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物語はどこまでも!  作者: 青々
二章、魔法使いとシンデレラによる駆け落ち事件
3/23

(2ー2)

 我が図書館『フォレスト』のコンセプトは、“どこまでも夢見心地な安らぎを”だ。人と聖霊が繁栄しきった世界において、今や都市部だけでなく地方も人口が増加しつつある。そんな現代だからこそ、図書館という“静かな場所”が人気を集めるのも頷けることだ。純粋に遊び(アトラクション)として楽しむ人もいれば、無論、『読書』をするだけに訪れる人も。宿泊施設も設けているため、一日中寝ていたい人にも人気だった。目的は違えど、ここに来る人は皆、眠っている状態の方が多くとなる。


 絵本の中でいくらはしゃぎ回ろうとも、『訪問』最中、体は眠っている。人が見る夢と絵本の世界をシンクロさせるとかなんとか、そこは聖霊『ブック』による神秘としか人類(凡人)には言いようがない。よくあるのが、子供にアトラクションを楽しませて、その親は仮眠スペースにて休むといったケースか。『訪問』最中の人間が起きるには、図書館スタッフが起こすか、本人が単に『目覚めたい』と願うだけでいいがアトラクションを途中で終わりたいと抜ける子はあまりいないため、親としてもゆっくり出来る時間となろう。


 図書館『フォレスト』の敷地内には、二棟の建物があり。一つは受け付けや、宿泊施設。従業員専用の宿舎、貴重な蔵書、物語世界の管理維持をするための建物だ。古城をモチーフにしており、赤茶の外壁は雄大ではあるが、内部に至ってはエレベーターや、広い城内を素早く移動出来る水平エスカレーターなど、機械的な物が多くなる。便利と言えば便利なのだが、思っていたのと違うとは誰しも思うことだろう。『バカみたいに広いし、足腰がきついからー』とした理由から建設時に妥協の一点もしなかった司書長。古き良きよりも、便利さを取った。古き良き(由緒)を求める身としての救いは、完全防音で、バロック様式の家具が揃えられた格式ある室内で過ごせる点だろう。


 そんな古城より外へ。古城に相応しい庭園。薔薇のアーチによって出来たおしゃれな道を優雅に歩くこともなく、これもまた水平エスカレーターで素早く移動。今日は晴れかぁという感想も抱けない内に、全面ガラス張りの建物についた。


「青空のもと、庭園でのお散歩とか夢ですよねぇ……」


「この辺りの区画の天気を聖霊に聞いてまいりまするか?もしくは、某がソソギ殿のために一肌脱ぎまする!青空にするぐらい、天候操作の聖霊と某はお菓子パーティーを開くほど仲がいいーー失敬、よく定例会を開き、人々のために役立とうと考えておりまする!」


「いえ、そういったわけではなく」


 結局のところ、私も便利さに頼ってしまうのが虚しくなる。だって、本館からリーディングルームまで歩いて10分はかかるのだから、かなりしんどい。楽して移動もしたくなる。ドーム状の全面ガラス張り施設は、通称リーディングルーム。もしくはプレイルームか。呼び方は何でもいいが、ここは『訪問』専用の建物となる。


 リーディングルームの内装を説明するならば、『庭園』だ。室内にある庭園とは矛盾しているかもしれないが、草木や花々が息吹く室内を見れば誰もが納得するだろう。生い茂る草原に寝そべる子供たち。ゲノゲさんが添い寝してくれるオプションつきで。あの真ん中に割り込み寝そべりたい。起きているのは図書館スタッフのみで、『訪問』最中の人たちに問題はないかと見回っているが、それほど大きな問題はないため、スタッフもどこか眠たそうだった。欠伸をしそうになったが、私と目が合うなりにはっとする新人さんがいた。分かるよその気持ちの意味を込めて、笑っておく。


