノリで大きな買い物をするなあぁ!」
彼に撃退の選択肢を行使しておく。単なるチョップにしても当たりどころが悪かったらしく、悶絶していた。
「やけに素直に言うこと聞いてくれたと思えば、こうした理由でしたか!?お金は大切に使うものですよ!」
「雪木は昇進しても安月給と言っていたものねぇ。俺と結婚し、この世界にいればお金持ち確定だよ?いくらでも、各世界にあった通貨を出せるのだから」
「まさか、指輪を買うために改竄能力を使ったのですか!」
「まだ使ってないよ。一冊の世界で一度使うと、次の周回まで使えないからねぇ。もともと持っていた金貨を換金して、買ってきた」
ならいいと言うべきか。いや、よくないけど。彼の能力は物語そのものを変える恐れがあるためか、二つの制限がある。一つ目は、物語界を崩壊させる直接的な願いの無効。二つ目は、一冊の物語界につき改竄能力は一度のみ使用可。……なのだけど、『制限』とは名ばかりで、彼の手による間接的な物語の崩壊は可能だし。一冊につき一度の改竄も、物語が終われば、また始まるされるため、彼の改竄能力も使用可能になる。だからこそのチート能力。物語界において、彼に敵う人はいないのだけど。
「きゃああああぁ、王子様よおおおぉ!」
女三人の黄色い悲鳴を受けたあげく、飛びつかれた彼は引きつった声をあげていた。
「きゃー、本物の王子様が来てくれたわ!」「きゃー、いつ以来でしょうか!」「きゃー、相変わらずの男前ですわー!」
「……、きゃーセーレさんモテモテデスネー」
「いやいやいやいやっ、冷めた視線を向けないでって!」
「きゃー、本物の王子様!あの時のお返事を聞かせて!」
「きゃー、私たちの誰かをお嫁に貰ってー!」
「きゃー、もういっそ三人で暮らしましょう!」
「……」
「おい、離れろ貴様ら!雪木、誤解しないでくれ!こちらは嫌だと言っているのに、言い寄られているだけなんだ!ちっ、まったく、人の迷惑を少しは考えてほしいものだな!」
「人の振り見て我が振り直せ、という言葉の意味が乗っている分厚い辞書を頭に叩きつけられたいので?」
まとわりつく女性三人から逃れ、私のもとに来る彼は例え意味を頭に叩きつけたところで変わらないのだろう。私に寄り添うセーレさんの様子に、継母さんたちは察したようだった。
「ま、まさか、王子様には既にお相手が!?」
「ああ、そうだ。覚えておくといい。彼女こそが、俺の運命にして生涯!心の底から愛する俺のお姫様とは彼女のことだ!」
人に鳥肌を立たせるのが得意な彼だった。よくもまあ、恥ずかしいセリフを並べて。これでときめく女性なんかいないにーー
「あああっ、王子様にそこまで言われる女性がいるなんて!」「羨ましいですわ!」「憧れますわ!」
メルヘンな世界の住人にとっては言われたいセリフNo.1らしかった。
「セーレさん、この世界では王子様役でしたか?」
「俺は君だけの王子様でありたい」
「メルヘンはいいですから」
「本物の王子はいるのだけどねぇ。この世界のは、ああ、うん……。物語界の住人は、一冊一冊ごとに違ってくるから」
「本物の王子様はあなたよー!」と泣き咽ぶ方々を見れば、物語界においても彼はイケメンの部類に入るらしい。確かに身長も高くてかっこいいのだけど。
「ところで雪木。指輪をはめてみないか?え?いやだ?ああ、そっかぁ。やっぱり俺の皮を巻き付けられたいのか。だよね。俺たちの愛は一般的な物じゃないのだから、もっと上を目指さなきゃねぇ。いっそ、俺の薬指ごとプレゼントしようか?もちろん君に痛い思いはさせたくないから、そちらは切断しなくてもいい。ただ代わりにずっとそばにいてね。繋いでおくから」
性格が残念だ。周りに対してはつーんとした素っ気ない態度で徹底しているのに、私に対しては甘い。ただの甘さではなく砂糖とシロップを混ぜ合わせドロドロに煮詰めた胸焼けするほど甘さ。許容できるものじゃない。
「もー、離れて下さいよ。私はシンデレラさんに会いに来たのですから」
本来の目的を果たす。継母さんたちも思い出したかのように私の行く手を阻んだ。どうやら意思は固いらしい。
「雪木、嫌な考えを巡らしているね」
「ええ、はい。あなたを囮にして屋根裏部屋まで行こうかと。あなたも離れて私として良いことしかありません」
「別の女に囲まれているところを見て、嫉妬したいのかぁ。分かるよ、雪木。俺も君に他の男が群がるものならば、八つ裂き後の消し炭にしたいと思う反面、数多の男から言い寄られてもなびかない俺一途な君の愛を感じたくなる時もあるから」
「分からない分からない」
考えを聞いても分かるわけのない頭を持つ彼が、私より一歩前に出る。
「でも、今はそばにいたいんだ。一秒でも離れたくないからね」
