(4ー6)
「うわぁ、もうここまで出来上がっているんですね」
感嘆と呆気が混ざった声を出したのも、つい一週間前まで壊滅的被害を受けたリーディングルームがしっかりとした形をつけているからだった。
「聖霊様々だろうな。普段ならば人間の仕事として行うべきなのだろうが、事が事だ。迅速に対応すべきと、上位聖霊『ブック』の権限で派遣されたらしい」
独り言とならなかったのは、私と同じくリーディングルームの様子を見にきた彼女のおかげだった。
「それならあなたも、迅速に治してもらうべきかと思いますが……」
建物と同格の甚大なる被害の持ち主は、私の言葉に、布で固定してある左腕を見せびらかすようにして苦笑する。
「ああ、確かに治してもらうことも出来たが断った。己の未熟さの戒めとして、自然治癒するまで療養していようと思っていたのだがーー」
「ここにおりましたかあああぁ!」
びゅんっと、神風のごとくやってきた青い羊が、野々花に激突した。
「ノノカ!部屋から出てはなりませぬと申したはずっ!本来ならば危篤状態の身ですよ!完治するまで聖霊の治療を受けなければならないとあれほど言っていますのに!ーー某も心を鬼にしましょう!問答無用で、寝ていただきます!」
すうぅっと、息を吸い込むマサムネの体がどんどん膨らんでいく。話には聞いていたけど。
「巨大モフモフ……」
「そうだろう、そうだろう。マサムネはまた一つ美しく成長したのだ。おっと、このモフモフに触れてくれるなよ。これは私だけの物なのだ。勇ましく雄々しい我が愛すべきネイバーに触れていいのは、このわた、し、だ、け……」
毛に沈む野々花を引きずり出しておく。親友がこれ以上、だめ人間になるのを阻止しなければならない。マサムネは不満そうだが、目覚めた野々花に少しだけ話させてくれと言われれば、体を萎めてくれた。
「まあ、命に関わる怪我は治してもらったよ。戒めとは言ったが、マサムネのさまを見ていると自己満足にも思えてきてな。もう二、三日しない内に健康体になって帰ってくるさ」
「そうして下さい。病室で虫の息たる親友はもう見たくありませんから」
えいっ、と軽くデコピンしておく。
あの時、止められなかった私も悪いのでデコピン返しをしてもらおうと額を出すが、あったのは謝罪の言葉だった。
「お前のおかげだ、雪木。いつかの言葉を取り交わしたからこそ、私は大切なモノを失わなくて済んだ。あれがなければ、マサムネがやられてしまった瞬間、怒りに身を任せて『そそのかし』に食ってかかったかもしれんからな」
その結果どうなるかなんて、想像しなくても分かるだろう。想像してしまったらしいマサムネが、野々花の胸に飛びついているけど。
「私は、強くなりたい。その気持ちは代わらないし、刀も外さない。しかして今は大切なモノの命と、自分の命も守れるほど強くなった気ではいるよ。ーー怖くなったら逃げるさ」
確かにそれは以前の彼女にはなかった、臆病だ。
逃げることを恥と思わず、自己満足を良しとしないやり方こそ大切だ。自分の命を守れずにして、誰かの命を守ると言わせたくはない。
「もっともそれは、お前にも持ってほしいものなのだがな」
「え、……あー」
思い当たる節があり、笑ってごまかすことしか出来ない。今度こそデコピンをもらってしまった。痛い。
「やりたいことをしろとは言ったが、一歩間違えれば物語共々消えていたかもしれなかったんだぞーーと、説教したところで、お前のそのお節介は聖霊でも治療出来ないし、お互い様だな」
おあいこだと、これ以上のお咎めはなかった。
「リーディングルームが再建すれば、また『フォレスト』は運営するのでしょうか」
事件以降、物語の『訪問』禁止令が出たのは当たり前だが、それは一般利用者だけでなく図書館スタッフにも当てはまる。
物語へ行き来するためのキーアイテムは私も同様に取り上げられ、今後の見通しは一切立っていない。
ふとした疑問を投げかければ、野々花は「するだろうな」と返す。
「『フォレスト』だけでなく、今や世界各国にある図書館は安全性が保障されるまで運営禁止。場合によっては廃止もあり得る。ーーとは世論に対する建て前だが、リーディングルームを“再建”している時点で答えは出ているだろうよ」
「……大丈夫なのでしょうか」
あの事件があってから、物語界の『訪問』は規制されている。事の元凶たる『そそのかし』がどうなったのかは分からないが、また同じ事が繰り返されるのではないか。
多くは言葉にせずとも、頭の冴える野々花はそれを踏まえて答えを出していた。
「司書長たち自らが安全性を確かめ、上位聖霊の加護も強化した。と、題打てば、利用客は戻って来るさ。最初は数人、何も起こらなければ、数十人、月日が経てば数百人、年月が過ぎれば以前と大差ない利用客となるだろうさ。今回の件とて、結果的に怪我をしたのは図書館のスタッフだけだからな」
「そんなの安全と言い切れないじゃないですか」
「“何かあってからでは遅い”。お前の考えは正しいが少数意見だ。未だに人々は、“何があってもどうにかなる”と考えるものが多い。議題の席にて私も意見をしたが、聞いてくれたのは我らが長ぐらいなものだったよ。他図書館の司書長陣は、他人の庭で起きたことだとまともに聞きもしなかった。物語界の安全性も、長が先陣を切って行い、『そそのかし』はどこにもいなくなったと証明してくれた」