 さて、野々花はどこにと探そうとすれば。


「なんでー、ねえ、なんでー!ウサギさんが勝っちゃだめなのー!」


 静かな空間に響く子供の声。起きてしまったにせよ、なにやら不服の様子。スタッフの一人が対応していた。


「カメよりウサギさんの方がかわいいのに。勝ってほしいから起こしたのに、なんでだめなのー!勝つのはいいことなのにー!」


「えっとね、物語は変えちゃいけないから」


「なんでー?ウサギさん起こせたんだよ?勝てたんだよー?」


「か、変えたら大変なことになるから、ごめんね、起こしちゃって。次は物語通りにカメさんを」


「ウサギさんが勝つのがいいの!」


 あたふたと戸惑うスタッフ。話途中でも、大筋は分かった。あの子はウサギとカメの物語を変えようとして起こされてしまったのだろう。受け付けや、さらには『訪問』をする際に聞かされる注意事項。物語を大きく変えてはならない。そのような行動が見受けられた場合は、『アトラクション』を中止致します。


 とは言っても、当館の利用者はほとんどがまだまだ社会経験がない子供。見たところまだ小学生にもなっていないような少年だ。決められたルールに反して行動してしまうのも無理はない。加勢に入るかと、癇癪を起こしそうになる少年のもとに向かおうとし。


「館内ではお静かに願おう、クソガキ」



 少年の声だけでなく、水のせせらぎや、小鳥たちの声、さらにはスタッフ一同を凍り付かせる人物がそこにいた。少年の前で仁王立ち。腕を組み、威圧するかのような姿勢で挑む女性は、『おっと』と咳払いをする。


「失礼した、利用者様をお呼びするにあたって適切ではなかったな。静かに願おうか、子供」


 その呼称もどうなのかと思うが、失礼したと言う割には、憮然した態度で彼女は続ける。


「で?何が不服か、子供。クレーム対応には迅速に対応するよう、(おさ)から言われているからな」


 そんな物言いで少年が答えられるわけもなく、代わりに対応していたスタッフが訳を話す。


「そうか。再三、『物語を変えようとしてはいけない』と注意されているにも関わらず、それを『やる』ならば問題は子供の方にあるようだ。聞いていないというクレームならば受け付けない。そういった『言い逃れクレーム』が多いため、我が図書館では徹底した説明を義務付けている。仮にも我が図書館の精鋭(従業員)たちが、利用者様に重大なる危害を加えるかもしれない説明を疎かにしている事実あらば」


 かちゃんと、彼女が帯刀する刀の鍔が鳴った。


「クビだ」


 それはどういった意味での『クビ』で!?と、刃物前に青ざめるスタッフだった。必死になって説明してますしてます!と弁解している。そりゃあ、刃物。しかもか、彼女の場合は腰に一本帯刀するわけでなく、背中に六本帯刀している強者(やばい奴)。さながら、虫の足のように背後より伸びる鞘が、左右三本づつ。どれもが日頃から使っているかのような“使用感”があるため、怖がるのも無理ない。そうして、少年もまたブルブルと震えている。


「やはり説明は受けているな、子供よ。まだ小さな貴様にはルールを守ることこそが難しいかもしれないが、そのために、我らが精鋭たちがいる。気持ち良く眠っていたところを起こしたことについては詫びる。しかして、あのまま貴様が物語を変えていた結果をその身に教えるべきかもしれんな」


 がしっと、少年の頭を掌握したよ、あの人はあぁ!


「その物語が“違うもの”になった瞬間、世界は壊れる。その時その場に居合わせたお前の意識ごとな。それがどんな結果を招くのか。経験したことはないが、恐ろしいことには違いない。両親に一生会えず、泣くことも叫ぶことも出来ない暗い場所で永遠に漂うことにーー」