継母さんたちの前まで行き、よもや消し炭する気か!と止めようとすれば。
「俺に求婚したくば、魔人が住むランプ。人魚姫の声。悪魔の作った鏡を用意することだな」
竹取物語っぽいことをし始めましたよ。
「な、そんなもの聞いたことがないわ。い、いったいどこにあるというのです!」
「なんだ、その程度も集められないくせに俺に求婚しようとほざくのか。貴様らの愛など高が知れているな。俺は雪木のためならば、簡単に用意できる!」
だろうね。彼ならば。しかして、そうとは知らない継母さんたちは彼に求婚出来るならとやる気満々。ドレスの裾を持って小走りで出て行ってしまった。
「雪木」
「鏡があったら見せたいですね。ドヤァな顔をしてますよ」
阻むものがなくなり、階段を上る。一階から二階、三階。左廊下つきあたりに、屋根裏部屋まで行けるハシゴが立てかけられていた。
「すみませーん、図書館の者ですが。シンデレラさん、いますかー?」
天井の扉が開く。いたのは、既に舞踏会に行く準備を整えたシンデレラだった。先ほどの継母さんたちとは違い、華やかでないものの清楚さが際立つ綺麗なドレスを身にまとっていた。流石は主役と言うべきか、肌の白さからして段違い。薄暗い場所にいても失われない美しさを持つ主役は。
「なに?用件があるならさっさと入ってよ。カメ以下なの?」
随分と、素っ気ない人だった。せっかくの美しい顔も不機嫌一色に染まっているため、怖い印象しかない。継母さんたちの話からして、優しいイメージがあったのだけど。とりあえず、ハシゴを上り屋根裏部屋へ。中は狭いものの、汚いという印象はなかった。きれいに整頓され、ホコリ臭さもない。
「で?あんたら、なに?」
「し、シンデレラ。さっき聞こえたじゃないすか。この人たちは図書館の人っす」
ベッドに座り、足を組むシンデレラの横には水色のローブを着た魔法使いがいた。
「図書館?」
「僕たちに、生活というか、自由というか、ともかく、“人生”を与えてくれた人たちっす。と、図書館の人は僕たちの声を聞いてくれる唯一の人たちなんすよ」
上位聖霊『ブック』の力で物語界の中に『訪問』し、私たち図書館はこうしたページ外にて住人たちの声を聞く。命ある住人たちはそれぞれに意思がある。繰り返される物語の中で不満を持つ者も少なくない。本の管理と維持だけでなく、住人たちに満足いく暮らしを提供するのも私たちの仕事。そういった経緯から、住人たちは『図書館の人』と私たちを歓迎してくれることが多いけど、どうやらシンデレラに関しては当てはまらないらしい。どうでもよさげに、自身の髪をいじりながら聞いている。
「あの、シンデレラさん。あなたが舞踏会に行かない理由を、継母さんたちから聞いたのですが。そこの魔法使いさんと結婚したいのですか?」
「ちっ、あのババアども」
「し、シンデレラ!そんな言葉遣い!物語での継母さんたちはともかく、優しい人たちじゃないすか?」
「そうさせたのよ。甲斐甲斐しくあいつらの言うことを笑顔で聞いて、物語外でも笑顔で接してやれば罪悪感に押しつぶされて優しくもなるでしょ?そもそも、掃除なんて主役にやらせることじゃないわ?そう思わない?脇役がやっていればいいのよ」
「し、シンデレラ!」
私が何か物申す前に、魔法使いが叱りつけた。及び腰でもしっかりと物言える人みたいだ。シンデレラとて魔法使いに怒られてシュンとし、反省した様子。
「ごめんなさい、魔法使い。気が立っていたわ。ああ、私はなんてことを。大事な家族に酷いことを言ってしまったわ。私の罪は許されるかしら。あなたにしか捧げたくないこの身を神に捧げなくてはいけない?」
「い、いや、そこまでは。ちょ、し、シンデレラ、ひ、人が見て、あ、あんまりくっつくのは……!」
「ねえ、魔法使い。あなたは許してくれる?罪を償えるなら、どんなことでもしたいのだけど。何をすればーー何をしてほしいのかしら?」
「ゆ、ゆゆ、許します!む、胸がっ、ご、ごめん、悪いのは僕!や、やめてっほしいっす!」
「私の罪、あなたが全て被ってくれるの?」
「え、なんでそんな話にーーまっ、まーっ、待って!どこ触ってるんすかー!き、君の言うとおりだから、やめ、僕が全て悪くなりますからぁ!」
魔法使い陥落。ベッドに伏した魔法使いを尻目に、何事もなかったかのようにシンデレラがこちらを向いた。
「図書館だか何だか知らないけど、帰ってくれない?続き、見たいのかしらぁ?」
「ハッ、俺たちに対抗して見せつけてくるとはいい度胸だな。抱き合っただけで成人向け図書認定にされる俺たちに敵うかな?」
「対抗しなくていいですから。帰りもしません。シンデレラさん、あなたがきちんと物語通りに話を進めなければ、この世界は崩壊します」
「具体的には?」
「具体的にって、それは……」