「『そそのかし』が……」
まさかの言葉に絶句する。発生源が掴めず、手をこまねいていた物がいなくなるなんて。
「笛吹き男の物語で群れていたと聞いたが、あそこに全てが集まり、彼や私が倒したことで絶滅したのではないかとの見解だ。正体不明の物だったからこそ、いなくなればこんなあやふやな見解しか出来ないのだよ。もっともまた『そそのかし』が現れようものならば、図書館は運営を廃止せざるを得ないさ。逆説、いない現状たる事実があれば運営を続けられる」
煮え切らない決定だ。
そんな私を察してか、彼女は続ける。
「手遅れになる前に、私たちがいるではないか。まさか、今回の事件があって図書館を辞めるとは言うまいな。危ないことを素早く見つけ、怖いと思ったら逃げる。そんな果敢な臆病者が我が精鋭に欲しいのだ」
「焚き付けているのか、貶しているのかどっちかにして下さいよ」
『我が』とか言っちゃうあたり、彼女は司書としてここに居続けるつもりなのだろう。そんなの、私とて同じだ。
「私も残りますよ。『そそのかし』の件だけでなく、物語の住人たちを幸せにするのが私の仕事ですから」
ウィルのことを思い出す。思い出し、思ったことを口にした。
「ウィルには偉そうなことを言いましたが、ふと考えたんです。仮にも私のこの人生が物語だとしたら。それも産まれた時から死ぬ時までの一生ではなく、ある時からある時までの一瞬だとしたら」
口を一度閉じたのは、続けるか迷ったからだった。ウィルのことを語るつもりが結局は自分語りに、それも聞けば重くのし掛かるような話しもあるから。
それでも続けてしまったのは、誰かに聞いてほしかったからに違いない。告解室にでもいるのかように、身に留めるには辛過ぎる罪だと思ったから。
「私が……両親を亡くしてまだ間もないころ、あの時に私の物語が終わりとなり、また始まりに戻る。その繰り返しの中で私がどうするかなんて、目に見えています。両親を死なせないよう色々なことをして、でも結局結末は変えられない。もうこの物語自体を閉じようとしても、見えない誰かの手によってまた戻されてしまう。何度も、繰り返し。私は両親を目の前で死なせてしまう」
繰り返される悲劇とは、正にそんなことだろう。こんな考察も出来てしまうのも、私たちの物語はどこまでも進めるように出来ているから。
未来があるんだ。
しかしてその未来が、また過去から戻る仕組みが出来てしまえばーー幼い私でなくとも、きっと。
「私もきっと、ウィルと同じように物語をーー“そんな物語”なら、壊したくなってしまう。それを邪魔しようとするなんて悪魔以外の何者でもない。とても憎く思えるのにーーウィルは私の姿を見た時、ホッとしたような顔をしていたんです」
いよいよとなって、物語が崩壊するあの最中。私を出迎えたウィルは、ほんの一瞬。そんな顔をしていた。
結局のところ、ウィルは最初からあんな終わり方を望んでいなかった。
自分では止められない場所にまで来てしまったからこそ、誰かに手を引いてほしかった。何もかも終わらせたいと思っても、心の片隅にはきっとまだ“希望”があっただろうし。
「それはお話の中ではなく、“自身の意思”で大切なものを奪わなくて済んで良かったと言っているように見えました。繰り返される無機質な文字の羅列では語りきれない心がウィルーー物語の住人や、それは確かに私たちにもある。
両親が亡くなってひたすらに泣いた。けど、両親がいてくれてひたすらに笑った。いくら繰り返される残酷さでも、私の手で両親を壊せるわけがない。それは、心のワガママ。自分のことなのに一括りに出来ない様々な感情が芽生えて、奔走、迷走して、どうしようもなく無様で、正しいことも間違ったこと区別が出来なくなる。
そんな救いようがない話になるはずなのに、泣く人を放っておけない人ばかりだからーー救いがなくても幸せなんです」
物語の住人たちに囲まれたウィルは、今も幸せにやっているだろう。また同じ絶望を繰り返そうとも、今度は何度も手を引いてもらえる。悲劇の物語でも、その内にある心は常に温もりで溢れている。私もまた、失ってしまった立場だけど、こうして。
「お前もまた、みんなから愛される存在だよ」
優しい人たちに囲まれているから、悲しむ暇もないんだ。
残酷なことをしてしまったと思う反面、ウィルには知ってほしいという気持ちもある。これが私のワガママだ。
生きていなければ、こんな気持ちも味わえないだろうから。
「それで、だ。その笑顔を一番に見せなきゃいけない相手が、お前にはいるだろう?」
え?と聞く間に、手のひらに何かを掴まされた。
「司書、勝村野々花の肩書きは伊達じゃないってことさ」
そこにあったのは一枚の白い羽根。
彼女はいっそ、清々しく私の背中を押してーー
「お前の旦那に言ってやれ!やはり、お前にしか我が親友を任せられないとな!」
私のしたいことをしろと、言ってくれた。この気持ちをなんと表現すべきか。ああ、本当に心って不思議だ。
思いっきり笑いたいはずなのに、唇が震えて笑顔になれない。だから、野々花の言葉通りに行動する。
返事をする前に、走った。
どこにって?ーーそんなの当然!