「大人げないでしょ!」


 まさにこれ、のセリフと共に彼女の頭にチョップをしておく。反動で彼女の手が離れるなり、そのまま少年が昏倒した。


「ま、まさか、頭蓋骨にひびが!?」


「ハッハッハッ、いくら私の握力を持ってしても無理な話だよ。せいぜい林檎がいいところさ」


「それは安心していい例えではないのですが!?」


「第一、前提が間違っているぞ。あれは掌握ではなく、『ナデナデ』だ。大人げなくはない。良い子にするんだぞ、の意味を持って接しやった」


「ナデナデはこうですよ、こ!う!」


 これもまたナデナデではないのだけど、彼女の頭をめちゃくちゃにした。すまないすまないと謝罪されたので、離してやる。


「そう腹を立てるなよ。問題ない。ただまた『訪問』をしただけだ。私の言葉で心を入れ替えたのだろう。きちんと物語通りに進んでくれるさ」



 少年の様子を窺うスタッフも、眠っているーー『訪問』をしているようですと言ってくる。


「あなたの恐ろしさに気を失ったのでは……」



 本を抱きかかえたまま眠る少年に大事はなさそうで安心した。『訪問』の条件には、この図書館『フォレスト』の敷地内にいること。聖霊『ブック』の羽根のしおりを挟んだ本を持つこと。深く眠りたいと思いながら目を瞑ること。これを守れば誰でも物語の中に行ける。意図せずとも、条件が揃っていれば『訪問』をしてしまう。この少年の場合は、目の前の鬼から逃げたい一心だったろうな。ウサギとカメに慰められておいで。あの二匹、優しいから。


「ノノカ!」


 ぴょんっと、私から彼女ーー野々花に飛びつこうとし、不自然に制止。彼女の斜め後ろで待機し、かしこまるマサムネだった。


「ソソギ殿を連れてまいりました」


「助かった。さすがは我がネイバー。仕事が早い」


「この程度のこと、某にとっては造作もありませぬ。……ふ、ふふぅ」


 わーいやったーな心が隠しきれていないマサムネだった。青いモコモコを震わせながら、喜んでいる。


「はあ。それで、話ってなんですか」


 こっちも忙しいのですよと、ゲノゲさんと遊んでいたことは棚上げにして言ってみる。


「ああ。お前の旦那についてだ」


「だ、旦那!?」


 上擦った声で叫んでしまった。館内ではお静かにっ、と睨まれてしまい、頭を下げる。ここではと、スタッフルームに移動した。リーディングルーム内にあるスタッフルームの外観はツタが絡まった大木だが、関係者が来ると大木のうろが広がり中に入れる。中は簡素な作りで、机と椅子、そうして観察用のモニターがいくつかあるのみ。先に駐在していたスタッフがいたが、野々花が休憩を言い渡し、出て行ってしまう。


「周りに聞かれたくない話ならば、私の所まで来れば良かったではないですか」


 マサムネに外の見張りを頼むほど徹底した彼女の行動に物申せば、「そうしたかったんだけどな」と濁される。


「内々に済ませたい話があったんだ。あちらには、『長』がいる。もしものことを思い、こちらに呼び出した」


「……、司書長に聞かれたくない話って、やめてくださいよ。変な話は」


「ああ、するつもりだったんだが、もう手遅れだったよ」


 肩を竦める野々花。まいったという割には、口元は笑っている。


「さきほど、ジャックが豆の木に登るのが嫌になったということで、私が物語の世界に入ったんだがな。そこで、お前の旦那に会った」


「旦那じゃありません、ネイバーで……いえ、ネイバーとも違いますけど、その、単に私に付きまとう人なのです」


「お前がこれじゃあ、あいつも大変だな。ともかくも、なかなか登ろうとしないジャック相手に苦戦していたんだが、お前の旦那ーー分かった分かった、怒るな。セーレだったか?そいつが助力してくれて、無事にジャックは豆の木を登ってくれた」


 彼の物語改竄能力が役立ったのだろう。物語の世界であったトラブルを対応するスタッフから、彼の助力があったという話はちらほらと聞く。そのたびに、『俺はそちらの世界で働く雪木の伴侶だ』とか言うはた迷惑つきだけど。それでもトラブルが解決することはいいことだ。


「頭のきれる聖霊だ。まさか成長した豆の木の要所要所に、エロ本を設けてジャックを登らせるとは」


「それは別のトラブルに発展しかねませんか!?」


 子供に見せられませんよ!