「崩壊なんかしないんじゃないの?前々から思っていたのよねぇ。物語通りに話を進めなきゃならないのは、あんたたちの都合ってことじゃないの?私たちで商売してんでしょ?そりゃ、困るわよねぇ。めちゃくちゃな物語を誰も体験したいとは思わないもの」
「ちがっ」
「崩壊とは、消えることだ」
声を荒げようとする私の肩に手を置きながら、代わりに彼は言う。
「貴様らが同じストーリーを繰り返す理由なんて、それをするために産まれたからに他ならない。だというのに、時の経過と共に心を持って好き勝手。紙上のインクのくせに、何様だ。物語を始めない終わらせない奴らに存在価値はない」
冷酷な物言いをする彼にシンデレラはつかみかかったが、言葉は止まらない。
「貴様らの世界は“本”だ。産まれた場所を間違えるなよ。インクが、出来上がった本の上で暴れまわったらどうなるか、実践してみないと分からないのか?」
「どうせなら、私たちの好きなように塗り潰してやろうじゃない!前より面白い話になるんじゃないのかしらぁ?」
「自分勝手な妄想は落書き帳にでもしていろ。ページ外で、こうして駄々をこねて聞いてもられるだけでも有り難く思え。その不満を解決しようとしてくれる彼女たちには敬意を示せ。この本の代わりはいくらでもいるんだよ。シンデレラと題打った本は何百冊もある。黒く塗りつぶされた本なんて要らない。誰にも見られず、いずれはこの本があった記憶もなくなる。滅茶苦茶になった世界で孤独に生き、消え失せろ。崩壊とはそんなことだ」
「このっ!」
彼に平手打ちをしようとシンデレラの手が上がる。しかして、彼の目を見て何かを感じ取ったか力なく俯く。
「酷い話じゃない。心なんか要らなかったわ。誰よ、こんなもの植え付けたのは」
「さあな。はた迷惑な話だが。ーー嫌なことばかりでもないだろう」
シンデレラ……と寄り添う魔法使いと彼女は手を繋ぐ。
「ねえ。それでも魔法使いと恋に落ちた私はどうすればいいのかしら?このまま、好きでもない男のもとに行かなきゃならないの?」
誰かを愛することが出来る心は尊くも、残酷だ。そんな彼女たちのために何とかしようとするのが、私たちの努めだと言うのに。無能な私ではーー
「今回のストーリーは、私がシンデレラをやります!」
こんな一時しのぎ程度の解決策しか思いつかなかった。三者三様の驚きをもらう。無能な頑張り屋が出した案は、言葉通り。『訪問』は見るだけでなく、一人の役柄を体験することも出来る。決められた役は二人と要らない。本物のシンデレラは、ページ外でお休みとした形を取ってもらうがその間に出番を終えた魔法使いとーー
「私が物語を終わらせるまで、あなた方は愛の逃避行をなさって下さい!」
次の周回が来るまで、駆け落ちすればいい。一時しのぎでも今の愛し合う二人を引き離したくはない。馬鹿げた案とも思った。けれど、私の頭では他に考えは及ばないのだからもうこれしかなく。
「ぷっ、あ、愛の逃避行って、今時どの本でも使ってないわよ。図書館の人はロマンチックな人が多いのかしら?ふふ、でも、悪くないわ。絵本の住人ですもの、お花畑な思考は好きよ」
肩を震わせて笑うシンデレラ。花も恥じらうとの言葉が似合う美しい笑顔だった。
「雪木……」
「分かっています。その場しのぎだと。次はどうするんだと。待ってください、考えます。思いつくまで、私がシンデレラの役をやり続けますから。今はそれで勘弁して下さい」
「損な役回りばかりを買って出るのは誉められたことじゃないけど……」
止めないあたり、諦めているのだろう。馬鹿だと怒ってもいいのに、彼は困ったように笑うだけだった。
「じゃあ、魔法使い。さっそく、このお嬢さんに素敵なドレスをあげなさい」
「は、はい!」
「え、ドレスは別に」
「シンデレラ、やるのよね?私に及ばずとも遠からずな美しさと妖艶さを持って舞踏会に行かなきゃ駄目よ」
「い、いえ、私の正装は勤務時のこの制服と決まっていて」
「おい、魔法使い。彼女にドレスを着せるならば、色は白水色。装飾は少なく、肌の露出も少なめだ。彼女はそのままでも美しい俺の花嫁だからな」
「も、もったいないですよ。聖霊さんの奥さま、結構スタイルいいじゃないですか。こ、ここは、マーメイドラインのドレスでそのメリハリを強調しましょうって」
「気にせず胸元も開けときなさいよぅ。上からストールでも羽織らせておきなさい。二人っきりの時、それを肩からスルスルーって落とすシチュエーションは燃えるわよ」
「確かに。ストールで手首を縛るのもいいな」
「あ、あのー、私の正装はこの……」
「少し黙っててなさいな!」
はい……と、彼らのドレス談義に大人しく従うしかなかった。自分で言い出したことだけど、早々に後悔です。