「大丈夫だ。読者からは見えぬよう配慮もするし、登りきったら即刻、巨人に預け、後から巨人とゆっくり楽しむそうだから」


「もっといい手はなかったのですか……」


「最善だったと思うがな。それで、だ。今回の事件も、ジャックに『そそのかし』が関与していたから起こったことなんだが、捕獲に成功した」


 それは普通に凄いとは思ったが、同時にそんなことかとも思う。『そそのかし』は、図書館スタッフがトラブル解決のために物語の世界に侵入するとどこかに逃げてしまう。そうそう捕まえることもできないが、小指ほどの大きさ、黒い虫と、その特徴を表したビラを作成することが出来るほど、捕まえられないものでもない。捕まえたところで給料が上がるわけでも、激励されるわけでもなし。いったいそれの、と言うのを見越して、野々花は人差し指を口元に置く。


 一度辺りを見回し、誰もいないのを確認。耳打ちをされた。


「『そそのかし』を“持ち帰ってきた”」


 は!?な声を呑み込む。自身の目が飛び出しそうなほど仰天した。持ち帰った?帰ったって。わなわなとする私のリアクションが思った以上だったか、野々花は上機嫌で言う。あくまでも小声で。


「そうだよ。文字通り持ち帰ってきた。絵本の中にあったものをだ。石ころ一つすらも持ち出せない世界の物を持ち帰って来れた」



 そうだ。一番の仰天はそこ。絵本の中にある物は、この世界に持ち帰ってはこれない。地に足がつき、呼吸もでき、自由に動き回れる世界でも、『訪問』が出来るのは意識だけだ。こちら側の物を持って行くのは可能だが、それも身に付けているものに限るし、こちらの世界に戻ってきた時点で物語の世界からは消えてしまう。これはこの図書館が出来てから何度も検証していることだし、『訪問』の注意書きにおいても『物語の中の物は持ってきてはいけない』ではなく、『物語の中の物は持ってこられません』になるほど重要視されていない部分だ。


「い、いえ、待って下さいよ。『そそのかし』を捕まえた事例はいくつかあります。“捕まえた”というからには、“持ってこよう”とした人も何人かいるのでは?」


『そそのかし』出現より時はそれなりに経っている。もしも持ち帰って来られた物がいたら、大問題となるだろう。それを耳にしないとなれば。


「私が初の持ち出しに成功したか、機密情報として上から圧力がかかっているかだな」


 彼女が司書長に知られたくない理由がそれだった。


「まあ、もっとも。お前に話したあと、報告しようとは思っていたんだよ。お前は長のお気に入りだからな、何かしら知っているんじゃないかと思ったが反応を見て理解した」


 お気に入りという自覚はないが、一人納得する彼女。


「野々花は、司書長が何か絡んでいると思っているんですか」


「悪い方向性は考えていない。恐らくは公にしない理由も、無用な混乱を招きたくないからという心遣いだとも信用している。お前に話したのは、『私の知らないことがあれば教えてもらいたい』という野次馬根性だよ。もっとも、収穫出来ないことも目に見えていたが」


 ニヒルな笑みが似合う野々花は続ける。


「『そそのかし』が持ち帰ることが公になってない理由のもう一つ。私が初めて持ち帰った説だが、これには今まで捕まえた奴が本当に持ち帰っていない証明が必要だ」


「だったら、直接聞けばいいじゃないですか。『そそのかし』を捕まえた事例は別の図書館だけでなく、ここにだっています。知らない人ではないでしょう?」


「司書長から圧力がかかっていれば、答えるわけがないさ。お前のように正義感が強く、何でも話せる友人なら良かったのだが、詮無き話だな」


「証明出来ないじゃないですか……」


「ああ。だが、“今までと明らかに違う”というのは証明出来る」


 手のひらを見せる彼女。


「どこの図書館でも出回っている『そそのかし』の特徴は、黒い芋虫状のもの。大きさは小指にも満たないがーー私の捕まえた『そそのかし』は手のひらほどの大きさだった」


 手のひら大の芋虫を想像し、ぞぞっと怖気たった。それを彼女は素手で捕まえたんだろうと想像も容易に。


「手のひらって……」


「小さいものが、大きくなっていた。単純に“成長”していたという話になるが、あの『そそのかし』を捕まえた時、私は震えてしまうほどの憶測を持ってしまったのだよ」


 開かれた手が、拳に変わる。


「『そそのかし』に関して、今までそれほど重大視はされてなかった。口だけの黒い虫で、『耳を貸さなければいい』という安易なことで対策も出来るし、物語の住人たちが『そそのかされた』としてもやることは極めて単純なこと。せいぜいワガママが過ぎるといった程度だ。我々が対応すれば、事も無げに解決出来る。虫についての議題をすれば、せいぜい『どこから来たのか』に論点がおかれ、発生源を絶とうとする話ばかりで、結局のところ『不明』で終わる。私とてそれは例外ではなかった。異分子を叩くには発生源をつきとめなければならないと思っていたがーー別の見方をしてしまったのだよ」


「別の……?」


「ああ。発生源ではなく、もう発生していることーー『どこの物語にでもいること』に論点をおいたんだ」


 何のことかと把握しかねたが、一拍おいて、気付く。


「通常、物語の世界の単位は“一冊”だ。同じ書籍は数多く存在しようとも、同じストーリー、同じ姿の住人(登場人物)がいようとも一冊(世界)ごとに彼らは生きている。個性があり、性格も違う。豆の木に登るのが嫌になったジャックがいる傍ら、別の本のジャックはそこに豆の木があるからと登ることを己が使命として燃えるものもいる。彼らは出会うこともないし、同じ物語だからといって互いの世界を行き来することも出来ない。唯一、あらゆる本に行き来出来るのは『訪問』が出来るこちらの住人だが、それでもこちらを中継点としなければ複数の本への行き来は不可。


 だというのに、だというのにだよ……!『そそのかし』はどこの世界()にも存在している。これはつまり、どこの世界にも自由に行き来できることではないのか?」


 今世紀最大の発見をしたかのように、打ち震える野々花だが、それには口を挟んでしまう。


「住人の行き来は、さほど珍しくはありませんよ。トラブル解決がため、物語界の住人を一時的に別の本へ派遣することができます」


「“自らの力で自由に”だよ、自由に。物語界の住人たちは自らの意思で本の中を行き交うことは出来ない。それを実行するには聖霊『ブック』の力が不可欠だが、あれも私たちが多くの書類(手続き)を踏んで初めて認められるものだ。この話を考えれば、『そそのかし』は『ブック』と同じ力を持っていると思わないか?」


「飛躍しすぎですよ。第一、本と本の移動はセーレさんでも出来ます」


 唯一の人にしても、既に出来る人がいるのだ。既存がいるならば、それが出来るものが今後出てきても不思議ではない。


「そうだな。セーレの空間移動や、物語改竄能力は皆周知の事実。今回、『そそのかし』がどこの世界にもいることをさほど重要視していなかったのは、(既存)がいたからもあるが。今回の件で『そそのかし』は未知となった」


 彼のようにどこへでも移動出来る虫。彼の場合は、物語の世界でしか存在出来ないから自由気ままに移動している程度の話でしかないが。


「『そそのかし』は、こちらの世界にまで“来よう”としている」


 確定された言い方は人々を恐怖させる悪意あるものだった。


「セーレでも我らの世界に来ることは出来ない。お前に会いたく何度も試みただろうが、結果は一人のお前が物語ろう。だというのに、口だけの黒い虫が、その実、誰も成し遂げていない前代未聞をやり遂げている。誰にも破られない(ルール)を平気で壊し、侵食している。侵食したところで出来ることはたかが知れている、所詮は絵本の中の出来事だけでしたなかったのに」


 虫は事も無げに、こちらにまで来てしまった。恐怖すべきことなのに、それを話す野々花はまったく逆の表情を浮かべていた。


「今回は私が“連れてきてしまった”にせよ、奴らは我々の世界まで侵食するまでに至った。成長とは進化。体の大きさが変わっただけではない。“進化したからこそ、成長したんだよ”。『そそのかし』を捕まえた事例は少ないが、小指ほどの大きさであるとした報告書の日付はそう昔ではない。それが今や、手のひらほどまで成長している。奴らは我らの目が届かぬところで、着実に驚異的なスピードで成長し続けている!いずれは、こちらの世界でも『そそのかし』を始めるのか。そう思えば、『耳を貸さなければいい』という話にまた落ち着くのだろうが。私はな、雪木。もっとそれ以上のことが起こるのではないかと思っているのだよ」


 それは未知数の恐怖。何が起こるか分からないからこそ、最悪を想定するはずなのに野々花の顔は最初から変わっていない。笑っている。自覚したか、片手を添えて隠してみるも、“分かるだろ?”と私にもその気持ちの賛同を求められた。


「この素晴らしき世界で、問題(何か)が起ころうとしている。平和な世の中が脅かされる。恒久的に変わらないと皆が思っている世界が壊されることなど言語道断。なのにどうしてか、胸躍るのだよ。私はこんなにも悪の心を持っていたのかと泣き咽びたくもなるのに、頭の片隅で思ってしまう。ーー誰だって、“こうもなる”と」


 一番の幸福は平凡な何もない毎日を送ることと、誰かが言った。それはきっと、平凡ではない毎日だったからこそ言える言葉。ならば、その幸福が実現され、平凡な何もない毎日を送る私たちはどうだ?約束された幸福。笑顔ばかりに満ち溢れた世界。平凡と言えども、皆確かに生きていたいと思える世の中には違いない。穏やかな人生を送るために必要な要素がここには溢れている。そんな中で、特別ーーいいや、“刺激”を求めている人にはこうも言いたくなる。


「それは、今まで積み重ねてきたものを捨てるほどのことですか?」


 虎の尾を踏んだどころではない。何の尾であるかも分からないのに、故意に踏みつけるその行為はいわば自殺行為。誉められたことではない。


「野々花、落ち着いて下さい。刺激を求めるのも分かりますが、今ある幸せ(平凡)こそが何よりも尊いというのが分からないあなたではないでしょう?」


 私の言葉に、ああと平静を保つ野々花だが、依然として口元は緩んだままだった。


「失敬。分かっているよ、ついな。未知数の物を私の中だけでどうにかすることはしないよ。それによって、友人や家族に危険が及んでは己の首を切っても足りないほど後悔するだろうし。お前に話したのもこのためだな。冷静になれる。一時の好奇心を満たすために、恒久的な幸福をーー今が一番幸せだと言える現状を壊そうとしていた自覚が出来る」


 軽率な考えだったと詫びを入れられた。私がいなくとも、彼女の性格上、己で自制し、然るべき対応をしていたことだろう。単に誰にも言えない気持ちを吐露して、スッキリしたかっただけにも思える。私に話したあと、司書長にも報告すると言っていたし。


「そういえば、成長した『そそのかし』を捕まえた時、彼もいたんですよね。何か言ってませんでしたか?」


 野々花が答えようとした矢先、ノノカーと弱りきったマサムネがふよふよやってきた。


「も、もう、某の力のみでは押さえ切れません。ど、どうか、お逃げくださ、い」


 がくんっとなるマサムネにいち早く駆け寄ったのは野々花だった。


「どうした、マサムネ!何があったというのだ。お前自慢のモコモコが酷くモシャモシャになっているぞ!」


「『訪問』から戻ってきた稚児に、み、見つかり、ここから先には行かせまいと身を呈していたのでありまするが、四方八方よりせめられて、う、うぅ。なんと情けない……。稚児相手にすら音を上げてしまうなんて」


 モニターの映像を巻き戻してみれば、子供たちにもみくちゃにされ、果てはキャッチボールまでされるマサムネがいた。スタッフルームには関係者以外入ってこられない作りになっているのは黙っておくか……。


「某も、ソソギ殿のネイバーのように頼りがいある男になりたいです……」


「何を言う。お前はそのままでいいんだ。あんなのただ見てくれがいいだけの男だ」


「おい」


 聞き捨てならないですよっ。抗議をしても、野々花は聞き入れない。なんたって野々花は。


「お前は全てにおいて完璧な聖霊だ!」


 親バカだった。


「の、ノノカ……」


「ゲノゲであったころから、お前は周りの奴と違って光り輝いていた。私のネイバーとし共に生きていく過程で、お前はますます輝きを増すばかり。ゲノゲから、中の下にまで位を上げ、そうしてさらに成長しようとするお前に私は驚きを隠せないよ。今以上の完璧がどこにあるというのか。こんなにもモフモフだというのに……!」


 ひしっとマサムネを抱きしめる野々花だった。


「先ほどまでモシャモシャだったというのに、撫でるだけでふわっと。ああ、お前を抱いて眠りたい」


 聞きようによってはとんでもない想像が出来る言葉だ。マサムネは素直に受け取っているため、身に余る光栄だと号泣している。


「強き男は泣いてはいけないのに、ノノカが某を甘やかしてばかりで……うぅ、某はノノカに似合う男になりたいのに酷いですーーうわーん、ノノカー!」


 びえんびえんなマサムネをあやしつつ、野々花が私に向き直る。


「さて、話しの途中だったな」


「マサムネを抱いて眠らなくていいので?」


「それは夜に取っておく。眠る前の可愛がりタイムを設けなければ気が済まないのでな。彼の反応についてだが、最初、いくら大きくなろうとも私は『そそのかし』が持ち帰れるとは思っていなかった。だからこそ、捕まえた『そそのかし』の保管を彼に任せようとした。彼の手中にある分には逃げることも消えることもないと思ったからな。だが、彼は言ったんだ。『試してみてくれないか』、と」


「持ち帰りを推奨したのは彼でしたか……」


「ああ。なぜ彼が、虫を持ち帰れると思ったのかは分からないが、『試してほしい』と言った時点で半信半疑だったようにも思える。結果は先ほど話した通りだがな。お前が『訪問』をすれば、必ず彼が来るのだろう。伝えておいてくれ、『持ち帰れた』と。そこから彼がどうするかは、私の預かり知らぬところだ。ん?どうしたマサムネ?なに?もっとギュッとしてほしい?ハッハッハッ、言われなくとも強く抱いてあげよう。窒息しても知らないからな」


 半ば、赤ちゃん返りが如く甘え(素直にな)るマサムネ。あれは我に返った時、さらに某度(堅苦しさ)が増すことだろう。


「分かりました。彼に伝えておきます。それで?」


「そうかそうか。お前もこの完璧なる聖霊を抱きたいか」


「あなたの親バカぶりに付き合う気はありませんから、それで?肝心の捕まえた『そそのかし』はどちらに?」


 まさかここまで話して、肝心の物を見せないことはないだろう。手のひら大の虫は今のところ目に見える所にはいない。どこかで保管しているのかと問えば、野々花は明後日の方向に目をやる。


「お前の言い分もよく分かる。わざわざ呼び出し、あれほどの熱弁を聞いた以上、何の収穫もなしに帰るわけにもいかないな。ああ、分かる。けどな、雪木。最初に言ったはずだ。『もう手遅れだったよ』と」


 言ってたようなないような、覚えてもいないことだけど、結局のところ。


「まさか、司書長に見つかったのですか」


「本当に何たるタイミングだか。見目は麗しく若々しい年端のくせして、中身は老体。足腰が痛むからと、機械での移動でさえ渋るお方だ。リーディングルームには滅多に来ないだろうと、お前を呼び出したのに。マサムネが行ったのと入れ違いで、長が来た。他図書館の長との定例会のため、しばらく出るとかでこちらに顔を出したそうだ。もちろん、冷静沈着を装っていたが、なかなかに賢い人だ。挨拶もそこそこに、『隠していては、無理にでも暴きたくなるのが人間というものだと思わないー?』とくれば、観念するしかないさ。お前に見せてからと思ったが、先に司書長に持って行かれてしまったよ」


「でしたら、私は本当にあなたの話を聞くためだけにここに呼び出されたというわけですか……」


 仕事の合間を縫ってわざわざここまで、とは口にしなくても察したか。お詫びにマサムネを抱っこ出来る権利をもらった。


 はあと、ため息一つ。この程度のことで怒るほど狭い心は持っていないが。


「一つ、言っておきます」


「なんだ?」


「セーレさんは私のネイバーでも、ましてや旦那でもありませんから、付きまとわれているだけですから、金輪際お間違えのないように」


「お前はまだそんなことを言って。何やかんやでセーレといるときのお前はーー」


 素直じゃないなぁと言う人には、マサムネを誘拐して言うことを聞かせるに限ります。

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